tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

8月15日をどう生かすか

2012年08月15日 10時06分15秒 | 国際政治
8月15日をどう生かすか
 今年も8月15日が来ました。1945年8月15日、日本は戦争に敗れ、大きな転機を迎えました。日本にとっては大きな変化のきっかけになった日ですが、世界にとってはどうでしょうか。

 我々が、当時「大東亜戦争」として教わった戦争の意義は、当時の「軍歌」にも歌われていますが、「東亜侵略100年の野望をここに覆す」とか「興亜の使命担いて起てる」とか「四海の人を導きて正しき平和打ち立てん」とか、子供心にも良いことをしているのだ、と思うものでした。

 確かに、アジアの国々を軒並み植民地にしていた欧米諸国から、アジアを守って、正しい平和の世界をもたらそう、というのですから立派です。お上が言い、学校の先生が言うのですから子供はすぐに信用します。

 しかし戦争というのは矢張り狂気ですから、やっていることは侵略であり殺戮でした。67年前の日本中が晴れて暑かったあの日をきっかけに、我々はその虚構を知ることになったのです。

 結果的に日本は、平和憲法を持ち「国際紛争の解決の手段としての戦争を放棄する」ことを明確にしました。これは人類としては素晴らしい前進ですが、その割に世界でそれに倣おうという国はありません。

 そういう意味では、日本は人類の歴史を先取りしている国ですが、それでは日本はその先進性を活用して、世界に積極的に貢献しているでしょうか。
 残念ながらその気配はあまりありません。逆に軍事力で世界に貢献できないことを引け目に感じているようにすら感じられます。

 日本がおかしいのでしょうか、世界がおかしいのでしょうか。おそらく、今の人類社会が、未だ余りに未成熟なことが原因でしょう。
 では成熟とはどういう事なのでしょうか。これは、言い換えれば、地球上の人類が、秩序を持って平和共存するためには何が必要かを自覚し実行するという事です。

 かつて、「軍隊と警察」というテーマでも書かせていただきましたが、国際紛争の解決を軍隊ではなく、国連警察や国際司法機関で解決するようにする事が必要でしょう。

 100年以上前、坂本竜馬は「藩のためではなく、国のために・・・」といったそうですが、藩同士の争いを合理的に解決するためには確りした中央政府が必要と解っていたからでしょう。同様に国同士の紛争の合理的な解決のためには、国よりもう1段上の上部組織が必要です。
 竜馬の言葉を「国のためではなく、世界のために」と言い換えることが必要なのでしょう。だからこそ日本は本来『国連中心主義』を掲げていたはずです。 

 ならば、100年、200年先を見通して、世界で最も熱心に『国連中心主義』を鼓吹するというのが、平和憲法を持つ日本の本来の使命ではないでしょうか。