揚子江菜館の冷やし担々麺
外回りに戻ってからおよそ三ヶ月
目まぐるしい日々のなかで、凄まじい勢いでたくさんの恩人、知人に逢っている。
神保町は本の町でもあるが、出版社の町でもある。
伝統と格式では群を抜く、広辞苑の版元、岩波書店。
本屋を開く際にはここの文庫を仕入れないと読者に認めてもらえないという時代があった。
しかも全品買い取りと強気の商売ができたのだ。
そう言わずもがな、イワナミの赤本、青本だ。
その岩波に務める先輩と久しぶりに逢った。
懐かしの揚子江菜館(http://www.yosuko.com)へ。
ここは昭和8年に、冷やし中華を考案したことで知られる名店。
かつて、仕事に苦悶し、転職に悩んだ時にこの店で、的確で優しい言葉をかけてもらい、落ち込んだ心に活力をもらった。
大兄と逢うのはじつに久しぶりだが、時折交わすメールには知識と経験に裏付けされた、品性と教養が溢れている。
人生の岐路に、彼がいてくれた。
私の描く稚拙な物語に、客観と親身でもって勇気をくれる。
これほど心強いことはない。
この日、私は冷やし担々麺を頼んだ。
右の小さい皿の、よく練られた上質のゴマだれをかける。
上品なコシに、美しく盛られた麺が、酢を利かせた醤油にのる。
白ごまの濃厚の極みをかけていくのは快感ですらある。
上海式肉焼きそば
大兄は上海式焼きそばを発注。
かの池波正太郎が愛した肉焼きそばだ。
池波はこのそばを食いながら、なにを考えていたのだろう。
生麺を茹で、鉄鍋で焼き焦がした麺に、たっぷりの豚肉とシャキシャキのもやしをのせる。
キクラゲの大きさと量も遠慮ない。
職人の丁寧な仕事は、伝統工芸に限らず、惚れ惚れとするね。
これに、ボリュームのあるシュウマイがつく。
ちょいと豪奢だが、古書の町で至福の中華が味わえる。
実際、いつ来ても旨い。
もう少し暑くなったら、定番の五色涼拌麺を食べにこようと思う。
大切なヒトとのプチ贅沢なランチにオススメの店だ。
コーヒーは編集者が集うさぼーるがミーハーに混んでいるので、その先の地下のブラジルへ。
ここの神田ブレンドはどこまでも濃く、苦いオトナの味。
お互いの家族のこと、仕事のこと、会わないでいた空白の時間を埋めるのに話しが尽きない。
この古書の町が消えるのではないか?
先輩がそう危惧するのも無理はない。
誰もが知る大版元の二社が一帯の土地を買い漁っているという。
700坪の岩波書店も狙われている。
銭、金が幅を利かせる世ほど貧しい文化はない。
財閥解体、戦争放棄はいずこへ。
やはり歴史を学ぶことこそ、人類の進化の現れだ。
今日の選挙の投票に、民度が試される。さて、如何に。
結果は見えているなんて、野暮はなし。
新聞の折り込みを読んで、自らの意志を投じよう。
蝦夷地別件
著:船戸与一
【船戸与一のこと】
山のサークルの仲間から薦められた船戸与一を読んでいる。
18世紀末、蝦夷と和人(日本人)の戦いを軸に、エカテリーナ二世の支配するロシアとポーランドの紛争も絡む分厚いエンターテイメント。
土地と権益を巡る松前藩の暴力と搾取、差別と陵辱にはページを閉じたくなるほどだが、誇り高いアイヌの民族が団結して起つくだりになるともはや紙を捲る手が止まらない。
横暴な和人に立ち向かい、かつて同胞を率い蜂起を促した英雄ツキノエ。
その血統を受け継ぐ孫のハルナフリは、酒とタバコの魔力に冒され、傷つき、尊厳すら忘れてしまった同胞たちを救い、英雄譚を歌うことができるのか。
私も物書きの端くれ。
船戸氏が行った綿密な取材と、彼の机回りに散らばった膨大な資料が目の前に浮かぶ。
【蝦夷地別件】はただいま332ページ目。
明日、出張で京都へ向かう。車窓から富士を眺めつつ、極上の時代物を愉しみたい。
船戸与一氏の早出を惜しむ。
彼の類いまれな才能と身を削った研鑽に、合掌。
【プライドを一皮むいて空の鯉】哲露
【春の研究会】
