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TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・建長寺』 その11

2017年12月06日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
建長寺、仏殿です。
本尊の地蔵菩薩坐像を祀っており、現在の建物は東京の芝にある増上寺から移築されたものです。
江戸時代初期の華麗な装飾が施されています。



1647年に、江戸の増上寺より徳川秀忠夫人の霊屋を移築したもので、中には本尊である地蔵菩薩像が安置されています。
禅寺で地蔵菩薩を本尊とするのは珍しいのですが、これは建長寺建立の前に、この地にあった地蔵堂の縁起を引き継いだからだといわれています。



参道両脇に植えられているビャクシンの古木は幹回り6.5m以上もあります。
一部は開山の蘭渓道隆が中国から持ってきたと伝えられています。



本尊地蔵菩薩坐像です。
地蔵菩薩坐像は坐高約2.4mで台座を含めると5mにもなる巨大な仏像です。
室町時代につくられた格子天井の花鳥図も立派です。



法堂(はっとう)です。 
法堂は、法を説くための堂で、当初の法堂は、1275年(建治元年)、建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建されました。
現在の法堂は、1814年(文化11年)に再建(上棟)されたもので、関東一の大きさを誇ります。



天園ハイキングコースにつながる道です。



天園に向かうときれいな紅葉が楽しめますが、他へも行く予定があるので、今回は諦めます。



帰りがけに『おびんずる様』に健康のお願いをいたします。
お釈迦様の弟子の中に、ビンドラ・バラダージャという方がいました。
日本では尊敬の意味を込めて、おびんずる様と呼ばれています。



おびんずる様の説法は力強く、獅子のようであったため、弟子の中でも獅子吼第一と称されていました。
おびんずる様は衆生を済度する役割を持って人の世に遣わされた16人の阿羅漢、いわゆる十六羅漢の第一とされます。
体の中で痛むところや具合のよくないところをなでると神通力で治癒してくれるとされています。
トッポママは躊躇なく頭をなでていますので、頭の具合が良くないようです。(笑)



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・建長寺』 その10

2017年12月05日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『巨福山建長興国禅寺』は、鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山です。



北条時頼が、1253年(建長5年)に宗から来日していた高僧・蘭渓道隆を招いて建立したわが国最初の禅寺です。
かつて建長寺の総門の前には東西の外門がありました。
現在は、関東大震災で倒壊後、1984年に再建された、この西外門のみ健在です。


 
西外門は『天下禅林』の扁額を掲げているため「天下門」とも呼ばれます。
天下禅林とは人材を広く天下に求め育成する禅寺という意味の陽です。



総門です。
建長寺は鎌倉五山第一位とされていますが、五山制度は中国・南宋がインドの天竺五精舎に倣い、寧波にあった有力な禅寺5つを選んだのが由来とされています。
日本では南宋から蘭渓道隆を招いて建長寺を創建し、足利義満の時代(1386年)に京都と鎌倉の五山が整えられました。



総門に掲げられた「巨福山(こふくさん)」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝えられています。
「巨」字に、余分な「点」が書き加えられているので、字に安定感が出ていると言われています。



臨済宗建長寺派の総本山だけに、境内に入ると重厚な雰囲気があります。
山門(三門)です。
1775年(安永4年)、二百一世万拙碩誼(ばんせつせきぎ)によって再建されたものです。



上には五百羅漢像が安置され、その下を通ると心が清浄になるそうです。
また、三間二重門としては東日本最大の規模です。



建長寺の梵鐘です。
山門に向かって右側にある茅葺の鐘楼に吊るされた高さ約2mの巨大な鐘(国宝)で、円覚寺・常楽寺と並ぶ鎌倉三名鐘の一つです。 



子規の名高い『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』は、 親友の漱石が先に 作っていた『鐘つけば銀杏ちるなり建長寺』を、 発展させて詠まれたそうです。



