彦四郎の中国生活

中国滞在記

煙草(タバコ)文化❷—篠原信一さんの「あ、ちょっと一服いいですか?」―マナーで1本!

2017-07-29 12:15:12 | 滞在記

   7月中旬ころに、私の妻が「この記事、よくあなたが言っていることが 書かれているわ」と言いながら週刊誌を持ってきてくれた。『週刊新潮』7月13日号の篠原信一さんのコラム記事だった。

 読んでみると、とてもいい記事だと思ったので、ここにその記事を紹介したい。篠原信一さんは、元オリンピック銀メダリスト(柔道)・元柔道男子日本代表監督で、現在は柔道界を離れて起業、タレント活動もしている人。1973年生まれで、現在は43才。

   ―たばこ人生は「マナーで1本!」―あ、ちょっと一服いいですか?

 両親ともにたばこを吸っていましたし、父の仕事が建築関係だったせいか、自宅はいろいろな人が出入りしていて、子供の頃から家の中はたばこの煙で真っ白でした。当時の大人はほとんどが喫煙者でしたからね。だから僕は、大人は美味しそうにたばこを吸うものだというイメージを持って育ちました。

 僕の場合、たばこが生活から切り離せないものになっているのは、喫煙がリズムになっているからです。朝起きて吸う、歯を磨いて吸う、朝食を食べてから吸う、仕事に出かける時間になるとその前に吸うという具合です。1日のサイクルの要所要所で必ずたばこを吸うんです。もちろん朝だけでなくて、昼間でも、夜であっても変わりません。何事も始まりと終わりにたばこがあるんです。

 最近は、スタジオでも禁煙のところが多いのですが、僕にとっては一服がリズムになるんですね。どんなところにでもたばこは持って行きますし、喫煙所も利用します。仕事の都合で関西の自宅に戻らず、東京に一か月以上いることもあるのですが、たばこはいつも一緒です。

 喫煙所に入ると、たばこがあるだけで仲間意識が生まれて、他では出来ないような話が出来たりします。全く知らない人ともたばこがあるだけで、昔からの知人のように話が出来ますし、相手が偉い人であろうがなかろうが、関係なく親しい話が出来ます。上下関係もなくなってしまうんですね。そういう意味では、たばこはコミュニケーションの重要なルーツですね。

 しかも、もうひとつ、オンとオフの切り替えにもなるんです。吸い終わったところで「じゃあ」と切り上げることが出来るでしょう。もちろん、もう1本ということもあっていいのですが、吸い終わったところでやめられるなんて、たばこでなければ出来ないことではないでしょうか。お酒だったらこうはいきません。居酒屋さんで誰かと一緒に飲んでいたら、切り上げたいと思っても、じゃあって席を立てませんよね。

 また、僕のように人から見られる仕事をしていると、吸い続けるならば「マナー1本!」という心掛けは大切です。喫煙者が非喫煙者に迷惑を掛けないのは当然のこと。僕は日頃から注意深く心掛けています。でも、僕のようにからだが大きいと、喫煙所がいささか狭く感じられることがある。もう少しスペースは広く、さらにできることならもう少し換気もよくしてもらえないでしょうか。しっかりマナーを守りながらも、居心地のいいリラックスできる場所を持つというのは喫煙者にとって大きな願いなんです。(談)

◆以上が、篠原さんのコラムでした。なにか、ほっとするような記事でした。

◆この10年間あまりの日本の社会は、いろいろなことに対する「寛容さ」が失われてきて、自分たちで自分たちの首を絞めているような「イライラ社会」になってきていると言われて久しい。そのことは、たばこの喫煙問題だけでなく、いろいろな場面で 感じることが多い。「1憶、総クレーム社会」とかも言われたりする。「清流に魚住まず」という言葉があるが、人間社会にもそのことは当てはまるようにも思う。中国社会の「表現の自由・民主主義・人権」の問題に対する「超監視社会」とはまた違った「監視社会」の面が強いこの頃の日本には少し危惧もする。

 

 


