tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

自助、共助、公助、の問題を考える(1)

2020年10月29日 20時01分45秒 | 文化社会
自助努力は他人に強制するものでしょうか?
 今国会冒頭の様子を見ていますと、「自助、共助、公助」の問題が論争になりそうな気がします。

 菅総理は、最も大切なのは自助、それで出来ない所は、身内や親せき、あるいは地域の共助、そして最後のセーフティーネットが公助という言い方をし、立憲民主党の枝野代表は、政府自身が「まずは自助だ」というのはおかしいとの立場で、みんなが支え合う「共生社会」という考え方を示しています。

 物事は、同じことを言っても、誰が言うかで、受け取られ 方は全く違います。
 その意味でも、公助を担当する政府の代表が、自助を最初に持ってくるというのは、国民からは、「お前ら自分で頑張れ、どうしようもなかったら訪ねてこい」と言われていると受け取られる事は当然でしょう。

 菅さんは、裸一貫で頑張って来たというのがウリですから、恐らく「自分で頑張らなきゃ駄目だ」と頑張って来られたのでしょう。だから「自助」が最初で当然と言われるのは個人的には解ります。

 しかし、今の立場は総理大臣です。「みんな俺と同じように、自助努力中心で頑張れ」と言ったら、とんだ誤解を受けるという所まで、未だ気が回らにという、総理大臣初期段階なのかもしれません。

 マスコミでは、枝野さんも以前「自助」と言っているなどと冷やかす向きもありますが、個人の立場で、自助が大事だというのは、日本人の真面目さであり、美徳でもあるはずです。

 そう考えてみれば、与野党の間で、「自助」の問題を中心に、良いか悪いかといった二元論の論争はぜひやめていただきたいと思います。
 理想的なのは、国民は自助が大事といい、政府は公助の充実をいうという、お互いに協力してベストの「解」を探すことでしょう。

 もともと日本人は「自助」の気持ちが強い国民だと私は考えています。
 端的にいって、今の新型コロナの問題にしても、規模の大きな自由主義国で、日本が、ここまで感染者、死亡者の数を抑え込めているのはなぜでしょうか。

 検査体制にしても、医療体制にしても、関連研究開発にしても、政策的にはかなり遅れを取っているのが現実でしょう。政府は、経済重視で、GOTOキャンペーンのような、感染拡大効果を持つものの方に熱心です。

 にもかかわらず、ここまでの実績を示せているという事は、最も大事な国民一人一人が、基本的態度として「自助」(自ら律して、他人に迷惑をかけない)の精神を確りと持っていることの証左ではないでしょうか。

 菅さんの言う2500万人GOTOに参加して感染者が数十人(統計の出所の説明はない)というのは、政府の力ではなくて国民が確り衛生面の努力をしているからでしょう。

 日本人がそうした自助努力の精神を持っているからこそ、国も、経済社会も、コロナだけでなく、長期不況の中でも何とか持ち応えているといると考えています。

 アベノミクスは、日銀の円安への政策転換をもたらしたことは成功でしたが、その後は、明らかに誤りと言えることも含めて国民の不満は多かったはずです(支持率低下)。それでも、何とか確りした経済社会を維持出来ているのは、国民が自助努力で政策を補っているからでしょう。

 はっきり言えば、国民に自助をいう前に、「政府自体の自助」が大事のように思われます。 
 自助は自らに対して言うのが本当の自助でしょう。これは、精神、人間の心の問題です。
 次回はもう少し具体的なことを考えていきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。