鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

学名にみる世界とのギャップ

2008-06-30 23:38:27 | 鳥の学名
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All Photos by Chishima,J.
ヒヨドリ 2008年3月 北海道帯広市)


 ひょんなことから、あるローカルな鳥類目録の編集に携わることになり、目下その作業に追われる日々が続いている。鳥の本を作るために野外へ鳥を見に行けないという矛盾した状況にあるため、話題もインドアなものになってしまいがちで、今回は学名の話。
 学名は云わずと知れた万国共通の生物名であり、ラテン語で属名と種小名を現す二名法を共有することにより、たとえ言葉が通じない人とでも、目の前にいる生物が何なのかをわかりあうことができる(勿論お互いがその生物の学名を知っていればだが)。そんな学名がころころ変わってしまっては不都合なので、「国際動物命名規約」により、一度命名された学名は変更できないことになっている。変更できないからこそ、テミンクが取り違えて命名してしまったコマドリとアカヒゲは、今でも互いに反対の種小名を冠されているわけだ(鳥学者の内田清之介は「弘法にも筆の誤りの類だろうが、テムミンク氏にとってはかりそめの粗相を千歳に残すものだから、地下でさぞ苦笑しているだろう」と評した(「鳥たち」))。
コマドリ(オス)
2007年5月 北海道上川郡新得町
標本の取り違えでコマドリにはErithacus akahige、アカヒゲにはE.komadoriの学名が付いてしまったのは有名なエピソード。
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 ところが、自分が覚えていたはずの学名が通用しないという例が、実際には結構存在する。一月ほど前、「A Photographic Guide to the Birds of Japan and North-east Asia」を購入して、最近では晩酌の友として何かにつけては開いている。同書は昨年刊行されたばかりの日本周辺の鳥に関する写真図鑑で、英語のフィールドガイドの乏しかった日本周辺では今後大いに重宝されることだろう。写真や分布図の質の高さといい、外国人のみならず日本人にもお勧めしたい一冊だ。同書ではしばしば見慣れない学名が登場し、最初は面食らった。たとえば、ノビタキは日本の大部分の図鑑ではSaxicola torquataであるが、同書ではSaxicola maurusとなっている。何故、本来は不変のはずの学名において、このような違いが生じるのだろうか?


ノビタキ(オス)
2008年5月 北海道十勝郡浦幌町
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 それは基準とする分類体系が異なるからである。日本の図鑑の大部分は、2000年に刊行された「日本鳥類目録第6版」(以下目録:2000年以前のものは、1974年の第5版)が採用した学名に従っている。それに対して上掲書は、「クレメンツ(鳥類学者の名前)のチェックリスト」(以下クレメンツ)として知られる「Birds of the World:A Checklist」(2000年の第5版)を主なベースとしている。DNA-DNA交雑法の登場などにより、近年大きな変貌を遂げた鳥の分類の世界だが、クレメンツのリストはその中では比較的保守的ながら最新の知見も取り入れつつ改訂しているということで、採用している図鑑も少なからずあるようだ。
 従来の学名とどのように違うのか、具体的にみてみよう。違いは大きく2つのパターンに分けることができる。一つは属名が変わっているもの。属は近縁種が集まって形成される、科よりは小さい分類単位であるが、どの程度のまとまりを属とするかは、分類学者によって当然見解が異なる。たとえば、ヒヨドリは「目録」ではHypsipetes amaurotisで、東南・南アジアに分布するミヤマヒヨドリやクロヒヨドリなどと同じ属に分類されているが、「クレメンツ」ではフィリピンのキンメヒヨドリやチャムネヒヨドリなどと同じくIxos属に含められ、Ixos amaurotisという学名になっている。どちらが妥当なのか、門外漢の私には判断のしようがないが、分類に対する見解の相違により一見異なる学名が付いているケースは、ほかにもダイサギ、ウミオウム、エトピリカ、ヤマセミ、コマドリ、マミジロなどにみることができる。


ダイサギ(冬羽)
2007年11月 北海道中川郡豊頃町
「目録」ではEgretta albaでほかのシラサギ類と同属だが、「クレメンツ」ではArdea albaとアオサギの仲間にされている。
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エトピリカ(夏羽)
2008年6月 北海道東部
「目録」ではLunda cirrhataで独立属。「クレメンツ」ではFratercula cirrhataで、ツノメドリと同属。
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 もう一つは、これも分類の相違によるのだが、どこまでを一種とするかによるものである。すなわち、近年のDNA、生態、音声などから得られた知見を詳細に分析した結果、一つの種と思われていたものが実は複数の種であるとされるようになったり、逆に複数の種とされていたのが統合されたりした結果生じる学名の相違だ。たとえば「目録」では、タヒバリはAnthus spinolettaとされているが、近年の世界の趨勢では日本のタヒバリはA.rubescensとして、大陸に分布するサメイロタヒバリ(またはミズタヒバリ)A.spinolettaとは別種とされることが多い。ユーラシア大陸に広く分布する種でも、東と西では別種とされるものも少なくなく、「目録」では一緒とされているハチクマ、イワツバメ、オオヨシキリ、オジロビタキなども最近ではもっぱら別種として扱われている。


