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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

伸び悩む月例給与、前年比0.3%、格差は縮小か

2017年09月06日 10時57分58秒 | 労働
伸び悩む月例給与、前年比0.3%、格差は縮小か
 今朝、厚生労働省から「毎月勤労統計」の2017年7月分の速報が発表になりました。微妙な経済情勢の中で、なかなか伸びない日本の賃金ですが、どんな様子なのか、一寸見てみました。

 先ず平均賃金が前年に比べどのくらい伸びているのかですが、調査産業計・一般労働者(パート含まず)平均で、所定内(月例給)は307,827円で前年比0.3%の伸び、所定外(残業代等)26,220円で0.4%の伸びとなっています。

 春の賃上げはもう少しあったはずですが、平均賃金の上がらない理由は、こんなところでしょう。
 賃金の高い高齢者が定年になり、初任給採用の新卒者が入るので、平均はあまり上がりません。高齢者の定年再雇用などでも賃金は下がります。これは年功賃金色の残る日本の賃金制度の結果です。

 一方、パートタイム労働者は所定内が93,770円で、前年比1.1%の増加で、一般労働者より上がっていますが、一方、パートの平均労働時間は前年比1.3%下がっているので、時間当たり給与は前年比2.9%増となっています。

 求人倍率の高さなどを反映して、パートの賃金は上昇傾向がはっきりしていますが、ここでは、賃金を上げて一般労働者との格差を縮めるのがいいという意見と、正規労働者(毎月勤労統計では一般労働者)を増やすべきだという意見とがあるでしょう。
 パートタイム労働者比率は、0.08%ですが前年比で下がっていますから、これは良い傾向でしょう。

 しかし、いずれにしても、賃金の伸びは、そう大きいものではありません。政府は賃金を上げて景気を回復させようとしているようですが、賃金は労使で決めるものですから、経済社会の環境でも大きく変わらなければ、大きな伸びなどは容易ではないでしょう。

 今の大変不安定な内外情勢を考えて見れば、政府も、賃金引き上げ要請ばかりでなく、もう少し違った、世の中を広く見た経済政策、国民が何とか将来に期待を持つような総合政策が必要なように感じる人が少なくないのではないでしょうか。

「お疲れさま」の使い過ぎ?

2017年08月22日 11時14分09秒 | 労働
「お疲れさま」の使い過ぎ?
 「お疲れ様」という言葉が、至る所で頻繁に使われるようになったのは、そんなに古いことではないように思います。
 不況が長く続いたので、日本人は疲れ切ってしまったのでしょうか。

 私の記憶では、1990年代の後半か2000年ぐらい以降のような気がしています。勤め先の廊下や会議室などで人に会うと、決まり文句のように「お疲れ様です」といわれるので、「ウチの連中はみんな、そんなに疲れているのか」と思って、相手にもよりますが、「疲れていません」などと返事をしたのを覚えています。

 そのうちに「お疲れさま」は「ご苦労様」と同じように、ただの挨拶だと解ってきました。
 ならば、農作業などの肉体作業が終わった時、ほっかぶりを取って、お互い「お疲れ様」と言っていた言葉を軽作業すらないような現代のオフィスで、かくも一般的にも使うのはなぜだろうと不思議でした。

 いろいろ聞いて見ましたら、入社時の接遇研修などで、「ご苦労様」は目下に使う言葉で、「お疲れさま」は目上に使う言葉だと教えたりしていることが分かりました。

 外国人から見れば、過酷な長時間労働で疲れている日本人は、日常の挨拶に「お疲れ様」というのだそうだ、などという事になりそうですが、どうもあんまり誇らしいことではありません。

 「ご苦労様」と「お疲れさま」は同じだと思っている人も多いようですが、全然違うのです。「苦労」というのは仕事の中身の事で、「疲れ」というのはその結果の体の状態です。
 「ご苦労されている」というのは「大変な仕事をしている」ことへの敬意を表すことですが、「疲れていらっしゃる」というのは、その人間の肉体や精神が弱っている状態の事です。

 諺にも「若い時の苦労は買ってでもしろ」というのがありますが、「苦労しても成果が上がり、ヤリ甲斐、自己実現で、ますます元気」というのが理想でしょう。疲れてしまっては、後が続きません。

 言葉は大事です。聖書にも、「初めに言葉ありき。言葉は神なりき。」とありますが、毎日「お疲れさま」ばかり言ったり聞いたりしていると、本気で疲れていると思い込みかねません。

 人に会ったら、「お元気ですか」とか「快調ですか」と挨拶し、社内では「仕事楽しんでますか」などと挨拶する方が、余程気分がいいのではないかと思うのですが。

トヨタ、裁量労働の拡張へ

2017年08月04日 13時31分35秒 | 労働
トヨタ、裁量労働の拡張へ
 政府が「高度プロフェッショナル」制度の導入を考える中で、トヨタが一足先に「裁量労働制の拡張の方向に動き出しました。

