風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

権利と誇り

2009年01月11日 | 雑感
辛い 仕事も 花いちもんめ
故郷はなれて 花いちもんめ

夜の盛り場 一人で泣いた
故郷のあの子は お嫁に行った

あんちゃんは あんちゃんは 遠くまで行くんだ 
遠くまで

by 南こうせつ 「花いちもんめ」

ということで、みんな生き抜くために歯を食いしばってきたわけです。
なんでも、例の派遣村の生活保護申請者の全員に給付することを決定したらしいです。
生活保護は国の制度ですから給付すべき人に給付するのは何の問題もありません。
でも、これが派遣村にいる人たちだからという理由で全員給付を決めたという何らかの判断が働いたのだとしたら、大きな禍根を残すでしょう。

支給額の12万円という手取り金額は、地方の若者が必死に働いて手にできるかどうかの金額です。
一方で、生活保護を申請しても取り合ってもらえない人たちもたくさんいるわけです。
今後、その申請を受理するしないでの公正さを保てるのでしょうか。
ただでさえワーキングプアの状態で四苦八苦している人たちの労働意欲は保たれるのでしょうか。

生活保護というのは、失業者に対してカヴァーするセーフティーネットではなかったはずです。
失業者には失業保険がカヴァーするはずです。
生活保護というのは働きたくても働けない人々を救済するためのものです。
失業したら生活保護を受けられるとなれば、労働力を基礎とする国力は見る見るうちに失われるでしょう。
派遣会社でも失業保険には加入させられているはずなのですが、どうもよく分かりません。

ぼくは自営業ですから、明日にでも仕事が絶える可能性は常にあります。
お客さんがノーといえば、それまでです。
仕事というのはそういうものだと思っていますから、その状況に対して愚痴を言うつもりはありません。
そんなことで愚痴を言う経営者というのは世の中に存在できません。
お金もないし、ものもないけどなにができるのかということを徹底的に問い続けるしかないわけです。

今の時代、12万円という金額を手にすることというのはとても大変なことです。
毎日出社してくるうちの優秀なスッタフの給料もその額と変わりません。
そこから社会保険料だとかなんだかんだと引かれています。
ぼくの給料はその額に足りません(笑)
そんなものです。
でもお陰様で、楽しく毎日仕事をしています。

経済の右肩上がりの成長が不可能になった今、ダイナミックに社会の方向を変えればいいのです。
そのチャンスでもあります。
旧態依然とした社会保障制度のままに運用しようとするから、無理ばかりが出てきます。

権利というのはそれを守ろうとする全体の共通意識があってこそ成立する概念です。
共通意識を逆なでするような権利の主張仕方は、結果的には共通意識からのしっぺ返しを食らうでしょう。

ま、怒っているわけでは全然ありません。
なにをしているんだろうという感想があるだけです。
ヴィジョンもなく、筋もなく、責任もありません。

さらに言うなら、困窮するというのも一つの大切な経験です。
いくら困窮しようが、生きると覚悟を決めた限り、生きられるものです。
ぼくは、個人の自由意志で招いた困窮という状態を、国に救ってもらうという発想は好きになりません。
救ってもらってももちろんいいのですが、国が救って当然だとまでなると、国の管理強化を導き入れることになってしまいます。

個々人の事情は、個々人が引き受けるのが自由な社会でしょう。
個々人の事情が、権利意識と絡めて声高に主張される世の中が正当化されるとするなら、サル山とどう違うのかという感じです。