煙草(タバコ)文化❶―中国人と喫煙

2017-07-29 10:51:50 | 滞在記

 私がタバコを初めて吸ってみたのは13才の時だったかと思う。当時、私の周りの大人たち(男性)は、老いも若きもほとんどがタバコを吸っていた。おそらく、地域的には男性喫煙率は90%を超えていただろう。全国的にも、80%は優に超えていたかと思う。大人になるということは、タバコを吸うということとイコールだった時代、吸わない人は変人扱いされた時代でもあった。本格的に吸い始めたのは 高校に入ってからで(下宿生活)、高校3年時ではクラスメートの50%ぐらいが喫煙者だった。タバコでの謹慎処分は2度受けた。

 当時は「ハイライト」という銘柄を吸っていた。20才の時に「大学進学」のために勉強に打ち込むこととなり、半年間あまり禁煙したことがあった。その間 タバコを禁煙したので かなり太ってしまった。その後、禁煙したのは、40代の半ばごろに「心臓病」の検査入院で1週間あまり病院で生活した時に禁煙させられた。それ以外は、ずっと喫煙を続けている。いままでにタバコで使ったお金を計算すると、1500万円以上になる。現在は、一日に3〜4箱(60本〜80本)ぐらいの喫煙数だろうか。タバコを裏切ることができない「タバコ律義者」と自分では自負しているが、このような喫煙者のことは、日本では「動く煙突」とか「ヘビースモーカー」とか「チェーンスモーカー」などと言われたりする。

 中国で生活するようになって、いいなあと思うことの一つが「喫煙に対する社会の寛容さ」である。中国は世界一の「タバコ大国」であり、喫煙人口は4億人近い。(世界の喫煙者数の約3分の1)

 世界の国々の喫煙の状況はどうなっているのだろうか。2016年の世界保健機構(WHO)の調査では次のようになっていた。(グローバルノート・国際統計時間サイトからの国別喫煙率) ―日本の周りの国々を中心に紹介すると

   【男性】15才以上 

1、インドネシア(76.2%) 5、ロシア(59.0%) 15、韓国(49.8%) 19、モンゴル(47.7%)  20、中国(47.6%) 23、ベトナム(47.1%) 35、フィリピン(43.0%)   61、日本(33.7%)  109、アメリカ(19.5%)   115、カナダ(17.7%)     ※北朝鮮は推定(54.0%と報告がある)  ※東南アジア・東アジア・ロシアの喫煙率が高い

   【女性】15才以上

1、ナウル(52%)   3、セルビア(39.7%)  5、オーストリア(34.8%)   7、ギリシァ(32.1%)   11、ドイツ(28.3%)  15、フランス(25.6%)    21、ロシア(22.8%)  44、アメリカ(15.0%)   51、カナダ(12.2%)   58、日本(10.6%) 64、フィリピン(8.5%)   81、モンゴル(5.3%)   85、韓国(4.2%)   108、中国(1.8%)   113、ベトナム(1.3%)

※ヨーロッパ諸国(特に東ヨーロッパ)・ロシアの喫煙率が高い。東南アジア・東アジアの喫煙率はとても低い。特に中国・韓国・北朝鮮・インドネシアは 男性はかなり高いが、女性はほとんどが喫煙しない。

  中国の大学生たちに、「中国では何歳からタバコやお酒を飲んでもいいのですか?」と質問すると、「何歳からでも、飲んだり吸ったりしていいです」とか「特に法律はありません」とか回答される。実際には、タバコは18才からという法律はあるようだが、誰も知らない。高校の制服を着て、街中をスパスパやっている学生も見かけることがある。

 中国のタバコは種類も多く、値段も安いものでは1箱2元(約40円)くらいのものからあり、全国的に有名な「中南海」だと1箱(約400円)くらい。高給タバコでは「中華」が1000円くらいだろうか。中国の元国家主席の鄧小平は、ヘビースモーカーで有名だったようで、彼が好きだった銘柄は超高級タバコ「熊猫(パンダ)」(約2000円)だった。

 中国はお茶とタバコの文化と言えるかもしれない。小さな茶碗(ぐい飲みの大きさ)にお茶を入れながら煙草を吸い合う光景が、中国社会にはとけこんでいる。まずは、一杯と一服という社会かと思う。ちなみに、私が中国で吸っているタバコは10元(約180円)の中国で販売されている韓国製タバコ(メンソール・1mgで煙少ない)である。