 技術職の係長クラス7800人が対象という事で、給与の水準は解りませんが、月45時間の分の残業手当相当分(17万円)を支給して、労働時間管理から外すという事のようです。 
 但し法律がありますから、それ以上の残業をしたら、追加分は払うという事を付け加えていますが、これは本来はオマケでしょう。

 こうした問題は、本来、法律で決めるよりも、労使交渉で、労使の納得ずくで実施していくことが自然だと考えていますが、日本を代表する企業の一つ、トヨタ自動車で、政府の政策に先んじて、新たな働き方を打ち出したことは、大変結構な事と思います。

 もともと経営者、管理者には労働時間制度は適用されません。理由は自分の意志で働いているからでしょう。上司のコントロールで仕事をしている人には「裁量」の余地はありません。拘束される労働には時間管理が必要でしょう。

 トヨタでは対象になる人たちでも、本人が希望しなければ従来通りの働き方で、希望する人には新制度を適用という考え方のようです。
 実はここのところが最も重要なところで、本人の希望と会社の意向が合致して、初めて制度がうまく生きてくることになるはずです。

 人は誰でも、自分のやりたいことをやっている時は楽しく、往々時を忘れます。研究開発などは、苦しい問題を一杯抱えても、その問題の解決、克服が、まさに自己実現というような場合も多いと思われます。

 そういう人には、時間管理などは邪魔でしょう。仕事場に寝袋を持ち込んででもやりたい、そうしてやったから出来たんだ、といった話も沢山あります。
 結局は、本人が仕事に対してどんな意識を持っているかで状況は全く変わってきます。

 さらに企業という場を考えますと、上司の態度が重要です、自主性を損なうような細かい指示をする上司か、「君の思うようにやってみろ」という上司かで、仕事への意欲・態度は大きく変わるでしょう。

 新しいアイデアが結実するまでには「発酵」期間が必要です。この期間は寝ても覚めても家に帰っても、アイデアを追い続けることになります。ニュートン万有引力を発見したのは実験室ではなく公園(作り話だそうですが)でした。

 こうしたものを法律や管理システムで処理しようというのは本来無理なのです。テーマを提示する人、その実現に取り組むエンジニアの組み合せや一体感のようなものが最も大事なはずです。

 法律は最低限の事しか決められません。大事なのは現場の労使関係、人間関係、そして本人の意識と能力でしょう。
 トヨタの場合。適用対象の技術者が、みんな45時間以下の残業で、研究開発の方はどんどん進むという事になれば、ベストの結果でしょうか。

夏休みとライフバランス

2017年07月31日 14時42分51秒 | 労働
夏休みとライフバランス
 明日から8月、夏休みシーズンも真っ盛りに入ります。皆様の企業の夏はどんな具合でしょうか。

 日本では多くのサラリーマンは8月中旬、お盆の際に故郷に帰省して、親兄弟、懐かしい友人たちと祖先や昔の生活を偲んだり、青春時代の思い出を旧友と語り合ったりという習慣がありました。

 それぞれの地方のお盆の夏祭りは、地方で育ち、東京で働く人の多かった集団就職時代から、いろいろな形の「リユニオン(再会)」の色彩の強いものとして、サラリーマンの夏の夢のひと時といったい意味で定着してきた時期もありました。

 しかし時は移り、今は、いわゆるワーク・ライフ・バランス、労働時間の短縮といった法律制度上の問題などという形、年5日有休消化義務論議などを含め、何か人間味の薄いもになりつつあるような感じです。

 確かに、有給休暇の平均取得率が50%を切る日本は特異な国と思われることも多いようで、欧米では「会社が有給休暇を取りにくくしている」と考えている人も多いようです。

 私のサラリーマン時代の経験で言えば、本人が何となく取らないで過ごしてしまうケースと、周囲を気にして取らないケースと、割合で言えば、半々のような感じがしていますが、皆さまの感じはいかがでしょうか。

 本来から言えば、仕事も面白いけど、自分の時間も欲しいからとサラリーマンが自分で適切に判断できるようになるのがベストでしょうが、矢張り日本人は仕事優先志向なのでしょうか。
 
 労使協議で、工場や会社自体を休みにしてしまうというのは、労使にとっては適切な方法でしょうが、これは主にメーカーの場合です。しかしこれも、せいぜい1週間でそれ以上にはなりまぜん。

 もともと「夏」休みというのは、四季がないと成り立たないことですし、3~4週間連続して休むというのはヨーロッパの一部の国の常識(気候風土の関係)であっても、一般的になりうるものではないでしょう。

 日本では、どちらかというと、正月、花見、お盆、紅葉狩りと四季折々の自然を愛でる伝統文化に従って、有給は分散取得の意識が強いようです。春と秋にはゴールデンウィーク、シルバーウィークが対応しています。

 こうした問題で、法律の果たすべき役割は、最低限に規定で、それが守れないような企業の場合、従業員が辞めてしまうか、あるいは、従業員サイドが労使関係という形で、解決できればっそれがベストでしょう。

 そして、そのベースになるのは、従業員一人一人が、自分の1日あるいは1年、さらには自分の生涯時間の中で、どれだけの時間を「ワーキングライフ」にかけ、どれだけの時間を「プライベートライフ」に充てるかのバランス、つまり、自分の人生設計(ライフプラン)の中の時間配分のバランスを確り考えるという事のように思います。

