彦四郎の中国生活

中国滞在記

尤渓:古銀杏林与您"杏"福有約❷—山間の村にイチョウ林を見に行く―林さん、母校へ

2017-11-29 07:37:09 | 滞在記

 村の中にひときわ大きな建物が見えてきた。近づいてみると「王氏宗祠」と書かれた、一族の先祖たちを祀る建物だった。村の長老の一人らしい人が村全域を案内してくれることをかってでてくれた。水車のある場所に連れられる。以前は、棚田で収穫した稲を脱穀する場所でもあったようだ。そばには水車の力で杵(きね)を突き、籾(もみを脱穀するための大きな臼状の大きな石が置かれていた。

  長老に案内されるまま、村の坂道をどんどん山に上がっていく。家屋が続く。おばさんが「ネンネコバンテン」のようなものを背中に背負っていた。小さな赤ちゃんが入っているのだろうか。覗いてみると1〜2才ぐらいの子が入っていた。この村は柑橘果実の産地でもあるようで、山の斜面にみかん類の実が実っていた。棚田も見える。

 山の中腹の「龍洞」と記された洞窟に案内された。ロウソクに火を灯し中に入って行く。村人が神聖な場所として祀られてきた歴史があるようだった。山を下り村に戻る。村の入り口にある駐車場近くに、増える観光客用にトイレが最近作られたようだった。おしりや顔が見える「ニーハオ トイレ」だった。夕方5時頃、日が落ちた村を後にして、暗闇の狭い道路を2時間あまりひた走り、尤渓の市街地に到着した。

 午後7時過ぎに、林さんのおじいちゃんの家で夕食をいただいた。そして、おじいちゃんに、日本から持ってきた「サロンパスや各種消炎鎮痛シップ」などを渡した。かなり腰や足に痛みがあるようだった。

 翌朝12日(日)午前9時、林さんの兄の車で新幹線「尤渓駅」まで送ってもらうこととなった。街中を通る。こじんまりとした落ち着いた町並み。この街はオートバイタクシーがとても多い。街の周りの山には美しい松林が多い。午前10時半頃の新幹線に乗車、1時間ほどで福州に着いた。

 福州北駅から地下鉄に乗りアパート近くの駅に向かう。乗った電車車両の車内がほとんど真っ黄色だったのには、少々驚いた。福州市内の温泉のポスターが貼られていた。ここ福州は、中国三大温泉地の一つだ。

 11月14日(火)に、林さんが閩江大学に来ることとなった。中国人教員の張先生の授業(4回生)で、在学生たちに紹介された。学生たちからのいろいろな質問(日本での留学生活のことなど)に40分間ほど受け答えをしたようだった。林さんは19日に再び日本に戻って行った。

 歯がやばいことになった。11日の銀杏のきれいな村に行った際、たくさん買った「干し柿」を食べたからだ。この干し柿を買って、村の中を歩きながらすぐにパクパクといくつも食べ始めた。美味しいのだ。ちょっと心配のあった大きな前歯が、干し柿の中の固い種をガギッと何度か噛むうちに、前歯に違和感を感じた。「後の祭り」だ。やってしまった。少しグラグラとしてきた。

 この日から前歯が抜け落ちないように、前歯を使わずにものを食べるように気をつけている。かなり不自由だが、しかたがない。幸い今のところ痛みはないのだが、一刻も早く日本の歯医者に行きたいと思っている。しかし、次に日本に帰国できるのは1月末〜2月上旬。それまで、前歯は現状でもつだろうか。中国でも1月1日は元日で休みだが2日からは休みではない。中国の正月は2月の「春節」時期となる。

 

 

 

 

 

 


尤渓:古銀杏林与您"杏"福有約❶—山間の村にイチョウ林を見に行く

2017-11-25 08:03:26 | 滞在記

 11月11日(土)、この日は月日が「1111」と「1」が全て続くことから、中国では「独身(1人もの)の日」とも言われる。この日の中国では、最大手通信販売仲介会社「アリババ」などをはじめとして、「一大通販イベント」が大々的に行われる。この日を楽しみにしている学生たちも多い。この日だけは、通常の販売価格の50%以上の値引きで多くの商品が売られるからだ。今年は、この日一日で3兆円以上の通販販売があったと伝えられた。

