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鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイドを行っていた千嶋淳(2018年没)の記録

記録を扱う難しさ

2008-12-20 02:06:19 | 鳥・一般
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All Photos by Chishima,J.
ミナミオナガミズナギドリ 2008年9月 北海道目梨郡羅臼町)


 前に少し書いたが、この春から道東太平洋側(えりも~根室)の鳥類目録の編集に携わっている。当初の予定だと11月には完成して、年末はゆったり鳥見三昧と洒落込むはずだったのだが、年も押し迫って来た現在、出版どころか印刷にすら漕ぎ着けていない。その要因の一つは、二言目には「予定通りのスケジュールで進む出版物など無い」と嘯く私の能力の無さにあるが、今一つ挙げるとすると、鳥の記録というものを扱うことの難しさである。
 一般に生物の分布記録の収集は、標本の採集によって行われる。植物や昆虫、魚類等は今でもそうした傾向が強い。鳥類もかつてはそうであったのだが、鳥類保護の観点から採集が困難に、また望ましくなくなり、更にバードウオッチャーの増加に伴って、現在では写真や観察記録が鳥類の分布情報の主流となっている。そして、そうした情報の量は実に膨大なものであり、その質もまたピンキリである。はっきり言って、胡散臭い情報も少なくない。それらをどこまで目録の内容に反映させるか、これが問題なのだ。


キセキレイ(オス夏羽)
2008年6月 北海道上川郡上川町
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 このような場合、研究者が一般に用いるのは「公表されている記録」である。公表されている記録とは、学会誌、大学・博物館等の紀要、報告書など何らかの印刷物になっている記録である。これはわかりやすいし、学会誌では複数の専門家による査読を経ていること、紀要などの査読なしでも出版物として活字になる以上、ある程度の信頼がなければならないという考えに基づいている。ところが、これにも落とし穴がある。専門家による査読を経ているはずの学術雑誌における種の同定間違いを、十勝地方に関するものだけでも2例、今回の作業中に発見した。このようなミスが生じる要因として、古いものについては野外識別に関する知見が乏しかったこと、最近では学問の細分化で鳥類全体に通じた研究者がロクにいなくなったことなどが挙げられよう。また、査読なしの出版物では基本的に執筆者の意向に任せられるため、記録の真偽が不明なものがままある。たとえば、1970年代に十勝海岸の湧洞沼で行われた鳥類調査の報告書には、5~8月にヒメクイナが記録されたとあり、これが30年を経た現在でも十勝唯一の記録として、諸目録にも広く引用されている。しかし、報告書を読んでも写真や標本等の有無はわからないし、具体的にどのような状況で観察されたのかの記述も無い。同調査では、現在夏期には普通に生息しているクイナがまったく記録されていないことも考え合わせると、クイナとの誤認の可能性を疑いたくなるが、観察状況に関する記述が無いため、その検証も不可能である。このような記録を、活字になっているという理由だけでおいそれと採用してしまうのは何とも権威主義的であり、いかがなものかと思う。


バン(幼鳥)
2008年9月 北海道中川郡豊頃町
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 その一方で、一般の観察者による記録で論文や報告にはなっていないが、鮮明な写真が撮られている、死体が拾得されているなど客観的な証拠を伴う記録というのは決して少なくない。そうした記録は論文等で報告すべきというのは正論だが、すべてのバードウオッチャーが研究者のようにすらすら論文が書けるわけではないし、学術雑誌にそれだけのキャパシティ‐もまた無いのが現実であろう(そういう意味では、近年、野鳥の会の支部や地域の野鳥団体の単位で、年報や記録集の類が出版されるようになって来たのは、良い傾向といえる)。


