『月刊京都』の2020年5月号の特集「青もみじを楽しむ」には、「哲学の道・吉田山(神楽岡)周辺エリア」では「真如堂」と「安楽寺」、「喫茶茂庵」と「吉田山荘カフェ真古館」の青もみじが掲載されている。このエリアは、私の娘の家からも近いので、今 生後6か月になる孫の寛太をベビーカーにのせて散歩する定番コースともなっているところ。
―真如堂—広い境内のさまざまな場所で楽しめる青もみじ。「赤門」の名で親しまれる総門の朱色と青もみじのコントラストが美しい。緩やかな石段や石畳の道が続き、両脇から大きく枝を伸ばした楓(かえで)が包み込むように参道を彩る。本堂の裏は青もみじと苔が織りなす風景が魅力的。石畳の緩やかな小径をゴトゴトとベビーカーで進むと、その揺れに孫の寛太はいつも静かに眠ってしまう。木陰にベビーカーを停めて、しばしタバコを吸う。
青もみじの隙間から降り注ぐ木漏れ日は、苔の表情を変化させ、その美しいグラデーションに目を奪われる。三重塔とともに見る青もみじもなかなかいい。威風堂々とした古塔に映えるみずみずしい青もみじは息をのむ美しさ。小雨の時もまた美しい。本堂に向かって右に菩提樹、左に沙羅双樹が植えられていて、6月中旬には白い花を咲かせる。鐘楼の周囲や本堂裏には紫陽花(あじさい)が開花する。この時期、手水舎では鉢に青もみじや紫陽花の花が浮かべられ、初夏ならではの色鮮やかな花手水を見ることができる。
ここの本堂の裏手には3月下旬ころから4月中旬ころには山茱萸(サンシュユ)の木々が小さな黄色い花を咲かせる。墓地には、明智光秀の重臣・斎藤利三が友人の海北友松(絵師)とともに眠っている。真如堂に隣接している寺院は金戒光明寺(通称、黒谷さん)の大伽藍。幕末期の会津藩の本陣として使われ、城郭のような寺院だ。幕末の京都での戦いで亡くなった会津藩士たちの会津墓地がある。真如堂や金戒光明寺付近からは大文字山や如意ケ岳などの東山連山の山々が間近に見える。
―哲学の道― ここも孫の寛太をベビーカーに乗せて散歩に行くコースの一つ。桜の若葉、楓などの青もみじが美しい。5月にはいるとサクランボの実が赤く大きくなる木々もある。少し紫がかると食べごろになる。学生時代、下宿から大学やバイト先の行き帰り、ここのサクランボをよく食べていた。今は孫と歩く。6月上旬から中旬にかけて、夜の8時すぎごろから夜の12時ころにかけて蛍(ほたる)が見られる。
―安楽寺—哲学の道沿いから少し坂道を歩くと法然院と安楽寺がある。安楽寺は小さな寺だが、その山門と青もみじのコントラストは見事な美しさ。
―法然院—ここの山門と青もみじもまた美しい。山荘、庵的な寺の風情。法然院墓地には、日本人の美意識について書いた谷崎潤一郎や九鬼周造、マルクス経済学者の河上肇、歴史学者の内藤湖南などがここに眠る。
—白沙村荘橋本関雪記念館—哲学の道沿いの銀閣寺参道に至る途中にある白沙村荘・橋本関雪旧居。今は橋本関雪記念館になっている。広い屋敷の庭は散策していても風情があり、広い画室のある建物で私は学生時代によくここに来ては読書をしたり昼寝をしていた。記念館では庭を眺めて湯豆腐を食べたりもできる。また、橋本関雪の作品が展示されている建物があり、彼のみごとな作品が見られる。東門にかかる楓(かえで)の青もみじはハッとする美しさがある。
関雪の絵画が展示してある館の作品。私は「木蘭(ムーラン)」の絵が好きで、自宅の書斎にはこの木蘭の絵のポスターを今も貼っている。木蘭はディズニー社のアニメ映画「ムーラン」のあの木蘭。
白沙村荘の庭園や画室の建物、庭のかたすみには無縁地蔵も多くある。この橋本関雪は京都画壇の一人だ。京都画壇は近世より土佐派や円山派や四条派などがあり、呉春や円山応挙などが活躍した。一般的に京都画壇とはそれらの流れをくむ明治以降の京都美術(絵画)界のことを指している。竹内栖鳳、土田麦僊、堂本印象、上村松園、菊池芳文、そして、橋本関雪らが有名だ。
2019年11月2日~12月15日、京都国立近代美術館において、「円山応挙から近代京都画壇へ」の展覧会が開催されていた。たまたま、この年の11月に1週間ほど中国から一時帰国していた際に、この特別展を見ることができた。
