日本列島が今回の東日本大震災の惨状に言葉を失っている。
マグニチュード 9.0 という、日本の有史にも例をみない巨大地震である。
この地震により、一部地域では15m以上にもなる津波が湾岸地域の都市、村落を根こそぎ破壊してしまった。
1993年8月8日に現地で体験したマグニチュード8.1のグアム地震に逃げ回り、1995年1月17日に日本中を震撼させた神戸・淡路大震災を現実にこんなことが起きるのかとテレビのニュースに釘付けになり、そして3月11日、もっと身近な未曾有の災害となっている東海関東大震災を経験している。
そして、想定外の津波により、ライフラインの中心的な役を担ってきた原子力発電所の崩壊か?という、恐怖に直面しています。
自然の威力のすさまじさに、ただたため息をつくのが精一杯です。
現地の被災者には、哀悼の意を表すことしか思い浮かばず、かける言葉も見つかりません。
3月11日の午後、横浜の工場で会議中に大きな揺れを感じ、仲間を安全な屋外に退去させました。
経験したことのない巨大地震の揺れに、言葉を失っている人たちに再度の強震が襲いました。
さすがに、これは尋常ではないと感じ、家族や帰路を心配している人たちに、できるだけ安全に早く自宅へ戻りなさいと声をかけるのが精一杯でした。
なんとか、自宅に着きテレビの報道を観るに、これは想像以上に悲惨な状況であることが分かりました。
でも、いま思えば、この時の惨状は、ほんの予兆だったような気がします。
数千人の人が亡くなり、いまだ行方不明者が1万とも2万とも報道されています。
ライフラインを断たれた窮状の中で、ひたすら救援や物資の到着を待つ被災者には、ただ『頑張って、生きてください!』と祈るしかないのでしょう。
テレビの報道を観ていて、ひとつだけ感じることがあります。
すべてがそうとは言えませんが、あまりにも評論が多すぎ、国民が評論に踊らされているような気がします。
過酷な環境な中で、なんとかひとりでも救いたいと頑張っている人たち、何百万という人たちのために身を呈して原子炉の安定に立ち向かっている東電他関係者、自衛隊の人々、そして警察関係者など、感謝してこそ文句の一つも言えるはずなどないはずです。
暖かい部屋で、もっともらしく責任論を展開している人々に、多少憤りを感じてしまいます。
報道関係者のヘリが廃墟になったビルの屋上で助けを求めている人を映し出す映像が多々見られましたが、何故運べるだけの救援物資だけでも投下してあげないのかと疑問に思います。
技術的に難しいことなのかはわかりませんが、カメラを回せるのであれば、物資の一つ二つ落とすことはかなわないことではないと考えてしまいます。
アメリカからの救援隊が、突然ヘリで予告もなしに着陸し、言葉も伝わらない被災者に身振り手振りで救援物資を渡している映像がありました。
なぜか、ホッとする光景です。
もちろん、日本の関係者も同様のことをしていると思いますが、報道の在り方にはちょっと疑問を感じます。
放射線のレベルひとつでも、見出しは通常の何百倍とか、被曝と被爆の間違った伝え方とか、どうも不安を煽っているのは誰なのか?と考えさせられます。
正確な情報はもちろん必要ですが、事実を分かりやすく伝え、いたずらに不安をあおるような評論は避けてもらいたいところです。
もちろん、全部を否定しているわけではありません。
ただ、同じ日本人が我々のために頑張っている、そして頑張っている人たちへの批判に感じる言葉だけは慎んでほしいと思うだけです。
そういうトッポパパも何ができるのか、自分自身が情けなく思っています。
被災者の人たちの救済ができるだけ早く進むこと、そしてひとりでも元気に保護されること、そして救援の先頭に立っている人たちの無事を祈るだけです。
トッポ家のできることは、できるだけ電気を節約し、寒さを我慢することしかできないようです。
ブログのほうは、いましばらく状況が落ち着くまで小休止いたします。
会社関係でも、まだまだ当面やらなければならないことが山ほどありますので、大局を見てできることをできるだけ早く着実に処理していきたいと思います。
勝手なことを書きなぐってしまいました。
みなさん、力を合わせて、頑張りましょう!
