tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本工業倶楽部会館 炭鉱夫 織姫

2007年10月06日 15時00分46秒 | 経営
日本工業倶楽部会館のシンボル
 日本工業倶楽部会館は、東京駅の丸の内北口を出て、信号を2つ渡ったところにあります。茶色いレンガ造りの5階建てのクラシックな建物で、大正9年(1920年)に、当時の日本経済の発展の担い手だった工業の経営者たちが、自分たちの集う「お城」として建てたものです。道を隔てて向かい側は、今春リニューアル・オープンした新丸ビルです

 大正9年といえば関東大震災の前で、このビルは関東大震災にも耐え、太平洋戦争にも耐えて、戦後はかなりの間、経団連、日経連、同友会という経済4団体のうちの3団体が事務局をおく、まさに経済界の中枢とも言うべきビルでした。平成15年に外観は殆ど以前のままで、また中身も主要な3分の一はそのままで、耐震工事が完了し、新装がなっています。

 ところで話は本題に入りますが、この日本工業倶楽部会館の正面玄関の真上に、一対の立像が立っています。向かって左側がハンマーを持った炭鉱夫、右側が糸巻きを持った織姫です。新丸ビル側の歩道から見ると良く見えますし、日本工業倶楽部会館のホームページでご覧になれます。当時の工業の経営者たちは、働く人たちへの真摯な感謝の気持ちから、こうした像を、当時としてはもっともモダンであったはずの、自分たち経営者仲間の集う「お城」の上に飾ったのでしょう。

 かつて私もこの2つの立像を見て、日本的経営の「人間尊重」の理念には歴史があると感じたのを覚えています。これまで、多くの主要国の経済団体、経営者団体、労働組合の本部などを訪ねました。労働組合の本部に労働者の像が飾ってあるのは良く見ましたが、経済団体や経営者団体の本部の建物に労働者の像を飾るといった例は知りません。

 大正といえば、日本の産業がいまだ未成熟な時期です。その時代の経営者が、自分たちが建てた「お城」の上にシンボルとして、何の違和感もなく労働者の像を飾ったという事実の示すものを十分考える必要があるようです。今、日本的経営の基本は「人間重視の経営」であるとか、日本の資本主義は「人本主義」であるとか言われますが、こうした認識の背後には、やはり、日本独自の伝統文化、日本人の心根があるのでしょう。

 日本の経済・産業の発展も、その中での産業企業のあり方論や経営理念、労使関係も、多様な環境変化の中で、紆余曲折をたどっているのが現実です。産業企業内の人間に関わる問題でも、格差問題やハラスメント、過労など、多様な問題が言われています。

 こんな時期にこそ、あらためて今、工業倶楽部会館の炭鉱夫と織姫の像を眺め、その歴史的な意義を考えてみることも良いのではないでしょうか。