鐘楼の右奥にある禅堂では、蘭渓道隆が宋から伝えた厳しい禅風が受け継がれ、現在も厳しい修行が行われているそうです。
ネット情報では、冬に食べると身も心も温かくなる「けんちん汁」は、もともと建長寺の修行僧が食事の支度のときに落としてこわしてしまった豆腐を「もったいない」と料理に活かしたものが、広まったことのようです。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・長寿寺』 その9

2017年12月04日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
長寿寺は、1358年に初代鎌倉公方である足利基氏が、父である足利尊氏の菩提を弔うために建立し、開山者は古先印元(こせんいんげん)です。



観音堂の裏手には、足利尊氏の遺髪を納めたという宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
古いお墓にしては、状態は良好で、柵の外からの見学になります。



遊歩道から見上げると、木漏れ日に輝く紅葉が素晴らしかったです。



住職が丹念に手入れして美しさを維持している庭です。



苔と白砂のコントラストが美しく、秋には紅葉の鮮やかな赤がそこに加わります。
長寿寺の本堂は方丈とひとつながりになった建物で、絵葉書のようです。



内部には新しいご本尊である釈迦如来・足利尊氏束帯像・開山者古先印元の坐像が祀られています。



芸術的な枝ぶりの紅葉の木です。



方丈をバックに、トッポパパも記念撮影です。



長らく非公開とのことでしたが、近年檀家を受け入れるようになったこともあり、一般公開となったそうです。
見事な紅葉を楽しめるのに、穴場といわれるのは、まだまだ知られていないからだといわれています。



紅葉に囲まれた竹林です。



大満足の長寿寺訪問でした。
土日でしたら、一番おすすめの紅葉スポットです。



ここまで来たので、紅葉はあまりないですが、建長寺に向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・長寿寺』 その8

2017年12月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
散歩しながら建長寺方面へ歩いていると、右側に階段があり山門前に人が並んでいます。
とりあえず覗いてみようかと思い、階段を上ってみました。
これが大正解でした。



なんと、季節限定、週末限定で公開される鎌倉の隠れスポット、『長寿寺』です。
足利尊氏ゆかりのお寺のようです。
境内が混雑しないように、入場制限をしていましたが、5分ほどで入場できました。



長寿寺は、神臨済宗建長寺派の寺院で、山号は宝亀山のため、正式名称は「宝亀山 長壽寺」です。



足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏の創建です。
順路に沿って歩くと、木漏れ日を浴びた紅葉の間から、本堂が見えます。



観音堂です。
長寿寺の観音堂は、奈良県にある円成寺にあった室町時代建立の多宝塔を大正時代に移築したものです。
観音堂の左右に真っ赤なカエデと黄色いイチョウの両方を見ることができます。