 私はこの日の早朝から、立命館大学大学院に留学し、今年の9月下旬に修了式を終えた林さんの故郷・尤渓に行くことになった。林さんは10月下旬から3週間、中国に1年半ぶりに戻っていた。来年の4月からは、日本の大手製造販売会社へ入社が決まっている。朝8時半ころの福州北駅発の新幹線に乗り、1時間ほどで三明市尤渓(ヨーシー)駅に到着した。この街は、大きくはない落ち着いた街だ。市内に小さな川が流れている。儒教の一派「朱子学」の祖・「朱子(朱熹)」の故郷であり、彼が営んだ800年前の「朱子学堂(大学)」があった場所でもある。

 林さんの家に行き、彼女のお父さん・お母さんとともに「イチョウ」の有名な村に行くこととなった。車は林さんの高校時代からの友人が運転してくれることとなった。いくつもの村を通過しながら、ひたすら細い山間の小道をひた走る。どこまで行ったらそのイチョウの村に着くのだろうか?山間を流れる小さな川の周りの山々には、「茶畑」が広がっている。細く切られた木材が立てかけられ並べられている。何に使うのだろうか?「木の割り箸」の材料かな?でも中国の割り箸は、「木ではなく竹」だしなあ?

  尤渓の市街から2時間ほど走ったら、林さんのお父さんの友人の会社に着いた。ここは、山砂利を採取し製造販売する砂利工場だった。男の人10人ほどが働いていた。飯場の暮らしをみんなしているようだった。ここの食堂で昼食をごちそうしてもらうのだという。女の人も飯場の飯炊きとして働いていた。食事の準備ができるまでの時間、最近 自動車の免許をとったばかりの林さんが 彼女の高校時代の友人とともに 運転の練習をし始めていた。

 たくさんの料理を並べてくれていた。ビールや白酒もいただいて「乾杯」しながら、途中、煙草(たばこ)のやりとりも入って、楽しく食事をいただいた。宿泊用のベットなどが並ぶ飯場の工場だった。自分の家がやや近い人は1週間に1度ほど、遠い人は1カ月に1度くらい自宅に戻るようだ。

 お礼を言ってここを出発。20分間ほどで山間の村に着いた。ここがイチョウの多い村のようだ。限界集落というような場所にある村だった。かなりの山間地だ。村のけっこう広い駐車場の近くに「古銀杏景区迎您」と書かれた横断幕が張られた村の門があった。この季節、けっこう観光客もくるようだった。亜熱帯地方のこの福建省の中でも、銀杏(イチョウ)の古木が美しい場所として、近年 評判になっている村のようだ。この村の民家は、中国の農村で多く見られるレンガ造りではなく、木で造られた民家だった。イチヨウの実である銀杏(ギンナン)を売っているおばあさん、椿の実を売っているおばあさん。

 蕨(わらび)を乾燥したものも売られていた。村でも古木のイチョウが美しい場所に到着。木造りの民家も独特な美しさがある。小さな木の門も見られる。おばあさんたちが、イチョウの銀杏(ギンナン)や干し柿を売っていた。おばあさんの素朴な笑顔に惹かれたこともあり、「銀杏(ギンナン)と干し柿」を買った。極限まで小さく干された柿を さっそく 歩きながら 何個も立て続けに食べ始めたのだが、これがこののち「前歯がとてもヤバい!!」ことになってしまった。(後悔 前に立たず)

  けっこうイチョウが美しい。常緑樹がほとんどといっていい亜熱帯気候の福建省では、人々にとって紅葉の景観というものは貴重なものだ。壊れかけた土蔵とイチョウのコントラストがなかなかいい雰囲気だ。この経済的には貧しいと思われる山間の村も、ここ わずか6〜7年ほど前から始まった中国の観光資源ブームの中で、「村の景観に対する誇り」のようなものを村人が感じ始めているのかもしれないなと思った。

