tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

加害者と被害者

2012年08月26日 12時11分08秒 | 社会
加害者と被害者
 加害者がいなければ被害者は発生しません。そういう意味では加害と被害の総計は純理論的にはゼロサムのはずです。
 例えば、ギャンブルでは、得した人の総額(胴元の儲けも含む)と損した人の総額は同じでしょう。振り込め詐欺でも、損した人がいれば、その同額を誰かが儲けているはずです。国際間のマネーゲームでも同じです。

 金銭の場合は、通常こういう解り易い計算になるのですが、これが心理的な問題になると、全く違うようです。通常、被害者はたくさんいて、加害者はあまりいないということが多いようです。
 つまり、加害者には「加害者意識がない」が、被害者は「被害を感じている」というケースが沢山あるという事です。

 「いじめ」の問題を例にとってみれば、加害者にはほとんどその意識がないが、被害者は死ぬほど苦しんでいるといった様子がはっきり見えて来ます。
 以前は、いじめの問題では、いじめられた方だけではなく「いじめた方の心にも傷を残す」などと解説され、「確かにそうだ」という意見も多かったように感じます。

 しかし最近の事件を見ると、いじめる方には、ほとんどそうした意識がないことが多いようです。いじめる方の感受性の欠如でしょう。ですから当然反省の意識もなく、いじめが繰り返されることになるようです。

 最近の身勝手な傷害や、殺人などの事件でも、加害者は、自分の事だけしか考えず、相手のことを考えるという人間らしい感受性が殆どあるいは全くないといったことを感じさせる事件が増えているような気がします。

 論語にも「己の欲せざるところを人に施す勿れ」などとあって、そういった思いやりの心を教えた歴史は、中国にも、日本にも、恐らく世界のどこにもあったのでしょうが、最近は人間社会が余裕がなくなり荒んできたせいか、権力やカネの力が横行し、行き過ぎた自由を肯定するような風潮が強まり、他人の気持ちが解らない「勝手な行動」が多くなったとすれば、それは、人類にとって「人間性の退歩(劣化)」でしょう。

 経済でも、最近は、黒字の国は、赤字の国のために金を出して当然といった金融理論が公然とまかり通っているような気もします。だから赤字削減にも本気になりません。
 円高で日本がいかに苦しみ、(その分、アメリカ経済は救われ) 日本経済・社会が劣化しても、アメリカが加害者意識を持つことはなさそうです(注)。

 こうした人間社会の退歩(人間性の劣化)は、どこかで逆転させないと、犯罪の増加、さらには、かつての植民地政策や労働者搾取と同じように、いつかは大きな悲劇を引き起こすことになるのではないでしょうか。
 さて、いかにして、どこから治していくべきでしょうか。
 
(注)アメリカの次期大統領候補のロムニー氏が「我々は日本ではない」「日本の様にはならない」と言っています