職場の倉庫から写真の資料が出てきた。
道後支所管轄の内容かと思いめくってみると、どうやら合併前の道後村当時の資料であった。
悲しかったのは、松山市の一部ではあるが戦死者の数が4500人を超えていたことである。
その数の多さに改めて深いため息が出た。
遺族の名前が殆ど父親であった。
自分よりも早く逝ってしまった子どもの死をどのように受け止めたかは、それぞれ異なるだろう。
私自身、戦争が終わってから生まれた。
その私と同年代の父親ばかりである。
やるせない思いになった。
所管部署に電話して、しっかりとした保管を願いした。
私たちの幸せは、これら多くの人の死の代償の上に成り立っていることを改めて感じた。
道後支所管轄の内容かと思いめくってみると、どうやら合併前の道後村当時の資料であった。
悲しかったのは、松山市の一部ではあるが戦死者の数が4500人を超えていたことである。
その数の多さに改めて深いため息が出た。
遺族の名前が殆ど父親であった。
自分よりも早く逝ってしまった子どもの死をどのように受け止めたかは、それぞれ異なるだろう。
私自身、戦争が終わってから生まれた。
その私と同年代の父親ばかりである。
やるせない思いになった。
所管部署に電話して、しっかりとした保管を願いした。
私たちの幸せは、これら多くの人の死の代償の上に成り立っていることを改めて感じた。