彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国滞在、深刻な病状なので初めて中国の病院に行った

2014-02-23 05:56:17 | 滞在記

 日本から中国の福州に戻って10日間あまりが経った。最近の福州は、寒暖の差が激しい。およそ、3週間あまり京都より季節が早いようだが、日中ポカポカと暖かい日と真冬のような日が交互にやってくる。大学の校内は、木蓮や菜の花が満開となっている所や、桃の花が2分~3分咲きとなっている所もある。一日一日、春がやってきている。「日本もあと1か月と少しで桜か。学生達にも見せたいなぁ。」と思いながら、季節の節目を眺めている。宿舎近くの公園には、寒桜が10数本植えられている所もあり、満開になっていた。中国人は、「梅・桃・木蓮・蓮・牡丹・水仙・椿---。」などの花に情緒を感じるようである。しかし、街の花屋にある花は、「大きな百合と薔薇」ぐらい。あとは、豪華な造花ばかり。「情緒を感じる花は、外の自然の中や庭や公園で愛で、家の中は豪華に見えるような花で飾る。」というのが中国人の生活的美意識なのかもしれない。

 後期(2学期)の授業開始日は、2月17日(月)。先週末、1か月間の冬休みを終えて、故郷から続々と学生達が帰ってきた。後期、私は1年生の「総合日語2」と3年生の「日語応用文書作」を担当する。火・木・金曜日の3日間で12時間の授業担当。4日間の休みの日は授業準備等にもあてるが、大学の本部キャンパスともかなり離れている宿舎での一人暮らしは、とても孤独感を感じ続けることの多い生活であることに変わりはない。日本に3週間あまり帰っていたので、この10日間は、もう一度孤独感に慣れていくための、「あきらめ」という心的作業開始。石川啄木の「一握の砂」「悲しき玩具」などの短歌に慰めを求めたりもする。
 石川啄木「一握の砂」より
 頬につたふ なみだのごわず 一握の砂を示しし人を忘れず
 何となく汽車に乗りたく思いしのみ 汽車を下りしに ゆくところなし
 何がなしに 頭の中に崖ありて 日毎に土のくづるるごとし
 ある日のこと 室の障子をはりかえぬ その日はそれにて心なごみき
 病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも
 こころよき疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる後のこの疲れ
 ふるさとの山に向かひて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな

 日本に一時帰国して、「ずいぶんと痩せたね。」「スマートになった。」と度々言われた。鏡を見ると、頬が少しこけてきている。半年ぶりに体重を測ったら68㌔。6㌔減。確かにスマートにはなっているのだが--。ウエストも---。痩せ方が何か変?まあ、中国滞在の慣れない環境でのストレスや食生活なども影響しているのだろうなぁぐらいに思っていた。日本では、知人・友人との酒席も多かった。2月上旬頃、空腹時に胃などの不快感を感じるようになり食欲が少なくなった。もしかしたら胃潰瘍かな?
 中国に戻る二日前(その翌日は建国記念日で医院は休み)に、胃の様子が心配になり、かかりつけの医院に行った。時間の関係で「胃カメラ検査」が実施できず、したがって薬も出してもらえず、不安を抱きながら中国に戻った。相変わらずの胃部の不快感と食欲不振が続き、授業時以外は元気があまり出ない日々。病院に行きたいが、中国語での対応が満足にできないので行けない。しかし、このままではますます悪化しそうだ。思い切って、学生に電話をし、「私も学生たちも授業のない4日前の水曜日午後」に 、どこか検査してもらえる病院への付き添いを頼んだ。(中国の大きな病院は、平日9:00~12:00、14:30~17:00まで診察しているようだ。)
 午後1時ごろに病院に「福建中医薬大学付属人民医院(福建省人民医院)」に着き、診察の順番を待った。3時ころに診察室に入る。担当は穏やかな感じのお婆さん女医だった。学生に通訳をしてもらいながら、症状等を話す。診察後、まず胃潰瘍の原因となる「ペロリ菌」の有無を調べる検査(ビニールに息を吹き込んで、菌の有無を調べる簡単な検査)をした。(約250元の費用) 検査の結果、「菌」は見つからなかったので、癌の疑いもある。不安が一気に高まった。「仕事半ばで、日本に帰国の可能性も--。」
 次に、「胃カメラ検査」(約450元)を依頼した。口からカメラを飲み込むと、嗚咽とともに涙が自然と流れている。胃部の肉片なども切り取られた。検査の結果、癌症状は発見されず。しかし、胃や十二指腸などに3か所もの胃潰瘍状態との結果。「1か所じゃなく、3か所も!これじゃ、痩せるはずだわ。頬がこけるはずだ。」と結果と原因がわかったことに、少し胸をなでおろした。おそらく、胃潰瘍の症状は昨年から始まっていたのかも知れない。中国での生活は、言葉の問題や日中間の緊張問題、中国人と日本人の国民性の大きな違い、食生活の違いなど、ストレスも知らずのうちに抱え抱えてていたのだろう。この日の診察・検査・薬の費用は、合計約900元(1元は約17円)。日本のような健康保険制度がない中国では全額払いとなる。(老人は保険制度が適用されるようだ゛) 大きな自己出費。(大学が加入している保険制度は入院時のみ適用型)
 処方の薬を飲み続けて4日目。胃部の不快な痛みもなくなり、快方に向かいつっあるようだが、健康時の空腹感はまだ戻ってきていない。本格回復まで、当分は好きな酒を飲むことができない日々が続きそうだ。(それもストレスだが) 今後、夕方の空腹時に飲むビール、寝る前に飲むストレートのウイスキーなどを控えた方が良いようだ。健康が不安になると、異国での暮らしはさらに大きな不安に包まれる。
 






