tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

民主主義の根本が揺らいでいます

2018年03月13日 11時08分18秒 | 政治
民主主義の根本が揺らいでいます
 私事ですが、先日E-TAXによる確定申告を終えました。電子納税は便利ですが、証憑書類は7年間保存してくださいという指示が出て、「やはり国の存在の根幹に関わる「国税」については、きちんとすることが要求されているんだな」と感じました。

 一方、国会中継では、財務省の局長が、「文書は廃棄しました」「記録はありません」などと答弁していて、何か言いようのない違和感を感じました。
 文書の保存は念には念を入れるべきでしょう。電子媒体は消さない限り残るのです。

 そしてまたいつかもあったように、文書は出てきました。そして意図的な改竄の事実が明らかになりつつあります。
 問題は、野党やマスコミの追求が緩ければ、すべてすんなり通っていたはずだという事で、政府は全てを覆い隠して、「知らしむべからず、由(よ)らしむべし」がまかり通っていたという事でしょう。

 勿論政府は「そうなることを目指してすべてを運んでいたのでしょう」と考えますと、今の政権の目的や行動が、空恐ろしく感じられます。
 おそらく、森友学園問題以外にも、国民に知られたくないことを「何とか巧く隠しおうせた」「良かった、良かった」といった問題がいろいろあるのではないか、と考えざるを得ないからです。

 現政権の「決める政治」の背後に何があるのか、官邸に人事権を集めて、中枢の官僚を「適材適所」の名のもとに掌握し、上からの指示か下の忖度かはブラックボックスにして、民を欺くところに民主主義が成立するのでしょうか。そんな気持ちにさせられる事態です。

 一方「国民」の方はどうでしょうか。「決める政治は良い」という考え方も多いでしょう。しかし、しかしそこには「自らの意思決定、自分の判断と責任」から逃れようとする安易さが潜在するのかもしれません。先日も触れました(ドイツが何故ナチズムに傾倒するようなことになったかを研究した)エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の心理です。

 政府が、国民は「知らしむべからず、よらしむべし」の対象と考え、国民や官僚が自らの意思を大切にせず「責任の伴う自由とは面倒なもの」と考え、他人の意思決定に安易に依存しようとする時、「民主主義は無意味なもの」になるのではないでしょうか。

 これこそが本当の「国難」ではないでしょうか。

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