 食事や宴席でも、テーブルの上には灰皿が置かれ、タバコを吸う人が多い。特に地方に行けば行くほど、その傾向はつよくなり、「タバコ・コミュニケーション」が行われ煙がゆらゆらと流れる。

 中国社会では、酒もたばこもやらないという男性は かなり辛い目にあうこととなる。タバコ・酒コミュニケーションがめちゃめちゃ重要な社会だからである。タバコを吸いながら話したりして場を共有しているうちに仲良くなるという文化が濃厚である。中国のビジネスでも大きな力を発揮する。中国人と接待中に取引先の人とタバコを一緒に吸ったり、相手の好きな銘柄を調べてプレゼントするというのも普通に行われているようだ。私も、中国語がほとんどできないだけに、この「タバコと酒」のおかげで、なんとか中国の男性たちとつながっていけている面がある。

 また、中国独自のタバコのルールとして、1人では吸わずに一緒にいる人にもすすめるというものがある。これはお酒の場合も同じ。もし、相手からタバコを薦められた際に、自分でタバコを持っていたとしても それは相手が薦めたタバコをまず吸うのがマナーとなる。相手のタバコを断って自分のタバコを吸うのは大変な失礼になるのでNGである。

 中国の男性喫煙率は47.6%となっているが、これは日常的に毎日タバコを吸っている割合であって、普段は吸わないが、人に薦められたら断らずに吸う人も多い。女性のほとんどはタバコは吸わない。なぜなのか、その理由を大学生たちに聞いたら「タバコを吸う女性は売春婦とか不良とかと思われている」からだそうだ。

 こんな中国のタバコ事情なので、日本のタバコを買って中国に持って行ったりもしている。最近は、日本に観光に来た中国人向けに、上記の写真のようなタバコ店の中国人向けの宣伝もあった。日本で最も販売数が多いらしい「セブンスター(中国名ネーミング:七星)と日本のタバコで最も高品質らしい「ザ・ピース(中国名ネーミング:和平)」。ザ・ピースはとても香りがいいので、日本帰国の際にこれを10箱くらい買って中国に戻り、宴席の際などに お土産として中国人に渡したりもしている。タバコも茶も、日本は「香り」にすぐれ 中国は「味」にすぐれる。

 2016年の10月に上海の空港内で、日本からの帰りに日本のタバコを吸っていたら、「日本の紙幣やタバコと北朝鮮の紙幣とタバコを交換してください」と突然言われて交換したことがあった。上記の写真がそのタバコと紙幣である。北朝鮮もタバコ大国らしい。現在の北朝鮮を支配している「金正恩」も大のタバコ好きだ。そんな北朝鮮国家で、2016年4月に突然の「禁煙命令」が出された。大のタバコ好きの「首領様」も、健康によくないタバコを止めるので(禁煙する)という内容の通達だった。しかし、6月に入って金正恩の禁煙は挫折をしたらしく、7月の公開写真ではタバコを持ちながら視察する写真が公表されるに至り、この命令もうやむやになったようだ。

 中国では現在、「喫煙制限運動」が政府の肝入りでキャンペーンされているので、約9000万人の共産党員やたくさん国家・地方公務員たちは、若干はタバコを少し控えているかもしれない。

◆続く

 

 

 

 

 

 

 


京都・嵐山❹―夕立の中、「渡月橋」の橋の下で雨宿りをし、雨中の「嵐山城」を望む

2017-07-27 12:12:39 | 滞在記

 周恩来の詩碑がある亀山の丘陵地を下り、保津川べりに着くと、「保津川下り」の船やそれに近づく物売りの船が見えた。今日の最後の下り船だろうか。そして、ついに大粒の雨が突然のように降り始めた。この夕立はしばらく続きそうだ。「渡月橋」の方に向かう。とても小さな携帯折りたたみ傘なので、どこかで雨宿りをしたい。雨にけむる渡月橋と嵐山の風情は、さきほど見た「周恩来」の「雨中嵐山」を思い出させる。雨がさらに激しく叩きつけてきた。

 渡月の橋の下で雨宿りをしている人たちがいたので、私もそこで雨宿りをすることにした。少し水の中を渡って橋の下に着く。先に雨宿りをしていたのは欧米からの女性3人のグループだった。雨霧につつまれた嵐山の山頂を見る。山頂には、戦国時代(室町)の山城がある。城の名前は「嵐山城」という。別名は「嵯峨城」。5〜6年ほど前に、山に登りその遺構を調べにいったことがあった。

