今朝も強制的に目が覚める感じで夜明け前に起きたので、思い切って滝に。
滝に打たれて時差ぼけも吹き飛ばそうと思っていましたが、頭は依然と朦朧状態。
まぁいいです。
さて、アイカさんの公演に付いて少しだけ。
「NEO JAPANESQUE 2006」という国際文化交流事業の柱となる公演で、文部科学省やら外務省がバックに付いています。
ウエストミンスター寺院やビックベンから程近い官庁街にあるバンケティングハウスという宮殿の一部で行われました。
ルーベンスの手による天井画が見事です。
ネネさんたちは着物、ぼくはタキシードで参加しました。
ロンドン在住の日本人とか日本文化に関心を寄せる英国人が観客のほとんどでした。
レセプションではワインや焼酎のカクテル片手に、着物の着付けやミニ茶席といったパフォーマンスがあり、寿司の実演もありました。
内容はなかなか難解でした。
端折ってぼくなりに解説しますと、始めに日本を象徴する女神(アイカさん)が登場し、そのたおやかな美を歌い上げます。
やがて異質な文明・文化が流入し、日本かもがき苦しみながらも、日本という国の底に流れる本筋を手放しません。
異質な文明・文化が隆盛を誇って行きますが、やがてその本筋が復活して、異質な文明・文化を吹き払います。
その過程でたくさんの文化的・精神的残骸があとに残りますが、それを掃き清めます。
そして、再び日本の女神が復活して、たおやかな美を歌い上げる。
すべて歌とダンスパフォーマンスだけで表現されたものでしたので、ぼくの解釈が当たっているかどうかは皆目分かりません。
ぼくがタキシードを着ていたものですから、何かを勘違いした(笑)何人かの英国女性から解説を求められました。
いい加減に答えましたが、何とか納得しようという感じで話を聞いてくれました(笑)
それぞれのシーンの簡単な解説を書いたパンフレットでも用意していれば、観客もより楽しめたのにと思いました。
西洋人にとっては日本という国自体が何かの象徴みたいなもので、その象徴みたいなものをさらに歌とダンスという象徴だけで、
表現するというのは日本人が見ていても甚だ難解だったといわざるを得ません。
アイカさんの歌は相変わらず澄み切って天空に染み込んでいく感じでしたが、その意味が伝わらないのは惜しいことでした。
しかし、大胆不敵な試みではありました。
型にはまった日本情緒を前面に出すことは一切無く、神話的な構成で一気に押し切りました。
フィレンツェでのパフォーマンスは、ルネッサンス時代に建てられたピッティ宮殿の中庭で執り行われました。
篠笛と和太鼓が響く中、日本の女神(アイカさん)が歌で四方の西洋の神々に祝福を祈り、場を清めます。
イタリアの夕暮れの紺碧の空にアイカさんの日本語の歌声が吸い込まれて行きます。
その後、日本の男神が祝福を得、清められた舞台で力強い踊りを披露します。
その後お茶を振舞うパフォーマンス(日本の神が西洋の神々にお茶を振舞う意か?)があり、
続けて来客の方々に実際のお茶が振舞われたようです(お茶を飲むのは遠慮して帰りました)。
ぼくの解釈はあくまでもぼくが思ったことですから、そういうつもりで読んでください。
いろいろ他にも思うことやらなんやらがあったのですが、なんせ情報不足です。
とにかくも、両方のパフォーマンスは力技ではありました。
傍から見ていても、スケジュール的にも予算的にもエネルギー的にもぎりぎりの状況で敢行しているのがよく分かりました。
参加した皆さんに(当然ながら大勢の裏方さんがいます)心から拍手を送ります。
余談ながら、ピッティ宮殿の裏は小高い丘になっていて、丘全体が公園になっています。
時間を作って一人で行ってみました。
一巡りするのに3時間くらいかけました。
丘の頂上に陶器の博物館があります。
その博物館の庭から見た丘の向こう側、つまりフィレンツェの町とは反対側の郊外の景色は絶景でした。
森があり、城があり、堂々とした農家があり、青い空がありました。
それから丘からぶらぶら降りていくと、大きな古めかしい石造りの池があり、
そこを抜けると3~40メートルはあるでしょうか、高いポプラ並木に囲まれた草原がありました。
メインコースから外れているせいか、人気がまったくありません。
あまりにも気持ちがいいので、草原に寝転んで空を見上げました。
ポプラの枯葉が風に煽られ枝から離れ宙を舞います。
枯葉は意思を持って飛んでいるように、水平方向にすい~っ、すい~っと舞います。
何処に着地しようか考えながら飛んでいるみたいです。