高度プロフェッショナル問題、連合、日本的労使関係

2017年07月26日 10時39分55秒 | 労働
高度プロフェッショナル問題、連合、日本的労使関係
 いわゆる残業ゼロ法案、一口で言えば、高度の専門能力を活用して、他人には出来ないような専門的な仕事をする従業員については、年収1,075万円の以上の場合、残業協定が適用されないという制度の導入について、連合内部が大きく揉めているようです。

 連合の反対で長らく棚晒しのこの法案について、改めて、連合が休日日数、インターバル制度、健康診断などの条件付きで認める意向を政府に伝えて事がきっかけです。
 問題は、連合のその意思決定の際、組織全体の合意をしっかり取り付けていなかったことのようです。

 労働組合組織というのは、最も民主的でなければならない組織の1つでしょうから、トップ批判が出ることは健全なのでしょう。
 報道の様子でも、問題になっているのは、方針の中身より、組織運営の在り方が主要な問題点といった印象を受けます。

 超長期の不況の中で、労組の活動が不可避的に活発さを欠いてきたことは否めません。こうした問題をきっかけに、連合内の活発な論議が復活してくることは、問題の中身は兎も角、ある意味では必ずしも悪いことではないという見方もできるのではないでしょうか。

 勿論、組織運営の問題は連合としては、最大の課題でしょう。しかしその問題と同時に、当然「高プロ」問題への取り組みの在り方が論議されなければならないでしょう。
 そしてそれは当然に、経営サイドを巻き込み、政府を巻き込んだ「政労使」の本格的な話し合いに発展していくことが考えられます。

 いわゆる「失われた30年」の中で、経営は非正規雇用の増加を中心にコストカット注力の経営に走り、労働サイドも深刻な環境の中で適切な対抗手段を持ちえず、春闘は終焉、日本的労使関係は死んだ、などといわれてきた中で、日本経済の回復基調とともに、改めて真剣で健全な労使関係の復活が、「高プロ」問題をきっかけに進むとすれば、今回の問題は決して無駄ではなかったという事にもなりうるのではないでしょうか。

 労働条件の問題は、政府の専管事項ではありません。本来は労使関係という土俵で、労使が専管して論議するべきものです。その結果が法律になるというのが物の順序でしょう。
 労使が声を挙げず、現実にも現場にも理解の浅い政府が主導すべき問題ではないはずです。

 連合内部の問題はいろいろあるでしょう。しかし、岡目八目かもしれませんが、傍らから見ていると、何とかこうした問題をきっかけにしてでも、活発で積極的、新たな日本経済社会を作るために、産業と人間に関わる問題については、労使関係、労使が主役という、あるべき状態に近づくことが出来れば、日本はもっと良くなると考えているところです。

高度プロフェッショナル制度、連合の思いは?

2017年07月14日 12時17分45秒 | 労働
高度プロフェッショナル制度、連合の思いは?
 朝日新聞がスクープしたこの問題が、今日は広くマスコミで取り上げられています。連合が、高度プロフェッショナル制度は認めるが、休日日数、インターバル制度、健康診断などの適切な保護条項を提言したものです。
 率直な感想が、「連合は良く思い切って踏み込んだな。その思いは何だろう。」という所でしょうか。

 この問題については かつても論じましたが、対象はごく少数の人たちで、法律で決めるほどの問題ではない、労使で話し合えば十分との考えでした。

 年収1075万円以上、非管理職、高度の専門性を有するという人たちがどのくらいいるのでしょうか。仕事のプロは、成果主義賃金がいいからという事のようですが、日本の正規従業員には成果主義は似合わない制度です。これは保険のセールス職の例を見れば明らかでしょう。これは、かつての日経連の雇用ポートフォリオによれば、高度専門能力活用型で、期間契約・年俸制の世界の話でしょう。

 政府は欧米型の職務給+成果主義がいいと信じているようですが、これは「角を矯めて牛を殺す」の類です。 日本はやはり職務中心ではなく「人間が企業の中心」なのです
 一方企業(現実には大企業の話でしょう)では、今の非正規多用のように、正社員採用の一般専門職レベルまで、この制度を広げたいのでしょうか。そうでなければ、対象の範囲は限られ、個別の対応策はいくらでもあるはずです。

 一方連合の思い何なのでしょうか。安倍政権が支持率低下に焦りを感じ、絶対多数のうちに何でも強行採決でといった恐れを感じての事でしょうか。そのためにまずは最低限の歯止めが必要と感じたのでしょうか。
さらに推測を進めれば、忘れられかけている伝統的な日本的労使関係の再建を目指し、政府、経団連を、嘗ての「政労使の緊密な話し合いの場」に引き出そうという狙いでしょうか。

 突如とした連合の行動に、政府、経営サイド共に驚くと同時に強い関心を示しているようです。
 一方、連合内部にも、驚きと困惑、反対の声があるようです。これは多少心配ですし、また本来理解し合うべき民進党ともギクシャクのようです。

