tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

昨日は建国記念日でしたが「国とは・・・?」

2024年02月12日 14時18分31秒 | 文化社会

昨2月11日は建国記念日でした。日本の国が生まれた日にちという事です。

古事記などに書いてある日を、今の太陽暦に読み替えて2月11日になったのでしょうが、何処の国にも建国記念日はあるのでしょう。という事は、国民にとって建国を記念する日はあった方がいいという事だと考えていいのでしょう。

建国記念日を印象付けらえたのは昭和15年で、小学1年生でしたが、その年は中国の故事から算定した紀元(皇紀)2600年という事で、「紀元2600年の歌」や「建国団子」という菓子まで出来て、戦時愛国教育の中で国中が盛大なお祭りでした。

建国記念日が、独裁政権に利用されるのは大変困ったことですが、素直に国という大事な社会の単位が成立したことを祝う日があることは良い事のように思います。

社会の最小単位である家族から、最大単位である国まで、社会にはいろいろな単位がありますが、地域や学校や企業などなど社会の単位があって、そこに帰属する事によって、愛着や安定感を持つのはSocial Animalである人間としては自然なことなのでしょう。

その中でも、最小と最大の単位である「家族」と「国」は、自分で選んで参加する事が出来ません。生まれた時に与えられているのです。

かつて「ルーツ探し」が流行った事がありましたが、例え流行していなくても、自分のルーツを知りたいというのは多分本能的なもので、人間である限り自然な事なのでしょう。

動物にも帰巣本能があるようですが、脳が時間の経過を意識して、記憶を時系列に整理できる機能を持つ人間にとってはルーツに興味を持つことは自然なことでしょう。

こうした機能を持った結果、人間は自分の生まれ育った環境、家族、地域、国、そこで知り合った人々に愛着を持ち、何時かはそこに戻る事、物理的に戻るか、記憶(思い出)の中で戻るか、その形はいろいろあるにしても願望を持つのがその本性でしょう。

ところで問題は、こうした人間の持つ、本能から記憶、知識に続く本性を許さない事態が、この所国という社会単位の間で深刻な問題になっているという現実があります。

国を捨てる、故国を捨てざるを得ないという現実が、多くの国で起きているのです。難民の発生です。

社会の最小の単位である家族と最大の単位である国は、その本来その在り方として「出入りの自由はきかないという形で成り立ってきているのは、おそらくその方が人類社会にとって望ましいと人々も考え、その方が人類社会としてより自然であるという、人間本来の意識の結果でしょう。

そうした自然の在り方を壊すのは、殆ど独際的な政権の場合です。つまり独裁国では、人間にとって不自然な事を国民に強いているという事でしょう。

これを阻止する役割の組織は、国連を措いてありません。しかし、今の国連は、その役割を果せません。私はUNHCRに毎月幾何かの寄付をしています。そして国連は難民を助けるだけでなく難民を出さない世界を作ることを優先すべきではないかと思っています。

世界人類すべてに、それを考える責任があるのではないでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。