 日本各地には どこでも多く見られるイチョウ。漢字では「銀杏」と書かれる。普通は「ぎんあん」と読むところだが、「いちょう」と読まれる。なぜだろう?調べてみたら、「①イチョウの原産国は中国 ②中国語では、『銀杏』と漢字で書かれる。別名は『鴨脚(イチャウ)樹』とも呼ばれる。葉がカモの脚に似ることからそう呼ばれる。このイチャウが日本では少し変化してイチョウと発音されるようなる。だから、中国語漢字の銀杏と書いて、イチョウと発音するようになったのが日本語の銀杏(いちょう) ④イチョウの実であるギンナンも漢字では銀杏と書かれる。」

 ひよっともしたら、このあたりの銀杏の木の苗が日本に持ち帰られて日本に広まっていった可能性もあるなあ!?と思ったりもする。あの日本の僧「空海」(讃岐うどんで有名な、四国香川の出身)は、長安の都に行く途中にここ尤渓を通っている。日本のウドンのルーツなどを研究している中国人研究家の説では、「尤渓のうどん」が、中国の麺類のなかでは日本のうどんに最も近いものであると主張している。日中合作の超大作映画「空海」は、渋谷染太?主演で来年の2月に公開予定なので、日本への一時帰国時にはぜひ見てみたい。

 ザボンに似た柑橘類のものも売られていた。土蔵がなかなかいいなあ。椿なのか山茶花(サザンカ)なのか、白い花も。

 

 

 

 

 


1回生「総合・日本語文法会話(日語口語1)」の授業より―大学点描

2017-11-22 05:09:50 | 滞在記

 中国国内で、この1年間で爆発的に普及したレンタル自転車。都市の市内に行くと、自転車が所狭しと歩道に並ぶ場所も多々あり、通行ができないほどだ。大学構内でも、寮と教室への行き来にこれを利用する学生が多い。30分内なら1元(約18円)と便利なものだ。(「支付」と呼ばれる携帯電話のアプリ機能を活用して支払いをする。私は、このアプリを入れていないので、利用できない かなりの少数派となっている。携帯電話は「電話」と「普通の単純メール」さえできればよいのだという考えで、日本の携帯もガラケイだ。)

 しかし、中国社会の たった1年〜2年間でのものすごく急激な支払い形態などの変化のため、中国で暮らすのは  ガラ系タイプの私の場合、生活的に難しくなってきていると実感することも日々多い。IT関連(インターネットなど)に関する中国社会は、日本の10倍以上のスピードで変化しているといつも感じる。中国での1年間の変化は、日本の10年間〜以上の変化という時間的経過の感じかな。

 11月中旬になっても、天気が良い日には、気温がぐんぐん上がり30度を超すこともある亜熱帯気候の福建省福州。しかし、11月20日の11月下旬になってからは、さすがに寒くなって来た。ホカホカカイロなども欲しくなってきている季節がようやくきた。

 夏の花なのだが、ブーゲンビリアはまだまだ花の盛りが続いている。これも夏の花だが、芙蓉(ふよう)の白やピンク色の花がまだけっこう咲いている。バナナは少し枯れる葉が出始めた。研究室の棟がある建物のそばによく置かれているピンクの車。珍しく屋根には両耳が付けられている。マツダのMの車票がある車。

 中国は世界最大の車の販売市場となっているが、日本車も多い。私がざっと中国国内で走っていたり駐車されている車を眺めていると、その割合は、「日本車(トヨタ・日産・マツダ・ホンダなど)が30%、ドイツ車(主にWのフォルクスワーゲン)が25%、アメリカ車(主にフォード)20%、中国国産車が20%、その他韓国車など5%」といったところだろうか。

 中国は最近、中国国産車の購入割合を爆発的に増やすために、「電気自動車」の生産研究に国をあげて本格的な体制を法的にも技術的にも整えてきている。5年後には、中国の自動車市場は大きく様変わりをしていくことだろう。中国は体制的にトップダウンの国なので、2〜3年で いろいろなことがガラッと変化することが とても多い。

 大学構内にはもともと川が蛇行していた場所がせき止められて長大な池となっているところがあり、魚がかなり生息している。二人が乗っている小舟の珍しい光景を見た。電気網というが、普通の竿網に見えるものには電流が通すことができるようになっていて、水の表面に近い所にいる魚を一時的に電気ショック(気絶)させて魚を獲っていた。近くの住民の人なのだろう。

