tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

食文化の時代

2010年11月09日 12時21分51秒 | 社会
食文化の時代
 最近のテレビの番組で、圧倒的に多いのは「食べ物」に関わる番組ではないでしょうか。外国へいって、NHKの国際放送などを見ていても、食べ物、料理の番組の多さが際立つ様に思います。
 
 「食」に関わる番組は極めて多彩です。全国の駅弁大会からB級グルメの全国大会、日本各地の食材や美味いもの探索番組、スタジオの中で、有名シェフや芸能人、カリスマ主婦の料理実演。連続ドラマでも「食」をテーマにしたものが好んで視聴されるようです。

 出てくる「食」の種類も、まさにグローバルで、日本はもちろんですが、中国、韓国、イタリア、フランスなどなど。
 しかし、アメリカ料理、イギリス料理、ドイツ料理(ビールは別)などというのは、どうも出てきません。グルメの人に聞くと、一言「美味い料理がないからだよ」ということで、言われてみればナットク・・・・・。

 戦後日本に来たアメリカ人などが、鮨を見て、「生の魚は俺たちは食わない」など言っていたのを思い出しますが、今では、日本食は「Sushi (すし)」を筆頭に、「目で楽しみ、舌で味わう」、美しさと微妙な味、さらにそれを取り巻く道具立てや環境、つまり、器(うつわ)や雰囲気、作法までを含めて、「日本食文化」を世界に広めつつあるようです。
 昨今の日本は、広範な「食文化」を世界に輸出する国になってきたようです。

 日本の歴史を見ますと、社会が閉塞状態で、庶民のエネルギーが余っている時、何か時代を反映した独特な文化が育っているようです。それは宗教であったり、占いであったり、和歌や俳諧の深化であったり、ファッションや歌舞音曲の庶民への普及であったり、盆栽や朝顔の品種改良であったり・・・・・と、その中身は多様です。

 矢張り日本人は、閉塞状態で、思うようなエネルギーの発揮場所ないときには、その環境の中で、その時に出来る何かを突き詰めてやる性癖があるのでしょうか。それが今「食文化」の全盛と世界への発信という方向に向いているような気がしてなりません。

 打ち続く円高で、得意技の「ものづくり」は行き詰まってしまい、所得水準は年々下がる一方。せめて与えられた環境の中で、元気にやれるのは、国内に材料を求め、日本的付加価値をたっぷり盛り付けて、自らも楽しみ、世界への発信できるようなもの。歴史の中で磨き上げられた「食文化」なら、まさにピッタリの「ニッチ(niche)」でしょう。

 桶屋哲学ではありませんが、「円高なると、食文化が流行る。」