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徒然なるままに、トッポの思い出を訪ねて(山手散策) 05-5

2016年06月05日 | トッポの世界
帰路フランス山を歩いてみました。



幕末にフランス海軍が造成した階段は下方から左右2本が伸び、途中で合流しさらに上がっていきます。



江戸時代末期、1862年(文久2年)に生麦事件が起き、当時攘夷派の浪人などによる外国人殺傷事件が少なくなかったのです。



これを受けてイギリスとフランスは自国民の保護を名目に、横浜居留地への自国軍の駐屯を決定します。
幕府もこれを認め、1863年(文久3年)にはフランス海兵隊が横浜に到着、山手186番に駐屯を開始しました。



港の見える丘公園の中腹にあるのがフランス山、山頂あたりがイギリス山と呼ばれています。



フランス領事館の遺構の傍らに、風車の塔が建っています。
トッポも見にきました。



当時は井戸水の汲み上げ用に風車が造られたようです。



現在、フランス領事館遺構の横に設置されている風車は、かつてのフランス山を偲ぶモニュメントとして設置されたものです。



横浜市による再整備の工事の際に煉瓦造りの基礎部分が百年以上の時を経て発掘され、貴重な歴史資料として一部が展示されています。



1896年(明治29年)に建てられた領事官邸が関東大震災で倒壊した後、1930年(昭和5年)にマックス・ヒンデルの設計によって建てられ、戦後の1947年(昭和22年)に焼失した領事官邸の遺構です。
マックス・ヒンデルによる領事官邸は一階部分がコンクリート造りで、二階、三階部分は木造であったそうで、残された遺構はその一階部分です。



横浜開港はアメリカのペリー提督が4隻の黒船を率いて開国を迫りました。
その当時、アメリカは鯨油を取るための捕鯨船の補給基地として日本の港の開港を求めたのですから、捕鯨が盛んだったようです。
横浜山手には、以前紹介しましたが、アメリカ山、イタリア山と呼ばれている場所があります。
オランダ山は見当たらず、幕末にも依然として長崎の出島を根拠にして貿易を行っていたようです。
ロシア山もないのは、ロシアは函館を貿易拠点としていたからでしょう。
いろいろと歴史を感じる場所です。

続く.................................................................................。