6月の某日、ニッサンギャラリーにカメラ片手に出かけました。
横浜駅東口も都市開発が進み、子供のころ艀の上からハゼ釣りをしていた地域は今は別世界の近代都市に様変わりしました。
横浜駅より東口のデパートそごう経由専用通路?で日産本社へ向かいます。
矢沢永吉の日産CM『やっちゃえNISSAN』の大きなディスプレイがお迎えです。
2F入口より地階を見下ろすと! 日産の名車がずらりと陳列されています。
今考えると、いろいろな縁があり日産車(特にスカイライン)を乗り継いできたトッポパパには思い出の車ばかりです。
やはり日産のフラッグシップ、スカイラインGTRが主役のようです。
スカイラインは国産スポーツカーの代名詞として確固たる地位を築いた、1970年デビューのスカイライン2000GT-R 2HT(ツードアハードトップ)とまだ未発売の最新の2017年モデルのGTRが並んでいるのには、ちょっと興奮しました。
最新モデルの紹介は後述するとして、日産のネット上の広報を引用させてもらい、懐かしいスカイライン伝説をちょっとたどってみます。
初代スカイラインはプリンスが1957年クラス最高出力60馬力の直列4気筒エンジンを搭載し、125km/hの最高速度を誇っていました。
足回りもスポーツカーなどに採用されていた「ド・ディオン・アクスル」を標準装備する最先端のクルマでした。
スポーツカーとセダンは住む世界が違うと誰もが思っていた時代に、スポーツカーの『運転する喜び』を享受できるセダンは、人々の憧れの存在となりました。
1963年に2代目スカイラインが登場します。
1964年、第2回日本グランプリに出場したスカイラインGTは、プロトタイプ・スポーツカーのポルシェ904GTSを7周目のヘアピンで抜き去るという離れ業を成し遂げ、『羊の皮を着た狼』という称号が与えられました。
レースでの活躍がユーザーのラブコールを生み、翌1965年2月には『スカイライン2000GT』として市販され、発売を待ちわびた多くのファンの元へと届けられた。
プリンスが日産に統合され、日産プリンスとなり、後のGTRの原型?となった車が1968年7月にデビューした量産型スカイラインクーペの3代目の『ハコスカ』です。
最初は1500ccのセダンのみでしたが、その2ヵ月後に直列6気筒のL20エンジンを搭載した写真の2000GTが登場します。
なぜこの車をよく覚えているかというと、当時20代後半のトッポパパよりはるかに若い新人が、入社とほぼ同時期にこの車に乗っていたのです。
当時のトッポパパは生活するのが精一杯(飲み代稼ぐのがという説もあるけど)なので、親のすねかじりの禄でもない新人だと思っていました。
後日禄でもある重職につく社会人になったのだから、結局トッポパパの僻(ひが)みとやっかみだったのでしょう。(笑)
当時車も免許も持たないトッポパパは、この車に何度も乗せてもらったので、スカイラインに対する憧れ(感化された?)が生まれたようです。
6気筒のGT系モデルは、当時主流の4気筒モデルに比べて長いエンジンを搭載するため、ノーズを長く延長しました。
2000GTのL20エンジンはプリンスから変わり日産製のエンジンになります。
そして、1969年2月に写真の4ドアGT-Rが投入されました。
スカイライン2000GT-R(PGC10型)、1989CC 160馬力、当時としては画期的な性能でした。
GT-Rはレースで勝つためのマシンとして製造され、『R』はレースを意味していました。
GT-Rに搭載されたS20型のエンジンの最大の特徴は、4バルブDOHCで、6気筒エンジンとしては国産初のメカニズムでした。
S20型エンジンはGT-R専用で、エンジンだけで1台車が買えたほど高価だったようです。
このエンジンは、後にフェアレディZ432にも搭載されました。
そして、1970年10月にホイールベースをセダンより70mm短くして全長を15mm、車高を15mm短くし車両重量を20kgも軽くしたクーペボディ仕様の、写真のハードトップ(KPGC10)を投入しました。
その後 『ハートのあるハードトップ』をキャッチコピーにして、 GT-Rはハードトップのみとなりました。
GT-Rは伝説となる、49連勝、さらに1勝を加え、レース50勝という金字塔を打ち立てたモデルです。
GTR専用の迫力あるフロントグリルとフェンダーミラー、加えて後輪のホイールアーチを覆うオーバーフェンダーが装着され、精悍な雰囲気を身にまとっていました。
発売当時価格154万円ですが、当時大卒の初任給は約15,000円なので大卒の給料の100倍近くなり、今の大卒の給料を20万円としても2,000万円ぐらいの高額です。
ハードトップの採用に伴い、ホイールベースは70mm短縮、これによりコーナリング性能も向上し、レースにおけるアドバンテージとなりました。
ちなみに中古車市場では、このモデルは程度がいいと2,000万円近くの値段がついているようです。
■ GT-R(KPGC10)主要諸元 ■
全長×全幅×全高:4,330×1,655×1,370mm
ホイールベース:2,570mm
車両重量:1,100kg
エンジン形式:S20
エンジン種類:水冷直列6気筒 DOHC 1,989cc
最高出力:160馬力/7,000回転
大トルク:18.0kg-m/5,600回転
他車に見劣りすることのない精悍なフォルムは、いまでも買いたくなる車です。
まだまだ続きます............................................................................。
