風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

想念

2009年10月04日 | 雑感
桜島が噴火したようですが、アジアを中心に死者が出るような自然災害が立て続けに起こっていますね。
気候温暖化のせいだというまことしやかな情報が流布されていますが、太陽の活動の異変のせいだという説もあり、
人工的に引き起こされた気候変動だという説もあります。

なんにせよぼくは、良寛さんの心境でやっていこうと思っています。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。 死ぬ時節には、死ぬがよく候。 是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」

恐れや不安や怒りを持つことは、いたずらに自分を痛めるだけです。
やることをやりきり、死ぬときは死ぬ。
たかだか数十年のこの世の命運は天の流れに任せきる。
これは決して消極的な態度ではなく、災難に巻き込まれないための正に「妙法」です。

大事なポイントは、座して死を待つのではなく、無意味に時局に巻き込まれるのでもなく、
「やることをやりきる」ということです。
大災害が襲ってこようとも、助けられる隣人には手を差し伸べ、食料を分け合い、倒れたものを看病し、
地面があれば耕して種を植え、みなが眠れるところを共同で建て、誰にも遠慮のない希望を持って生き切ることです。

想念はエネルギーです。
何を思うかがその人の命運です。
どんなときでも豊かな想念を持ち続けることはぼくは可能だと思っています。
身内や知人や同胞が死んだら限りなく悲しく苦しいに決まっています。
でも、それでも絶望しないことはできます。

どうもこの世の中には、人の恐れや不安や怒りや疑いのエネルギーを欲しがっている隠れた勢力がいるみたいです。
そういう勢力と闘うというのは懸命なやり方ではありません。
彼らと闘い始めたとたん、怒りという爆発的なエネルギーが彼らに供給されます。
彼らの思う壺だというわけです。

彼らにエネルギーを与えないことが肝要です。
どんなときでも、やれることをやりきり、生ききればいいだけです。
どうしても闘うしかないときでも、許せないから闘うのではなく、生きるために闘えばいいことです。
彼らのエネルギー源は人のマイナス感情です。
人がどんなときでも前向きに生きると決めたら、彼らはほうっておいても衰退します。

命が人に与えられたエネルギーの源だとするなら、想念はそのエネルギーの顕れです。
正しく想念を使えば、命は本望です。
自らの命を歪めないようにするには、歪んだ想念に染まらないことです。
なかなか大変ですが、集団ではなく一人ひとりが命の責任を負う時代になったのだと思います。