写真は撮れませんが、内部には以前の本尊である観音菩薩が祀られています。
当初は観音堂が本堂で、右に開山の古先印元坐像、左手に足利尊氏坐像が祀られています。



観音堂横の紅葉は深紅の色鮮やかな紅葉です。



境内の苔庭のほぼ中央に、カエルの親子が日光浴をしています。



山すそを少し上り、裏山から本堂を見下ろす紅葉も素晴らしいです。



境内を見ることができる季節と曜日が限定されているため、あまり知られていない鎌倉の穴場紅葉スポットです。
境内の手入れも完璧で、方丈周辺の見事な紅葉も映えます。



足利尊氏は長寿寺と縁が深く、長寿寺の寺名は尊氏の関東での法名「長寿寺殿」から付けられたと伝えられています。



続く.........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・浄智寺』 その7

2017年12月02日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
紅葉の前で記念撮影です。



浄智寺は山に抱かれるように建つ寺院で、境内は自然が豊かです。





藁ぶき屋根と紅葉は、とても似会います。





浄智寺は創建から約40年後の最盛期には、七堂伽藍を備え11寺院もの塔頭(お寺の中にあるお寺・小院)のあるとても大きなお寺でした。



江戸時代の終わりごろまでは大規模寺院でしたが、関東大震災で大部分が倒壊してしまいました。
現在の伽藍は昭和になってから復興されたものです。



都会育ちのトッポパパには、柿の木もめずらしいものです。



森の中のお寺は、静けさが漂っています。



浄智寺は数は少ないですが、紅葉をのんびり楽しむにはお勧めです。



次は長寿寺に向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・浄智寺』 その6

2017年12月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
浄智寺は、鎌倉五山の第四位の寺であり、金宝山(きんぽうざん)が山号で、臨済宗円覚寺派に属しています。
浄智寺は1281年(弘安四年)に建てられました。
第五代執権北条時頼の三男宗政(1253-81)と時頼の孫師時(1275?-1311)が開基とされています。
宗政は29才という若さで亡くなったため、その夫人は一族の助けを得て宗政と幼い師時を開基にして建立したようです。

参道の石段を少しのぼったところに、江戸時代後期の惣門(外門)があります。
円覚寺開山の無学祖元(仏光禅師, 1226-86)が書いたと言われる「寶所在近」の扁額がかかっています。



中に入ると、鐘楼門という形式の山門があります。
山門は鐘楼をかねたもので、1340年(暦応三年)の銅鐘がおかれています。



現在では総門・山門(鐘楼)・庫裡・仏殿(曇華殿)だけが残され、境内は国の史跡に指定されています。



浄智寺の仏殿、曇華殿(どんげでん)です。
仏殿には、室町時代に作られたという三世仏坐像が安置されています。
仏教における三世とは、過去・現在・未来のことで、写真は控えましたが、三世仏は向かって左から阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒菩薩(未来)でした。


 
ここの紅葉は、もう少し後のほうが見頃なのでしょう。
 


浄智寺の庫裡です。
茅葺きで趣のある建物で、季節の景色が楽しめそうです。



狸塚があります、ちょっと愛嬌のある顔をしています。



小さな窟の中に観音様が祀られていました。



智寺裏山のやぐら内に布袋尊があります。
鎌倉・江の島七福神の一つで、布袋尊は中国禅僧の布袋和尚を神格化したものです。
お腹を撫でると元気がもらえるそうです。



帰り路に入ると、きれいな紅葉を見ることができました。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・円覚寺』 その5

2017年11月30日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
円覚寺も全部見て回るには一日かかります。
他の寺院も久しぶりなので、運動をかねて訪問したいので、円覚寺はもう一度紅葉を見ながら戻ることにします。



お気に入りの紅葉写真を並べてみました。









これは以前に訪問した時の写真で、落ち葉を燃やした煙が靄(もや)のようにたちこもっています。



紅葉(もみじ)もいいですが、銀杏もいい色になっています。



トッポも天国に旅立って、もうすぐ3年になります。
いろいろな場所を散策してくると、ここも来た、あそこも行ったと、思い出します。



これも高台から撮った紅葉です。



最後に、これも7-8年前に円覚寺で撮ったお気に入りの写真を、もう一度紹介します。
長い間写真を撮っていると、前に撮った写真と見比べていくのも楽しいものです。



次は浄智寺へ向かいます。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・円覚寺』 その4

2017年11月29日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
方丈の裏は、心字池のある美しい禅宗様式の庭となっています。



トッポも何度か観に来ています。



方丈の後ろ側に位置し、正続院(舎利殿)の入口下の放生池が妙香池(みょうこうち)です。
夢窓疎石の作庭と伝えられています。



創建当初よりある放生池で、江戸時代初期の絵図に基づき、平成12年(2000)、方丈裏庭園と合致した自然の姿に復元されました。
対岸の露出した岩盤を虎の頭に見立て、虎頭岩と呼んでいます。