 渡月橋から山に向かい、山の尾根伝いに登ること約1時間半ほどで、「嵐山城」の城域に到着できる。比髙(麓から山頂までの高さ)は335m。けっこう高い。1505年〜40年ころまでの時代の文献記録に登場する城で、1505年には、当時の京都守護代だった「香西元長」(当時、室町幕府菅領―将軍の補佐役・幕府官僚の最高位であった細川政元の家来)が城に立て籠もり落城した記録などがある城だ。曲輪(くるわ)や堀切などがはっきり残り、石積みもある。典型的な山城の遺構を見ることができる。

 渡月橋を渡った正面の山腹に「法輪寺」という寺がある。この寺の裏山あたりから登山道で幾つかの山の尾根を伝って嵐山山頂に到着できる。途中分岐点があり、苔寺や松尾神社方面に行くこともできる。京の街と山陰道や大阪に至る道をおさえる重要な場所でもあったのかと思われる。小高い「岩田山(野生の猿がたくさん住みつく)」が登山道とも近いので、時々サルもよく見かける。近づくと、樹上からキキキッキッキッー!!になどの威嚇の叫び声を発してくるので少し怖くもある。

 30分ほどしてようやく雨が上がり始めて来た。渡月橋の上に戻る。この渡月橋の歴史は古い。836年に現在の場所よりも100mほど上流に架けられたようだ。その後、亀山上皇が「東から西へと月が渡る様」を見て、「渡月橋」と名前をが付いたようだ。千年以上の歴史を持つ橋だが、現在の地の橋は、1606年に、保津川の改修にあたった角倉了以によって造営されたと記されていた。

 渡月橋を渡り、中州の茶屋の建物に立派なピンクの百日紅(さるすべり)の花が咲いていた。中の島の小さな橋が風情あり。時代劇などのドラマでもよく撮影される橋だ。アオサギがじっと川面に立っていた。阪急電車に乗り、京都市内に向かった。2時間半ほどの嵐山だった。

 

 

 

 


京都・嵐山❸―「周恩来(しゅうおんらい)の詩碑」を見る

2017-07-27 10:46:01 | 滞在記

 「御髪神社」を参拝後、近くの「亀山公園(嵐山公園)」に向かう。午後5時ころとなっていてあたりの竹林の道は、薄暗くなり始めた。亀山公園は、保津川(大堰川・桂川)のほとりの少し小高い丘陵地に位置する。夕立の雨が今にも降りそうで湿気がすごく、汗が流れる。

 この丘陵地の一角にある「周恩来(しゅうおんらい)」の詩碑に向かう。かって若い周恩来がこの京都の嵐山に遊びに来て詠った漢詩を記した石碑がある。石碑の詩を読む。

           ―雨中嵐山―

  雨中二次遊嵐山、両岸蒼松、夾着幾株桜。

  到尽処突見一山高、流出泉水緑如許、糸堯石照人。

  簫簫雨、霧濛濃、一線陽光穿雲出、愈󠄀見女交妍。

  人間的万象真理、愈󠄀求愈󠄀喪模糊、模糊中偶然見着一点光明、真愈󠄀覚女交妍。

  ※「女交」は女扁に交※「簫」は左にさんずい扁が付く※「糸堯」で一字

  日本語訳は次のようになる

           ―雨中嵐山―

雨の中、二度、嵐山に遊ぶ。両岸の青い松が幾本かの桜を挟んでいる。

その尽きるところに、ひとつの山がそびえている。流れる水は、こんなにも緑であり、石をめぐって人影を映している。

雨脚は強く、霧は濃く立ちこめていたが、雲間から一筋の光が射し、眺めは一段と美しい。

人間社会のすべての真理は、求めれば求めるほど あいまいである。だが、そのあいまいさの中に、一点の光明を見つけた時には さらに美しい。

 中国の周恩来―1898年~1976年

 周恩来は1917年の19才の時に日本に留学をし、3年間あまりを日本の東京で過ごした。のちに明治大学政治経済学部で学ぶ。京都大学教授の河上肇(マルクス主義経済学者)の著書『貧乏物語』を読み感銘を受け、河上の個人雑誌『社会問題研究』なども熱心に読む。京都大学への入学を真剣に考え始め、入学願書や履歴書を作成し、すでに京大生となっていた友人に渡していた。その「入学願書」「履歴書」が戦後、京都府北桑田郡京北町(現・京都市右京区京北町)で見つかった。いきさつは次のようである。

