走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

ミュージカルと感性を身につける方法

2006年08月06日 21時25分06秒 | その他
 今日、14:00から松山市総合コミュニティセンター キャメリアホールで、「まつやま子どもの日(松山市では8月8日をこの日に指定している。)プレイベント」として、ミュージカル「葉っぱのフレディ~いのちの旅」が催された。
出演者には、宝田 明さん、今 陽子さんをはじめ、あなどれない子役たちが脇を固める本格的ミュージカルであった。
たまたま、隣り合わせになった松山大学の上杉先生の家族と話していて、「この値段で、これだけ本格的なミュージカルが見れるなんて信じられない。」と言っておられたのが印象的でした。
「これには、一部、市からの補助が入っているんです。」と説明すると、「そうでしょうね。」と納得されるくらいすばらしいものであった。
私とミュージカル、まったく似つかわしくない取り合わせであるが、ときどき、私はこのアン・マッチを楽しむことにしている。

 ところで、このミュージカルの内容であるが、同名の絵本を題材にしており、絵本は発刊以来100万部を売り上げている。
 ストーリーは、春、若葉として生まれたフレディが、夏、秋、冬と移ろいゆく季節の中で、さまざまな出来事に出会い、やがて落ち葉となって「死」を向かえ、土に還り、また新たな生命を育むというものである。
 そして、限りある命の中で、その葛藤と生きることのすばらしさを訴えるもので、その中のせりふとして、一番ジーンとしたのが、「生きるとは、感じること。」というところだった。

 最近身の回りでよく聞く言葉に「感性」と「品性」というのがある。
「感性」は、本能に近い部分があり、日頃の鍛錬からくるインスピレーションといったものではないかと理解している。
「品性」については、無縁かもしれないので省略するが、「感性」は仕事に際して大事な要素と考える。
なぜなら、ビジネスの好機かどうか、また、この商品は果たしてヒットするかどうか、そういった場面に遭遇したとき、機能するものと考える。
この「感性」を身につけるためには、平素、小難しい書物だけを読むのではなく、時に美術館を覘(のぞ)いたり、デザインや写真集といった、平素、関係のないジャンルのものに興味を持つことで養われると思う。
もっと簡単に言えば、「八方美人的に勉強をする。」ということかもしれない。
 ですから、みなさん、平素、関係ないと思われている、芸術や演劇、ミュージカルといったものにも、少しだけ興味を持ってみませんか?

「さようなら」と「ごきげんよう」

2006年08月06日 10時34分38秒 | その他
 今日は、広島に原爆が落とされた日です。
私の母は、広島出身なので、被爆者です。
当時、爆心地から5キロくらいしか離れていないところにいながら、運よく助かりました。
 そこで、今日は、前に父の戦争時代の話をしかけたことがありますが、その話をしたいと思います。

 父は、戦争時代のことは、本当に寡黙に多くを語ろうとしませんでしたが、唯一、上官の話をしてくれたことがあります。
 父は、陸軍の飛行機乗り(パイロットというよりは、この方が合っています。)として、南方の最前線で戦っていたそうです。
 戦いは思わしくなく、戦局が悪くなるにつれ、飛び立つたびにこれが最後と覚悟しながら、飛び立ったそうです。
他の戦友もそうでした。
そして、飛び立つときに残る者に対して挨拶をするのだそうですが、皆、必ず「さようなら」と挨拶をして飛び立つのだそうです。
当然、父もそうしていました。
 でも、ある上官だけは、「ごきげんよう」という挨拶だったそうです。
不思議に思った父は、ある夜、お茶を持って行った時に聞いたそうです。
「なぜ、中尉殿は、いつも飛び立たれる時の挨拶が『ごきげんよう』なのでありますか。」
すると、その上官は、ニコッと微笑みながら、
「『さようなら』は二度と会えないときにする挨拶だと思うんだ。でも、『ごきげんよう』は再開できるという前提でする挨拶だと思うんだよ。私は、最後まであきらめず、きっと生きて帰ってくると信じているから、そう、言うことにしているんだよ。」
 そして、あるとき、片道の燃料だけで飛び立つ命令が、その上官に下された。
特攻である。
挨拶をしていく上官。
誰も口にしないが、最期であるということは理解している。
父も、さすがに今日は、上官の「さようなら」を聞くことになると思っていた。
 そして、父の前に立った、その上官は、微笑むと「ごきげんよう」と言ったそうである。

 彼が二度と帰還することがなかったのは、言うまでもない。