大佛次郎が『帰郷』に、妙香池の様子を次のように描いています。
『日陰から見ると、日なたの地面に薄く陽炎が立っていた。 幾つかある僧庵に通ずる道が、崖を削って段を作ってあるのに、梅の花びらが昨日の雨で貼りつけたように残っている。 池があって、岸辺の桜が映っている中を、緋鯉がゆっくりと泳いでいるのを、ふたりとも立ち止まって眺めた。』



緑、赤、黄色の紅葉コントラストが楽しめる角度です。



如意庵と書かれた立派な石塔が建っています。



円覚寺の境内、如意庵の前は長蛇の列です。
如意庵で営業されているお寺カフェ、『安寧』で紅葉を観ながら上質なランチや珈琲を愉しむことができるそうです。
如意庵は第三十六世無礙妙謙の塔所であり、伊豆の国市にある「国清寺」が前身であると言われています。



紅葉の間を抜けて、少し高台から紅葉を眺めてみます。



立ち入り禁止場所が多いのですが、高台からの紅葉も素晴らしいのです。



続く............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・円覚寺』 その3

2017年11月28日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
居士林は円覚寺にある、在家修行者のための坐禅道場です。
居士林では、毎週土曜の午後に土曜坐禅会が開かれているため、この日は中へ入ることができませんでした。
坐禅堂は新宿区牛込にあった柳生家の剣道場が柳生徹心居士から寄進されて、この地に移築されたそうです。
夏目漱石などの居士が参禅したと書かれていました。



ここの紅葉もきれいです。



円覚寺方丈正門の唐門です。
唐門(勅使門)の門扉には見事な彫刻が施されていますが、勅使門ということで、通常は入口が閉ざされていて、見学者は方丈庭園入口より園内に入ります。



本来は住職が居住する建物を方丈と呼びますが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。



方丈前の庭園には百観音霊場があります。



約100体の観音様が並んでいます。
方丈の石仏、百観音は江戸時代に拙叟尊者が境域に岩窟をうがって、百体の観音石像を祀った事がそのはじまりです。
1888年(明治21年)に洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、現在、方丈前に移されています。



方丈周辺にも紅葉の見どころがあります。



方丈前にも柏槇ビャクシンの古木が植えられ、鎌倉市の天然記念物に指定されています。



円覚寺のビャクシンは円覚寺の開山である無学祖元が植えたと言われている、樹齢700年以上の大木です。



紅葉している大木も何本かあります。



続く..................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・円覚寺』 その2

2017年11月27日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
夏目漱石の『門』に描かれた円覚寺の山門(三門)です。
この写真は2008年に来た時の写真です。
『円覚興聖禅寺』の額は伏見上皇の勅筆と伝えられています。



楼上には十一面観音、十二神将、十六羅漢像が安置されています。
現在の山門は、1781-89年(天明年間)に再建されたもので、山門は三門とも呼ばれ、三解脱門の略で涅槃に至るまでに通過しなければならない三つの関門、空・無相・無願を表しています。
 


大木に囲まれ紅葉している木々は、木漏れ日を浴びて角度により色彩が変化します。



山門の梁も凝っています。



鎌倉の寺院はお寺により異なりますが、円覚寺は比較的紅葉を楽しめるお寺です。



円覚寺の仏殿(大光明宝殿)です。



仏殿前のビャクシンの古木は、市の天然記念物になっています。



現在の仏殿は1964年(昭和39年)に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。
もとの仏殿は関東大震災で倒潰し、その40年後に再建された、禅宗様の建築様式で、本尊は宝冠釈迦如来坐像です。



居士林に向かう階段周辺の紅葉です。



円覚寺の選仏場です。
仏殿正面向かって左に位置している建物で、選仏場とは、修行僧の坐禅道場のことです。
現在の建物は、1699年(元禄年間)に伊勢長島城主松平忠充が、大蔵経を寄進し、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立
されたものです。



続く..............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その221 『鎌倉紅葉散策・円覚寺』 その1