ツグミ
2008年4月 北海道中川郡豊頃町
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 こうしたことを関係者で喧々諤々、時に声を荒げながら議論してきた結果、現在編集中の目録では、各種を2つのランクに振り分けることによって問題の解決を図ろうということで話が進みつつある。「ランクA」は写真、標本、音声、標識記録など客観的な証拠があり、なおかつその所在が確認できた種類で、道東から確実な記録のある鳥類といえる。「ランクB」はそれらの客観的資料が存在しない、もしくはその所在を確認できない種類である。この判定には既存文献への記載の有無は関係なく、未発表でも鮮明な写真があればランクAとみなすし、文献に記載があっても客観的資料の無いものはランクB扱いとなる。また、ランクB種については、記録を否定している訳ではなく、あくまでも写真等の証拠が無いということである。それらの記録をどう捉えるかは、最終的には利用する側に委ねられることになろう。
 この作業を、地域全体についてはほぼ終え、現在は各支庁単位での記録の検討を行っている。これがまた終わりの見えない遠大な仕事で、日々の酒量は増えるばかりである。「終わりが見えないのは、こんな駄文ばかり綴っているからだ」と天の声が聞こえてきそうなので、この辺で筆を置く。「目録」は、来年の早い内には世に出せるはずである。


エリマキシギ(オス夏羽)
2008年5月 北海道中川郡幕別町
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ゴジュウカラ(亜種シロハラゴジュウカラ)
2008年12月 北海道中川郡池田町
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(2008年12月19日   千嶋 淳)


人と生きる鳥

2007-04-20 20:48:39 | 鳥・一般
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All Photos by Chishima,J.
スズメ 2006年12月 北海道河東郡音更町)


 餌量の制限が行われるようになったとはいえ、多くのカモ類やオオハクチョウ、それに観光客で賑わった十勝川温泉横の十勝川も、用意された餌が終わり、臨時案内所を兼ねたプレハブが撤去され、すっかり静かになった。訪れる観光客も少なく、北帰を控えた少数のカモ類が落ち着きもなく浮いているのみ。そういえば、冬の間数十羽が地上で水鳥への餌のおこぼれを拾い、何かあると背の低い垣根に逃げ込んでいた一群のスズメも、いつの間にか姿を消していた。ここにいても、人間からの恩恵に預かれないことを知って、また繁殖期の分散を控えて、夫々の場所に帰って行ったらしい。
 過疎化で廃村となった集落から、スズメの姿が消えたという話を聞いたことがある。夜間人口がほとんどなく、空洞化している東京都心の一部にも、スズメは生息していないらしい。多くの鳥が人間によって住処を奪われている中で、スズメは人の傍らで生きることを選んだ数少ない鳥だ。それだけによく人間を観察している。
 以前、アザラシの上陸場に隣接した原野でキャンプ生活をしていた時のこと。最寄の集落からも隔絶されたその場所では、ヒバリやオオジシギが身近な隣人だった。4日目か5日目くらいのことだったと思うが、キャンプに1羽のスズメが飛来した。どうやら、ここに人間が植民したとでも思ったようだ。
 国土の大部分が森林や原野に覆われ、人々が狩猟採集に依拠していた有史以前の日本にはスズメは生息しておらず、農耕の始まった時代以降に渡来したのではないかとの説がある。もっとも、有史以前にも河川敷や海岸などのオープンな環境で暮らしていたとの考えもあり、真偽のほどは定かではない。


地上で餌のおこぼれに預かるスズメ
2006年1月 北海道河東郡音更町
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(2007年4月20日   千嶋 淳)


聞き慣れぬ声

2006-12-25 17:02:05 | 鳥・一般
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All photos by Chishima,J.
ガビチョウ 2006年12月 山梨県上野原市)


 1週間ほど山梨と群馬に行っていた。山梨はゼニガタアザラシ関係者の会議のためで、鳥を見る時間はほとんど無かったのだが、会議初日は午後の開始だったので、午前中に泊まっていた大学のゲストハウス周辺を歩いてみた。丘陵地帯の頂上部にあるため、周辺には雑木林が点在しており、鳥影は薄くない。歩き始めて間もなく、1羽のキジのオスと出会う。北海道には分布していない種との対面に、自分が今本州にいることの実感を強くする(コウライキジは人為的な導入によって北海道に分布しているが、十勝地方では寒冷なためかほとんど定着していない)。

