走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

生石地区体育祭

2011年10月16日 19時07分49秒 | 地域情報/体育祭

 今日は生石公民館主催の地区体育祭に出かけてきました。

 通常ですと市長メッセージの代読をしなければならない役なのですが、野志市長本人が来られましたので助かりました(本音です)。

 昨夜まで雨が降り続けていましたので開催が心配されていたのですが、晴天になり、関係者の皆様は安堵されたことだと思います。
 また、雨が遅くまで降り続けていたのでテントの設営は6時半からされたそうで、縁の下の力持ちがいなければ地域イベントが出来ないということを改めて感じた次第です。

 関係者の皆様、本当にご苦労様でした。

新しい農業の担い手

2011年10月12日 22時48分59秒 | すばらしい出会い


 最近出来た若い友人にM兄弟がいる。

 彼らは愛媛県西予市出身で松山の会社に勤めていた。
 
 そして、松山に出てきて感じたことは自分たちが生まれ育った土地の米の旨さだという。
 それが時に恋しく、時に懐かしくなっていったというのである。

 味覚というのは不思議なもので、幼い時の感覚が(脳のどこかに)ずっとインプットされるようである。
 
 そして、兄弟はずっと話し合い、ふるさとの味の素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらおうと考えたのである。
 出た答えは、「農業法人」を立ち上げるということだったという。

 改めて、自分たちのふるさとの味を食してみると、米だけでなく野菜や果物も上手いことがわかった。
 その理由として、地域の人たちが心を一つにして土づくりからやっていることを知る。
 さらに、四国カルストから湧き出る水が川となり、滝となり、再び大きな流れとなって、その肥沃な土を育んでいることがわかった。
 そして、幼い時に感じた気候の厳しさが、農作物にも試練を与え、たくましく育つことで旨味を増すこともわかったという。

 だからこそ、彼らは立ち上がることを決めた。

 そして、先週の週末からダイキ美沢店2階の産直市コーナーで米と野菜、栗を売り始めた。
 慣れない仕事だが一日中立ったまま競争の激しい米を売り続けた。
 自分たちのふるさとの米がどれほど美味しいか、おにぎりにして食べてもらった。
 
 私も覗いてみたが、確かに上手い!

 作り手の顔がわかり、作り手の苦労を知る彼らだからこそ、一生懸命に売る。

 ふるさとが大好きで、ふるさとを愛する心が、彼らを荒れ狂う大海に押し出した。
 でも、彼らのような若者がいるからこそ、この国は明るい。

 彼らの活動については、今後も追跡取材をさせていただくこととした...
 

中華居酒屋 永和 平和通店オープン

2011年10月11日 23時26分47秒 | グルメ
 前にも紹介したことがあるチャンポンのうまい店「中華居酒屋 永和(二番町)」が、今日、平和通に学生向けのリズナーブルな二号店をオープンした。(残念ながら平和通店は各種ラーメンは置いていますが、チャンポンはないそうです。)

 別にお店の回し者ではないが、経営者の「世の中、不景気で学生も苦労しておるみたいや。こんな時こそ、腹いっぱいメシを食わんといかん」という心意気から、ライス食べ放題、餃子一皿サービスという大盤振る舞い!

 しかも今日から一週間、オープンキャンペーンで料金を半額サービスという大赤字覚悟のイベントをやっております。

 おすすめは、ピリカラから揚げと黒酢豚。
 絶品である。(いかん、よだれが出てきた)

 DMに会員カードが入っていたので、早速行ってみたがいっぱいで入れませんでした。(残念!!)

理不尽な大人

2011年10月10日 21時22分06秒 | つぶやき
 今日、友人の中学一年生の息子さんと話した。
 彼は、少し怒っていてことの顛末を話してくれた。

 内容は、意味不明な大人の言動に対してである。
 その言動には、デリカシーのかけらもない。

 彼の話は理に適っていて、「すごく大人になった」と感じるとともに、「君の言うとおり」と思ってしまった。

 彼の憤りが収まるまで話を聞き続ける。

 少し落ち着いたところで、
 「世の中には理不尽な大人はいっぱいおるけん。でも、君はそんな大人にはならないようにせないかんよ。」

 でも、憤懣(ふんまん)やるせない少年の心は収まらない。

 子どもだからと馬鹿にする大人は多い。
 でも、子どもは身体や心が成長過程だからといってモノゴトの分別がつかないわけではない。
 つまり、子どもをなめてはいけない。

 子どもの方が、私たちよりもずっとモノゴトを見ているし、将来を見ていると思う。

 ゆめゆめ子どもを侮ってはいけないという話である。

映画 「ふたたび」

2011年10月06日 20時24分48秒 | 映画
 週末に借りたレンタルDVDの映画が素敵だったので紹介しよう。
最初は、ハンセン病患者に対する差別撤廃を訴えかける意識啓発映画かと思った。
また、作りつけも予算が少なかったせいか、もう一つのような感じがしたが、財津一郎さんをはじめ、犬塚弘さんなど渋い役者人が脇を固めている。
そして驚いたのは、ナベサダこと渡辺貞夫さんが出演し、久しぶりに彼のサックスを聴く。

 さっそく、ナベサダのCDを引っ張り出して彼の音楽を聴く。
やはり彼は、日本が生んだ世界的なサックス奏者やと再認識した。
秋の夕べには、彼のサックスがええぞなもし...

