tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

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成長経済回帰への具体策 その8 日本は何をすべきか-5

2010年06月10日 13時50分39秒 | 経済
成長経済回帰への具体策 その8 日本は何をすべきか-5
 前回、かつて日本では労使が協力して世界をあっといわせるような「社会・経済政策」に成功したと書きましたが、それは何回か触れてきた「オイルショックへの日本の対応」です。
 第1次オイルショックが起きたのは1973年秋です。原油価格が4倍になり、石油の99.8パーセントを輸入に依存するといわれた日本ですから、石油が来なくなったらどうなるという恐怖感からパニック状態になったことはご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 象徴的だったのは、毎日使うトイレットペーパーと合成洗剤がすべて売り切れ、生産は間に合わず、店頭から姿を消したことでした。 消費者物価指数はピークで年率26パーセントも上昇し、1974年春闘の賃上げ率は33パーセントにハネ上がり、これが更なるインフレを呼んで、20パーセントを越えるインフレが続き(5年続けば物価は2.5倍)、資源エネルギーを輸入し加工して輸出する貿易立国の日本は破綻するのではないかと懸念されました。

 このとき、輸入インフレの賃金コストインフレへの転嫁を阻止し、日本経済をインフレ激化から救おうと考えたのは財界(日経連)でした。
 日経連会長だった桜田武は、有名な「大幅賃上げの行方研究委員会」という長い名前の委員会を日経連内に設置し、1975年(昭和50年)春闘に向けて、賃上げ→インフレのスパイラル遮断に果敢な行動を起こしました。

 委員会は、財界人と、学識経験者のアドバイザーからなり、「このままインフレを続けたら日本経済は破綻する」と明確に指摘、「1945年度の賃上げは15パーセント以下、その後は1桁」というガイドラインを明示した報告書を発表、経営者はもとより、政治家、マスコミ、学識経験者、各界のオピニオンリーダー、労働組合の各組織・リーダーに報告書を直送し、土光敏夫経団連会長をはじめ、経済4団体の結束を固めて、全国キャンペーンを張りました。

 副総理兼経済企画庁長官だった福田赳夫は、「政府は来年度の消費者物価指数上昇率を15パーセント以下に抑える」とこれを応援しました。

 結果、1975年の賃上げは13パーセント(前年は33%)になり、その翌年は8パーセントに下がり、消費者物価指数上昇率はそれ以下に下がって、日本経済は安定を取り戻しました。
 桜田武は、1975年春討賃上げ率が13パーセントになったことについて、「これは日本の労使の賢明な協力の結果で、我々の力によるものではない。」というコメントしていたそうです。

 第2次オイルショックの際は、労使ともにこの経験を生かして立派に乗り切り、それが、「ジャパンアズナンバーワン」といわれる大きな要因になりました。

 海外では「春闘は所得政策のための仕掛けである」などとも言われた様ですが、もしこれが所得政策だったとすれば、それは政府の主導する制度や政策ではなく、労使を含む日本人全体が、問題の本質を理解して、自主的に賢い判断をしたことが成功の原因だったと言えましょう。(オランダの政労使のワッセナー合意などはこの流れの中のものと理解できるでしょう)

 金融・財政政策や所得政策の理論から言えば、第1次オイルショック後の日本の行動は、およそ理解できないものだったのでしょう。何か秘密があるのかと対日調査団は引きも切らなかったようです。

 こうした経験からいえることは、金融・財政・税制などなど、十年一日の間接的経済政策よりも、日本の場合には、国民に直接の行動を呼びかける経済政策が可能な場合があるということではないでしょうか。
 内需拡大についても、内需拡大の重要性についての国民の理解をベースにした国民全体の賢明な行動でそれを実現するという、日本でなければできないような政策はありうると思うのです。

 今、打ち続くデフレに呻吟する日本経済の中で、デフレの本質 を国民に理解してもらい、国民の協力を得て、内需拡大(GDPを使い切る )ための消費拡大の実現に向けて国民にダイレクトに働きかけるというデフレ脱出の「日本的な奇策(実は王道)」をリードする動きがでてきてもいいのではないでしょうか。誰かリーダーシップを取れる人はいないのでしょうか。