 

日本への一時帰国、そして再び中国へ②

2014-02-15 14:48:53 | 滞在記

 1月28日(火)の夕方に、福井県より京都の自宅に戻る。翌日より、閩江大学の前期(1学期)に3年が書いた作文の文集作りの仕事に取り掛かる。印刷などは以前の勤務校に行ったりして数日間を要したが、かなり良い手作り文集の製本が50部ほど完成する。学生達に渡すのが楽しみだ。仕事の合間に京都市内に行って、書店で中国に郵送するたくさんの書籍を購入したりする。1月30日は、中国の旧正月(春節)の大晦日。翌日31日から2月14日までの2週間が春節期間となる。その間の1月31日から2月6日までが中国の祝祭日休みとなる。京都市内にも中国からの観光客がたくさん来ている。日本のテレビの報道によれば、昨年の「春節期間」の約3倍の中国人観光客の増加で過去最高らしい。日中両国の緊張関係にもかかわらず、なぜ増加したのか。
 中国は、現在「空前の旅行ブーム」である。中産層の増加がその要因だが---。海外旅行でも「かなりお得」なツアー旅行が発売もされている。「面子」の国、中国では、海外旅行に行くということは、「面子」をあげる機会でもある。国内旅行でも、他人に誇れて「面子」をあげる行先のランクがあるようだ。海外旅行で一番「面子の上」は、欧米旅行(1週間で一人約1万2千元)。「面子の下」は、最も行く人が多い、シンガポール・タイ・マレーシァ方面旅行(1週間で一人約2000元)。そして、「面子の中」は、日本旅行(1週間で一人約6500元)。欧米までは高くて行けないがという人たちが、日本に来るようだ。
 昨年の5月中旬から中国語を習いに行っていた、「博識中国」の宋先生に会いに行く。2月1日、中川さん宅の「すっぽん鍋」の会に招待されて行く。中国では、すっぽんが、庶民の普段の食べ物としてよく食べられている。

 帰国まで1週間後にせまったので、急いで「国際郵便」の荷物作りを進め始める。帰国までに段ボール箱5個を郵送した。中身は、医療品・薬・大量の書籍・食品・CDやDVDなど。7日(金)に、妻の実家がある京北町で一泊。朝起きたら夜に降ったたくさんの雪。京都市内に向け午前10時ごろ車で走り始めたが、途中の峠のゆるい坂で、車がスリップ回転したので、車で引き返し、バスで帰る。翌日再び、京北町に戻り車で自宅に帰った。9日(日)に、自宅近くの八幡市松花堂で開催されていた高校の「学生茶会」に行った。高校生「茶道部」の茶道の動作が美しかった。

 2月12日(水)に、日本への後ろ髪を引かれる思いで、再び中国に帰った。翌日から、日本から送った荷物を整理したり、後期授業の準備などを始める。後期からは、もう一人の日本人教員が新赴任到着していた。同じ日本語学科の張先生が14日に私達二人を食事に招待してくれた。彼女の話によると、「本日14日は、春節の最後の日でもあり、バレンタインデーです。」という。日本と違って、中国では男性が花を女性に送るようだ。花束を持っている男性を多く見かける一日だった。また、朝から、まるで一日中戦争状態のような、爆撃を受けているような爆竹と夕方からのすざましい花火の音が夜10時ころまで続いた。日本人の私は、うるさすぎて落ち着かない一日だつた。
 

日本への一時帰国、そして再び中国へ①

2014-02-15 13:05:22 | 滞在記

 1月19日(日)の夕方に中国より帰国し、2月12日(水)に中国に再入国するまでの約3週間、日本に一時帰国していた。
 日本に一時帰国して、すぐさま感じることは、大阪の街であれ京都の街であれ、「落ち着いた静けさ」があるということ、街が清潔であること、日本人の礼儀・ルールーを守るさま-----。空気のきれいさや山の緑の濃さ。そして、街やその周辺地域に一戸建て住宅が多いこと。中国の福州では、一戸建て住宅というのは、「金持ち」の住む住宅であり、その戸数も少ない。関西国際空港から大阪市内までの「南海電車」や「JR」に乗ると、景観的には不揃いで、美しいとは思えないが、もし中国人観光客が見たら、「なんて日本には、小さいながらも一戸建て住宅が多いのだろう!日本人は金持ちが多いのかも知れない。」と感じるだろう。そして、空気のきれいさを感じるだろう。

 京都市内近くの自宅に帰り、久しぶりにのんびりとした気分で1週間を過ごしたり、中国のアイスクリームで折れた歯の治療を始めたりした。何人かの友人と祇園で再会の乾杯をし、家族とも「おこしやす看板」の小さな居酒屋ですごしたりもした。また、以前勤めていた学校を訪問したり。大学院研修員として籍を置いている、立命館大学には、手続き等のため何回か行った。


 1月26日(日)から3日間、実家(故郷)の福井県南越前町に帰った。滋賀・福井の県境は、激しい雪。南越前の今庄あたりは、かなりの積雪になっている。自宅に帰り、友人と飲んだり、近くの水仙郷に行ったりしてのんびりと過ごす。日本海に沈む夕日がとてもきれいなことに、改めて気づかされる。中国では、ほとんどの地方で海に沈む夕日は、地理的に見ることができない。