tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

景気回復策あれこれ  その3

2008年09月15日 11時18分38秒 | 経済
景気回復策あれこれ  その3
 戦後の日本の財政政策から言えば、昭和39年までは収支均衡予算を立て、国債発行はしませんでした。しかし、40年不況を乗り切るために建設国債の発行に踏み切り、さらに、第1次オイルショック後の深刻な不況脱出のために赤字国債発行を始め、いわば財政政策の手は使い果たしてしまいました。

 あとは国債発行額を増やすしかないのですが、国としても、いくらでも借金(国債発行)を増やすわけには行きません。 さいわい、第2次オイルショックの時は、労使の賢明な対応で不況はまぬかれ、スタグフレーション に苦しむ主要諸国の中で、日本は世界で最も経済パーフォーマンスの良い国(ジャパンアズナンバーワン)といわれるようになりました。

 しかし世の中は、良い事ばかりはありません。1985年、当時はG5(5カ国大蔵大臣・中央銀行総裁会議)で、この年はニューヨークのプラザホテルで行われましたが、「日本経済は強すぎるから円を大幅に切り上げてもらいたい」という意見が出て、日本が合意した結果(プラザ合意)、$1=¥240が、2年後には、$1=¥120になりました。

 これは世界の基軸通貨であるドルで測れば、日本の生産する商品・サービスの価格とコスト(人件費も含む)が2年間で2倍になったということですから、日本の国際競争力は一挙に失われました。
 特に毎日が国際競争の製造業は、国内ではやっていけなくなり、アジア諸国への脱出が進み、「製造業の空洞化」などといわれました。政府も学者もマスコミも、それまで世界に誇る経済力の日本だったので、「何をこれしきのこと」と思っていたのかもしれませんでしたが、本質的には深刻な不況の原因でした。

 このときは、アメリカが知恵を貸してくれました。「内需拡大策、金融の大幅緩和がいいでしょう」というアドバイスです。そして政府は「新前川レポート」などでこれを喧伝しました。これは絶大な効果がありました。日本には「地価はいつまでも上がり続ける」という「土地神話」があって、これが金融緩和の受け皿になり、「土地担保なら、いくらでもお金を貸しましょう」という類の金融機関の姿勢に乗って地価は暴騰し、日本は大金持ちになりました。ニューヨークの目抜き通りのロックフェラーセンターやティファニーを日本企業が買ってしまう、といった勢いで、ジャパンマネーは世界を闊歩しました。

 企業収益は上がり、好況で、政府の税収は大いに増え、一時的に国債発行が要らないほどでした。あとからみれば、このバブル経済で一番得をしたのは政府かもしれません。

 このときは、財政政策でなく金融政策、極端な緊急緩和で、「バブル景気」が演出されたのですが、土地神話が絶好の受け皿になったという特殊事情が大きな意味を持っていたようです。しかし、こうした投機的な価格上昇 による好況は長くは続きません。後には奈落が待っていました。