tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

格差問題、スーパーリッチ、社会不安

2013年08月29日 11時53分31秒 | 経済
格差問題、スーパーリッチ、社会不安
 シリア問題が泥沼化し、更なる深刻化の様相も見えています。表題は、放置すれば末恐ろしい三題噺ですが、最近、世界中が不安定になっているように感じられます。日本は例外でいられるでしょうか?

 日本では、終戦の日の前後、戦争の悲惨さを思い起こさせるイベントや報道も多く、改めて平和の有難さを痛感した方も多いと思われますが、世界中で、国内紛争、テロ活動などが頻発、それを大人の知恵でなく、力ずくで解決しようという動きが強まっています。何がそうさせるのか、抜本解決に何が必要か、人類の知恵が問われています。

 こうした問題の根っこに何があるか見てみますと、多くの場合、貧困や格差問題があるように思われます。
 もちろん人種や宗教の問題もあるでしょう。しかし、それが貧困や格差の問題と絡まりあった時、具体的な紛争といった問題に発展することが多いのではないでしょうか。
 領土問題というのも、古代からの領土が広い方が豊かになれるという領土奪い合いの誤った考え方の残滓でしょう。

 歴史的に見れば、人類の作ってきた制度というのは、力の強いものがなんでも独占するという世界(ガキ大将的社会)から、力ではなく知恵に頼り、正義(justice)を尊重する格差があまり拡大しない社会(大人の社会)に代わってきたようです。

 社会福祉、社会保障といった制度、福祉国家の概念などはまさにそうでしょう。さらにそれは、国家間にも広まって行き、低開発国援助、経済協力、国連・アンクタッドの積極活動、といったレベルまで上がっていっていました。

 それがいつ頃からでしょうか、また、内外ともに格差拡大、弱肉強食の社会に戻りつつある様に見えます。社会保障費抑制、規制の撤廃、競争重視が一般化し、社会的強者と弱者の格差が拡大してきたのです。その根は「競争社会への逆戻り」にあるようです。

 その典型が、金融自由化、金融工学、マネーゲーム中心のマネー資本主義の隆盛です。いつも指摘しますように、マネーゲームは新たな価値を生みません。マネーを自分の所に移転させることにより、他人の購買力を奪って自分の購買力を高めるだけの事です。

 こうして生まれたのが、いわゆるスーパーリッチです。スーパーリッチは自分の生活を更に良くしようとマネーゲームをしているのではないようです。自分が集めたカネを使い切れるかどうかなどは関係なく、単に集めたカネの大きさを競うことになるようです。
 タックスヘイブンなどの形で、スーパーリッチを集め、国づくりをしようという所さえ出てきます。マネー偏重と競争社会信仰の「あだ花」でしょう

 こうしたマネーは、低開発地域の開発や途上国援助に使われることはありません。マネーゲームは、リッチがリッチを生み、更にスーパーリッチを生むためのもののようで、購買力格差の拡大を進める手段です。マネーゲームの当事者は、自分が価値を生んでいると錯覚しているだけです。

 こうした格差拡大の傾向は、社会不安をますます拡大させるでしょう。そして、国内紛争に繋がり、国際的なテロ活動にも繋がり、国際紛争に発展する可能性を大きくします。
 世界は今、深い洞察力を持って、国内・国外を問わず格差問題の改善のために、改めて本質的な考察と対策への論議を始めるべきではないでしょうか。