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鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイドを行っていた千嶋淳(2018年没)の記録

格好の止まり場

2006-05-15 22:57:35 | 鳥・一般
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All Photos by Chishima,J. 
オオモズ 2006年4月 北海道中川郡池田町)

 オオイタドリやフキの群落に視界を遮られないこの時期、河川の堤防上を走ると人工物の多さに、改めて驚くことが多い。

 河口からの距離を示すキロポスト、測量のための杭、地下ケーブルの埋設地点や地震計測器、ダム放流の可能性を警告する看板…。人工物の何もない堤防を見出すことは不可能に近い。
 そして海岸や湖沼の縁にも密漁や遊泳を諌めるための看板など、この国の水際は人間の設置したもので溢れている。
 しかし、更に驚くのは多くの鳥がそれらの人工設置物を積極的に利用し、風景として自然に溶け込ませていることである。ノビタキやオオジシギにとって測量杭はお気に入りののソングポストであるし、大きめの看板には大抵カラスが止まって周囲を睥睨している。また、オオタカやコチョウゲンボウなどの中・小型猛禽類にも休息や見張りの場所としての、機能を果たしている。先日のアカアシチョウゲンボウも、やはり測量杭で羽を休めていた。
 最近撮影した写真の中から、このような水辺の人工物に止まる鳥たちの姿を集めてみた。

オオジシギ
2006年5月 北海道中川郡池田町
朝日を受けた測量杭の上で、1羽のオオジシギが自己主張に忙しなかった。
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オオタカ(成鳥)
2005年11月 北海道十勝群浦幌町
晩秋の河川キロポストで休息中。
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ホオアカ
2006年4月 北海道中川郡本別町
ダム放流の危険性を訴える看板でいつまでも囀っていた。
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看板とカラス3点


「掘るなってさ」(ハシボソガラス
2006年3月 北海道根室市
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「釣るなってさ」(ハシブトガラス
2006年5月 北海道中川郡豊頃町
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「浦幌十勝川だってさ」(ハシボソガラス
2006年4月 北海道十勝群浦幌町
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ノビタキ(オス)
2006年4月 北海道中川郡池田町
朽ち果てた杭の上で朗々と歌う。
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測量杭の上で…
2006年5月 北海道中川郡池田町
日没間際の堤防。びっしり並んだ杭にハシブトガラス、その手前にオオジシギ、さらにずっと手前(写真では右から2本目)にノビタキが止まっていた。
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(2006年5月14日   千嶋 淳)


変換ミス

2006-04-20 23:06:52 | 鳥・一般
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Photo by Chishima,J. 
大橋市議ならぬオオハシシギの冬羽 2006年2月 東京都江戸川区)

 最近のパソコンではあまりなくなったが、10年以上前に使っていたワープロはずいぶんと漢字の変換ミスが多かった。特に、日常的に使われることの少ない生物名は、ワープロが認識してくれないことが多く、時には思わず吹き出してしまうようなミスもあった。古いことなので大方忘れてしまったが、今でも忘れ得ぬ名(迷)変換もいくつかある。
 ケリが「蹴り」、クイナが「食いな」などは日常茶飯事であり、こちらも想定の範囲内である。「怒る千鳥」(イカルチドリ)もまあ分かる。しかし、ハジロコチドリが「恥じろコチドリ」になった時は驚いた。ワープロにしてみたら、以前に何度か使ったことのある「コチドリ」を一発で出せて得意満面といったところなのかもしれないが、残念ながら一歩及ばなかったようだ。コチドリに恥ずべき点は何もない。同様に「恥じろカイツブリ」(ハジロカイツブリ)も登場した。恥じろ、恥じろって、ワープロよ、むしろお前が恥じなさい。

ハジロコチドリ(冬羽)
2006年2月 千葉県習志野市
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Photo by Chishima,J. 

ハジロカイツブリ(冬羽)
2006年2月 千葉県船橋市
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Photo by Chishima,J. 

