【燃え盛る民の願いに秋の水】哲露
久しぶりに手塚治虫を手に取った。
名作[火の鳥]黎明編と未来編を続けて読む。
卑弥呼の時代、遠い未来の話し、どちらも戦が描かれている。
種族、血縁、友人、同僚の争いが繰り返されていく。
何世紀、何万年と連綿としてヒトの生命が紡がれる。
不老不死の血を手に入れるため、ヒトは火の鳥を射止めようとする。
だが、不老不死ゆえ火の鳥は何者にも血を与えはしない。
火の鳥は死と再生を繰り返しながらただそれを見守るだけだ。
たった一発で町ごと吹き飛ばす爆弾。
目に見えない放射能の恐怖。
そんな人類滅亡の兵器を持ってしまったのに、いまだ権力は兵器を増やすことに熱心だ。
澤地久枝[火はわが胸中にあり]を読んでいる
西南戦争後の近衛兵士の叛乱を、綿密な取材と丹念な筆で書き留めている。
この竹橋事件は時の権力が隠したいことだったのだろう。
歴史の教科書にも載っていないこの事件に、若者やこの時代に翻弄された貧民たちから教わることは多い。
先週は国会議事堂を取り囲むほどの民衆デモが起こった。
国会へ出る東西南北の駅では警官が国会へ近づけまいと誘導を繰り返した。
一歩、地上に出ると、国会正面に繋がる歩道を封鎖してやはり近づけまいとした。
それでも、民衆が溢れ出すシーンに、欧米の革命を見たような高ぶりを憶えた。
翌日の報道ぶりを見ると、いつかこのデモですら歴史に埋もれてしまうかもしれないと思う。
それでも、ヒトの記憶、DNAに刻まれたモノは消すことはできない。
それを口伝で、小説という形で残すことが先人の知恵だ。
恵比寿なゝ樹
大塚三業地小倉庵
なゝ樹の手打ち、小倉庵の田舎と生粉打ちの相盛り。
外回りの楽しみは、伝統の蕎麦を噛むことにある。
この蕎麦切りもそばがきから始まった先人の食文化だ。
ヒトの争いの連鎖を、手塚は決して止まないヒトの愚かさと見抜いていた。
一方、生きる縁となる、こうした食こそヒトの力の象徴でもある。
あさのあつこ[ゆらやみ]を読み始めた。
相変わらず硬質な文体に、時代考証に根ざした重みが物語を太くしている。
石見銀山の衰退と、幕末から維新にかけての時代の変遷の描き方が鮮やかだ。
そして、男と女、子供、連綿と続くヒトの営みが克明に照射され、心の奥底に潜む気高さと小狡さが抉り出されている。
たけくらべのような、切ない余韻がのこる。
物語は中盤に差し掛かる。先が楽しみだ。
日本橋から東京駅と再開発が進む。
この赤レンガが残ってホッとした。
北関東から運ばれたこの赤い煉瓦も、また歴史の一面である。
この広場で、TOKYO STATHIONを臨み、手を空へ広げてみる。
ヒトは本来、自由な生き物なんだ。
日常に縛られる日々だが、たまには空を見上げる余裕が欲しい。
蝉が最後の咆哮を上げている。
夏がもうすぐ去る。
新しい夏に僕は向かう