 戦時中の1944年、京北町で林業を営んでいた太田貞次郎さんが、京都市内で食糧難に困っている親戚や知人に野菜や米などを届けた際に、お礼として「和紙の束」を渡された。その中に、字もしっかりしている書き付けが2枚あったので保存していた。戦後に、中国戦線より帰還した息子にそれを見せたところ、「この書きつけは、周恩来という人が書いたもので、彼は今 中国共産党の重要人物として中国政府で活躍している」ということを聞いたのち、それを額縁に入れて客間に飾っていたという。周恩来は結局 京都大学の受験をすることはかなわず、中国に1919年には中国に帰国し、南開大学に入学し、「5・4運動」等の学生運動の中心人物となる。このため、友人は入学願書や履歴書を処分したものかと考えられる。

  1920年代初頭の中国共産党の設立以来から死去する1976年まで、中国社会でその存在感を持ち続けた周恩来は、国務院総理(首相)として、1972年の「日中共同声明」を当時の日本の首相・田中角栄とともに発表し、日中国交回復の礎を築いた人物でもある。毛沢東主席が主導した あの「文化大革命」を止められなかったなど 評価はさまざまあるが、現代の中国の人々にとっても 敬愛されている人物である。

 1978年「日中平和友好条約」の締結による本格的な日中国交回復が始まった翌年の1979年、ゆかりの地「京都・嵐山」に詩碑ができ、その除幕式に際して、初めて周恩来婦人が来日した。その時、あの「入学願書」「履歴書」を見てもらって、「この字は 夫の書いたものに間違いありません」と夫人は言ったようだ。そして、それは夫人に贈られたようで、今は中国にある。

 周恩来は1919年に中国に帰国する際、東京から 京都大学の学生だった友人の下宿(京都市の岡崎あたり)に数日間泊まり、円山公園や嵐山に遊びに行ったようだ。そして、神戸港からの船で帰国の途に就いた。「偶然見着一点光明」とは、河上肇が教えた「マルクス主義」というものだったのではないだろうか。中国という国を将来的にどのような国としていくのか、考える中で見つけた立ち込める霧と雲間からさし込んだ一筋の光だったのだろう。その後、河上の「貧乏物語」は毛沢東も読んだ可能性があるようだ。私も学生時代に銀閣寺隣の下宿の四畳半で熱心に読み、近くの法然院にある彼の墓を散歩の際に よく立ち寄りもした。

 なにか、奇妙な縁も感じる。その中国共産党が成立してもうすぐ100周年を迎えることとなる。中国社会での貧乏・貧困はなくなりつつある。しかし、「民主主義・人権」などの課題を今後、1949年の「中華人民共和国(共産党政権確立)」から100周年を迎える2049年までにどのような国づくりをしていくのか、世界への影響がとても大きい。あと、32年間という歳月。中国はどのように変化していくのだろうか。

◆周恩来は「不倒翁(ふとうおきな)」と呼ばれることもある。さまざまな政変や共産党内部の繰り返される権力闘争の渦の中でも一度も更迭・束縛されることもなく党の中枢にいて人生を駆け抜けた 人間関係を保ち続けた 希有な人なのだろう。

◆中国から日本への観光客が年々増え続ける中、自然と歴史的建物が調和する「京都・嵐山」も人気の観光スポットとなっている。周恩来詩碑を訪ねる人も多いのだろうか。

 

 

 

 

 

 


京都・嵐山❷―「御髪神社」(その2)―日本とその周りの国々の宗教事情

2017-07-27 03:20:52 | 滞在記

 「遺伝子に打ち勝てますように レッッ フサフサ!  〇〇祥平」「髪の毛が少しでもおおく残りますように 白髪が残してくださいまし  〇〇卓也」「美容師国家試験合格!!たくさんの人に指名されるスタイリストになれますように! トータルビューティも  〇〇実由葵」「これ以上、夫の髪が抜けなくなり、はえてきますように  妻 〇〇絹江」「菅〇人と知香とその家族の髪の毛が抜けた分だけ また はえてきますように  〇知香」などの絵馬。菅〇人って、旧民主党のあの人のことだろうか?同姓同名なのかもしれない。