 安倍首相は、経団連も入れ、政労使三者で話し合うつもりのようです。その場で連合の思いも何か見えてくるのかもしれません。そこでは、政労使三者が、是非腹を割った真剣な論議をしてほしいと思います。

 政府は労使の自主性を尊重し、経営は従業員を大切にすることが産業・企業の発展の根幹という日本的経営の原点を自覚し、連合は現場の労使関係・労務管理の現状を産業・企業の最重要なステークホルダーとして、徹底して発言するといった、三者構成の意義を体現するような論議が期待されます。
 連合の「思い」は、そして果たそうとする役割への意識は奈辺にあるのでしょうか。

「同一労働・同一賃金」と格差問題

2017年07月08日 13時03分36秒 | 労働
「同一労働・同一賃金」と格差問題
 前回指摘しました非正規労働の異常なまでの拡大は、いろいろな形で日本の格差社会化に、深刻な影響を齎しています。

 格差は所得だけではありません、就職氷河期に学業を終えた世代では、新卒定期採用の門が狭く、とりあえず非正規という方が増えました。その結果は、所得格差だけはなく、社会人として、企業人としての教育訓練格差、その結果のキャリア選択上の格差、生活が不安定で結婚できないといった問題、所得格差の長期化の結果の 保有貯蓄額の異常な格差、さらには子供の貧困率の上昇、などなどに拡大しています。

 これに対して、現政権は「働き方改革」の中で「同一労働・同一賃金」を中心概念に置いているようです。
 しかしそこには大きな認識不足があるように思われます。

 同一労働・同一賃金のガイドラインなどで見ると、正規と非正規で同じ仕事をしていたら、同じ賃金を支払うのが当然と考えているようです。
 然しこれは、日本の雇用制度の在り方から見れば、決定的な認識不足によるものという事になるでしょう。

 端的に言えば、正規社員の賃金は「新入社員から定年まで」の長期の雇用を前提とした賃金制度や賃金協定によって決まっています。人事ローテーションもあります。不慣れな仕事についても賃金は変わりません。属人給ですから正社員の賃金は往々仕事と見合っていません。
 
 一方非正規社員は、その時点で、特定の仕事をするために雇用されています。これは欧米流の「その職務をする人を採用する」のと同じです。そしてその賃金は仕事別で、通常地域のマーケットによって決まるのです。

 この2つ、全く違った決定基準を持つ賃金を、偶々、今同じ仕事をしているからその時点で同じにすべしと言ってもそれは不可能でしょう。
 
  もともと非正規社員というのは、正社員のように会社に献身するのではなく、働きたい時だけ、自分のできる仕事をしようという人たち、学生アルバイト、主婦パート、定年再雇用者などだったはずです。

 なのに、長期不況の中で、企業は苦し紛れに正規で働きたい人まで、安い非正規の賃金で雇用したというのが、格差社会をもたらした原因なのです。
 今本当に必要なことは、非正規で働く人は全て、本人が非正規を選んでいる人という本来の状態に戻すことでしょう。いわゆる不本意非正規をなくすることが本当の問題解決策で、これは「賃金問題」ではなく「雇用問題」なのです。

 現政権の掲げる「同一労働・同一賃金」は、日本の雇用の在り方についての基本的な認識不足からきていることを、産業界から、労使双方が声を上げて、特に経営サイドは、「人間中心」という本来の日本的経営に思いをいたし、問題の根本解決に向けた動きを展開すべき時と考えています。

労働時間問題を少し深掘りすれば-4

2017年06月13日 10時20分31秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-4
 このシリーズの最後に、少し、労働時間問題に関する、いわゆる日本的な側面の問題点を考えておきたいと思います。

 長時間労働→過労死の問題は、労災保険などでは特に脳・心臓疾患として捉えられていましたが、これは本人と企業の健康管理が中心で、適切な健康診断によってかなり防げるのではないでしょうか。

 より深刻な問題として最近注目されるのが「過労自殺」です。仕事や人生に行き詰まりを感じ、自死するといったケースは、古くは、アメリカアの作家、アーサー・ミラーの「セールスマンの死」でも取り上げられ大きな幅広い反響を呼びましたが、今の日本の過労自殺は、これとは少しく違うように思われます。

 通常では、元気で仕事をこなしているだろうと思われるような人が、仕事の悩みからうつ病などの精神疾患に苦しみ、果てに自死、という結果になるのです。
 メンタルヘルス問題が言われるようになり、企業でうつ病が目立つようになって、言われたのが、「うつ病の前兆は『朝起きて会社に行きたくない』と考えるようになった時」といった経験や解説です。

 過労自殺は、体の不調、うつ病と進み、人間として行き詰まるところまでいった挙句に起きるのでしょう。そして、そのはじまりは「会社に行きたくない」・・・・・。
 これは学校で見られる「いじめ」の「学校に行きたくない」と酷似しています。これを労働時間だけの問題として取り扱うのは、どうも不適切のようです。
 「残業月100時間で過労死なんてありえない」と言って非難された評論家もいましたが、楽しい仕事で残業100時間なら私も自殺はしないでしょう。