キジ (オス)
2006年12月 山梨県上野原市
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 アオジが「チッ」と鳴いて地面から藪に飛び込む。北海道では春夏を通じて高らかに歌っていたこの小鳥も、今は穏静な越冬生活を送っている。キジが消えた林縁から、「キュルキュル…」と賑やかな声が、曇った初冬の朝の静寂を打ち破る。ムクドリだろうか?しかし、「キュルキュル…」の後にツグミ類の囀りのような節回しが入り、違うようだ。声のする方に双眼鏡を向けると、ツグミくらいの大きさで目の周りが白い褐色の鳥が数羽、地面からそう高くない草や潅木の枝に止まっている。「これがガビチョウという奴か…」。初めての出会いながら、普通のライファーのように素直に喜べずにいた僕を尻目に、ガビチョウたちは一際けたたましく鳴きながら、斜面の下方へ移動していった。


ガビチョウ
2006年12月 山梨県上野原市
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ガビチョウの生息環境
2006年12月 山梨県上野原市
下層植生の発達した低地林に多く生息する。東京・神奈川・山梨の県境付近は、関東地方の分布の中心である。
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                  *
 群馬は実家への帰省であり、短い時間ながら鳥見を楽しむことができた。自分が鳥を覚えた思い出の場所。一つ一つの出会いが、まるで昨日の出来事のように克明に脳裏に刻まれている。若干感傷的な気分に浸りながら、短い冬の日中に、散開する落葉を掻き分けながら懸命に採餌するツグミやシメを観察していると、河岸段丘の林から「キュルル、ピーウィ」と聞き慣れぬ声。9月にも同じ場所でその声を聞いたが、生い茂る葉に阻まれて姿を確認することはできなかった。それ以前には決して聞くことの無かった声だ。今回は葉がかなり落ちていることもあり、音源をかなり狭い範囲まで絞り込むことができた。なんとか姿を見出そうとしても、声は常緑樹やブッシュの中を巧みに移動して、おいそれとはその姿を白日の下に晒してはくれない。それでも、目を凝らすこと凡そ10分、声の主を発見することができた。ツグミ大のその鳥は、かねてから予想していた通り、全身がウグイスのようなオリーブ褐色で、顔の大部分が白いカオジロガビチョウであった。5羽ほどの小群で行動していたが、その後付近で10羽ほどの別の群を見たことや、前日に少し離れた地点でも声を聞いていることから、この地域にかなり定着しているものと思われた。


ツグミ
2006年12月 群馬県伊勢崎市
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シメ 
2006年12月 群馬県伊勢崎市
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カオジロガビチョウ
2006年12月 群馬県伊勢崎市
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                  *
 ガビチョウもカオジロガビチョウも中国から東南アジアを原産とするチメドリ科の鳥類で、元々は日本に生息していない。飼い鳥として輸入されたものが逃亡、もしくは人間が故意に放したことによって、日本の山野に生息するようになった。ガビチョウは1980年代から神奈川や東京を中心に分布を広げ、現在では宮城から熊本までの12都県で定着が確認されている。カオジロガビチョウは1990年4月に群馬県大間々町で最初に確認され、90年代には赤城山南面の比較的狭い範囲に分布していたが、2000年頃から群馬県の平野部にも分布を拡大し、近年では茨城県、栃木県でも観察されている。
 人間が国境を越える以上、移入種というのはどうしても生じるものである。古いものではドバトやコジュケイ、コブハクチョウなども移入種であるし、近年では都会のワカケホンセイインコや河川敷のベニスズメなどは有名なところである。それでも、ガビチョウなどのチメドリ科鳥類に特異的だと思うのは、その進出速度の速さと森林への侵入であろう。いずれのチメドリ科鳥類も、せいぜいこの10~20年程度の間に導入されたにも関わらず、恐ろしいスピードで日本の山野に定着しつつある。さらに、これまでの帰化鳥が都市や水辺などごく限られた環境で暮らしてきたのに対し、森林という鳥類にとって重要かつ広面積な環境に進出し、場所によっては鳥類群集の構造を変化させるほどの影響を与えている点に特徴がある。そのような事情もあり、上記2種はソウシチョウやカオグロガビチョウとともに外来生物法の特定外来生物に指定され、飼育や輸入、運搬などが規制されている。ただ、一度野外に定着してしまったものを完全に根絶するのは困難であろう。移入種の個体数や種数をこれ以上増やさないようにするための努力が求められている。


