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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その2

2016年06月09日 | トッポパパの愛車
1972年発売のスカイライン4代目はCMのロマンチックでヒューマンなストーリーに、若者から年配者まで幅広い年齢層の共感が集まり、CMソング『ケンとメリー~愛と風のように~』も異例のヒットを記録しました。
一種の社会現象を巻き起こすほど強烈なインパクトを与えたケンとメリーのスカイラインは、イメージ戦略が成功して人気車種になり累計販売台数も歴代最高の64万台を達成するベストセラーとなりました。



3ヶ月後、今回展示されている新型GT-Rが発表されました。



4輪ディスクブレーキ、175/14インチのラジアルタイヤを装着、各フェンダーにビス止めされたオーバーフェンダーや、フロントグリルは非常に迫力あるものでした。



しかし、車重は45Kg重くなり、ホイールベースも40mm長くなるなど、レースには不向きでした。
その後付加された排ガス規制に対応することができず、レースにでることなく197台生産されたところで生産中止となり、ケンメリGT-Rは消滅してしまったのです。
悲劇の車は生産台数が少なすぎるので、『幻のGTR』として、ネット情報では4,000万円のプレミア価格で取引されたとあります。

これ以降、次のGT-R登場まで、ファンは16年半の歳月を待つことになります。トッポパパもいつかはGTRをと夢見た長い年月でした。



ケンメリスカイラインでは、丸形のテールランプが復活しました。これ以降、歴代スカイラインには丸形のテールランプが必ず採用されることになります。



5代目スカイラインは日本の風土が生み、日本を代表する車であるとの観点から『スカイラインジャパン』というキャッチコピーを採用、先代に続き人気を博しました。

トッポパパのスカイラインの歴史は32歳の時に購入した、この『スカイラインジャパン』から始まりました。
1980年4月発売の2000ターボGT(KHGC210)はアメリカのギャレット社製のターボチャージャーを搭載し、145馬力を発揮しました。
ターボの導入は、エンジンのハイパワー化を容易にし、ターボ時代の幕開けです。



1981年8月 6代目スカイラインが発売されました。
ポール・ニューマンを広告キャラクターに起用し、走りを追い求める真のGTとしての復活しました。

間髪を入れず、日産としては8年ぶりとなるDOHCユニット搭載の2000RSを追加発表し、『走りのスカイライン』を待望するファンを歓喜させました。
2000RSの4バルブDOHC、FJ20エンジンは『鉄仮面』と呼ばれ、トッポパパも乗り換えました。
この車はターボなしのノーマルでしたが、走りの感覚が個人的には最高傑作だと思っています。
その後、テレビで石原軍団の西部警察に登場するようになりました。
日本初の4バルブDOHC+ターボの心臓を持つ2000RS-TURBOが登場し、『Racing Sports』のネーミング通りに10年ぶりとなるサーキットへの復帰を果たしました。
車のスペックが目まぐるしく進化していく時代で、短期に2台を乗り換えるのも大変でした。



『史上最強のスカイライン』を謳った日産スカイラインRSターボでしたが、世間が期待する『GT-R』の持つカリスマ性には答えられなかったようです。
トッポパパも、我慢してGT-Rを超える次のGT-Rを心待ちしていました。

1985年、都市工学7代目スカイラインが発売されます。
ソフィスティケートされた高級スポーティサルーン。この7代目では、C10以来搭載されてきたL20型エンジンに代わり新世代のRB20系ユニットに一新するほか、世界初の4輪操舵システム「HICAS(ハイキャス)」も搭載しました。
『からだの延長としての存在』という広告のフレーズは、新たなデバイスを採用したこのクルマの特性を象徴的に表現していました。
でも、でも...............GT-Rではなく、GTS-Rなのか考え込んでしまいました。
流石に、トッポパパもこの車は見送りました。
GT-Rの登場の予感がしたからです。



1989年 8代目スカイラインの登場です
超感覚スカイラインと銘打ち、大幅にシェイプアップしたスタイリングは、4ドアで70mm、2ドアで130mmも全長が短い、ショート・オーバハングでした。
重量も50kg以上も軽く、新開発4輪マルチリンクサスペンションとの相乗効果で、その走りは飛躍的に向上しました。
見た目にもスポーティなR32型は、運動性を重視した本格的スポーツセダンとして生まれ変わり、そのコンセプトと向上した走りから『超感覚』なる言葉を生み出しました。

 

1989年8月、満を侍してGT-Rが待望の復活を遂げます。
実に16年半振りの復活です。
そして、レースデビューを控えた1990年2月には、グループAレーシングカーの要素がより濃く織り込まれた『GT-R NISMO』が500台限定で発売されました。
ターボチャージャーはメンテナンス性向上のためタービンをメタル製に変更、空力性能向上のためフードトップモールやリヤに小型スポイラーを追加、冷却性能向上のためフロントバンパーにエアインテークを追加するいっぽう、リアワイパー・ABS・オートエアコン・オーディオ等の装備は軽量化のため省かれています。



新型GT-R(R32)は、復活を待ち漕がれたファンの希望に100%応えるものとなって登場しました。
GT-Rの使命は第一に、初代GT-Rがそうだったように、レースを席巻して再びGT-R神話を蘇らせることでした。
GT-Rは、レースのためのベース車であると言う思想が貫かれています。そして、もう一つは、全日産車のフラッグシップカー、技術的シンボルとして君臨することでした。
発表の日銀座4丁目の日産ギャラリーにでかけ、興奮しながら即日購入を決めた記憶がよみがえります。



トッポパパが以来20年以上も大切に乗ってきた車でした。
トッポもその一生をこの車でほとんど過ごした、思い出いっぱいの車です。
蛇足ですが、トッポパパは暴走族じゃありませんが、純粋にGT-Rが好きだったのです。



専用エンジン(RB26DET)はRB20DEをベースにはしながらも、全く別ものと言えるほどの手を加え、徹底的にチューンが施されました。
排気量は2600CC、セラミックターボを2基装着、280馬力を絞り出しましたが、レースにおいて600馬力を可能にするための様々な手当がされており、市販車はいわば『ディチューン版』といえました。



トッポパパも退職、病気を経験し、いつまでも重いクラッチ、ブレーキのマニュアル運転を運転するのは高齢のため事故の原因になるので、数年前お別れをしました。
その時の記念撮影の写真です。
状態をよく保つためのメンテナンスコストはかかりましたが、ほんとに素晴らしい車でした。
今でも譲った知人が大切に手入れをしながら乗っていると聞いて、いつか再会できる日を楽しみにしています。



新型GT-Rは1990年のシーズンから全日本ツーリングカー選手権レースに出場し、全レースを制覇、翌91年以降もグループAで連勝を重ね、グループAの規定がなくなるまでに29戦29勝、29戦予選1位と言う不敗神話をつくりました。



スカイラン GT-R ニスモのスペックは年式1990年、型式BNR32、全長4,545mm、全幅1,755mm 、全高1,340mm、ホイールベース2,615mm、トレッド(前/後)1480/1480mm、車両重、1430kg、
エンジンRB26DETT 2,568cc、最高出力206kw(280PS)/6800rpm、最大トルク353N・m(36.0kgm)/4400rpm、サスペンション(前/後)マルチリンク/マルチリンク、ブレーキ(前/後)ベンチレーテッドディスク(前後共)、タイヤ225-50 R16(前後共)、その他 500台限定車です。



続く................................................................................。