 社会人の場合の「いじめ」は、最近の言葉でいえば「ハラスメント」でしょう。セクハラの場合は「受けたものがセクハラと感じたら、即犯罪」という意識が徹底していますが、パワーハラスメントの方は、「厳しく育てようとしただけなのに」などの言い訳も成り立ちます。

 この辺りで、日本的なものが出て来ます。日本では「就職」でなく「就社」だと言われますように、企業に正規採用されることは、「人間として」その企業のメンバーとして認められることです。そこで、上司に「お前はダメだ」と否定されることは、日本人にとっては、時に人格否定、人間否定のように受け取られます。特に仕事熱心で真面目な若い社員にそういう場合が多いようです。

 かつて日本の管理職は、部下の面倒を見る教育を受け、あるいは企業文化、会社の雰囲気の中で、そういう感覚を身に着けていたのではないでしょうか。企業で一番大事なのは「人」は日本企業の常識でした。

 人間性豊かな日本的人事管理が、長期不況の中で失われ、人員削減の一般化、非正規社員の著増、仕事・利益優先といった企業風土を生み、一方、真面目な社員ほど、日本的な企業観を持っているのが現状です。このギャップが問題の根源にあるようです。

 日本の経営管理者が、もう一度、日本の企業と社員の人間中心で濃密な関係に思いを致し、法律だけでは実現出来ない大切な「人間を生かす経営管理」という重要な役割を改めて確りと果たしていただきたいと思う所です。
 それが 企業の長期安定成長のベースでしょう。

労働時間問題を少し深掘りすれば-3

2017年06月12日 09時50分22秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-3
 前回、労働時間問題を考えるための1つの基準として
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という分類をしてみました。

 最近世界的にも論議の的である ワーク・ライフ バランスなどで論議されるのは、通常こうした前提という事になるのでしょう。
 確かに労働時間法制という立場からすればそうかもしれませんが、現実の労働時間問題というものにはもう1つ「人間的な側面」があるという事が絡んできます。

 それは、「拘束時間、他者支配の時間」の中でも、他者支配意識に濃淡があり、また「自由時間、自己裁量の時間」の中にも自己裁量意識(あるいは意欲)に濃淡があるのが普通だからです。

 例えば、青色発光ダイオードを世界で初めて出現させた中村修二氏は、「会社に寝袋を持ち込んで、24時間体制で実験に没頭していた」そうですが、中村さんご本人には「労働時間」などという意識はなく、「午後5時退社」などは迷惑至極の制度だったでしょう。
 仕事に対する意識が高く、自らの裁量で仕事が出来れば、人間は、意識も行動も変わります。

 労働基準法でも、経営者や管理職には週40時間の規定は適用されず、残業代も付かないのは「経営者や管理者の労働時間は自己裁量の時間」と考えられているからでしょう。
 専門職などでも同じような立場の人はホワイトカラー・エグゼンプションとするというのは同じ思想でしょう。

 しかし今の日本で、これに反対が強いのは、「本当は自己裁量でない人」にも適用される可能性が大きいからでしょう。
 現に職制では管理職でも、自己裁量のできない現実の中でkaroshiにまで至る(労災認定)例もあるようです。(そういえば「名ばかり管理職」などいう言葉もありました)

 一方、拘束時間の中で自己裁量が可能というケースも、勿論あります。本来これは個々人の能力を伸ばす良いシステムのはずですが、時には悪用されます。「遅出で残業」とか、「うすのろの残業」などと揶揄されるような場合です。

 長期不況の中で、こうした「古き良き慣習?」は無くなったようですが、ことほど左様に、法律で縛りきれない世界が「労働時間問題」のようです。

 労働時間法制は労働基準法の中ですから、本来、労働の最低基準を決めるものです。ですから、どんな人にも働くことによって、人間の健康や生命、尊厳が維持されないといったことがないようなものでなければならないでしょう。

 しかしそうした法制は、健全な人事労務管理や労使関係によってはじめて現実のものになるのです。
 かつての様に、企業は「人間中心」「長期的視点」で、雇用管理、人事労務管理こそが企業の最大の課題と考え、.労使関係は世界に誇る信頼関係といった日本経済が健全だった時代の産業社会の文化の復元が、法律制度に増して大きな課題のように思われます。

労働時間問題を少し深掘りすれば-2

2017年06月10日 12時00分37秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-2
 ご存知の「A.マズローの欲求5段階」の生存欲求の段階で見れば、人間は生きるために、採集か狩猟や栽培・収穫などの労働をしなければ、生存できないという事で、労働の時間と、その成果で生活する時間の2種類の生活を生きているとも言えるでしょう。

 こうした考え方は、現代の企業社会、労働基準法によって律せられる社会でも基本的には同じだという事も出来るのでしょう。

 法的側面から言えば、労働時間は労働をするために拘束されている時間で、経済的側面から言えば、その時間については労働の対価として賃金(生活のための所得)が得られるという形になります。