 「おおはししぎ」と入力して変換したら、「大橋市議」になってしまったこともあった。日本のどこかにはきっといるだろう、市会議員の大橋さんも。しかし、私が用事のあったのはその人でないことは言うまでもない。ウトウが「撃とう」や「打とう」になったことも。前者は銃器を、後者は棍棒やバットを連想させるが、いずれにしてもウトウにしてみたら溜まったものではない。カワラヒワが「川原秘話」もしくは「河原悲話」と変換された時には、この身近な黄色い鳥がずいぶんと物悲しく、神秘性をおびた鳥に思えたものである。

ウトウ
2005年7月 八戸~苫小牧航路
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Photo by Chishima,J. 

カワラヒワ
2005年6月 北海道中川郡豊頃町
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Photo by Chishima,J. 

 変換ミスは鳥の名前にとどまらない。南極海に住むウエッデルアザラシ。一気に入力して変換してみたところ、画面には「うえっ出るアザラシ」と表示された。アザラシやアシカの仲間は、消化しきれない魚類の骨やイカ類の顎板を吐き戻すことは確かにあるが…。
 アザラシ関係の変換ミスで、いちばん印象に残っているのはゼニガタアザラシであるが、これは生物名のミスではない。北海道東部の沿岸で一年を過ごすこのアザラシは、1960~1970年代にかけて狩猟やコンブ育成のための岩礁爆破などによる生息地の破壊によって、その数を大きく減じた。中でも毛皮目当ての狩猟は大きな圧力になっていたようで、そのために放棄された上陸岩礁(上陸場)もあると聞く。そのあたりの事情を文章で書いていた時のこと。「(××の上陸場は)過度の狩猟によって崩壊し」という一文を頭の中でイメージし、ワープロのキーを叩いた。ところが、実際に現れたのは「過度の酒量によって崩壊し」であった。酒を飲まないゼニガタアザラシは、さぞ怒っているに違いない。そして、当の私はまるでワープロに自分の将来を宣告されたかのようで、複雑な心持になったものである。以来10年、幸い崩壊はしていないが、夜ごとの酒量は一向に衰える気配はない。崩壊しないことを切に願いながら、今宵も乾杯!

ゼニガタアザラシ
2006年4月 北海道東部
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Photo by Chishima,J. 

(2006年4月20日   千嶋 淳)


餌付けに関するコメント

2006-03-28 15:34:33 | 鳥・一般
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Photo by Chishima,J. 
市民から餌をもらうオオハクチョウ 2005年11月 北海道帯広市)

 少し前に「矛盾」という記事の中で、撮影目的の餌付けに批判的な内容を書いたところ、「bota」さんから「鳥における餌付けの悪影響は何だろう?」という提起をいただき、私見を若干コメントに付した。その後、「速」さんと「のっぱら研究所」さんから相次いで餌付けに関するコメントをいただいた。どちらも重要な情報と示唆を含んでいるものであり、コメント欄に付記しておくのはもったいないと考え、ご両人の許可を得てここに掲載することにした。長文になるが、鳥に関心のある人はぜひ一読していただきたい。(千嶋 淳)
まずは、速さんのコメント(2006年3月24日)

「餌付け問題で特にハクチョウ類に絞りますが、厚岸の事例を水鳥館の方から聞いて問題視しないといけないと思いました。厚岸湖はハクチョウの越冬地であり、大半のハクチョウは主に湖の水草だけで過ごすことが出来ています。しかし、餌付いた一部のハクチョウが人の餌を当てにするようになって水草を食べなくなり、結果、飢えて街中をさまよい、餓死する個体が出た(増えた)ため餌付けを止めたそうです。
餌付けた人は好意と思って餌付けたのに、十分な餌が随時与えられなかったため起こった事故で、逆に仇になりましたね。
そして、ハクチョウを死なせたのは誰の責任かと問われても、今の日本の法律では誰も罪がありません。自己責任がいることを認識していないと駄目ですね。
給餌自体不自然かもしれないが、一般市民が野鳥に関心をもってくれる場としてあってもいいかと思います。強引に今まで定期的に餌をおいていた給餌場止めろというのは個人的にしんどいし、僕も(調査等で)利用しているのでなんともいえない。ただ、鳥が体内で分解できないと言われている油を使ったお菓子やパンは避けたほうが良いだろうし、そのあたりは餌を置く人、あげる人とうまく話し合ってお互い理解を深め、より関心を持っていけるでしょうね。」

パンをくわえて飛ぶオナガガモ(メス)
2006年3月 北海道河東郡音更町
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Photo by Chishima,J. 

