コロナで混乱、自民党内部の混乱という2つの混乱の中で政権が交代するかどうかという選挙が時間とともに近づいてくることになっています。
選挙ではいつも、保守と革新の対立といった「カッコイイ」主義・主張の違いによる対立の様な理解が伝統的ですが、本当の所はどうなのでしょう。
例えば、コロナ対策などは誰が考えても主義・主張の違いなどないはずで、人間対コロナの総力戦ですが、そのために国会を召集せよという野党、そんな必要はないと言いつつ対策は手遅ればかりの現政権というのが実態です。
政治は党利党略が大事で、国民のためにいかなる政策がいいのかなどという問題は、片隅に追いやられているのが実態で、これでは日本の社会や経済が立派に育つのは難しいかななどとつい考えてしまします。
主義・主張、思潮の面から言えば、自民党は保守で、野党は革新という事になっているのですが、今の世界の保守や革新の在り方を先入観なしに眺めてみれば、民主主義国の本当の問題は、端的に言ってしまえば)せいぜいアメリカ型と北欧型の範囲で、その範囲のどのあたりを国の在り方として選ぶかというところに落ち着くのでしょう。
それ以上右へ行けば右翼独裁(ファシズム)、左に行けば共産党一党独裁(コミュニズム)という事になり、そうなると、今度は民主主義対専制主義という問題になってしまうのです。民主主義国ではそれはないはずです。
それでも、トランプ政権や安倍・菅政権の下で、独裁者の雰囲気を感じた人は結構多いでしょう。国民への説明なしに物事が進んでいくのです。
しかし、民主主義を形だけ掲げて独裁政権を維持しようとしているロシアや最近の中国のような姿は、日本としては選ぶところではないでしょう。
日本にも共産党はありますが、名前は(郷愁で?)維持していますが、言動は一党独裁政権志向ではないようです。
こう考えてきますと、自民党は日本で一番幅広い(疑似独裁から健全保守まで)政治家の集団という事でしょうか、野党は大方、社会主義的民主主義的の中で、それぞれに狭い分野を自ら規定し、社会主義的民主主義を小分けにして住み分けているというように見えます。
野党が、なかなか政権を取れない、あるいは取っても長続きしない理由も、小分け主義で、大括り思考(小異を捨てて先ず大同に就く)が出来ないためのようにも思えます。
更には、この小分け主義も、思想的に狭量というより、党首などの個人的な色彩が強いという極めて人間的な面も垣間見えたりします。
今回などは特に、野党にも二大政党方式の思考が(度量でも術策でも)出来さえすれば、今の与党の惨敗は容易に実現する、かつてないようなチャンスだと思うのですが、当事者の方がたにしてみれば、大変難しい事のようです。
主義・主張での切り口は、詰まる所そんな感じに思われるのです。
ところで、もう一つ政策の切り口になっているのが、日本を再び戦争をする国にするのか、これからもずっと戦争をしない国でいるかという切り口です。
この切り口は、往々、保守=戦争をする国に戻ってもよい、革新=戦争をしない国にすべき、というように結びついて理解されているようですが、それは必ずしも合理的ではない「結びつけ方」のようにも思えます。
戦争をしたくない保守、戦争を(場合によっては)しても良い革新も決して無いというわけではないでしょう。(「改憲論議」とは必ずしも同じものではないでしょう。憲法は第9条だけではありません)
この点は、今後も日本国民みんなで、保守も革新も関係なく、十分考え、適切な結論を出していくべき問題でしょう。
選挙ではいつも、保守と革新の対立といった「カッコイイ」主義・主張の違いによる対立の様な理解が伝統的ですが、本当の所はどうなのでしょう。
例えば、コロナ対策などは誰が考えても主義・主張の違いなどないはずで、人間対コロナの総力戦ですが、そのために国会を召集せよという野党、そんな必要はないと言いつつ対策は手遅ればかりの現政権というのが実態です。
政治は党利党略が大事で、国民のためにいかなる政策がいいのかなどという問題は、片隅に追いやられているのが実態で、これでは日本の社会や経済が立派に育つのは難しいかななどとつい考えてしまします。
主義・主張、思潮の面から言えば、自民党は保守で、野党は革新という事になっているのですが、今の世界の保守や革新の在り方を先入観なしに眺めてみれば、民主主義国の本当の問題は、端的に言ってしまえば)せいぜいアメリカ型と北欧型の範囲で、その範囲のどのあたりを国の在り方として選ぶかというところに落ち着くのでしょう。
それ以上右へ行けば右翼独裁(ファシズム)、左に行けば共産党一党独裁(コミュニズム)という事になり、そうなると、今度は民主主義対専制主義という問題になってしまうのです。民主主義国ではそれはないはずです。
それでも、トランプ政権や安倍・菅政権の下で、独裁者の雰囲気を感じた人は結構多いでしょう。国民への説明なしに物事が進んでいくのです。
しかし、民主主義を形だけ掲げて独裁政権を維持しようとしているロシアや最近の中国のような姿は、日本としては選ぶところではないでしょう。
日本にも共産党はありますが、名前は(郷愁で?)維持していますが、言動は一党独裁政権志向ではないようです。
こう考えてきますと、自民党は日本で一番幅広い(疑似独裁から健全保守まで)政治家の集団という事でしょうか、野党は大方、社会主義的民主主義的の中で、それぞれに狭い分野を自ら規定し、社会主義的民主主義を小分けにして住み分けているというように見えます。
野党が、なかなか政権を取れない、あるいは取っても長続きしない理由も、小分け主義で、大括り思考(小異を捨てて先ず大同に就く)が出来ないためのようにも思えます。
更には、この小分け主義も、思想的に狭量というより、党首などの個人的な色彩が強いという極めて人間的な面も垣間見えたりします。
今回などは特に、野党にも二大政党方式の思考が(度量でも術策でも)出来さえすれば、今の与党の惨敗は容易に実現する、かつてないようなチャンスだと思うのですが、当事者の方がたにしてみれば、大変難しい事のようです。
主義・主張での切り口は、詰まる所そんな感じに思われるのです。
ところで、もう一つ政策の切り口になっているのが、日本を再び戦争をする国にするのか、これからもずっと戦争をしない国でいるかという切り口です。
この切り口は、往々、保守=戦争をする国に戻ってもよい、革新=戦争をしない国にすべき、というように結びついて理解されているようですが、それは必ずしも合理的ではない「結びつけ方」のようにも思えます。
戦争をしたくない保守、戦争を(場合によっては)しても良い革新も決して無いというわけではないでしょう。(「改憲論議」とは必ずしも同じものではないでしょう。憲法は第9条だけではありません)
この点は、今後も日本国民みんなで、保守も革新も関係なく、十分考え、適切な結論を出していくべき問題でしょう。