横浜駅東口も都市開発が進み、子供のころ艀の上からハゼ釣りをしていた地域は今は別世界の近代都市に様変わりしました。
横浜駅より東口のデパートそごう経由専用通路?で日産本社へ向かいます。
矢沢永吉の日産CM『やっちゃえNISSAN』の大きなディスプレイがお迎えです。
2F入口より地階を見下ろすと! 日産の名車がずらりと陳列されています。
今考えると、いろいろな縁があり日産車(特にスカイライン)を乗り継いできたトッポパパには思い出の車ばかりです。
やはり日産のフラッグシップ、スカイラインGTRが主役のようです。
スカイラインは国産スポーツカーの代名詞として確固たる地位を築いた、1970年デビューのスカイライン2000GT-R 2HT(ツードアハードトップ)とまだ未発売の最新の2017年モデルのGTRが並んでいるのには、ちょっと興奮しました。
最新モデルの紹介は後述するとして、日産のネット上の広報を引用させてもらい、懐かしいスカイライン伝説をちょっとたどってみます。
初代スカイラインはプリンスが1957年クラス最高出力60馬力の直列4気筒エンジンを搭載し、125km/hの最高速度を誇っていました。
足回りもスポーツカーなどに採用されていた「ド・ディオン・アクスル」を標準装備する最先端のクルマでした。
スポーツカーとセダンは住む世界が違うと誰もが思っていた時代に、スポーツカーの『運転する喜び』を享受できるセダンは、人々の憧れの存在となりました。
1963年に2代目スカイラインが登場します。
1964年、第2回日本グランプリに出場したスカイラインGTは、プロトタイプ・スポーツカーのポルシェ904GTSを7周目のヘアピンで抜き去るという離れ業を成し遂げ、『羊の皮を着た狼』という称号が与えられました。
レースでの活躍がユーザーのラブコールを生み、翌1965年2月には『スカイライン2000GT』として市販され、発売を待ちわびた多くのファンの元へと届けられた。
プリンスが日産に統合され、日産プリンスとなり、後のGTRの原型?となった車が1968年7月にデビューした量産型スカイラインクーペの3代目の『ハコスカ』です。
最初は1500ccのセダンのみでしたが、その2ヵ月後に直列6気筒のL20エンジンを搭載した写真の2000GTが登場します。
なぜこの車をよく覚えているかというと、当時20代後半のトッポパパよりはるかに若い新人が、入社とほぼ同時期にこの車に乗っていたのです。
当時のトッポパパは生活するのが精一杯(飲み代稼ぐのがという説もあるけど)なので、親のすねかじりの禄でもない新人だと思っていました。
後日禄でもある重職につく社会人になったのだから、結局トッポパパの僻(ひが)みとやっかみだったのでしょう。(笑)
当時車も免許も持たないトッポパパは、この車に何度も乗せてもらったので、スカイラインに対する憧れ(感化された?)が生まれたようです。
6気筒のGT系モデルは、当時主流の4気筒モデルに比べて長いエンジンを搭載するため、ノーズを長く延長しました。
2000GTのL20エンジンはプリンスから変わり日産製のエンジンになります。
そして、1969年2月に写真の4ドアGT-Rが投入されました。
スカイライン2000GT-R(PGC10型)、1989CC 160馬力、当時としては画期的な性能でした。
GT-Rはレースで勝つためのマシンとして製造され、『R』はレースを意味していました。
GT-Rに搭載されたS20型のエンジンの最大の特徴は、4バルブDOHCで、6気筒エンジンとしては国産初のメカニズムでした。
S20型エンジンはGT-R専用で、エンジンだけで1台車が買えたほど高価だったようです。
このエンジンは、後にフェアレディZ432にも搭載されました。
そして、1970年10月にホイールベースをセダンより70mm短くして全長を15mm、車高を15mm短くし車両重量を20kgも軽くしたクーペボディ仕様の、写真のハードトップ(KPGC10)を投入しました。
その後 『ハートのあるハードトップ』をキャッチコピーにして、 GT-Rはハードトップのみとなりました。
GT-Rは伝説となる、49連勝、さらに1勝を加え、レース50勝という金字塔を打ち立てたモデルです。
GTR専用の迫力あるフロントグリルとフェンダーミラー、加えて後輪のホイールアーチを覆うオーバーフェンダーが装着され、精悍な雰囲気を身にまとっていました。
発売当時価格154万円ですが、当時大卒の初任給は約15,000円なので大卒の給料の100倍近くなり、今の大卒の給料を20万円としても2,000万円ぐらいの高額です。
ハードトップの採用に伴い、ホイールベースは70mm短縮、これによりコーナリング性能も向上し、レースにおけるアドバンテージとなりました。
ちなみに中古車市場では、このモデルは程度がいいと2,000万円近くの値段がついているようです。
■ GT-R(KPGC10)主要諸元 ■
全長×全幅×全高:4,330×1,655×1,370mm
ホイールベース:2,570mm
車両重量:1,100kg
エンジン形式:S20
エンジン種類:水冷直列6気筒 DOHC 1,989cc
最高出力:160馬力/7,000回転
大トルク:18.0kg-m/5,600回転
他車に見劣りすることのない精悍なフォルムは、いまでも買いたくなる車です。
まだまだ続きます............................................................................。