 人間生活が、基本的には地球環境の中での自然に支配されていると考えれば、生活の単位は1日、つまり24時間で、これを単位にして、その中で、労働の時間と、生活の時間が分けられることになります。

 そして、人間は所得によって生計を賄うのですから、通常、労働の時間が長ければ、所得が多くなり、生活時間の内容が充実するという事になります。
 本人1人の労働と生活の場合はその通りですが、家族がいれば、事情は少し変わって、所帯主が長時間働いて、本人以外の家族の生活を充実させるという考え方も出てくるでしょう。

 「俺の働きで家族に楽をさせる」(端を楽にする=働く)という、犠牲的精神、自負心も一概には否定できないケースも出てくるでしょう。
 しかし、こうした家族は少なくなって、成人したら、それぞれに働く時間と生活の時間を持ち、家族の中でそれを調整したりしながら、「ワーク・ライフバランス」を考えるというのが一般的なスタイルになってきたのが今日です。 
 こうして、労働時間は個人単位に分解され、
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という形で「労働時間と生活時間」両者のバランスをどうとるかという「 ワーク・ライフバランス」が論じられることになっています。

 勿論これは今日世界的な議論です。しかし、これだけではどうしても、割り切れない部分が、特に日本では、労働時間問題に付きまといます。
 それは「労働」と「生活」といった「二分法」で割り切れないのが現実の人間の生活態度であり、人間の心の在り方だからでしょう。

 勿論労働時間法制だけで、この問題が解決できることはないでしょう。解決のためには、現場の労使を含め、広く労使関係全体の中で、人間同士のふれあいと話し合いの中で育つ社会文化、企業文化があってこそ本当の解決が期待できるのでしょう。
 次回はもう少し具体的な問題も考えてみましょう。

労働時間問題を少し深掘りすれば

2017年06月09日 15時33分45秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば
 安倍政権の「働き方改革」の第一の問題、労働時間の短縮には、基本的に大賛成です。
 ILO(国際労働機関)の第1号条約は労働時間ついての条約で、100年近く前の1919年に採択されたものですが、週48時間を規定しています。

 いろいろな事情はあるようですが、この条約を日本は、今に至る批准していません。基本的には、今の日本の労働時間法制が、これに抵触するから出来ないという事なのでしょう。
 
 世界の最先進国の1つである日本が第1号条約を批准できないというのは情けないことです。
 確かに、労働を基本的に苦役とする欧米文化と、働くことは善とする日本文化の違いはあるでしょう。
 しかしkaroshi (過労死) などと言うローマ字で世界に有名なるようなことが起きる場合は、いくら日本人でも労働はまさに苦役でしょう。

 以前ILOで「ミスター労働時間」と言われた人が、いつも、「労働時間問題は深入りすると大変だよ」と言っていたという話を聞いたことがありますが、労働時間問題にかかわる方たちでも、実感されることが多いと思います。

 よく言われるように、労働時間短縮を言う担当省庁のお役人は勿論、時短を要求している労働組合の幹部まで、本人が長時間労働をしているという現実は、今でもあまり変わらないようです。

 なぜこんなことになるのでしょうか。
 答えは「労働」というもの「そのもの」の中にあるように思います。労働というのはまさに「労働基準法」の様に法律で使われる言葉ですが、日本語で言えば、同じことが「働く」とか、今ではあまり使われないのかもしれませんが「勤労」などと言われ、「働く」は「端を楽にする」ことだなどと、人間としての高度な活動に位置付けられています。

 プロテスタントは「働くことは神に嘉されること」と言い、欧米でも寝る間も惜しんで研究や開発に没頭する人は結構いるようです。
 宗教を問わず、基本的に人間である限り、共通な側面を持っているのでしょう。

 人間にとって、必要で、大事でもある「労働」ですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で行き過ぎると人間を破滅に導くことも現実で、これを法律で何とかしようというのが、今の「働き方改革」の考え方でしょう。

 ならば、この問題をもう少し深掘りして、納得できる労働の在り方というのはどんなものなのか考えてみるのは如何でしょうか。(以下次回)

若年層の失業率の国際比較

2017年06月05日 13時06分07秒 | 労働
若年層の失業率の国際比較
 6月に入って、就職戦線は、試験、面接が解禁となり、いよいよ活発化しているようです。
 ただしこれは経団連傘下の主要企業の話で、一般の企業ではすでに選考も済み、内定を出しているところも沢山あるのでしょう。

 何にしても、就職氷河期から売り手市場に変わって、新卒者も親御さんたちも、本当によかったなと実感しておられるのではないでしょうか。

 未だ経済成長率はそれほどでもありませんが、企業の求人意欲は強く、日本企業の「良い人を早くとって、将来に企業の発展に備えよう」という意欲の強さを示しています。

 ところで、この就職戦線の活況は、実はまことに日本的なもので、今、安倍政権が目指す、働き方改革が「本当に」推進されれば、消え去る可能性があるということ、ご承知の方はどのくらいおられるのでしょうか。

 日本の採用は、就職でなく「就社」と以前から言われ、何か欧米に比べると遅れているように見られたりしていますが、「就活」の活況はまさにそのせいなのです。
 日本のように、職能や専門性よりも、「良い人材」を採用するという考え方は、欧米ではあまり見られません。