マグニチュード 9.0 という、日本の有史にも例をみない巨大地震である。
この地震により、一部地域では15m以上にもなる津波が湾岸地域の都市、村落を根こそぎ破壊してしまった。
1993年8月8日に現地で体験したマグニチュード8.1のグアム地震に逃げ回り、1995年1月17日に日本中を震撼させた神戸・淡路大震災を現実にこんなことが起きるのかとテレビのニュースに釘付けになり、そして3月11日、もっと身近な未曾有の災害となっている東海関東大震災を経験している。
そして、想定外の津波により、ライフラインの中心的な役を担ってきた原子力発電所の崩壊か?という、恐怖に直面しています。
自然の威力のすさまじさに、ただたため息をつくのが精一杯です。
現地の被災者には、哀悼の意を表すことしか思い浮かばず、かける言葉も見つかりません。
3月11日の午後、横浜の工場で会議中に大きな揺れを感じ、仲間を安全な屋外に退去させました。
経験したことのない巨大地震の揺れに、言葉を失っている人たちに再度の強震が襲いました。
さすがに、これは尋常ではないと感じ、家族や帰路を心配している人たちに、できるだけ安全に早く自宅へ戻りなさいと声をかけるのが精一杯でした。
なんとか、自宅に着きテレビの報道を観るに、これは想像以上に悲惨な状況であることが分かりました。
でも、いま思えば、この時の惨状は、ほんの予兆だったような気がします。
数千人の人が亡くなり、いまだ行方不明者が1万とも2万とも報道されています。
ライフラインを断たれた窮状の中で、ひたすら救援や物資の到着を待つ被災者には、ただ『頑張って、生きてください!』と祈るしかないのでしょう。
テレビの報道を観ていて、ひとつだけ感じることがあります。
すべてがそうとは言えませんが、あまりにも評論が多すぎ、国民が評論に踊らされているような気がします。
過酷な環境な中で、なんとかひとりでも救いたいと頑張っている人たち、何百万という人たちのために身を呈して原子炉の安定に立ち向かっている東電他関係者、自衛隊の人々、そして警察関係者など、感謝してこそ文句の一つも言えるはずなどないはずです。
暖かい部屋で、もっともらしく責任論を展開している人々に、多少憤りを感じてしまいます。
報道関係者のヘリが廃墟になったビルの屋上で助けを求めている人を映し出す映像が多々見られましたが、何故運べるだけの救援物資だけでも投下してあげないのかと疑問に思います。
技術的に難しいことなのかはわかりませんが、カメラを回せるのであれば、物資の一つ二つ落とすことはかなわないことではないと考えてしまいます。
アメリカからの救援隊が、突然ヘリで予告もなしに着陸し、言葉も伝わらない被災者に身振り手振りで救援物資を渡している映像がありました。
なぜか、ホッとする光景です。
もちろん、日本の関係者も同様のことをしていると思いますが、報道の在り方にはちょっと疑問を感じます。
放射線のレベルひとつでも、見出しは通常の何百倍とか、被曝と被爆の間違った伝え方とか、どうも不安を煽っているのは誰なのか?と考えさせられます。
正確な情報はもちろん必要ですが、事実を分かりやすく伝え、いたずらに不安をあおるような評論は避けてもらいたいところです。
もちろん、全部を否定しているわけではありません。
ただ、同じ日本人が我々のために頑張っている、そして頑張っている人たちへの批判に感じる言葉だけは慎んでほしいと思うだけです。
そういうトッポパパも何ができるのか、自分自身が情けなく思っています。
被災者の人たちの救済ができるだけ早く進むこと、そしてひとりでも元気に保護されること、そして救援の先頭に立っている人たちの無事を祈るだけです。
トッポ家のできることは、できるだけ電気を節約し、寒さを我慢することしかできないようです。
ブログのほうは、いましばらく状況が落ち着くまで小休止いたします。
会社関係でも、まだまだ当面やらなければならないことが山ほどありますので、大局を見てできることをできるだけ早く着実に処理していきたいと思います。
勝手なことを書きなぐってしまいました。
みなさん、力を合わせて、頑張りましょう!
・読者は少ないけれど、ブログで情報を流す。
東電情報をアップした時は、2,000アクセス超
という感じでした。
・寄付をします。
少ない金額でも、チリも積もれば。
・PCを使用していてなんですが、節電です。
やれることを1つだけでも、です。
シンガポールでもタイでも義援金収集がたくさん行われてます。バンコクでは大きな掲示板を掲げ、日本に向けてみんさんメッセージを書いてます。僕も日本語で書いてきました。
来週より一時帰国で久しぶりのお休みと楽しみにしてましたが、節電のため延期しました。
何もしてあげれなくて無力さを感じます。ほんとに。
子供たちも寄付をしたそうで、誉めてあげました。
仲間たちも、いろいろな形で援助を始めています。
日本人のこの一体感が、必要なのでしょう。
今回の災害で、多くの国の人たちが日本頑張れ!という気持ちが、とてもありがたいですね。