現在の唐津城は、五層の壮大な天守が有名です。
しかしこの天守は模擬天守とも言われています。
本来の唐津城には天守はなく、当初秀吉の名護屋城の天守を移築する予定でしたが実現せず、その後徳川幕府に遠慮し築かなかったようです。
現在の天守閣は1966年に建てられたそうです。
この天守が、会津若松城(鶴ヶ城)の天守と非常によく似ているので、模擬天守と呼ぶ人もいるようですが、実際はどうなのか分かりません。
会津若松城(鶴ヶ城)も紹介していますので、比べてみてください。
唐津城の本丸は、唐津湾に突き出した30mほどの満島山の山上にあります。
後で紹介しますが、本丸のある山の東側には、少し離れて国指定特別名勝『虹ノ松原』(日本三大松原の1つ)のある岬があります。
唐津城の風光明媚な町並の基礎を築いた初代藩主・寺沢広高の功績は多大なものがあります。
その後、関が原の戦いなどの戦功により天草領4万石を合せ12万3000石の大名となりましたが、1637年の島原の乱によって天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶してしまいます。
唐津城の城内には薄紫色の花をつける有名な藤棚があり、つつじと共に訪れる人々の心を癒してくれます。
藤棚がある一角は場内に登る途中になりますので、斜行エレベーターを利用して上ってきた場合はいったん階段で降りないと観ることができません。
上段への入口には櫓門があり、この櫓門は茶室櫓と呼ばれています。
斜行エレベータで城に向かうと、1993年に復元された三の丸辰巳櫓に出ます。
大きな石の唐津城の碑石が、本丸にあります。
右奥に見える東屋のようなものは、虹の松原を展望する場所のようです。
続く.................................................................。
しかしこの天守は模擬天守とも言われています。
本来の唐津城には天守はなく、当初秀吉の名護屋城の天守を移築する予定でしたが実現せず、その後徳川幕府に遠慮し築かなかったようです。
現在の天守閣は1966年に建てられたそうです。
この天守が、会津若松城(鶴ヶ城)の天守と非常によく似ているので、模擬天守と呼ぶ人もいるようですが、実際はどうなのか分かりません。
会津若松城(鶴ヶ城)も紹介していますので、比べてみてください。
唐津城の本丸は、唐津湾に突き出した30mほどの満島山の山上にあります。
後で紹介しますが、本丸のある山の東側には、少し離れて国指定特別名勝『虹ノ松原』(日本三大松原の1つ)のある岬があります。
唐津城の風光明媚な町並の基礎を築いた初代藩主・寺沢広高の功績は多大なものがあります。
その後、関が原の戦いなどの戦功により天草領4万石を合せ12万3000石の大名となりましたが、1637年の島原の乱によって天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶してしまいます。
唐津城の城内には薄紫色の花をつける有名な藤棚があり、つつじと共に訪れる人々の心を癒してくれます。
藤棚がある一角は場内に登る途中になりますので、斜行エレベーターを利用して上ってきた場合はいったん階段で降りないと観ることができません。
上段への入口には櫓門があり、この櫓門は茶室櫓と呼ばれています。
斜行エレベータで城に向かうと、1993年に復元された三の丸辰巳櫓に出ます。
大きな石の唐津城の碑石が、本丸にあります。
右奥に見える東屋のようなものは、虹の松原を展望する場所のようです。
続く.................................................................。
階段の藤棚、4月(5月?)にはキレイなんでしょうね。
当時は移築されなかったとは知りませんでした
立派な藤棚ですね 藤が咲いたら凄そいと思います
最盛期にはかなりの賑わいになりそうですね
藤の咲く時期ではありませんでしたが、咲き誇ると見事なのだろうと想像しています。
それほど大きなお城ではありませんが、海岸線の景色は一見の価値があるようです。
お城と桜は良く似合いますね。
築城は大変なのでしょうが、城主の夢の実現だったのでしょう。
まだまだ二本にはたくさんお城がありますので、楽しみにしています。