コブハクチョウ
2006年2月 群馬県館林市
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ガビチョウ
2006年12月 山梨県上野原市
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*群馬県のカオジロガビチョウの分布状況については、「深井宣男.2006.ガビチョウ類とソウシチョウの県内の分布状況.野の鳥(278):3-5」を参考・引用した。

(2006年12月25日   千嶋 淳)


分布を変える鳥‐十勝のメジロとカワウ‐

2006-10-08 20:31:57 | 鳥・一般
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All photos by Chishima,J.
メジロ 2006年9月 群馬県伊勢崎市)


 秋の川原は、たとえ快晴であってもどこか寂しさを帯びている。時々ふっと吹く風に、はらはらと舞うヤナギの落葉が、その寂しさに拍車をかける。「チィーチィー」、細い声が対岸のドロノキの樹冠から聞こえたかと思うと、あたりはメジロの声に包まれた。実際には10羽くらいなのだろうが、賑やかに鳴き交わしているため20羽くらいいるように聞こえる。小群はヤナギの、やはり樹冠を慌しく移動しながら採餌している。3分と経たないうちに、メジロたちは姿を消して束の間の喧騒は終わり、再び時折の風と落葉のみの、静寂の世界に戻った。それにしても、十勝でもメジロがすっかり普通になったものだ…。

虫を捕えたメジロ
2006年9月 群馬県伊勢崎市
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 鳥はどの種も固有の分布域をもっている。たとえば、ハシボソガラスとハシボソガラスは南西諸島をのぞく日本全国で普通に見られるカラスであるが、世界的な分布に目を向けると、ハシボソガラスはヨーロッパから日本に至るユーラシア大陸北部の広い範囲に分布している。これに対してハシブトガラスは東アジアからインドにかけて分布しており、前者にくらべてその範囲は狭く、また南に偏っているといった具合だ。そして、これらの分布は地史的な時間レベルではもちろん変化するのだが、通常短い時間スケールで大きく変化することは少ない。50年前のヨーロッパにハシブトガラスはいなかったし、100年後の東南アジアにハシボソガラスがいることは、人為的に導入される以外ないだろう。


ハシブトガラス
2006年9月 東京都台東区
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 もっとも、この数百年の文明の発達と人口の増加、それらを受けた環境の変化は、ある種にとっては大変な脅威となり、急速なスピードで絶滅や分布域の縮小を余儀なくされたものもある。環境問題が叫ばれる現代になっても残念ながら鳥の減少は続いており、日本でもヤンバルクイナのような島嶼性の鳥だけでなく、シマアオジやアカモズ、ヒクイナなど少し前までは普通に見られた渡り鳥も急激に姿を消しつつある。