—吉田山荘カフェ真古館—吉田山(神楽岡)の山裾(やますそ)にある吉田山荘カフェ真古館。真如堂からは徒歩2分ほどのところにある。この吉田山荘は昭和天皇の弟宮である東伏見宮の元別邸。現在は格式のある料理旅館として、海外からの宿泊客も多い。敷地内にあるドイツ風の建物は、元倉庫だったもので、外観や窓などはそのままにし現在はカフェになっている。
カフェ真古館の2階は、三方に窓がとられ、比叡山や大文字山、円山公園背後の将軍塚山の山並や点在する寺院の甍(いらか)などが望めインスタ映えがする。晩春から夏は青もみじが窓を埋め尽くす。特に、2階の奥の席は素晴らしく、たくさんの老舗喫茶店がある京都の中でも、カフェ真古館のこの席は、私は京都NO1、一番素晴らしい席ではないかと思っている。大きな窓から入って来る光でテーブルや壁も緑に染まり、まさに青もみじの木の中に入ったような気分になる。。ここを知る人はまだ少なく、他に客のいない時が多いので、この景色や空間を独り占めしている気分にもなれる。あまり人に知られたくない、とっておきのカフェだ。
注文したメニューには必ず、古今和歌集や万葉集などから季節ごとに選んだ歌が和紙に書かれて添えられる。どれも、この吉田山荘の女将(おかみ)自らが書いたもの。裏には読み方や意味が添えられている。飲み物を注文すると添えられて、お土産用にも売られているコウモリビスケットがとても美味しい。2週間ほど前に孫の寛太と一緒に行ってみたら、最近の営業日は木・金・土・日の4日間とのこと。
―喫茶「茂庵」―小高い丘のような吉田山(神楽岡)の山頂に一軒の大きな2階建て木造建築がある。付近は大正時代、「茂庵」の雅号を持った数寄者が作った茶の湯のための場所で茶室などがある。山頂の建物は、その時の食堂棟で、現在は2階がカフェとなっている。席に座ると緑は目の前。西側に設けられたカウンター席からは、京都市街と愛宕山や衣笠山などの山々の景色が木々越しに眺められる。
東側の席からは、青もみじなどの木々越しに大文字山の大の字が望める。店長の話では「特に美しいのは雨の日」とのこと。店内が暗くなることで、外の緑が発光しているように見え幻想的なのだとか。茂庵は、真如堂や吉田山荘からは少し山道を登り、徒歩10分くらいのところにある。吉田山山麓の神楽岡通りに数台が停められる、茂庵の客専用駐車場もある。ここは月曜日は定休日。最近では、若い女性たちがここによく来ているようだ。一昔前はこの店はあまり知られておらず客は少なかったのだが。
—小さなお稲荷さん—吉田山の山頂には旧制高等学校時代の三高(現京都大学)の校歌「紅燃ゆる丘の上」の歌碑がある。その歌碑の近くにある小さな稲荷神社の朱の鳥居にかかる青もみじもまた風情がある。鳥居のそばにある小さな社務所の家、2月3日の世吉田神社の節分祭に登場する三匹の赤鬼・青鬼・黄鬼はこの家から吉田山を下って行く。私の娘の家もこの吉田神社の氏子(うじこ)の一軒。娘の夫が昨年は青鬼をしていた。娘の長女や次女は、青鬼が近づくと怖くて泣いていた。
この稲荷神社や三高歌碑のあたりから、真如堂や金戒光明寺の三重塔や本堂の甍(いらか)がすぐ眼下に望める。東山三十六峰の山々のわき起こるような新緑がまた美しい。吉田山を東に下ると、すぐの山麓に吉田神社や京都大学がある。
1558年の初夏、「白川口の戦い」があった。これは、京都奪還を目指す室町第13代将軍の足利義輝軍と京都を掌握していた三好軍との戦いだった。義輝軍は東山山系の如意ケ岳城や大文字山の中尾城に軍を置き、三好軍は勝軍山城(瓜生山山頂、現在京都芸術大学がある)やここ吉田山に軍を置いて、戦闘が行われた。ここ吉田山界隈からは、如意ケ城や中尾山城、勝軍山城、さらに比叡山山麓の雲母坂(きららざか)城、一乗山城などの山城があったところが一望できる。どの山城も土塁や曲輪(郭)や堀切などの山城の遺構が残る。
今年の梅雨入りはとても早く、曇りや雨の日が多い。でも青モミジはこのような天気の日の青もみじは、しっとりとした風情があり、これはまたこれで心やすらぐ。