そして、昨日はお昼から中野で同人【季節風】の勉強会。
今年の春の研究会は、紙数制限5枚の小説が題材。
作者を伏せた覆面合評は、辛辣で刺激的で、遠慮会釈ない言葉の応酬。
作者が名乗り出たときの、どよめきと発言者の対応の変化も興味深かった。
だから思う。
作品が届き、すべてを一読したあとに感じた徒労と落胆は傲慢でしかなかった。
様々な成功と失敗、厚情と裏切りを繰り返し、いつしか謙虚でいることの大切さを学び、強く望むようになった。
それでも、私という人格は日々を突き進むなかで、活力を得る一方、幼稚な自尊も持ってしまうらしい。
ジェイン、オースティンの名作【PRIDE AND PREJUDICE(高慢と偏見)】を想う。
こちらも18世紀末のイギリスが舞台。
20代に買った河出文庫は、30代で風呂に浸かり繰り返し読んだせいで、クタクタになってしまった。
1940年にはローレンスオリビエ版、2005年にも華麗な衣装と映像美で映画化された記憶が新しい。
主演したエリザベスベネット役のキーラナイトレイは、この作品でアカデミー主演女優賞にノミネート。
限りなくスノッブで、かと思うと触れるのが怖いほどか弱くて、その対比の危うくも絶妙な表情が、遠い異国のヒトなれどかっこよくて、惚れてしまう。
【パーレーツオブカリビアン】のエリザベススワンよりも、はまり役だった印象がある。
二度、三度と観ても飽きない。
キーラといえば、2003年の【ベッカムに恋して】は意外にもよかった。
フィッツウィリアム・ダーシー を演じたマシューマクファディンも、貴族の気品と強気な女性に臆する男の戸惑いを巧く演じていて好感が持てた。
ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)の精神を、体現してみせることができる俳優だ。
この不巧の名作は、数々の舞台で上演され、韓国のドラマにもなっている。
謙虚でい続けることが、自らと周りの幸せと気付きながら冒してしまう愚か。
高慢を、自負とも、自尊とも訳す。
中野の居酒屋で議論した。
合評でよく問われる質問。
この作品で書きたかったことは何?
書きたいことを一言で言えないから、小説を書くんじゃないか、と僕は答える。
それではダメだ、と作家は言う。
書きたいことを一言で言えないのは、メッセージ力が弱いというのだ。
じゃあさ、○○○で言いたかったことって一言で言える? と意地悪な質問をぶつけてみた。
それは………。 しばしの間があり、
オトナに対する怒りだ! と作家は言い放った。
潔いその発声に心が動かされた。
己の不埒を突かれた。
なるほど、一理ある。一理あるどころが、たしかにそれこそ僕に欠けているモノなんじゃないか。
自分の驕りをつくづく思い知らされ、謙虚さを維持する難しさを改めて感じた。
その姿を見て、また叱咤される。
一言で言えないから書いている、それが海光さんの信条ならそれを貫くべきだ、と作家は言う。
要は信念を曲げるなということらしい。
まぁ、シノコノイワズ、書きたいことを書けばいいのだ。
その書きたいことのシンプルが案外難しいのだが、こう言っているうちは小説家として浮かばないのだろう。
なんて言ってたら、また叱られそうだわ。
あんな失礼な物言いに対し、Mさん、真摯に向き合ってくれてありがとう。
再び謙虚になり、同人の叱咤激励とひたむきと真剣に目を見開き、強いメッセージを胸に白紙のマス目に向かおう。
幻のペヤングポテトやきそば
企業としての存続をかけたあの会社も、謙虚に再出発するという。
SNSの拡散には驚嘆する。賛否両論はあろうが、それが現代の常ならば、仕方あるまい。
問題が発覚する前に仕入れた栃木版のペヤングでもつついて、瞑想沈思しよう。
揚子江菜館も庶民のB級も、どちらもヒトの営みには欠かせないのだから。
言いたいことを言い合える仲間がいるって、ありがたい