 この「御髪神社」は、社務所的な小さな建物はあるのだが神社の人はいなかった。全国のどこにでもあるような寂れた神社のようにも感じる小さな神社だが、全国唯一とあって 髪の悩みを持つ人や理容関係者など ぼつぼつ 参拝者があるようだった。髪に関する悩みや願いを持つ人は、ぜひ嵐山観光を兼ねて 御髪神社を訪ねてみるのは如何だろうか。

◆ 日本の神社―「八百万の神(やおよろずのかみ)」※八百万もの神がいるとされる日本という国であるが、少し日本の神社というか「神道」などのことも分かってき始めた感もある。神社庁に登録届をしている「神社数」は8万5千あまり。未登録のものも含めると10万を超すようだが--。そのうち、①武神を祀る「八幡(はちまん)さん」約4万4千社、②農業神を祀る「お稲荷さん」約3万社、③学問神を祀る「天神さん(天満宮)」約1万社と、これがベスト3のようだ。周囲を海に囲まれ、漁業も盛んな日本の国。④海神を祀る「金毘羅さん(戎[えびす]さん)」も全国には多いように思える。

 「野宮神社」では4つの神が祀られていた。このように、日本の神社には、一つの神社に行くと、本殿の周囲に小さな社(やしろ)があって、本殿とは違う神が祀られていることも多い日本の神社でもあるような気がする。

 京都市内には、サッカの関係者がよく参拝する(蹴鞠にまつわる)神社もあるし、私が住む京都府八幡市には「飛行神社」などもあり、航空関係者がよく参拝する。この飛行神社に祀られているのは、二ノ宮忠八という人で、彼は世界で初めて飛行機の原理というものを開発しようとした人だ。ライト兄弟に少し遅れてしまったが。このように、様々な神社がある日本という国である。

 いずれにしても、日本人は歴史的に多くの神に祈ってきた民族だ。宗教的には多くの人が「仏教と神道」をゆるく信仰している民族なのだろう。神仏習合といえなくもない。そして、儒教の影響もある。

◆中国や韓国の宗教事情と合わせて、「日中韓」の信仰比較を考えてみたいとも思い始めたこの頃。日本の周りの国々では、フィリピン人はほとんどがキリスト教の熱心な信仰をもつ。アメリカ人もカナダ人もキリスト教徒が多いだろう。中国人は、多少は日本と似ている宗教事情の面もある。最近は宗教に関心を持つ人も少しずつだが増加傾向にあるようだ。最も多いのが「道教」かと思う。いろいろな人や想像上のものを神として祀っている。最も多いのが、三国志の英雄「関羽」を祀る「関羽廟」かと思う。仏教にかんしては、儒教の影響もあり先祖崇拝は日本人より熱心な人が多い。

 韓国は、儒教社会の影響が いまだ強いとされ とりわけ「目上の者」に対する礼というものは厳しいものがあるようだ。そのようなことを嫌う側面もあるようだが、平等的なキリスト教を信仰する人の割合が30%近くあるともされる。韓国では、仏教は日本や中国のように 信仰の対象となることは 少ないようだ。ロシアはキリスト教(ロシア正教)信仰が多く、モンゴルは「ラマ教」(チベット仏教)の信仰の影響が強い国だった。

◆私は、「日本の国ってどんな国」ということに ここ20年来 興味関心を継続的にもっている。このため、日本の周りの国々(アメリカ・カナダ・ロシア・モンゴル・中国・フィリピン)には、それぞれ何回か訪れたことがある。日本の周りから日本を見ると、また日本のこと 日本人のことが 新しい視点から見え始めて来る。でもまだ、韓国と北朝鮮とベトナムに行ったことがない。北朝鮮は当分無理だろうが、韓国・ベトナムには 機会があれば ぜひ行ってみたいと願っている。

※9月からの日本文化論15回の授業案として、1回はこの宗教観に関するものを行いたいと思っている。