彦四郎の中国生活

中国滞在記

2018—2019年前期、大学の期末試験始まる—12月中旬から寒さが厳しくなってきた

2018-12-31 22:18:54 | 滞在記

 12月中旬になり亜熱帯気候の中国福建省の福州も、気温が10度を下回る日々が多くなり、寒さが厳しくなってきた。大学構内に多いユーカリの高い木が寒空に立ち並ぶ。針葉樹林はかなり紅葉が進み始めた。

 大学南門(正門)近くにある「閩江大学学術交流センター(福建閩院酒店)」の3階に上がり、屋根越しに大学構内を見る。はるか向こうに「鐘楼」(時計台)が見える構内は森が多い。

 12月18日(火)より、私が担当する教科の2018—2019年前期の期末試験が始まった。この日の午前中に4回生たちの「日本近現代文学作品選読」の期末試験を行った。彼らが2回生の時から授業を担当した学年だった。この日本近現代文学の試験をもって、彼ら全員と会うのがほぼ最後となり、別れともなるので さみしい気がする。4回生たちは、後期には授業がなく、それぞれが「企業実習」をそれぞれの故郷などの中国各地で2カ月間ほど行い、5月の卒業論文発表会まで大学に戻ってはこない。そして6月末には卒業式を迎える。お別れだ。

 大学構内には椰子(ヤシ)の樹木も多い。亜熱帯地方ならではだ。

 12月21日(金)の午前中には、3回生たちの「日本概論」の期末試験を実施した。試験時間は100分。この日の午後、2回生の前期最後の授業も終了した。2回生たちの期末試験は年明けの1月2日(水)の午後に実施予定だ。ちなみに、中国は12月31日も休日ではない。1月1日の一日だけが「正月」の休日となる。

  中国人にとっては、旧正月の「春節」が本当の正月で、1週間以上の祭日期間となる。今年の「春節」は2月5日から始まるので、2月4日が大晦日となる。この日の夕方から中国版「紅白歌合戦」が日本以上に大規模にテレビ放映され、家庭ごとに餃子(ぎょうざ)が作られ、食べながら年越しを迎える。(※「春節」時期は、年によって時期が異なる。時期の決定は中国政府が行う。)

 成績処理や作成をして、大学に提出しなければならない資料は 1教科につき膨大なものになり、とても時間や日数が必要となる。年末・年始はそれらの仕事に追われる日々ともなる。中国の大学などの組織は、「膨大な形式資料をそろえる」というかなり形式主義の社会であることは、日本社会の比ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 


大学1回生の軍事訓練—12月17日より行われた

2018-12-31 20:24:37 | 滞在記

 12月17日(月)、大学での午後からの授業のため、午前10時半ごろに大学に行く。この日は珍しく青空となったが気温は13度くらいと肌寒い。少しだけだが紅葉している木々も見られる。自分の研究室がある福万楼に近づくと、「イー・ア-ル、サン・スー(1・2・3・4)」の、大きなかけ声が聞こえてきた。この日から1回生約6000人の軍事訓練が大学構内で始まったのだった。学生たちの寮の近くから乗って来たらしいレンタル自転車がずらりと並んでいた。

 7階にある研究室からも、軍事訓練の様子が見える。ひたすら、「イーアルサンスー!、イーアルサンス―!」のかけ声での行進が繰り返されている。

 軍事訓練が行われているところに行ってみた。軍隊式敬礼の仕方などの練習、列をそろえて行進する練習、これが2時間ほどの昼休みをはさんで午前8時から午後4時半ころまで、1週間続けられる軍事練習。

 1990年代の江沢民主席の時代から「愛国教育」の一環として始まったこの軍事訓練は、小学校・中学校・高校・大学と各学校の年齢に合わせた内容で毎年行われる。小学校は高学年より、中学・高校・大学は各新入生が軍事訓練の対象となっている。

 12時前に第一学生食堂に昼食を食べに行くと、「寺坂先生!」と軍事訓練服の女子学生2人に声をかけられた。日本語学科の1回生のようだ。食堂に入ると、午前の軍事訓練を終えた学生たちでいっぱいだった。

 軍事訓練の教官たちが整然と並びながら食堂に向かって行進してきた。食堂前で整列を整え、順番に駆けながら食堂に入って行った。そのそばを、軍事訓練服に日本の小学生が背負っている黄色いランリュックのようなカバンを背負っている学生が通る。そのアンバランスな様子がなんとなく面白い。

 午後2時から3時40分までの2回生の授業を終えて、アパートに戻るためにバスに乗り、乗り換えのバス停で下車する。次のバスを待つ時間に、ひらひらの女性スカートをはいた若い女性が大きく真っ赤なリュックサックを背負っていた。これも、なにか服装と調和せず、アンバランスな面白さを感じる。中国社会で暮らすと、毎日毎日、さまざまな種類のアンバランスな人々の風景を見続けることができる。

 

 

 

 

 

 

 