続いて、のっぱら研究所さんからのコメント(2006年3月26日)。

「餌付けが自然にこういう悪影響がある→だからやってはいけない。
と言う論法になりがちなんですが、ちょっとまてよ。
悪影響がない → やってもいい。
ということなのかな? と時々思います。
なぜ「やる」ことが前提になっているのかなと。
「やらない」が前提であって、じゃあ「やる」ことが必要な場合とは何だろう? という発想でないと、この問題は整理しにくい面があると思います。
             *
んでは、「なぜ人を殺してはいけないといわれるか?」
それは「人は人殺しをすることがあるから」だと言われることがあります。
人はなぜ野の鳥に餌をやるのか?
それは人間に備わっている衝動だろう。と思います。
だからさまざまな家畜家禽が生まれ、利用されているのです。
その衝動は例えば他の衝動欲望と同様コントロールされるべきだと考えます。何のために?「より自然に適応した人間社会の構築のため」でしょう。
どのようなシーンでどのようにコントロールされるべきか、それは他の自然との問題と同様でしょう、自然の理(ことわり)に軸足を置いて、どのような形態をとればより人間社会の仕組みに取り入れられやすいのか、方法論を検討することでしょう。
何の問題でも同じですが、餌付け問題については、社会的論議をおこなうことがまず必要と考えます(水際でごちゃごちゃもめるだけでは長期的に見てあまり意味がない)。全国的な公開論議の場を作るべく、積み上げていくことでしょう。
例えばこのような場で餌付け論議がはじまったのは、ここ5年位のことで、盛んになったのは去年くらいからだと思います。
美唄の宮島沼では餌付けの社会的論議が始まっています。しかし(財)日本野鳥の会はまだ腰がひけてるという状態です。

餌に群がるユリカモメ
2006年2月 東京都台東区
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Photo by Chishima,J. 
             *
餌付けの問題点は、しばしば「健康問題」と置き換えられることがありますが、よく観察してみると、
餌のありかの「集中」
鳥の居場所の「集中」
が大きな問題を占めているように思われます。
環境省北関東地区自然保護事務所のミヤコタナゴのコーナーを見てください。担当者から相談を受けたことがあります。白鳥への餌は冬に集中します。そして春にその汚れがどっとミヤコタナゴの生息する小川に流入し、産卵の相手の二枚貝が生息できなくなり、この天然記念物は絶滅の危機にあります。
白鳥に餌をやっている人はそれを知っています。

娯楽に基づく餌付けとは言い換えると
 「  差   別  」  
です。
「マガモのようなどこに出もいる人気もないような生き物を調べているなんてお金の無駄だ」とは白鳥おじさんの弁です。餌付け場に来やすい鳥と来にくい鳥がいます。結局、人間に近づきやすい生き物をさらに近づけているにすぎません。環境教育上の意義を唱える人もいますが、少なくとも観光・娯楽・趣味の私設・エサ場についてはそういうものはほとんど薄い。
エサを年間1トン自然界に放出するのと、生ゴミを年間1トン自然界に放出するのと何が違うのでしょうか?
私が「俺はバクテリアがかわいいんだ!」といってそこら中ゴミをまき散らしても良いってことでしょうか?
結局見た目がよけりゃあエサやってるだけのことでしょう。差別です。ブスはどうでもいいってこと。
多くの生き物に平等なのは自然を取り戻すことです。

