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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その25の2 『広島城と原爆ドーム』

2007年08月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
1945年8月6日午前8時15分、現在の原爆ドームの南東上空約580mの地点で原子爆弾(リトルボーイ)が炸裂しました。



投下後約1分で原爆が炸裂、建物は0.2秒で凄まじい熱線で包まれ、その後衝撃波のような爆風が襲い、瞬間的にこの地域周辺が崩壊したそうです。
3階建てのこの建物はほぼ全壊しましたが、中央のドーム部分は爆風が窓が開口部となったいため全壊を免れ、写真のように外壁を中心に残りました。
写真は原爆ドームの横に掲載されていたものを接写させてもらいました。



原爆投下の是非に関しては、米国、日本そして他の国においても、大きく意見の分かれるところですが、共通して言えるのは、二度とこのような惨状を見ることがあってはならないということでしょう。



広島原爆ドームは、もともとは広島県物産品の販売促進を図る拠点として1915年、チェコの建築学者ヤン・レルツの設計により建設されました。
設立当初は『広島県物産陳列館』という名称だったようです。
トッポパパが20年以上も前に、当時まだチェコスロバキアの時代に、現地で原爆ドームのモデルになった建物があると聞いたことがあります。



当初は世界遺産登録に賛否両論あったようですが、原爆ドームは、原爆の恐ろしさ、悲惨さを人々に伝えて行く重要な建物として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産にも登録されました。



アメリカ軍はポツダム宣言を発表し、日本に無条件降伏を求めましたが、日本の対応が遅れたため、アメリカは8月6日、原子爆弾を広島に投下し、9日には長崎に投下しました。



後遺症にて亡くなった人を含めると、約25万人も原爆のために、命を落としたことになります。



現在は、その面影を感じさせないくらい復興した広島ですが、北朝鮮のニュスなどを聞くにつけ、人間ほど頭がいい哺乳類はいませんが、それと同じくらい頭が悪い哺乳類でもあるようです。



トッポパパが原爆ドームを訪問した時、川岸で野外コンサートが催されていました。 平和が一番です。



もう一度広島城に戻ります。

続く.....................................................。