週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

浅草十二階

2013年05月06日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
            白髭の鯉のぼり

 世はゴールデンウィークという

 三日、四日重なっただけで、ゴールデンとは日本人とは根っからの貧乏性なのだろう。

 もっとも、お江戸の頃は休日というものがほとんどなかった。 

 その代わり、陽が上り働き始めたらすぐに休憩、昼餉を取ったらすぐ御八つの時間と。お店ものんびりとしたもの。お武家も時計やスマホに振り回されることもなく、悠々と職をこなしたことであろう。

 生産者である農民だけは働き詰めだったということか。お百姓さんは昔から偉かったのだな。

 写真は、東白髭公園の350尾の鯉のぼりである。

 消防車も出張って、フリマも大賑わい。大川の向こうではこんなイベントもあるのだ。

  
          真崎稲荷の見える隅田土手

 四連休ということであるが、子供たちは連日のフットボール。

 遠方へ出掛けるでもなく、朝は大川土手を走った。

 日々座りっぱなしの仕事で重たい躰だが、四日目には実に軽くなった。

 人間、躰を動かして働くことのほうが、いたって健康を保てるということだ。

 いつもは、河口へ向かうRUN。このGWは、上流へ向かって普段走らない隅田川の両岸の土手の上と下をゆく。

 面白いもので、神田で手に入れた、清親や広重などの浮世絵などをみつけた。

  
               浅草瓢箪池

 大正7年作の浅草公園の画である。

 十二階も見える往時の活況が伝わってくる。

 そう、浅草は日本中の活力の中心だったのだ。

 双発機が飛んでいるのはご愛嬌か、そんなこともあったのかと想像するのも楽しい。

 昨今、戻ってきた感のある賑わいがつづくとうれしい。

 来週には神田祭の本祭が四年ぶりに、17日から三社祭、25日はお富士さんに、消防殉職者慰霊祭で江戸火消しの梯子乗りが見られる。http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/05%20shouboujunshokushaireisaiyayoimatsuri.html

 また、大川がブルーに染まる東京ホタルとわが町の魅力が尽きない。http://tokyo-hotaru.jp/


   
              凌雲閣

 浅草に威風を誇った十二階。

 当時のお人は、そこから何を眺め、思ったことだろう。

 差し詰め、この連休に列をなす、スカイツリーのごとし名所であったことは間違いない。

 関東大震災で崩れ、最後は軍に爆破された。

 荷風大人もそこに立ったとある。

 それを模した、仁丹塔なるものが、雷門通りにあった。

 つい最近まであったのだが、いまやそれを知るものも減っている。

 全そで唄ったカラオケ屋もそこにあった。



 手柄岡持の狂歌を一つ。

「水ごゝろなければ質もながされて袷のぬきできるもきられず」

 朝夕と昼の温度差が激しい。それは江戸の頃も同じだったようだ。

 (袷にしようと綿入れから綿を抜き取ったまではいいが、袷は質流れになってしまった。まさか綿を纏うわけにもいかず。水ごゝろとは、水練の心得。抜き手と掛けてこの季節柄を詠んだ見事な歌である)


 当たり前が、当たり前でなくなるのは世の常。

 せめて、浮世を心に留めておきたい。

 そのために草紙に紡ぐのでござる