ちょっと疲れましたので、今日はこの辺で。
滝に打たれて時差ぼけも吹き飛ばそうと思っていましたが、頭は依然と朦朧状態。
まぁいいです。
さて、アイカさんの公演に付いて少しだけ。
「NEO JAPANESQUE 2006」という国際文化交流事業の柱となる公演で、文部科学省やら外務省がバックに付いています。
ウエストミンスター寺院やビックベンから程近い官庁街にあるバンケティングハウスという宮殿の一部で行われました。
ルーベンスの手による天井画が見事です。
ネネさんたちは着物、ぼくはタキシードで参加しました。
ロンドン在住の日本人とか日本文化に関心を寄せる英国人が観客のほとんどでした。
レセプションではワインや焼酎のカクテル片手に、着物の着付けやミニ茶席といったパフォーマンスがあり、寿司の実演もありました。
内容はなかなか難解でした。
端折ってぼくなりに解説しますと、始めに日本を象徴する女神(アイカさん)が登場し、そのたおやかな美を歌い上げます。
やがて異質な文明・文化が流入し、日本かもがき苦しみながらも、日本という国の底に流れる本筋を手放しません。
異質な文明・文化が隆盛を誇って行きますが、やがてその本筋が復活して、異質な文明・文化を吹き払います。
その過程でたくさんの文化的・精神的残骸があとに残りますが、それを掃き清めます。
そして、再び日本の女神が復活して、たおやかな美を歌い上げる。
すべて歌とダンスパフォーマンスだけで表現されたものでしたので、ぼくの解釈が当たっているかどうかは皆目分かりません。
ぼくがタキシードを着ていたものですから、何かを勘違いした(笑)何人かの英国女性から解説を求められました。
いい加減に答えましたが、何とか納得しようという感じで話を聞いてくれました(笑)
それぞれのシーンの簡単な解説を書いたパンフレットでも用意していれば、観客もより楽しめたのにと思いました。
西洋人にとっては日本という国自体が何かの象徴みたいなもので、その象徴みたいなものをさらに歌とダンスという象徴だけで、
表現するというのは日本人が見ていても甚だ難解だったといわざるを得ません。
アイカさんの歌は相変わらず澄み切って天空に染み込んでいく感じでしたが、その意味が伝わらないのは惜しいことでした。
しかし、大胆不敵な試みではありました。
型にはまった日本情緒を前面に出すことは一切無く、神話的な構成で一気に押し切りました。
フィレンツェでのパフォーマンスは、ルネッサンス時代に建てられたピッティ宮殿の中庭で執り行われました。
篠笛と和太鼓が響く中、日本の女神(アイカさん)が歌で四方の西洋の神々に祝福を祈り、場を清めます。
イタリアの夕暮れの紺碧の空にアイカさんの日本語の歌声が吸い込まれて行きます。
その後、日本の男神が祝福を得、清められた舞台で力強い踊りを披露します。
その後お茶を振舞うパフォーマンス(日本の神が西洋の神々にお茶を振舞う意か?)があり、
続けて来客の方々に実際のお茶が振舞われたようです(お茶を飲むのは遠慮して帰りました)。
ぼくの解釈はあくまでもぼくが思ったことですから、そういうつもりで読んでください。
いろいろ他にも思うことやらなんやらがあったのですが、なんせ情報不足です。
とにかくも、両方のパフォーマンスは力技ではありました。
傍から見ていても、スケジュール的にも予算的にもエネルギー的にもぎりぎりの状況で敢行しているのがよく分かりました。
参加した皆さんに(当然ながら大勢の裏方さんがいます)心から拍手を送ります。
余談ながら、ピッティ宮殿の裏は小高い丘になっていて、丘全体が公園になっています。
時間を作って一人で行ってみました。
一巡りするのに3時間くらいかけました。
丘の頂上に陶器の博物館があります。
その博物館の庭から見た丘の向こう側、つまりフィレンツェの町とは反対側の郊外の景色は絶景でした。
森があり、城があり、堂々とした農家があり、青い空がありました。
それから丘からぶらぶら降りていくと、大きな古めかしい石造りの池があり、
そこを抜けると3~40メートルはあるでしょうか、高いポプラ並木に囲まれた草原がありました。
メインコースから外れているせいか、人気がまったくありません。
あまりにも気持ちがいいので、草原に寝転んで空を見上げました。
ポプラの枯葉が風に煽られ枝から離れ宙を舞います。
枯葉は意思を持って飛んでいるように、水平方向にすい~っ、すい~っと舞います。
何処に着地しようか考えながら飛んでいるみたいです。
ちょっと疲れましたので、今日はこの辺で。