鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

換毛期も大事

2009-11-11 13:49:12 | ゼニガタアザラシ・海獣
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All Photos by Chishima,J.
換毛中の若いゼニガタアザラシ 2006年7月 以下すべて 北海道東部)


 岩礁や海岸に集団で上陸して休息するゼニガタアザラシ。彼らが群れを形成する要因については様々な説が提唱されているが、そうしたものの一つに対捕食者戦略というのがある。これは集団でいることで休息中でも誰かが危険や異変に気付き、素早く行動できる海中へ連鎖的に逃げ込むことができるという考えである。実際アザラシの集団を観察していると、船舶等が接近してきた時も最初の1頭がそれを察知して海中に飛び込み、ほかの多くの個体はそれに釣られるように慌てて降海した後で、改めて海面から周囲を窺っているように見える。

 このような集団での一斉降海を「ディスターバンス(撹乱)」と呼び、度重なるディスターバンスは上陸場の放棄という、アザラシの生存を脅かす事態に繋がりかねないため、上陸場周辺での人間活動や海上交通は十分これに留意する必要がある。その際、季節とアザラシの生活史にも配慮する必要があり、従来は特に繁殖期(北海道の場合5~6月)が重視されてきた。ゼニガタアザラシの新生仔は生後すぐに泳ぐことができるものの遊泳力はまだ弱く、上陸場での休息や授乳は不可欠であり、繁殖期の度重なる撹乱は、新生仔死亡率を増加させる可能性があるためだ。それでは繁殖期以外の時期はと言うと、これまで左程注意が払われてこなかったように思われる。ところが、換毛期における上陸の重要性と同時期の撹乱の危険を示唆する研究が、最近英国の生態学会で発表された。


ゼニガタアザラシ
2009年8月
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一斉降海(ゼニガタアザラシ
2005年5月
船の接近に驚き、海中に逃げ込む。この時は調査船が撹乱してしまったが、以降は十分な距離を確保してアザラシを落とさないように調査を行っている。
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 セントアンドリュース大学・海獣類研究ユニットのピーターソンさんらは、飼育下の2頭のハーバーシール(日本のゼニガタアザラシと種レベルでは同じ)のメス成獣を用いて、繁殖期から換毛期にかけて、赤外線サーマルカメラで体表面の温度、CCTVカメラで上陸時間を調べた。その結果、上陸時間は育児期に多かったが、その後の換毛期に再度ピークがあった。また、赤外線カメラから、換毛期における表面の体温は水から出た後急速に、通常より高くまで上昇し、換毛中のアザラシの体表はとても熱いことがわかった。これは毛の成長を促進させ、熱の損失を最小限にするため、より体表近くまで血液を循環させる必要があるからである。そして、水中では表面への血流が遮断されるため、上陸して過ごす時間が長くなったのだ。
 ピーターソンさんは、「換毛期間中のディスターバンスを減らす努力が必要。多くの上陸場は育児期に特に保護されているが、この扱いを換毛期まで延ばすべき。」としている。換毛中のディスターバンスは、熱の損失を最小化するための体表への血流を遮断して換毛期を長引かせ、より多くのエネルギーを消費させることによって、アザラシが不適な脂肪蓄積または十分な隔絶を提供しない毛皮のまま冬に突入してしまい、冬期間の生存に影響を与える可能性があるという。


ゼニガタアザラシ
2008年8月
換毛直後のメス成獣。毛が乾いても新しいので、黒光りしたまま(換毛前は磨滅により茶色っぽく見える)。
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 確かに換毛期のアザラシを見ていると、陸に対する並々ならぬ執着を感じさせられる時がある。満潮や高波で上陸場が水没しつつある時も、体をVの字にしならせて水をかわし、それでも水飛沫で全身が濡れる姿には、「そこまでして陸に留まりたいのか?」と尋ねたくもなるが、アザラシにとっては切迫した事情があったということなのだろう。北海道のゼニガタアザラシの換毛期は7~8月で、道東の海ではコンブ漁をはじめとした沿岸漁業やプレジャーボート、カヤック等の海上レクリエーションが盛んな時期でもある。アザラシとの共存に当たっては、この時期の上陸場周辺を取り巻く環境にも配慮することが大切である。海獣類での換毛の重要性は見過ごされがちだが、アザラシもイヌやネコのような毛に覆われた哺乳類であり、短期間での換毛には育児時の半分にも匹敵するエネルギーを必要とする年に一度の大がかりなイベントであることを忘れてはならない。


えび反り(ゼニガタアザラシ
2008年8月
満潮が近付き、一層高い波が押し寄せるが、何とか陸に留まろうと体をしならせる。
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 なお、英国での研究は「seal, heat up, moulting」等のキーワードで検索すれば、インターネットニュースで読むことができる。興味のある方は参照していただくと同時に、意味の取り違い等あれば御指摘いただけたら幸いである。


換毛期の上陸場(ゼニガタアザラシ
2009年8月
右手前の数頭は換毛が進行中のため、褐色(未換毛)と黒色(換毛済)の毛が混在している。右上の鳥はウミウ。
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(2009年11月11日   千嶋 淳)


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