tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

地球収奪の愚

2008年07月20日 12時44分32秒 | 環境
地球収奪の愚
 庭の隅に山椒の木が生えてきました。緑のぎざぎざな葉をつけた枝も伸びて、丈が30センチぐらいになったでしょうか、アゲハチョウが卵を生みつけ、茶色の幼虫が孵りました。

 幼虫は、山椒の葉をもりもり食べ、脱皮して緑色になってきて、少し見ないうちに、山椒の葉は幼虫に食べ尽くされてきましたが、枝先の芽のところは残っていて、幼虫は芽が葉に育つのを待っているようでした。しかし、空腹のせいか幼虫はとうとう芽も食べつくし、山椒の木は丸坊主になって、幼虫はいなくなっていました。どこかで死んでしまったのでしょうか。

 庭の片隅の小さな事件を見ながら、私は、最近の人間と地球の問題を考えてしまいました。
 地球上に原始生命体が発生してから、長い長い時間をかけて、生態系が進化し、今その頂点に人類(ホモサピエンス)がいます。そして人類はその優越性の故に、次第に驕り高ぶり、地球上の生態系は自分たちのために存在すると考えるようになり、地球、自然、生態系の勝手な収奪を始めてしまったようです。地球上の生態系は、今、次第に衰え始めて いることは明らかです。

 かつて人間は、太陽を父とし、地球を母とし自然と共存していたのでしょう。これは生物としてきわめてまともな認識です。無限のエネルギーを無償でくれる太陽、そのエネルギーを葉緑素の働きを中心に生態系の循環に展開、発展させる舞台が地球です。人間はその恩恵の中でしか生命を維持できないのでしょう。月や火星を改造して、どれだけのコストで何人住めるか計算してみた人がいるでしょうか。

 自分の生命の源である地球を収奪することは、自らを破滅に追いやることでしょう。今こそ、地球上の動物を、植物を、鉱物を人間のほしいままにあさり、地球を収奪するのではなく、地球に、自分たちを育ててくれたことへの恩返しを考える時でしょう。人類がより豊かな生態系の実現と発展に協力すれば、地球はより豊かな恵みを人類にくれるはずです。

 人間と自然を対立させ、自然や生態系は、人間が利用するために存在するのだ、などというのではなく、人間は自然や生態系の一部であり、まさにその「お陰様で」人間自体が存在し得ているのだということを、家庭教育 や基礎教育や、宗教の中で、きっちりと教えていくことが本当に重要なのではないでしょうか。