アカモズ
2005年6月 北海道中川郡幕別町
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 その一方で短い期間に、スケールは小さいが分布を拡大させている鳥もいる。十勝地方では、今回紹介するメジロとカワウがその好例である。
 メジロは、私が移住した1994年頃には、帯広周辺では秋に少数がみられる程度の鳥であった。1987年に出版された「十勝と釧路の野鳥」には、「夏には非常に少なく、渡り時期に見られることが多い」とあるので、それと状況は一緒だったろう。しかし、1990年代後半から見かける頻度、数とも増え始め、遅くとも2000年頃までには繁殖期を通してかなり普通の鳥になり、秋には各地で群れが観察されるようになった。冒頭で描写したような光景は、現在秋の十勝の疎林や川原では一般的なものである。
 ほぼ同時期に、オホーツク海側の網走地方でもメジロが増加したことが知られている。1960年頃には札幌近郊でも稀だったというから、メジロはこの50年くらいの間に北海道の北へ、東へ分布を広げてきたと考えられる。ただし、その理由についてはわかっていない。


メジロ
2006年2月 群馬県伊勢崎市
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 カワウは、十勝地方の内陸部で1990年代に1、2羽の観察記録があるものの、十勝川の下流や海岸部で見られるようになったのは、2001年以降である。当初は偶発的な飛来と思われたが、2003年以降春の渡り期を中心に定期的に見られるようになり、2004年には約60羽の群れも観察された。そこで、2004年までの観察記録をまとめ、2000年代に入って明らかに増加していることを示し、若干の考察を付した(「十勝川下流域・十勝海岸におけるカワウの観察記録」 帯広百年記念館紀要第23号)。その後、カワウの出現はますます多くなり、2005年以降は夏に数は少なくなるものの、春から秋を通して十勝川下流域には定常的にカワウが飛来している状況にある。また、2005年秋頃からは内陸部への飛来も目立ち始め、2006年5月には帯広市郊外の十勝川でも小群が観察された。繁殖は未確認だが、数年以内に十勝川の河畔林などで行われる可能性は高いだろう。
 このようにカワウは十勝川流域へ分布を拡大してきており、道内のほかの場所で大群の飛来や繁殖が報告されるようになったのとほぼ同時期に観察され始めたことから、北海道全体での現象の一環と考えられる。この要因について標識などによる裏づけはないが、おそらく本州での個体数増加とそれに伴う駆除がもたらす分散効果ではないかと考えている。

カワウ
2006年9月 群馬県伊勢崎市
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十勝川河口に現れたカワウの若鳥
2006年9月 北海道中川郡豊頃町
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十勝川中流域に飛来したカワウの小群
2006年5月 北海道帯広市
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 鳥の分布とは長い歴史の中で作られた、一見静的なもののようだが、このように時々刻々と変化している動的な側面も持っており、それを目の当たりにできるのも鳥見の醍醐味といえる。ただ、それを記録に残すことはなかなか難しいもので、カワウは飛来当初より注目していたため、わりと詳細な記録を取っていたが、大抵はメジロのように「気付いたら増えていた」といったパターンである。十勝地方において分布を広げていると思われる鳥には、このほかにクロツグミやミヤマガラスなどがあるが、それらについてはいずれまた。


繁殖中のカワウ2点
2006年9月 東京都台東区
繁殖のタイミングは個体差が大きいため、繁殖期は長期に及ぶ、

育雛中。手前の巣にいる右側2羽がヒナ。
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こちらは抱卵中。
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(2006年10月8日   千嶋 淳)


斬り合い??

2006-09-10 16:34:16 | 鳥・一般
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All photos by Chishima,J.
キリアイの幼鳥 2005年9月 北海道勇払郡鵡川町(当時))


 早いもので9月も三分の一が過ぎ去り、日ごとに夏の存在感が薄くなっていくような気がする。わが国では大部分が旅鳥であるシギやチドリの渡りは、8月後半の成鳥のピークを終え、すでにシーズンの後半に入っている。それなのに、今年は怪我をしていたこともあり、ほとんどシギチを見に行けていないのが残念でならない。7月下旬に野付で渡りの走りを見た(「秋の気配」)以降、繁殖しているコチドリやイソシギを除くと、最近見たのはクサシギとトウネンくらいだろうか…。

