隅田川の花火
7月の最終土曜日は、毎年恒例の大川の花火大会なり
享保18年(1733年)、時の将軍吉宗が、飢餓による大勢の餓死者の慰霊と、疫病の退散を願い水神祭を行った。その際、両国橋周辺の料理屋が嘆願し、公許を得て実現したのが、両国の川開きの始まりと伝わる。
5尺玉の禁止に続いて、昭和37年に交通事情によりこれが一旦停止になる。伝統が途切れ、きっと下町の人々も淋しかったろう。
おいらが小学生の時、 待望の花火が隅田川花火と改め、復活する。
それから36年、毎年欠かさずに観てきた。友人、知人、家族、その他大勢。たくさんの想い出をのせた灯篭が橋の下を流れていった。
それにしても、昨今の天候不順、世界的な気候変動、東京はTOKYOとなり、亜熱帯と化し、ゲリラ豪雨と呼ぶスコールが灼熱の太陽の下、襲ってくる時代となった。
36年目にして、初めての中止は残念なことではあるが、自然には逆らえない。これは、3.11を経た日本人には周知の事実になった。
人間なんてちっぽけで、些少な存在。でも、その人間の及ぼす大地への反逆は夥しい災禍との危うい均衡を作っている。
足立の花火
「過ぎし日の切なさ香る夏の花」 海光
隅田川の前週に行われた、足立の花火。
汐入の芝生から、のんびりと眺めたこの夏の華を締めに飾る。
暦の立秋は、旧暦ならではの感覚。
残暑見舞いとは名ばかり、新暦の夏はまだまだ続くのだ。
心の残る、大切な人との思い出をどうか!
昨日サッカーの練習中、長男の仲間が熱中症で倒れ、救急車で搬送。
皆さん、ご自愛のほどを