鳥の集中ですが、このことによって感染症の危険が高まるということはもうご存知だと思います。この状況は生息適地が限られ、一つの沼に集中することによって引き起こされえます。昨年5月末に中国青海湖でハクガン(インドガン?)とズグロカモメが1000羽以上、今年に入って北アメリカでハクガンがやはり1000羽以上、西欧では数十羽単位で各所で死んでいます。これはH5N1インフルエンザですが、他に数十種類の感染症があります。
この生息環境の減少の中で餌付けしたらどうなるか?
堆積した水鳥の糞の上を、水鳥だけではなく、カラス、スズメ、ドバト、人間、キツネ、野良犬、等々が歩き回ります。ひどい場所は鶏小屋くさい。
感染症の危険を高めるのは当たり前、今起きてないのがラッキーなだけです。
人間はうがい、手洗いができます(靴底も洗った方が良い)。鳥は、それができないんですよ。
世界的な感染状況については、
鳥インフルエンザ http://ai.cloverlife.net/
鳥インフルエンザ海外直近情報集 http://homepage3.nifty.com/sank/
を参照してください。基本的には人間への感染を心配しているページですが、状況を読むには役に立ちます。
それから「自然観察の部屋」「自然大好き」で検索されると身近な餌付け問題の観察や考え方に触れるコーナーがあります。

ズグロカモメ(若鳥)
2006年2月 千葉県習志野市
背後はダイゼン
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Photo by Chishima,J. 

ハクガン
2005年4月 北海道十勝川下流域
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Photo by Chishima,J. 
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街の郊外にあるわき水のきれいな池。
わき水なので凍らないから、冬はカモが20羽くらい越冬していたようです。しかし、7年ほど前からほとんど飛来しなくなったようです。
市街地の冬季のカモ数は増えているようにみえました。つまり「餌付けで鳥を集める」ということは「元いた場所から人力で鳥を奪っている」ということです。生態系の中でカモはかなり大きな鳥です。
それが奪われるということは大きな損失です。元いた場所から見てみれば「殺された」のと同じ結果を招いているわけですから。

マガモ(オス)
2006年3月 北海道帯広市
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Photo by Chishima,J. 

ペットは、死んだらちゃんと埋葬するまで面倒を見なければいけません。責任があります。
野生動物へのエサやりは、人間の都合の良い時だけ相手をすればいいのです。そして、責任を取らなくてもいい(ことになってしまっている)のです。
餌付けとは 無 責 任 です。ペット飼いなさい。

自分の職場の横の車道で、なぜかエゾリスがよく交通事故死する場所があり、そこにヤナギが立っていました。リス殺しの木かな?と思って、ある日やはりまだ暖かい事故死体を持ったまま木をのぞき込むと、その裏の車庫に大量のエサが備蓄してありました。
近所の公園に昔から餌をあげていたおじいさんでした。曰く「リスがそこでよく死んでいるのは知っていた。でもえさ台にエサはやりたい」
餌付け人の心理が分かった気がしました。それが原因でリスが死んでもリスに餌をあげたい。熱心な人の多くは
「  依  存  症  」
なんじゃないかと思います。
他にもハクチョウの言葉が分かるだの何だのと「俺様宗教」化している人はずいぶん見ます。
このような人を直接説得するよりも、マスコミが良いことだと思って報道したり、真似したり、観光地化することを防ぐ方が効率が良いと思いますね。

エゾリス
2006年2月 北海道帯広市
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Photo by Chishima,J. 

肝心の野鳥の会や、環境省はまだ当てにはならないので、地域ごとに論議を高めていくしかありません。新聞投書もしつこくやりましょう。私の地方では少なくともローカル記事で餌付け礼賛は出なくなりました。
「コントロール」です。選択肢には禁止もありますが、コントロールすることの方が知恵が出るように思います。できないなら禁止でしょう。
小鳥の餌台については、野鳥の会のガイダンスがあるのでそれをルールとすればよいと思います。
他の件についてはルールがなさすぎます。」

餌台にて(ゴジュウカラ
2006年3月 北海道根室市
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Photo by Chishima,J. 

給餌場のコハクチョウ
2006年2月 群馬県館林市
周囲にはオナガガモが高密度に群れる。
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Photo by Chishima,J. 