クサシギ(幼鳥)
2006年9月 北海道河東郡音更町
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トウネン(幼鳥)
2006年9月 北海道十勝郡浦幌町
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 仕方ないので、図鑑やインターネットでシギチの絵や写真を見ての疑似体験で自分を誤魔化している。近頃はインターネットの普及で、家にいながらにして全国各地、否全世界の鳥の画像が見られるようになったのだから、便利なものである。それでも、気が付くと「フィールドガイド日本の野鳥」(高野伸二著)の図版を眺めていたりするから面白い。きっと、この本でほとんどの鳥を覚えた、いわば原点みたいなものだからだろう。
 「この本」を初めて手に取った時の感動は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。中でも、ハクセキレイのページは忘れがたく、普通種の本種にほぼ1ページを費やして、10点以上のイラストで4亜種を図示しているのには圧倒された。小学校低学年だったが即効親に買ってもらい、取り付かれたように読み耽った。
 とりわけ、シギチのページはよく開いた。この仲間が好きだったことに加えて、内陸の群馬では出会うことの少ない種に対する憧れみたいな感情もあったのだろう。60種以上もいるシギやチドリの中には、ハマシギやアオアシシギなど「名が体を現」したわかりやすい和名もあれば、小学校低学年の国語力では理解不能な和名もいくつかあった。


ハマシギ(冬羽)
2006年2月 千葉県船橋市
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 その筆頭はキリアイであろう。特に深くは考えなかったが時に気になり、「切り合い」や「斬り合い」などという時代劇の中でしかお目にかかれなさそうな光景を頭に浮かべたこともあった。実際には嘴が錐を合わせたようなことに由来することを知ったのは、本物のキリアイと出会う前だったか、後だったか。高校生くらいの頃は、英名のBroad-billed sandpiper(幅広い嘴のシギ)の方が特徴をよく現していて便利じゃないかなどと思ったものだが、今となってはこの粋な和名を付けた日本人の詩心の方が断然上と、心から思う。


休息中(キリアイほか)
2005年9月 北海道勇払郡鵡川町(当時)
まるでクイズのように皆頭を引っ込めている。答えを下に書いておくので、暇な人は挑戦されてはいかが?
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 ほかにも、トウネンやダイゼンなどの意味が当時はわからなかった。トウネンが「当年」で、トウネンの小ささが当年子、すなわちその年生まれの子供ぽいことに由来することはじき知ったが、ダイゼンの語源を知ったのはずいぶん後になってからだった気がする。ダイゼン(大膳)とは宮中の宴会料理であり、肉の味の良いダイゼンがこれに用いられていたことに因る名前らしい。江戸時代中期にはすでに「だいぜんしぎ」の名で知られていたそうである。


トウネン(幼鳥)
2005年9月 北海道勇払郡鵡川町(当時)
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ダイゼン(冬羽)
2006年2月 千葉県習志野市
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 時代は変わってダイゼンが宴会料理に出てくることもなくなったが、ダイゼンだけでなく多くのシギやチドリにとって世の中が住みにくくなっているように感じるのは、いささか哀しいことである。


十勝川・初秋
2006年9月 北海道中川郡幕別町

両岸に河畔林を従えて悠々と流れる水面の奥には、日高の蒼い山並。
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オオアワダチソウの群落。一面の黄色は美しいが、北米原産の帰化植物である。
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オオアワダチソウに止まるベニシジミ
2006年9月 北海道帯広市
そんな帰化植物も、今をしたたかに生きる生き物たちにとっては貴重な資源の側面をもつ。
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(2006年9月10日   千嶋 淳)

参考文献:菅原浩・柿澤亮三編著.2005.図説 鳥名の由来辞典.柏書房,東京.

「休息中」の答え
左からキリアイ、ハマシギ、ハマシギ、トウネン(いずれも幼鳥)。