 9月中旬より始まった1回生の文法会話の「日語口語1」の授業。2クラスのうちの1クラス(20人)を担当している。2カ月間あまりは、日本語の文字と発音を学習していたが、ようやく日本語の構文会話のジャンルに学習がすすんできた。日本語学科以外の学部(歴史学部、経済学部)からの聴講生もその他に2人来ている。

 全員、まだほとんど日本語会話はできないので、私もできる範囲の簡単な中国語(発音は無茶苦茶だが)も使いながら授業をしている。この授業に向けても、膨大な準備時間を要する。1回生を前期(1学期)から担当するのは、今回が3回目だが、授業構成の難しさで毎回苦労はするが、学生もまま真剣なだけに、1回の授業が終わると充実感がある。前期だけで全30回ほどの授業回数となる。

 

 

 

 

 

 

 


この国の、「あかんなあ!」と思うことの一つ❷―食堂店や料理店のトイレ事情など

2017-11-20 09:14:21 | 滞在記

 ほぼ1年ぶりくらいに、10月11日(水)の昼、日本語学科の常勤教員全員が集まっての会食が開かれた。中国人教員が7人、日本人教員3人の合計10人。昨年度は、一人っ子政策の変更により、2人目の子供を妊娠・出産する教員が多かったためもあり、このような会は開催されなかった。

 会食の日程は、前日の10日(火)の昼頃に知らされた。これもまた、唐突で急な連絡なのだが、中国に赴任して以来、このような集まりの場合の連絡も早くて2日前であった。日本の職場なら、2〜3人の集まりならそれもあるが、このような会食では少なくても1週間以上前に連絡されるのが普通ではある。ここは中国なのだ、これが普通なのだろう、事前の根回しというものはほぼ存在しないトップダウン。

 閩江大学にほど近い(大学が見える)、「海鮮料理店」が会場となった。以前にも1度、日本語学科の教員の会食があった店だ。この日は授業がない日で、前回のブログで話したように、急な提出指示連絡のため、授業の諸準備ができていなかったので、アパートにこもって急ぎ準備にあてようとしていた矢先の連絡だった。アパートから大学まで、早くてほぼ片道1時間半あまりかかるので、往復に3時間以上、会食で1時間半と、ほぼ半日が費やされることとなった。

 店はなかなかいい店だ。外のテーブルもいくつかあり、野外での食事は解放感も感じる。料理もなかなか美味しい物ばかりで満足感を感じる。本来なら、おおいにビールも飲むところだが、残念ながら今回はアパートに戻ってからすぐに仕事に深夜まで取り掛からなければならないから禁酒。調理場をのぞいてみたが、なかなか広い。

 トイレに行きたくなったので、店の人に場所を聞いて行った。「汚い!」、おまけにトイレが壊れていて水が流せない。水を流すボタンのところは壊れていて無く、テッシュペーパーが穴に詰め込まれていた。近くに小さなバケツが置かれ、水が入っていた。柄杓(ひしゃく)で水を流せということだ。美味しい料理も、食欲が減退してしまうというのが、中国で料理を出す食堂店や料理店のトイレ事情だ。ほぼ、どの料理店や食堂店でも汚い。せめて、料理店ぐらいトイレの衛生管理に頑張れよと言いたいが、どこもかしこも ほぼかなり汚い。

 中国で綺麗なトイレというものを見ようと思ったら、けっこう立派なホテルぐらいしか存在しないような気がする。全国チェーンなどのビジネスホテルなども、比較的きれいだが、さらに安いホテルなどは、けっこう汚い。

 日本人は、世界の中でも部類の清潔を好む国民性を持っているが、世界の中では そうではない国々の方が多いのかもしれない。清潔ということにあまり関心が薄いというか、「汚い不浄の場所はやはり不浄でいいのだ」という感覚が強いというか。中国では都市部でも「シャワー設備とトイレが狭い空間に一体となっている」家庭がほとんどだ。畳1畳〜2畳、狭い場合には半畳にトイレとシャワーが一体となった空間で用を済ませる。毎日、何かも使う場所なのだが、不便極まりない。