2017年11月26日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
日ごとに冬の訪れを感じるようになり、寒さが厳しくなってきました。
ここ数日、東京、横浜でも紅葉が進んできました。
週末の好天に誘われて、鎌倉へ紅葉散策に出かけました。
まずは北鎌倉駅よりスタートですが、土曜日のせいもあり大変な混雑になりそうです。



円覚寺総門周辺の紅葉が見頃だとテレビ報道がありましたが、深紅の紅葉が目の前に飛び込んできました。



北条時宗の石碑が建っています。
円覚寺は1282年、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。



臨済宗は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の1つです。
また鎌倉仏教のひとつでもあります。



円覚寺の寺名の由来は、建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したからと伝えられています。



一般的には鎌倉の紅葉は12月になってからと言われていますが、ここは総門周辺はいまがピークのようです。



総門側から観た紅葉です。



円覚寺を出た時は、人の波で階段も見えませんでした。
確かに、ここの紅葉は色合いが調度良く、見ごたえがあります。



総門を抜け、階段を上り山門へ向かいます。
人が多く、写真にならなかったので、これは以前来た時の写真です。



円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。



続く...............................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その220 『軽井沢高原教会』 その2

2017年11月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
温かみのあるチャペルで、アットホームな式です。



パイプオルガンとハープの生演奏も重厚な雰囲気でした。



さくらの木でできたとても美しいチャペルで、歴史のある教会なので、レトロでクラシカルな雰囲気が好きな方にはぴったりだと思います。



緑に囲まれ、都会では味わえないリゾート感が素敵です。



トッポパパも久しぶりの結婚式で、退職後着ることのない正装にお疲れです。



幸せになってくれれば、何よりの親孝行です。



木漏れ日を浴びながら、紅葉を眺める、静寂な時間が流れています。



軽井沢らしい、お洒落なレストランで会食となりました。



もうしばらくしたら、よこはま、鎌倉でも紅葉のシーズンに入るでしょう。



新郎新婦の幸せを祈りながら、軽井沢を後にしました。






トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その220 『軽井沢高原教会』 その1

2017年11月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
軽井沢高原教会の紹介です。
軽井沢といえば、避暑地以外にもリゾートウェディングの場所として人気があります。
紹介内容はオフィシャルサイト他の引用です。



紅葉の林道を抜けると、とんがり屋根が特徴的な軽井沢高原教会があります。



軽井沢高原教会は、1921年(大正10年)にキリスト教思想家・内村鑑三らが集り開いた「芸術自由教育講習会」が原点となり誕生しました。



「芸術自由教育講習会」には、詩人の北原白秋、小説家の島崎藤村ら当時を代表する文化人が集い、真に豊かな心を求めて、熱く語り合いました。



その後、内村鑑三はこの場所を「星野遊学堂」と名づけ、思想・宗教にとらわれず、心から交流し合える布教の場にしていきました。



芸術自由教育講習会からひとつの理念が芽生えました。
「遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり」と感じたことを感じたままに表現し、自由に討論できる空間でした。



「星野遊学堂」の文化的な営みは、大戦時代の消失など時代にもかき消されることはありませんでした。
大戦後、「軽井沢高原教会」と改名し再建しましたが、原点である「星野遊学堂」の名は建物の正面に大きく刻まれています。



軽井沢の木々に囲まれた軽井高原教会の内部は、祭壇上の三角の大きな窓からは緑と光が見え、明るい感じで、 柱と参列席の木の色も落ち着いた色合いでとても素敵でした。 



明治19年(1886年)、軽井沢を訪れたイギリス人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーがこの地に別荘を建てたのを機に、宣教師仲間などの外国人が訪れるようになり、避暑地軽井沢としての歴史が始まりました。
以降、キリスト教が根付き、信仰が育まれていきました。



建物自体は何度か改修を重ねていますが、地上から屋根へ向かって三角形となっている建物は、教会としては初めてだったそうです。
教会の中は、やわらかな光が差し込み、木のぬくもりも相まって、とても柔らかな印象です。



