tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

荒れ模様の地球社会、さて、人類の選択は(続編)

2020年07月28日 22時31分58秒 | 文化社会
民主主義、自由経済主義もともに変調
 地球世界は新しい冷戦の様相を帯びてきましたが、米ソの旧冷戦が終わり、「争いの世界」から「競いの世界」 新秩序を作り上げようという理念があったはずです。

 しかし、覇権国というのは大変コストのかかるもので、その負担からアメリカは赤字国に転落したのですが、覇権国という立場は捨てられず、世界中からカネを集め、それで覇権国の役割を果たそうと努力した(足搔いた )ことが現状を招いた主因だったようです。

 結果はこのブログでも長きにわたり分析し指摘してきていますように、他人の懐を当てにして覇権国の役割を果たそうというのは、歴史に見る歴代王朝の末期、日本なら、それぞれの幕府の末期のような形にならざるを得ないのでしょう。

 政治も経済も、すべて近視眼的になり、当面の糊塗策ばかりが中心になりがちで、長期ビジョンは見失われるようです。
 当然の帰結として、政治は人気取り中心のポピュリズムに堕し、経済は実体経済より、マネー収支の帳尻を合わすことを重視するマネー資本主義に堕落してきているのです。
 共産主義圏が、独裁主義、全体主義に本卦還りしたのと似て、資本主義も初期の資本原理主義に(マネー資本主義という形で)本卦還りという事になりつつあるのが今日の地球社会の現実ではないでしょうか。

 かつて資本主義は 福祉概念を取り入れてサバイバルを果たし、サステイナブルな経済社会を目指しました。
他方で、共産主義圏は、ついこの間、と言っても30年ほど前ですが、ソ連のペレストロイカ・グラスチノフ、中国の改革開放、社会主義自由経済で、独裁主義、全体主義から脱皮しようとしました。

 二回の世界大戦という人間の愚かな経験に学び、労働と資本の対立という人間社会の分断克服を紆余曲折を経て克服したかに見えた地球人類社会だったのですが、残念ながら、また同じ経験をするようなことになるのでしょうか。
 歴史から学ぶという事はそんなに難しい事なのでしょうか。ホモサピエンスの大脳の発達も、その程度の学習能力が行き着くところなのでしょうか。

<ご参考>https://blog.goo.ne.jp/tnlabo/e/8eec89bc0ec1448d36fa7e3e6e590aa9

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。