 欧米では、仕事があって人がいない「空席(vacancy)」がある時、その仕事に適して人を逐次、採用するのが一般的です。「学校を卒業するから今のうちに」などと、やる仕事が決まっていない人間を「一括して採用する」などは無駄なことと考えます。

 欧米は「仕事中心」、日本は「人間中心」などといわれますが、仕事中心になるとどんな結果になるかを示す指標の一つに「若年者失業率」があります。

 OECDが発表している若年者(15-24歳)の失業率をみますと(2015年)、
 日本(最低)  5.2%、
ドイツ     7.0%
アメリカ    10.4%、 
オランダ    10.8%、
ノールウェイ  11.1%、
デンマーク   12%、
スエーデン   18.8%、
フィンランド  19.9%
イタリア    37.8%、
スペイン    44.5%  などとなっています。

 ヨーロッパ諸国では昔から若年層失業が大問題でしたが、私は半分冗談、半分真面目で、「年功賃金と新卒一括採用を導入すれば問題は解消しますよ」などと言ってきました。

 今の人間中心の日本的経営から、仕事中心の欧米流に変えよう、そして短期的な均等待遇、同一労働・同一賃金を徹底しようという考え方は、雇用だけでなくこうした社会文化的なものにも変化をもたらす可能性を持っているのです。 

 私自身は、かつての 職務給や成果主義の導入と同じように、同一労働・同一賃金も日本企業の手で換骨奪胎され、日本的経営の「人間中心」は残るだろうと思っていますが、今回は「法制度」で縛りがかかります。

 実態や本質を知らない政治家や役人が頭の中で考えたものを鵜呑みにすることは、まさか日本企業ではないと思ますが、矢張りなんとなく心配でもありあります。

欧米流人事賃金制度導入の歴史と「働き方改革」

2017年05月27日 11時40分34秒 | 労働
欧米流人事賃金制度導入の歴史と「働き方改革」
 働き方改革の2本柱は労働時間短縮と同一労働・同一賃金ということですが、同一労働・同一賃金に関係する賃金制度・体系についての日本の経験を振り返ってみましょう。

 この問題は、日本的な正社員制度の中の賃金と、欧米流の雇用制度の中の賃金制度の相克として論じられ、現実に導入されたりしてきた歴史を持っています。

 結論から先に言ってしまいますと、日本の中にも欧米流の人事賃金制度で運用されている部分がかなり広く存在します。それは「非正規従業員」の世界です。
 非正規従業員にも、パート・アルバイトから、契約社員、派遣社員、嘱託、顧問などいろいろありますが、こうした人たちの賃金は、全く欧米と同じで、基本はマーケットの相場です。評価制度もあって、いわゆる Job&performance の原則で決まります。

 つまり、非正規従業員の賃金は、もともと同一労働・同一賃金の原則で出来上がっていて、欧米と同じなのです。
 ですから、欧米流の同一労働・同一賃金を貫徹させるためには、従業員をずべて非正規従業員にすれば、即座に完成です。

 今の日本流の正社員制度の中で同一労働・同一賃金を貫徹することは不可能です。正社員同士でもそうですし、まして正規と非正規の間では「理論的に」成り立たないのです。

 欧米流の賃金制度導入の動きは戦後からありました。「職務給」の導入論は終戦直後から存在し、当時の労働問題専管団体の日経連は、その主唱者でした。
 真面目な日本企業は、職務給導入を真剣に検討したようです。しかし最終的には、賃金体系の一部に職務関連部分を設け、職務給を(部分的に)導入することで済ませ、最終的には職能資格給が一般的になりました。

 もう1つは、数年前までの円高不況の中で、「成果給」を導入しようという動きでした。成果給は賃金制度の発展の中で「出来高給」として存在したものですが、個人間の競争心をあおり、協調を壊すということで、欧米でも賃金の一部に導入(評価制度)が一般的です。
 日本でも、近年の話ですからご記憶の方も多いかと思いますが、一時盛り上がりすぐに消えました。企業の業績が毎年下がる時に「成果給」と言えば、賃金は下がるばかり、などと揶揄されました。

 欧米にない新卒一括採用という優れた雇用方式(若年層失業率が著しく低い日本です)で、「職務にあった技能を採用」するのではなく、「企業に合った人間を採用する」日本の雇用システムの中では、若い従業員は「1年先輩より低い賃金で当然」と考えているわけで、「同一労働・同一賃金」は貫徹しなくて当然なのです。
 基底には、「その人間の生涯の貢献に見合った処遇(含賃金)」という、従業員を人間として採用する(能力・技能は企業が仕込む)という日本独特の「企業と従業員の関係」があるのです。

増加に転じるか、農業人口

2017年05月25日 11時25分04秒 | 労働
増加に転じるか、農業人口



 皆様ご承知のように、日本の農林業人口は減り続けてきました。高度成長の始まった1960年代のはじめ、 労働力調査によれば、農林業の就業者は1300万人近くいたのですが、その後、日本経済のなかで製造業が急速に発展し、更に流通業サービス業などの第三次産業の拡大という経済成長の趨勢の中で、減少の一途をたどり、バブル崩壊の1991年には390万人を切ることになりました。