タヒバリ
2007年4月 北海道中川郡豊頃町
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オオヨシキリ
2007年6月 北海道中川郡幕別町
「目録」ではAcrocephalus arundinaceusだが、最近では東洋産のものはA.orientalisと別種で扱われることが多い。
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シジュウカラガン(背後にマガンハクガン
2008年4月 北海道十勝川下流域
従来はカナダガンの1亜種として扱われてきたが、本亜種を含む小型の数グループをCackling Goose Branta hutchnsii として別種にする説が最近提出された。
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 それにしても、同じ時代に出版されている「目録」と「クレメンツ」でどうしてこうも学名に違いがあるのだろうか?一つは、学問の世界の保守性が挙げられる。最新の知見を積極的に取り入れている「クレメンツ」に対して、日本鳥学会が編集する「目録」は、新知見の不確実性よりも既成の体系を重視したといえよう。それはわからないでもない。しかし、もう一つのそしてもっとも大きな要因は、日本の鳥類分類学の致命的なまでの貧困さである。「目録」には10名以上の鳥類学者が編集委員として名を連ねているが、その中で分類学者は僅かに2名。しかも両名ともかなりのご高齢であり、赫々云々でこの分類を採用したという「分類ノート」は、スズメ目については片方の方が執筆されているにも関わらず、非スズメ目については(もう一方の方の)「高齢のため」収録されていない。したがって、非スズメ目に関しては、どのような基準で現在の分類学的な位置づけにしたか、読者側にはまったくわからないのである。このような目録を、本当に科学書ということができるのだろうか。
 戦前は華族・貴族が主な担い手となって発展してきた日本の鳥類分類学が、戦後その没落と共に衰退し、更に生物学全体の中でも分子生物学や生理学ばかりが重宝され、分類学が軽視される、というか科学としての扱いを受けてこなかったツケがまさに今回ってきたといえるのではないだろうか。近年、鳥類に関する応用研究は非常に盛んである。しかし、己が対象としている分類群をしっかり規定できていないような基礎を欠いた応用研究など、じきに足元を掬われて根底から崩壊するのではないかと思っている。


トラツグミ
2008年5月 北海道上川郡新得町
「目録」では奄美のオオトラツグミもすべてZoothera daumaとして扱っているが、オオトラツグミはZ.majorと別種にされることが多い。この辺は新知見も採用しないと保全に影響を及ぼす典型的な例だろう。日本のトラツグミもZ.aureaとして、ヒマラヤ産のZ.daumaとは区別されることがある。
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セグロカモメ(成鳥)
2007年10月 北海道中川郡豊頃町
北半球のセグロカモメはかつてすべてLarus argentatusとされ、「目録」でもそれを踏襲している。近年では数種に分けて扱われることが多く、日本に渡来する極東産のvegaeは、北米産のsmithonianusよりも独立種として扱われることが多いようだ。
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(2008年6月30日   千嶋 淳)


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2 コメント

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日本ではシベリアイワツバメは別亜種で欧州では別... ()
2008-07-13 08:48:30
日本ではシベリアイワツバメは別亜種で欧州では別種でいいの?
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さらっと一行で難しい質問をなさる(笑)。 (ちしま)
2008-07-14 01:30:58
さらっと一行で難しい質問をなさる(笑)。

まず「シベリアイワツバメ」は、文一図鑑で使われているDelichon urbica lagopoda(学名のイタリック略;以下同様)のことでいいですか?いいとして話を進めます。

ユーラシア大陸のイワツバメは、従来D.urbicaとして1種で扱われてきたのですが、最近では形態や遺伝子の解析からヨーロッパ側ものもをD.urbica、アジア側のものをD.dasypusとして別種扱いされることが多くなり、主だった外国のリストもこれに従っているものが多いです。この場合、dasypusがイワツバメ、urbicaがニシイワツバメであり、urbicaの1亜種であるlagopodaはニシイワツバメの1亜種、つまりイワツバメとは別種ということになります。

一方で、両者は同一種であるとの見解も依然としてあり、「日本鳥類目録」はこちらを採用しています。この場合、ヨーロッパからアジアのイワツバメはすべて種としてはurbica(種和名はイワツバメ)ということになり、lagopodaはイワツバメの1亜種、すなわち日本産亜種dasypusとは同種の別亜種という関係になります。日本の目録がこちらを採用している理由として、「2つのフォームに尾羽の形態など明瞭な形態の違いはあるが、多少とも中間的な個体群が間にあること、分布重複域での同所性や種間交雑の欠如の証明が不十分であること、(2種をわけるとされる)繁殖生態や巣の形状の違いには可変性があること」などを挙げています。
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