日系企業への学生たちの会社見学や就職支援❷—3回生たちとともに福州住友電装有限公司へ

2018-12-31 17:53:58 | 滞在記

 12月24日(月)、閩江大学日本語学科3回生の学生たち約50人とともに、福州住友電装有限公司の会社(工場)見学に。学生たちは、大学より貸し切りバスをチャーターして、何先生が引率して会社に向かった。私は同僚の日本人教員小原先生を誘って私のアパート近くでタクシーを拾って会社に向かった。午前9時前に、私たちも学生たちも会社前で合流した。この日、会社や工場を案内してくれる従業員が出迎えてくれた。

 会社の講堂(会議室)にて、副経理(副社長)の村上さんと通訳の馬さんにより、会社説明が行われた。①「会社紹介(2005年創立)」②会社の製品紹介—ワイヤーハイネスとは?—車両内の電力・信号を伝送するもの。人の「血管・神経」に相当する役割」③住友電装—1990年代より中国に進出し、2000年代より本格的に会社・工場を増設。現在、中国全土で25箇所に会社(工場)がある。④この福州の工場(会社)は2005年に創立。会社の発展の歴史。現在の従業員数は約1500人。⑤会社内組織体制⑥日本企業の製造業が大切にしていること。日本語学科の学生たちに望むこと―日本語力・日本文化理解を磨くこと+指示待ちではなく自ら考えて動く」などの説明があった。

 その後、閩江大学卒業生で現在この会社に就職し仕事をしている先輩たち7人が紹介された。

 先輩たちから一言ずつ挨拶があり、自分の仕事のことや会社のようすなどについて話していた。40分間ほどの講堂での説明会の後、学生たちは4つのグループに分かれて、広くて大きな工場内を見学し、働いている人たちの様子などを1時間ほど見学して廻った。工場内は「撮影禁止」なので、工場内の写真は残念ながら撮れなかった。

 工場内の現場の見学が終わり再び講堂に集まり、村上さにへの質疑応答。中国における「自動車販売の今後の動向」などに関する質問や、採用された場合の待遇条件、採用試験についてなどについての質問があった。

 2017年度、世界各国の自動車保有台数(1000人あたり)は、3位アメリカ(797台)、17位日本(591台)となっている。しかし、中国は111位の85台とまだかなり低い。現在、世界で最も自動車販売台数が多いのは圧倒的に中国なのだが。つまり、今後も大きな販売台数の伸びしろがとても大きい中国社会であるとの説明もあった。

 午前11時すぎに、2時間あまりの「会社・工場」見学が終了し、学生たちはバスに乗って大学に戻って行った。午前11時半となり、午前中の労働が終了した従業員たちが食堂に向かい始めた。

 12月2日、中国の「国家公務員試験」が全国900箇所あまりの会場で一斉に実施されたことが、NHKの報道番組で伝えられていた。「中国で国家公務員試験"国考"—倍率4000倍も」「2019年度国家公務員試験で"1万4500人余募集➡92万人受験(平均倍率約63倍、ここ10年で最高」「広東省気象局、管理官のポスト1人の枠に4040人が応募」「国家公務員は社会的地位が高く、比較的に労働条件が恵まれている」などの報道内容。

 2019年6月に中国国内約2800の大学を卒業する学生数は約750万人。だから、卒業予定の8人に1人が平均倍率63倍の国家公務員試験に臨んだこととなる。中国では、卒業後の就職は 年々いっそうの厳しさが増してきていると言われている。日本語学科のある中国の大学は約300余り。学んだ日本語が生かせる日系企業への就職も厳しさを増してきている。中国国内の日系企業ではなく、大学卒業後に直接に日本国内の日本の企業やホテルや商業店舗などに就職を求める学生が、閩江大学日本語学科の卒業生でも ここ1〜2年、まだ少ないが出始めている。

 

 

 

 

 

 


日系企業への学生たちの会社見学や就職支援❶福州住友電装—福州日本企業会忘年会総会

2018-12-31 15:26:38 | 滞在記

 一年ほど前の2017年12月27日(水曜日)の午後、閩江大学日本語学科の全学年を対象に、「第一部:日本への留学について(講師:閩江大学・寺坂)」「第二部:中国における日系企業と就職(講師:福州日本企業会会長・小池省吾氏)」という内容の講座・講演会を行った。会場の大教室には200人ほどの学生たちが集まった。これが、私が日系企業関係者を大学に招いて「学生たちの日系企業への就職問題・支援」に関して本格的に取り組み始めた最初のことだった。(以前に、「日本概況」の授業で、講師として日系企業の駐在員を招いたことはあったが)

 小池省吾氏は、当時、福州住友電装有限公司という会社の総経理(社長)であり、福州日本企業会会長だったが、翌年の2018年3月に、6年間の駐在員生活を終えて、本社のある三重県四日市に帰国していった。

 今年の2018年10月、大学の日本語学科何先生から、「日本企業への学生たち(3回生51人)の見学」を計画したいので、小池省吾氏と連絡をとって依頼をお願いできないだろかという相談があった。すでに日本の本社勤務に戻っている小池さんに連絡を取ったところ、現在、福州住友電装の副経理(副社長)をしている村上さんを紹介してくれた。

