風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

スローライフ

2009年01月14日 | 雑感
今日も雪のちらつく一日です。
北国では当たり前のことですが、九州では珍しいことです。

娘は2歳と数ヶ月を越えました。
予想もしない、いろいろなことを口走ります。
誰にも判読できないことを口走っては、なにやら一人遊びに熱中したりします。
祝福あれと願うばかりです。

新聞を読んでいるとこの国が壊れていくような気になります。
彼らは壊れていくところにしか興味がないからです。
創るというのは壊すこと以上に、純粋で大きなエネルギーが要ります。
彼らにはそういう大きなエネルギーをキャッチする能力がなくなったのだろうと思います。

報道以前に、現場にいる人間は不況を感じています。
不況が怖いのではありません。
不況を前にして萎縮してしまう心理が怖いのです。

やれることはいくらでもあります。
耳を傾けさえすればいいのです。
農薬を与えず、雑草だらけの農地で栄養価の高いトマトを育てている人。
牧場の囲いから解き放ち、山林の間の雑草を食べて、元気に育つ牛を育てている人。
そういうパイオニアがいくらでもいるのです。

仕事を失うのが怖いのではありません。
生きていく価値を見失うのが怖いのです。

大不況といわれていますが、この機をチャンスに国も社会も自分自身も生まれ変わればいいだけです。
兌換紙幣というのは、等価値の金の現物と交換できるという保証があった貨幣です。
その頃の貨幣というのは、世界的に価値を持ちました。

今の貨幣というのは、金の担保がないままに、銀行が勝手に輪転機を回して印刷される貨幣です。
恣意的に幾らでも刷ろうと思えば刷れる貨幣です。
そんな貨幣が、グローバリズムという名の下に、世界中の資源資産を食い散らかしているのが、今の経済です。
誰も責任を取りませんし、取りようがありません。

その黒幕というのは誰かというのは、その筋の本を読めば分かりますが、それすらどうでもいいことです。
ともかく、そういう食いつぶしの経済のサイクルから離脱することです。
国としてはそういうサイクルから離脱することは国力の衰退を意味しますから選択が難しいのですが、
個人としてそういうサイクルから離脱することはできないことではありません。

豊かな大地に目を向けることです。
特に日本に住む人々にとってはそれはとてつもなく優位なことです。
自然から収奪するのではなく、自然を生かしきれば、日本は豊かな国に生まれ変われます。

いろいろな分野での専門化が、条件付ながら、何度もそう言っているはずなのですが、国民一人一人の意識次第なのでしょう。

まぁ、ぼくはなにも悲観していません。
牛肉を食べることができなくても、チョコレートが手に入らなくなってもなにも困りません。
お酒は誰かがどこでこっそり作るでしょうから、それも困りません(笑)

要は、ものがない時代を進んで受け入れれば怖いものはありません。
国際競争力がなくなったとして、日本と言い風土の恵みを生かしきれば、まだまだいけます。
一億という人口は多すぎるかもしれません。
数十年かけて、スロースタイルの生活習慣を取り戻せばいいだけです。