白髭の鯉のぼり
世はゴールデンウィークという
三日、四日重なっただけで、ゴールデンとは日本人とは根っからの貧乏性なのだろう。
もっとも、お江戸の頃は休日というものがほとんどなかった。
その代わり、陽が上り働き始めたらすぐに休憩、昼餉を取ったらすぐ御八つの時間と。お店ものんびりとしたもの。お武家も時計やスマホに振り回されることもなく、悠々と職をこなしたことであろう。
生産者である農民だけは働き詰めだったということか。お百姓さんは昔から偉かったのだな。
写真は、東白髭公園の350尾の鯉のぼりである。
消防車も出張って、フリマも大賑わい。大川の向こうではこんなイベントもあるのだ。
真崎稲荷の見える隅田土手
四連休ということであるが、子供たちは連日のフットボール。
遠方へ出掛けるでもなく、朝は大川土手を走った。
日々座りっぱなしの仕事で重たい躰だが、四日目には実に軽くなった。
人間、躰を動かして働くことのほうが、いたって健康を保てるということだ。
いつもは、河口へ向かうRUN。このGWは、上流へ向かって普段走らない隅田川の両岸の土手の上と下をゆく。
面白いもので、神田で手に入れた、清親や広重などの浮世絵などをみつけた。
浅草瓢箪池
大正7年作の浅草公園の画である。
十二階も見える往時の活況が伝わってくる。
そう、浅草は日本中の活力の中心だったのだ。
双発機が飛んでいるのはご愛嬌か、そんなこともあったのかと想像するのも楽しい。
昨今、戻ってきた感のある賑わいがつづくとうれしい。
来週には神田祭の本祭が四年ぶりに、17日から三社祭、25日はお富士さんに、消防殉職者慰霊祭で江戸火消しの梯子乗りが見られる。http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/05%20shouboujunshokushaireisaiyayoimatsuri.html
また、大川がブルーに染まる東京ホタルとわが町の魅力が尽きない。http://tokyo-hotaru.jp/
凌雲閣
浅草に威風を誇った十二階。
当時のお人は、そこから何を眺め、思ったことだろう。
差し詰め、この連休に列をなす、スカイツリーのごとし名所であったことは間違いない。
関東大震災で崩れ、最後は軍に爆破された。
荷風大人もそこに立ったとある。
それを模した、仁丹塔なるものが、雷門通りにあった。
つい最近まであったのだが、いまやそれを知るものも減っている。
全そで唄ったカラオケ屋もそこにあった。
手柄岡持の狂歌を一つ。
「水ごゝろなければ質もながされて袷のぬきできるもきられず」
朝夕と昼の温度差が激しい。それは江戸の頃も同じだったようだ。
(袷にしようと綿入れから綿を抜き取ったまではいいが、袷は質流れになってしまった。まさか綿を纏うわけにもいかず。水ごゝろとは、水練の心得。抜き手と掛けてこの季節柄を詠んだ見事な歌である)
当たり前が、当たり前でなくなるのは世の常。
せめて、浮世を心に留めておきたい。
そのために草紙に紡ぐのでござる