 11月20日(火)の午後3時半に、日本語学科主任の曾嵐先生と副主任の何先生、そして私の3人で、福州住友電装の会社を訪れた。この日系企業は、日産自動車やアメリカのフォード自動車など、自動車の内装電気配線設備を製造している大企業の一工場(会社)である。会社の構内に入り、本館で村上さんの出迎えを受けた。とても広い工場だ。

 会社の「招待室」にて、「学生たち51人の企業見学」に関する正式依頼を行った。村上さんの他に、通訳(日本語ができる)の馬さんも同席をしていた。「住友電装」は住友銀行系列の企業で、本社は日本の三重県四日市市にある。海外35か国あまりに工場(会社)があり、中国国内では15箇所以上に工場(会社)がある。福州住友電装有限公司もその一つ。

 話し合いの結果、12月24日(月)の午前中に学生たちの企業見学を受け入れてもらえることが決定した。その後、馬さんの案内で工場内を1時間あまりかけて案内説明してくれた。時刻は5時半近くとなり、外も暗くなっていた。2000人近くいる従業員(中国人)や職員たちが、終業時刻となり、工場(会社)の門から出ていく姿が見えてきた。

 12月8日(土)、午後6時から開会される定例の「福州日本企業会12月定例会(忘年会)」に参加するため、会場のホテルに向かった。ホテル近くの「温泉公園」に入り、ライトアップされているココナツ椰子などの木々を眺めた。

 会場の「福州世紀金源大飯店」の3階が定例会の会場だった。130人ほどが参加していた。福州住友電装の村上さんなど日本人駐在員4人がいる席に挨拶に出向いた。

 「モライエバンド」という駐在員たちの音楽サークルの演奏と歌、そしてダンスなどが舞台で行われる。「日本通運」の福建省支店の駐在員3人にも挨拶をした。(息子が日本国内の日通に勤務している関係で)  「丸五富井(福州)工業有限公司」の日本人駐在員と中国人職員の二人が、私の席にやってきて、「来年度は中国の大学の日本語学科の卒業生の採用を行いたいので、学生を紹介してほしいのです」という話をしてくれた。このように、「福州日本企業会」にて、少しずつだが人脈がつくれてきて、学生たちの「日系企業」への就職支援も始めている。

 

 


中国の「精進料理ホテル」―福州・阿彌陀佛(あみだぶつ)大飯店、酒類は一切飲むことができなかった

2018-12-23 20:26:22 | 滞在記

 中国・福州に、ちょっと変わった名前の大型ホテルがある。名前は、「阿弥陀仏大飯店」。

 11月21日(水)の午前11時半頃に、大学日本語学科の同僚教員から、「今日の夕方5:00から日本語学科教員の食事会を計画しました。来てください」との連絡が入った。いつものことながら、計画性や事前連絡のない「その日の突然の連絡」という中国の社会組織の唐突の連絡には ほとほと感心してしまう。日本ならば、学校や会社など組織としての食事会や飲み会などは、遅くても1週間前には連絡があるのだが‥。まあ、そのことは それとして、夕方の5時前にホテルに到着して、同僚教員たちを待っていたが、そのほとんどが集まったのは、30分遅れの5時30分すぎ。30分間の待ちぼうけ。時間にはかなりゆるいのも相変わらずだ。

 年に数回、日本語学科教員の食事会があるのだが、今回の会場となった阿弥陀仏ホテルは、名前のとおり「精進料理」のホテルだった。普通 日本では、寺院に宿泊した場合や寺院門前町の旅館などで「精進料理」を出されたりすることがある。しかし、ここ福州の阿弥陀仏ホテルの周辺には有名な寺院はない。ホテルのロビー(フロント)は、「月」の輪郭のような丸い光、なかなか 素晴らしい光の演出だ。中国式僧衣を着用した人の姿もちらほら見える。

 ホテル1階にある広いレストランはバイキング方式になっているので、皿に入れて「料理」を運んでテーブル席に着くと、「肉や魚だと思っていたものが、どうも そうではないような感じ」がする。同僚教員は「ここはすべて精進料理ですよ」と説明してくれた。とても上手につくられた「精進料理」のオンパレードで種類も多いのには、驚かされた。味もなかなか良いが‥‥。

 フルーツやデザートのケーキ類なども種類が多くとても充実していて、グルメには一度は行って食事をしてみたいレストランなのかもしれない。しかし‥‥、である。

 ビールなどの酒類が一切 提供(注文)しないホテルのレストランだった。宴会・食事会で、酒類を飲めなかったのは初めての体験だった。手持ちぶたでなんかぜんぜん気分が盛り上がらない。同僚の中国人教員が緑の青汁っぽいジュースを飲んでいたので、「それは何ですか」と聞いてみたら、「胡瓜(キュウリ)のジュースです」とのこと。どんな味がするんだろうと、取りに行って飲んでみることにした。キュウリは食べるのは大好きだが、このキュウリジュースは、一口飲んで、もうそれ以上は飲む気がおきなかった。確かに、キュウリの味が濃厚にするのだが、飲み物になると かなりまずい飲み物になることがわかった。

 まあ、珍しい体験の宴会だった。