 ところで、映画のほうのストーリーだがホームページから引用し、紹介させてもらう。

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 いつも心にジャズが流れる街、神戸。

 大学生の貴島大翔(21)には、密かに憧れるジャズバンドがあった。

 “COOL JAZZ QUINTETTE” ――

 それは、たった1枚のLP盤を残して忽然と姿を消してしまった幻のバンドである。
 大翔は家に保管されていたコレクションの中に偶然そのLPを見つけ、熱烈なファンになった。

ある日、父・良雄が重い口を開いた。
 亡くなったと伝えていた祖父は生きている。
 ハンセン病療養所から50年ぶりに戻るから、我が家へ引き取ることにした、と。
 大翔には、生まれて初めて会う祖父・健三郎との接し方がわからない。
 頑固一徹。会話もない。
 ところが何の気なしに聴かせた一枚のレコードに、健三郎の表情が一転した。

 「嘘だろ?爺ちゃんが、COOL JAZZ QUINTETTEのトランぺッター?」
 しかし、健三郎は多くを語らなかった。
 そんな健三郎が、黙って家を出た。
 「人生でやり残したことがある。50年前のバンド仲間を探したい」
 巻き込まれるようにして、大翔はこの旅に同行することとなる。

 こうして、急ごしらえの祖父と孫の旅は、かつてのバンドメンバーを訪ねる形で、神戸から京都、そして和歌山へ・・・。
 50年ぶりの再会に戸惑いながら、健三郎の訪問に喜び、泣き、笑い、興奮する友人たち。
 そんな中、一人の女性の存在が明らかになる。
 彼女は、COOL JAZZ QUINTETTEのピアニストで、ハンセン病の健三郎の子供を産んだことで、家族からも子供からも引き離され、一人さびしく死んで行ったのだという。
 健三郎が一番会いたかった人とは、この女性=祖母だったのだ。

 大翔は、この旅を通して祖父から父・良雄を経て、自分へと繋がる家族の絆を知るのだった。
 2人の旅が終わりを迎える時、そこには思いがけないサプライズが待っていた。
 神戸の憧れのジャズクラブ「SONE」で、50年間果たせなかった
 COOL JAZZ QUINTETTEのライブを実現出来ることになったのだ。

 感動のラストステージが、今、幕を開ける――。

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 秋の夜長、皆さんも素敵な映画と大人の音楽を聴いてみてはいかがでしょう。

花が咲くための時間

2011年10月05日 19時28分21秒 | ちょっといい話
三重県の山路さんのメルマガに素敵な話がありましたので引用させていただきます。

【花が咲くための時間】

 朝顔が朝咲くのは、夜明けの光とか暖かい温度のせいではない。
 夜明け前の、冷たい夜の時間と闇の濃さこそが必要なのだ。
 朝顔は、夜の闇のなかで花を開く準備をするんだな。

 こんなふうに思考を飛躍させ、そして、そのことで勝手に、しかし非常に感動しました。
 朝顔は、夜の闇のなかに咲くのです。

 人間も希望という大輪の花を咲かせるのは、かならずしも光の真っただなかでも、暖かい温度のなかでもなかろう。

 冷たい夜と、濃い闇のなかに私たちは朝、大輪の花という希望を咲かせる。
 夜の闇こそ、花が咲くための大事な時間なのだ、と、私はそう考えました。

 (「朝顔は闇の底に咲く」五木寛之著 東京書籍)
                        