(2006年3月28日)


矛盾

2006-03-02 02:32:19 | 鳥・一般
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Photo by Chishima,J. 
ヒトが置いたパンを食べるエナガ(亜種シマエナガ) 2006年2月 北海道帯広市)

 霧氷の美しかった朝、市内の川を訪れた。生憎、少し前に見られたヨシガモやアメリカヒドリの姿はなかったが、河畔林を数羽のエナガが行き来していた。慌しく移動してしまいがちな本種にしては珍しく同じ場所に滞在していたので、これ幸いとばかり何枚か写真を撮っているうちに、エナガは林縁近くの雪上と周辺の樹木を往復していることに気が付いた。
霧氷
上:2006年2月 北海道中川郡幕別町
下:2006年2月 北海道帯広市

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Photo by Chishima,J. 

アメリカヒドリ(オス)2005年11月 北海道帯広市
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Photo by Chishima,J. 

 何だろうと思って歩を少々前に進めて覗き込むと、ソーセージパンが置かれていた。道理で!道理でエナガが立ち去らないわけだ。道理でヒヨドリやハシブトガラ、シジュウカラまであたりで様子を伺っているわけだ。そこは普通にパンを投げ捨てて落ちる場所ではないし、鳥がつついた箇所以外食べられた形跡がないことから、故意に置かれたものらしい。そういえば去年の今頃にも、やはり雪上に置かれたソーセージパンにエナガが群がっていたことを思い出した。間違いない、誰かが写真撮影を目的に置いたのだ。
 観光地における水鳥の餌やりや個人の庭での冬期間の小鳥への給餌を、完全に廃止すべきだとは思わない。一般の人が野鳥と親しむ機会になるからである(もちろん、度を越えたものに対する規制は必要だと思うが)。しかし、写真撮影を目的とした公共の場所での、短期間かつ無責任な餌づけは止めるべきだと考える。しかも、自然界にはまず存在しないであろう塩分と油分を豊富に含んだ食品での餌づけには、野鳥への思いやりは微塵も感じられず、私はそのよう人が撮った写真など見たいとも思わない。その場所には、どうやら細工を施して野鳥を撮るのが好きな方がおられるようで、以前川の中から伸びる不自然な杭(どう考えてもカワセミ撮影用)を見たこともある。
                  *
 北米からの珍客、アラナミキンクロを見に行った。休日の小さな漁港はチカ釣りを楽しむ人たちで賑わっていたが、アラナミキンクロは漁港内でクロガモの小群とともに潜水していた。ただ、逆光気味なので条件が良くなるまでやや遠くの岸壁から観察して待つことにした。
 じきに、一人の望遠レンズを持った初老の男性が現れた。最近有名になってきた場所なので、そのこと自体には別に驚かなかったが、男性は近くにいたホオジロガモやスズガモには見向きもせず、それらを蹴散らしながら防波堤を勢いよく歩いていったので少々面食らった。やがて、アラナミキンクロは順光の場所へ徐々に移動してきた。漸く訪れた機会にひとしきり観察・撮影を済まし、何気なく男性の方を見やると姿が見えない。「せっかくのチャンスなのにどうしたんだ?」と思っていると件の男性、なんと岸壁の先端付近に停泊している漁船の甲板から身を乗り出して写真を撮っているではないか!
 これには開いた口が塞がらなかった。休日で港に停泊しているとはいえ、漁船は漁師の職場である。岸壁でチカ釣りをしていた人たちの中には、漁師やその家族、友人たちもいただろう。その人たちが勝手に漁船に乗り込んで、鳥の写真を撮っている人を見たら一体どう思うことか。先のエナガの餌づけは鳥への配慮を欠く行為だが、こうなると地元住民への配慮を欠いた、非常識きわまりない行為だといえる。

アラナミキンクロ(オス)
2006年2月 北海道
漁船1隻分近付いて撮る写真の価値って…
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Photo by Chishima,J. 

 このような少数(と思いたい)の人の心無い行いで、鳥の観察や撮影を楽しむ人全体が白い目で見られることがあったら残念なことである。このような人たちは、「写真」という言葉の意味するところを曲解して捉えているのだろうか。もっとも、私自身シャッターを切っているとつい夢中になってしまうことがあるので、気をつけねばなるまい。

北海道・冬の海ガモ類
2006年2月 北海道

スズガモ
手前がオス。
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クロガモ
メス(茶色の個体)を取り囲むオスたち。
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シノリガモ
つがいに見えるが、左側は実はオスの若鳥。
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ホオジロガモ
一見メスぽいが、嘴が全部黒いのでオスの若鳥かもしれない。
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Photo by Chishima,J. 