続く........................................................。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その219 『横浜、馬車道散歩』 その8

2017年11月15日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
馬車道散策の後は、歩け!歩け!ということで、MM21経由家まで歩くことにしました。



銀杏の木もきれいになってきました。



いつもの景色ですが、晴天の日は足も軽く感じます。



日本丸の隣の芝生広場に、大きな花のアートが造られています。



現代美術作品の捜索で有名な韓国人アーティストのチェ・ジョンファさんの作品です。



身近な素材を使って、自由に形を生み出す韓国出身のアーティストです。



馬車道の入り口にある、いなり寿司の老舗『泉平』の弁当を、景色を眺めながら美味しくいただきました。
『泉平』の創業は1839年(天保10年)で、ペリーの黒船来航よりも古くから創業しています。



こんなに人出が少ないのも珍しいです。



日本丸の前では、今日も演奏会が開催されています。



早々とクリスマスツリーが飾られていました。



月日の経つのは早いものですね!
次回はどこへ行こうか検討中です。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その219 『横浜、馬車道散歩』 その7

2017年11月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
昭和2年の創業ですので、創業85年以上の歴史ある『勝烈庵本店』です。
当庵は外国人コックが居留地関内にもたらしたカツレツを初代庵主の工夫で独特の和風カツレツとして完成させました。
流石に人気のカツレツなので、店の前に大勢の人が並んでいます。



庵主と世界的に著名な美術家、版画作家である棟方志功画伯との交流が深く、店内には棟方志功画伯の作品が展示されています。
勝烈庵のオフィシャルサイトの説明によると、『当庵の先々代当主が陶芸家浜田庄司氏の窯元を訪れた際、宿泊した旅籠にあった棟方画伯の作品を目にしとても感銘を受け、そこで浜田氏は庵主に棟方画伯をご紹介下さり、それ以来交流を深めながら多くの作品を残して頂きました。』とあります。
横浜風景の、「山手通」「横浜港」「三渓園」の版画です。
また、勝烈庵の店名書体も棟方画伯の手によるものです。



勝烈庵といえば、棟方志功作品であるこの「オカメさん」もおなじみです。



店内は棟方志功作品など芸術作品が飾られ落ち着いた雰囲気です。
勝烈庵のカツレツは、1927年創業当時のレシピをそのまま守っているそうです。



ハマの街灯点火の地の石標柱があります。
ハマの街灯点火の地は明治23年(1890年)に横浜共同電灯会社が設立され、横浜市内の約700の電灯と街灯が一斉に点灯されたそうです。



この日は子供たちの演奏会などイベントが開催されていました。



馬車道に別れを告げ、桜木町方面に向かう途中に気になる建物があります。
前回、元町の紹介で、アメリカ長老教会から派遣された宣教医J.C ヘボン(James Curtis Hepburn)の石碑を紹介しました。
アメリカ長老教会から派遣された宣教医J.C. ヘボンが日本にキリスト教を伝道する志を持って、1859年(安政6年)来日し、ヘボン塾で勉強していた青年たちを中心にして、教会設立の気運が起こり、1874年(明治7年)、アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師として設立されたのが当教会です。



入口の円形のバラ窓、上部の尖ったアーチ、列柱、片方についた鐘楼は厳粛なたたずまいです。



「指路」は、ヘボン博士がアメリカで属していた教会の愛称「Shiloh Church」の「Shiloh=シロ」に漢字をあてたもので、uシロとは、旧約聖書にある「平和を来らす者=メシア」と、「古い時代の聖なる町」という両方に用いられている言葉のようです。



当時の教会堂は関東大震災で倒壊しましたが、現在の教会堂は1926年(大正15年)に再建されたものです。
現在は横浜市認定歴史的建造物となっています。



横浜の町を注意深く歩いていると、いろいろな発見があるのも散策の楽しみです。
最後にMM21に寄って帰ります。

続く...........................................................。