 その後日本経済の長期不振、いわゆる「失われた20数年」を経て、さらに減り続け、いまは200万人を切る水準です。
 折しもトランプ政権の誕生で、アメリカはTPPを放り出して、今後は日米自由貿易協定を迫る姿勢です。USUR代表に決まったライトハイザー氏も日本の農業分野をターゲットにしていると言っているそうです。

  食糧自給率39%(オリジナルカロリーベース)の日本で農業関係者の心配は尽きませんが、こうした問題を解決するには、長い目で見れば、やはり日本の農業の国際競争力強化が必須です。
 そんなことを言っても、アメリカの巨大農場と競争して勝てるのか、ということにもなりますが、先日発表されたこの3月の労働力調査で、何か新しい動きが出てきたことの兆しではないかと思われるような数字の動きがみられます。

 上の図は総務省の労働力調査の、この1年半ほどの動きをグラフにしたもので、青い柱は、就業者、茶色の柱が雇用者の動きす。示したのは前年の同じ月に比べて、それぞれ増えたか減ったかで、単位は万人です。
 
 農業の就業者は、もともと自営業主と家族従業者が中心ですから、青い柱がほとんどマイナスになっているのは、一目して解りますように、離農、後継者不足で減少する農林業就業者の動きを示していると思われます。2016年の10月、11月に見られる増加は、前年の10月11月が異常に減少、その後回復したことの反映です。その後,その後就業者はまた減少に転じましたが、今年の2月3月にかけて3~4万人の増加になって、います。

 一方、雇用者の方は、何となく増加基調を続けています。「自営業主・家族従業者+雇用者=就業者」ですから、この2月、3月について見れば、雇用者の増加が農林業従事者数の増加を引っ張ているという動きになっていることが解ります。

 雇用者というは、平たく言えば、企業の従業員ですから、この動きは、家族経営の農業従事者は減少傾向ですが、農林業、特に農業の会社化(法人化)が進み、農林業の就業者が雇用者増という形で増加するという傾向が出ているということではないでしょうか。

 農業はもう第1次産業ではなく、工場生産(第2次産業)や流通サービス(第3次産業)もひっくるめた第6次産業だ、などといわれて久しいのですが、それを実現する主たる担い手は、家族経営ではなく「農業企業」でしょう。

 これからの日本の農林業は、高付加価値農林業を目指すのが必然的な流れでしょう。そうした傾向が、就業構造の統計に表れ始めた、と言っては早合点に過ぎるとのご意見もありましょうが、そう思いたいな、日本の農業は、既にその方向に向かっていることの表れであってくれればいいなと思いつつ、統計数字を眺めた次第です。


  

政府主導の「働き方改革」を越えて

2017年05月22日 17時48分50秒 | 労働
政府主導の「働き方改革」を越えて
 現政権は、これからも働き方改革を進めようとするでしょう。この働き方改革には大きく2つの側面があるように思われます。

その1つは、労働期間の短縮でしょう。この関連では話はある程度、労使間でも煮詰まっているようですし、これからの日本人にとって、これまでのような長時間労働は見直されて当然と私も思っています。

 もう1つは、同一労働・同一賃金に代表される人事・賃金制度の問題でしょう。この問題は、日本の伝統文化、日本的な文化社会の在り方と密接にかかわる問題で、何もわからずに欧米流を善しとする現政権の政策は多分換骨奪胎されるでしょう。

 今後、本格的に進められることになる、この「働き方改革」については、これまでも書いてきていますが、何よりも、働く現場の当事者である「日本の労使」が、本気で取り組まなければならない問題だと考えています。

 政権に出来ることは、結局は法律を作ることだけです。その法律に「仏作って魂入れず」ではありませんが、魂を入れるのは産業活動を担う現場の労使でしょう。
 であってみれば、法律を作る段階から、労使が、あるべき理想の形を協力して探り、その姿に見合う形での法律を作り上げる努力をすべきでしょう。

 働き方改革の主人公は、政府ではありません、仕事の現場を担当する労使こそが主人公ですし、現実に労使の知恵と熱意がなければ、良いものが出来るはずはありません。

 春闘は景気回復の中で、何とか復活してきたようです。かつて秋闘と言われた、労使の「政策制度問題」の討議の復活が必要な時期が来たようです。

 働くのは人間です。当事者は労使です。「失われた20年」の中で影が薄くなった日本的労使関係ですが、いよいよ新たな出番の時期が来たと思っています。
 
 日本産業の一層の高度化、さらなる生産性の向上、再び「ジャパンアズナンバーワン」と言われるような日本経済の発展のためのベースとなるのは、矢張り法律ではなく、日本の労使の知恵だと考えています。

 労使の代表である「連合」と「経団連」さらに、産業別、地域別組織、そして最も重要な企業レベルの労使関係の活性化が、日本経済の発展のために求められていのではないでしょうか。