風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

タイガーマスク

2011年01月15日 | 雑感
今日も曇天、終日寒かったです。
明日以降も寒さが続きそうです。
娘は昨日高熱が出て、病院に行ったらインフルエンザでした。
薬を飲んだというのですが、39度を超えていましたので解熱の座薬を服用しましたら、ぐっすりと眠りにつきました。
どんな薬を飲んだのかと思ったらタミフルでした。
いろいろ曰くのある薬です。
飲んでしまった以上は仕方がありません。
今朝になったらすっかり娘の熱は下がっていました。

巷ではタイガーマスクが話題です。
偽善だと批判する人もいます。

前にも書いたことがあるかもしれませんが、以前知人と冬のニューヨークに宝石業界の視察旅行に行きました。
ニューヨークの冬は痛いほど寒さが厳しいです。
そんな凍てつく路上にもホームレスがありったけの衣類を着込んで震えながら紙コップを差し出しています。
なかには30代くらいの若い人もいます。
ぼくはそういう人を見かけるたびに、紙コップに小銭を入れました。
知人は、そんなぼくの行為を偽善だ、そんなことをしてもあの人たちの人生向上にはなんの役にも立たないとぼくを責めました。
ぼくは彼らの人生向上のために小銭を入れたのではありません。
熱いコーヒー一杯とドーナッツを一個買ってほしかっただけです。
その知人とは今でもことごとく話が合いません(笑)

ある人の行動が偽善かどうかを詮索したり、考察したりするヒマがあったら、誰かになにができるかを考え行動した方がましです。
日本の食糧自給率の低さを嘆いているヒマがあったら、あいてる土地を借りて、畑を耕した方がいいのに決まっています。
誰かになにかを期待するより、自分ができることをする社会の方が健全です。
ぼくはそういう風に考えますが、知人は人を批判し、政府を批判し、世の中が間違っていると嘆きます。
ぼくはやることなすこと基本的に流れのままといういい加減さが際立ちますから、ますます彼女を苛立てます。
彼女がどんなに苛立とうとも、ぼくはホームレスの差し出す紙コップに小銭を入れるでしょう。

関係のない話ですが、その視察旅行の終わり頃、ぼくは風邪を引きました。
皆がロブスターだかなんだかを食べに行っているときに、ぼくはホテルの別途の上でびっしょりと汗をかきながら寝ていました。
看病にきてくれたのはその知人です。
心から心配そうにぼくのそばにいると主張しましたが、ぼくはきっぱりと断り、食事の会に行くように言いました。
結局彼女は食事会に行って楽しい時を過ごしたようです。

彼女のその気持ちを偽善と呼べるわけがないように、わざわざ匿名でランドセルを送る行為を偽善と呼べるわけもありません。

偽善という言葉が流通するようになってから、路傍のゴミを拾うとか、元気よく挨拶をするとか、善いことは褒めてあげるとか、
ようするに善人めいたことを堂々とすることがはばかれるような社会の雰囲気になりました。
偽善だと人の行為を批判する人たちの言わんとするポイントは、結局、自己満足に過ぎないとか、
自分がしてやったという優越感にすぎないとか、そういうことみたいです。
馬鹿馬鹿しい話です。
自分の行為に自分が満足しようとするのは当たり前のことです。
勇気を出して人のためになにかをしたときに、その自分に誇らしさを感じるのも当たり前のことです。

このタイガーマスク現象が起点となって、誰かに期待するのではなく、自分ができることを淡々とする潮流が生まれるといいなと、
ぼくは思います。