 ~~~~~~~~~~~~ここまで引用~~~~~~~~~~~~~~

 何かを為すための準備の期間や様子は往々にして人の目に見えないものです。
 そしてそれは多くの場合、長く、つらいものです。

 例えば、綺麗な花を支えるのは枝、それは幹に支えられ、その幹は根っこに支えられていますが、根っこは目に見えません。
 また、白鳥の華麗な水上の舞は水面下の必死の水かきでできているのです。

 イチロー選手の言葉で、私が好きなものに、「小さなことを積み重ねることがとんでもないところへ行くただ一つの道」というのがあります。

 誰しも何をやっても、どれだけ努力しても、少しも結果が出ず、嫌になることがあると思います。
そんな時は「谷深ければ山高し」という言葉を思い出し、今は花が咲くための準備期間なのだと思い、あきらめないで努力を続けたいもので
す。  



 まったくそのとおりだと私も思います。

寿命やけん

2011年10月04日 22時36分14秒 | つぶやき
 知人のご母堂が亡くなられた。
 その知人は、働きながらご母堂を2年半介護した。
 残念で仕方ないであろう。

 ご母堂は、最期に感謝の言葉を残しつつ逝ったという。
 ご母堂にもその誠心誠意の介護が伝わっていたのであろう。

 ここ何日かブログを書かなかったためにたくさんの人に心配をかけてしまった。

 母が認知症になりかけたというのは書かせてもらったが、その検査をおこなった。
 MRI検査後、(認知症は)初期段階なので薬の投与で緩和できることがわかった。

 ただ、動脈瘤が見つかった。

 手術で除去するにはかなりリスクを伴うとのこと。
 年齢的にも肉体的にも耐えられる補償はないという。

 母に問いかける。
 「どうする?」
 「もう、ええわい」

 いつ、血管が切れてもおかしくない。

 母の死は突然にやってくる可能性がある。
 
 「寿命やけん...」と嘯(うそぶ)く母。
 なにか覚悟を決めたような言い方である。
 
 知人のご母堂の死は、私にとっては人ごとではない。

脱常識

2011年10月03日 22時19分19秒 | びっくり
 地元の愛媛大学大学院教授・野村信福さんがテレビで紹介されていた。

 内容は、廃油から取り出した水素で、自動車を動かそうというもの。

 あらゆる産業から排出される廃油・・・
野村先生は、そこから水素を取り出し、乗用車を走らせようという世界初のプロジェクトを進めている。
それは、液体の中に太陽を造るという“常識外れ”の発想から始まった。

 そもそも、彼の斬新な発想は居酒屋で生まれた。
同僚の豊田准教授と飲んでいた時のこと、それまで気体から作るのが常識だったプラズマを液体で作ることを思いついた2人。
電子レンジのマイクロ波を使い、液体の中に3000度以上の状態を造り出す。
その分野では世界的に注目される研究者だ。

 研究を始めた10年前、誰もがマユツバものだと罵った。
しかし、彼には確信があった。
それは、大学時代の恩師が口癖のように言っていた言葉「まずは常識を疑え。脱常識」。
航空機事故に遭い、志半ばで他界した恩師の言葉を胸に研究を続けた彼。

 2002年、2人は世界で初めてマイクロ波を使った液中プラズマを発生させることに成功。
この技術で要らなくなった廃油から水素を取り出し、さらに廃油の処理コストも削減できるという。
環境への負荷を減らそうというのは世界の流れ。ただ石油に比べて供給コストがかかるのが水素燃料の課題。
廃油から取り出した水素で乗用車が走るようになれば、水素社会への新たな扉を開くことになると彼は言う。


 地方大学にこだわり続ける野村先生は、決して優等生ではなかった研究者のプライドをかけて次世代エネルギーへ挑戦しつづける。
 彼が研究者になれたのは恩師のおかげ。
その受けた恩を研究で返そうとしている。

 とても感激屋で不器用な研究者ではあるが、その熱き情熱が知らず知らずの間に周囲を巻き込み、動かしている。
 私は、水素社会は必ず訪れると思っている。

 がんばれ!! 野村先生。

人の役に立つから役人

2011年10月02日 23時28分07秒 | おもしろい
 今日のTBS系「夢の扉+」は、限界集落を蘇らせたスーパー公務員、石川県羽咋市役所 高野誠鮮さんの話だった。
一緒にテレビを見ていた妻が、「世の中にはよう似た人がおるもんじゃねえ」といっていたので、紹介させていただきます。


 石川県羽咋市神子原(みこはら)地区、65歳以上の人口が半分以上を占める限界集落だ。
18年もの間、全く子供が生まれなかったこの地域に救世主が現れた!市役所の一職員、高野誠鮮(55)。

 彼のおかげで若者が移住し、カフェが出来て人々が集い、賑わいを見せ、この地は限界集落から脱することができたのだ。
公務員でありながら、既存のルールを打ち破るアイデアを次々と提案、周りの反発を受けながらも、地元を活性化するためなら熱く行動する高野。
いわば地元の宣伝マンだ。

 彼の持論は「人の役に立つから役人なのだ」。

