走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

若い芽

2008年03月18日 19時48分54秒 | その他
☆☆☆ 若い職員のアイデア

 本市では若い職員の横断的プロジェクトで自由に職員提案する制度があります。
今日は、その成果発表会がありました。

 その中に「子育て支援提案」があり、その一部が私たちの部署に関係していたので、同席をしていました。
よくまとまっていたのですが、担当スタッフや経験者が入っていなかったために、どうしても詰めの部分で甘いところがありました。
でも、よくまとまっていて、その意気込みは十分伝わってきました。

 若い職員が真剣に議論しながら、まとめたんだろうなあとプレゼンを聴きながら、その過程に思いをはせていました。
彼らが一生懸命まとめたものを担当者としてどう調理していくか、これから先は私たちの仕事です。

 今、日本という国には「当事者意識」がなくなってきたと言います。
しかし、今日の若い職員たちは、自分の仕事でもないことを真剣に自分のものとして受け止めがんばってくれたのです。
中には、「いらんことをするな。」と一瞥(いちべつ)するだけで相手にしない御仁もいるかもしれません。
しかし、彼等は少なくとも、目先だけでなく地域やその中の住民の幸せを思い、取り組んでくれたのであります。

 そのことを何よりも大事にしたいと思います。


☆★☆ 小栗上野介の逸話

 江戸幕府が終焉を迎えようとした時に、小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ)という勘定奉行がいました。
彼は、日本で始めて横須賀に造船所を造った人です。

 彼の逸話の一つにこのようなものがあります。

 「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」

幕末にある幕臣が「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造ってもそれが出来上がる時分には幕府はどうなっているかわからない」と言ったのに、小栗上野介が語った言葉。

小栗はさらに様子を改めて、
「私は幕府の臣であるから幕府のためにつくす身分ではあるけれども、結局日本の為であって、幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば、徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか。同じ売り据え(売家)にしても土蔵付売据の方がよい。あとは野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない」と語った。
(島田三郎「懐舊談」・『同方会報告』明治28年6月・第1号・17P/のち1977昭和52年立体社より復刻)

 何のために仕事をするのか、誰のために仕事をするのか、それを日々自分の中で噛みしめながら仕事をしていると、若い職員たちの提案は、本当にありがたいと感謝してしまいます。