(2006年3月1日   千嶋 淳)


キマワリ

2006-02-28 21:33:10 | 鳥・一般
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Photo by Chishima,J. 
キバシリ 2006年2月 北海道帯広市)

 「キマワリ」とは多くの地方でゴジュウカラを指すようだが、群馬県の一部ではゴジュウカラは「キネズミ」と呼び、「キマワリ」の名をキバシリに当てているそうである。本種の行動をよく体現した、粋な名前だと思う。たしかに、キバシリが木の幹を上下している様を見ていると、木を走るというよりは幹の周囲をくるくる回りながら上下しているような印象を受ける。
 高校時代、この小さな鳥に憧れて群馬県北部の山岳地帯に広がる針葉樹林を歩いたものだが、会えずじまいだった。今思えば鳴き声くらいは聞いていたのかもしれないが、深いコニファーの森奥に住む隠者的なイメージに思いをますます募らせた。
 ところが、北海道に来たら平野部の林にも普通に分布しているのに驚いた。同じような例は他の種でもあり、本州中部以南だったら山地や高標高地で見られるアカゲラ、ノビタキ、アカハラ、ゴジュウカラ、ホオアカ、アオジなどが平野部でも普通に繁殖している。かといってモズ、シジュウカラ、ホオジロ、スズメなど本州の平野の鳥がいないわけではなく、同じような場所に生活している。これは、高緯度に位置する北海道では鳥類の垂直分布が本州よりも下降し、結果として山地の鳥が低標高地で平野の種と混在するという圧縮された形を示すからである。この圧縮された垂直分布は、国内では北海道にのみ分布・繁殖する種のいること(エゾライチョウ、ヤマゲラ、センニュウ類など)や本州以南では冬鳥の種が繁殖していること(オオジュリン、ベニマシコ、シメなど)などと併せて、北海道の鳥類相の重要な特徴である。

ノビタキ(メス)
2005年6月 北海道十勝郡浦幌町
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Photo by Chishima,J. 

ホオアカ(オス)
2005年6月 北海道中川郡豊頃町
草原には普通の歌い手であったが、近年見る機会が減少しているように思うのが心配である。
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Photo by Chishima,J. 

アオジ(オス)
2005年6月 北海道帯広市
繁殖期の北海道の平野部ではおそらくもっとも個体数の多い種で、私のいた大学ではスズメ呼ばわりされていた。
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Photo by Chishima,J. 

繁殖地(上)と越冬地(下)のオオジュリン
上:2005年6月 北海道中川郡豊頃町
下:2006年2月 千葉県船橋市
緑の草原で高らかに歌っていたオスも、冬はヨシ原でひっそりと採餌する。

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Photo by Chishima,J. 

 北洋からの寒冷な親潮に洗われる根室・釧路の沿岸域では、垂直分布の下降はさらに顕著になる。6月、海岸線まで広がる針葉樹の森に足を踏み入れると、そこはルリビタキ、コマドリ、キクイタダキ、ウソなどの鳴き声で溢れかえっている。メボソムシクイの不在を除けば、さながら本州中部の亜高山帯のようである。しかし、海霧とともに飛来したオオセグロカモメの物悲しい声によって束の間の錯覚は打ち破られ、そこが海抜0メートル地点であったことを思い出す。

ルリビタキ(オス)
2006年2月 群馬県太田市
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Photo by Chishima,J. 

オオセグロカモメ(成鳥)
2006年2月 北海道幌泉郡えりも町
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Photo by Chishima,J. 

 北海道に来て、垂直分布の下降によって身近になった鳥がいる一方で、会えなくなってしまった鳥たちもいる。夏のサシバ、コアジサシ、サンコウチョウや冬のジョウビタキ、シロハラなどがその典型であるが、関東人の僕にとって最も寂しいのはオナガの「ギューイ!」という喧騒が近所から消えたことである。

オナガ
2006年2月 群馬県伊勢崎市
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Photo by Chishima,J. 

(2006年2月27日 千嶋 淳)