 役所では稟議書を回さずに企画の実現度を高め、入植者を積極的に受け入れるため、住人たちによる“ユニークな”面接を行う…。

 さらに高野は、地元の米、神子原米(みこはらまい)をブランド化した。
そもそも「米は農協に売るもの」というのが農家の常識だったところに、農家自身の手で販売するシステムを作り上げる。
「神子原」の「神子」にあやかって、なんと「ローマ法王」に献上、お墨付きを得た。
価格はこれまでの約3倍、年収が2倍以上になった農家も出てきた。
そんな高野の“カリスマ性”に惚れ込んだ若い入植者が、新しい農法を取り入れた米作りを今、まさに実践中。

 ※木村秋則さんの「自然栽培農法」でした。

ますます地域が活気づいている。
その米の収穫を追いながら、限界集落を蘇らせた高野の熱き“パワー”を追いかける内容だった。


 しかし、中途採用だった彼が順風満帆だったわけではない。
彼の奇抜なアイデアと予測のつかない行動は周囲を引っ張りまわす結果となり、反対されることはあっても賛同されることはなかった。
まさに四面楚歌の状態である。
 そんな時、上司が言う。

  「犯罪さえ犯さなければ、何をやってもいい」

 普通は、こんなことは言えない。
 しかし、この上司は彼を黙ってみていた。
「士は己を知る者のために死す」という諺があるが、その時の彼の心境はそうではなかったか。

 そして、今、彼は部下にこういう。

  「人の役に立つから役人なのだ」

 さらに、

  「犯罪さえ犯さなければ、何をやってもいい」

 閉塞感に満ち満ちている今だからこそ、部下にこう云える上司になりたい。

龍馬プロジェクトの同志の死

2011年10月01日 13時14分12秒 | びっくり
 龍馬プロジェクトを立ち上げた吹田市議会議員・副議長の神谷宗幣(かみやソウヘイ)さんから、同プロジェクトに参加していた上島(うえじま)俊範さん(30)の死をしらせるメールが入りました。
私自身は、上島さんとは直接、お会いしたことがなかったのですが、きっと熱い人だったのだろうと思います。
報道内容は次のようなものでした。

死亡邦人は自民青年局副局長 政治家への道半ばで…ネパール小型機墜落

 ネパールの首都カトマンズ近郊で小型飛行機が墜落して乗客乗員19人全員が死亡した事故で、同機に搭乗していた日本人は、都内の外資系IT企業「EMCジャパン」社員の上島(うえじま)俊範さん(30)=東京都世田谷区=だったことが26日、分かった。
同社に人事担当として勤務しながら、過去に自民党神奈川県連の青年局副局長を務め、現在は超党派による政治団体に所属。
政治家を志していた。

 「その時が来たら、僕も政治家になって自分の力を試したい―」。
夢に向かって歩んでいた道は、不慮の事故によって途絶えてしまった。

 EMCジャパンなどによると、上島さんは今月末で同社を退職し、来月から他社に管理職として勤務するはずだった。
今月20日から30日まで有給休暇を取り、23日にネパールへ出発。
アラブ首長国連邦を回って26日に帰国する予定だった。1人旅が好きで昨年の夏休みもインドに赴いたという。

 カナダの大学を卒業。英語力を生かし、大手電気通信メーカーや人事サービス会社に勤務。一昨年4月からEMCジャパンで働いていた。
社会貢献活動にも熱心で、今年5月には東日本大震災で被災した福島県を単身訪れた。
8月には社内でボランティアを計画。約30人の社員と宮城県石巻市のカキ養殖業者の作業を手伝った。
同社に勧誘した上司の川西正晃人事総務本部長は「信じたくない。今でも笑顔でひょっこり戻ってくるような気がします」と心境を語った。

 会社員としての日常の傍ら、主に週末を利用し、政治家になる夢を行動に移してきた。
自民党神奈川県連によると、上島さんは2007年に同党に入党。
昨年4月から同6月まで同県連青年局副局長を務めた。
同県連常任顧問の小泉進次郎衆院議員(30)は、面識はないものの「心からお悔やみを申し上げたい。野党の自民党でも支えてくださった。感謝の思いとともに哀悼の意を表したい」とコメントした。

 昨年6月からは、全国自治体の若手議員らによる超党派の政治団体「龍馬プロジェクト」のメンバーとなり、役員に就任。同8月には台湾の李登輝元総統と面会するなど、精力的な活動を続けていた。
会長を務める大阪・吹田市の神谷宗幣市議(33)は「ひょうひょうとしていながら、話すと熱い人でした」と突然の訃報にショックを隠しきれない様子だった。

◆ネパール小型機墜落事故 上島さんが搭乗したネパールの航空会社「ブッダ航空」の小型機は25日朝、カトマンズの空港を離陸し、ヒマラヤの山脈を眺望する遊覧飛行を行った後、空港に戻る途中で丘に墜落した。
機体は粉々になり、乗客16人乗員3人は全員死亡した。
当時の現場上空は濃霧で視界不良だったというが、直接の事故原因は不明。
現地の大使館から26日朝に新潟市の実家に連絡があり、父親が勤務先に報告した。
母親と兄は現地に向けて出発した。


 本当に残念である。 合掌