村の中にひときわ大きな建物が見えてきた。近づいてみると「王氏宗祠」と書かれた、一族の先祖たちを祀る建物だった。村の長老の一人らしい人が村全域を案内してくれることをかってでてくれた。水車のある場所に連れられる。以前は、棚田で収穫した稲を脱穀する場所でもあったようだ。そばには水車の力で杵(きね)を突き、籾(もみを脱穀するための大きな臼状の大きな石が置かれていた。
長老に案内されるまま、村の坂道をどんどん山に上がっていく。家屋が続く。おばさんが「ネンネコバンテン」のようなものを背中に背負っていた。小さな赤ちゃんが入っているのだろうか。覗いてみると1〜2才ぐらいの子が入っていた。この村は柑橘果実の産地でもあるようで、山の斜面にみかん類の実が実っていた。棚田も見える。
山の中腹の「龍洞」と記された洞窟に案内された。ロウソクに火を灯し中に入って行く。村人が神聖な場所として祀られてきた歴史があるようだった。山を下り村に戻る。村の入り口にある駐車場近くに、増える観光客用にトイレが最近作られたようだった。おしりや顔が見える「ニーハオ トイレ」だった。夕方5時頃、日が落ちた村を後にして、暗闇の狭い道路を2時間あまりひた走り、尤渓の市街地に到着した。
午後7時過ぎに、林さんのおじいちゃんの家で夕食をいただいた。そして、おじいちゃんに、日本から持ってきた「サロンパスや各種消炎鎮痛シップ」などを渡した。かなり腰や足に痛みがあるようだった。
翌朝12日(日)午前9時、林さんの兄の車で新幹線「尤渓駅」まで送ってもらうこととなった。街中を通る。こじんまりとした落ち着いた町並み。この街はオートバイタクシーがとても多い。街の周りの山には美しい松林が多い。午前10時半頃の新幹線に乗車、1時間ほどで福州に着いた。
福州北駅から地下鉄に乗りアパート近くの駅に向かう。乗った電車車両の車内がほとんど真っ黄色だったのには、少々驚いた。福州市内の温泉のポスターが貼られていた。ここ福州は、中国三大温泉地の一つだ。
11月14日(火)に、林さんが閩江大学に来ることとなった。中国人教員の張先生の授業(4回生)で、在学生たちに紹介された。学生たちからのいろいろな質問(日本での留学生活のことなど)に40分間ほど受け答えをしたようだった。林さんは19日に再び日本に戻って行った。
歯がやばいことになった。11日の銀杏のきれいな村に行った際、たくさん買った「干し柿」を食べたからだ。この干し柿を買って、村の中を歩きながらすぐにパクパクといくつも食べ始めた。美味しいのだ。ちょっと心配のあった大きな前歯が、干し柿の中の固い種をガギッと何度か噛むうちに、前歯に違和感を感じた。「後の祭り」だ。やってしまった。少しグラグラとしてきた。
この日から前歯が抜け落ちないように、前歯を使わずにものを食べるように気をつけている。かなり不自由だが、しかたがない。幸い今のところ痛みはないのだが、一刻も早く日本の歯医者に行きたいと思っている。しかし、次に日本に帰国できるのは1月末〜2月上旬。それまで、前歯は現状でもつだろうか。中国でも1月1日は元日で休みだが2日からは休みではない。中国の正月は2月の「春節」時期となる。