 当然、シャワーをした後のトイレは、流された水がそのままで自然に乾くのを待つことが多いようだ。つまり、水びたしのトイレで用を済ますということを繰り返している。

 このようなトイレ事情というか、トイレ感覚というか、これも日本人からしてみれば、「中国の七不思議」の一つである。大学のトイレでも「大便を流さずそのまま」という光景に いきあたることも けっこうある。「糞! 流すぐらいしておけよ!オマエ、大学生だろうが!恥ずかしくないんか!」と言いたくなる。まだまだ残る、おしりが丸見えのトイレ。これなども、日本人には理解できない トイレのつくりだが、日本のように他人の目を気にしない中国人という国民性から考えれば、納得もできる。

 ところ変わってだが、日本の温泉や銭湯などでの裸での入浴という習慣は、中国人のみならず、諸外国の人達からは、「とても恥ずかしくて理解ができない」おぞましいことがら(習慣)ではある。

 夕方の5時6時ともなると、通勤通学の人達による交通の激しさが増す時間帯だ。アパート近くの福建師範大学前の信号がある交差点や横断歩道も人と車と電動バイクと自転車でごったがえす。おまけに、、横断歩道上でに堂々と営業している屋台の群れ。道路から一段高い歩道にも、遠慮なく電動バイクや、時には車が走行する。人はどこを通ればいいのかわからなくなる。

 川の流れのように殺到する電動バイクが途切れる瞬間を見て「信号が緑となっている横断歩道」を渡こととなる。ほとんどの電動バイクは赤信号を守らず走って来る。赤信号を守らず走ってくる車もけっこうある。混雑時間帯の横断歩道を渡るときは360度、一瞬たりとも油断をしてはいけない。不法に走って来るバイクの波や車を避けながら渡りきらなければならない。これも、「この国の、あかんなぁ!」と思うことの一つである。他にも、「この国のあかんなぁ!」と思うことは、数え上げればきりがない。まあ、徐々に変わってはいくだろうが、経済成長や軍事力の急速な増大のようには、なかなか進まないかもしれない。

 これらも、国がかなり強い「公共マナー向上」の強制的な取り組みを継続的に行えば、劇的に変化を遂げる可能性も一方ではある。これが中国だ。お上の強制力は無類に強い。

 アパート近くの交差点にある「音楽楽器練習」の店。ピアノやギター、二胡、琴などを教える教室があり、楽器の藩杯もしている店だ。この店から、ぞろぞろと赤い宣伝ジャッケを来た若者たちが出て来た。ギターを ボロンボロンと演奏しながら、店の宣伝をしていた。宣伝バイトの学生たちなのだろうか。

 アパート近くにある小さな食堂店の看板メニューは「鳥の足」。爪がグロテスクに見えるので日本人は食べたがらないものだが、中国人はこれが大好きだ。ちなみに、日本の納豆は、似たものが中国の雲南省にもあるようだが、中国の人は絶対に食べたくないという人がほとんどだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


この国の、「あかんなあ!」と思うこと❶―悪しき慣習―急というより唐突な指示に翻弄

2017-11-20 06:55:06 | 滞在記

 中国に住み始めて5年目となっている。この中国という国は、経済的にも軍事的にも年々急激な発展を遂げ続けて、世界の中心国になってきているわけだが、「中国という国はすごい国だなあ」と思うことも多い。また、貧富の差などもまだまだ多いので、さまざまな階層の人たちが混在して暮らす一種混沌としたさまは、人々の層がかなり画一的になった日本に比べて「おもしろいなぁ」と思うことも多い。

 さて、この国で暮らし始めて、この国の、「あかんなあ!」と思うことも多々ある。まずは、「自由・民権・民主・人権・情報」というものが国家によって強く統制・規制されていることなのだが、中国の一般国民は、その問題に対する不満度や問題意識は 私たち外国人より感じることがかなり少ないと思える。中国共産党一党支配が70年近く続いていることによる弊害はさまざまあるのだろうが、私が中国の大学で教員として仕事をしていて、ものすごく感じるこの国の弊害の一つは、「上意下達(じょういげだつ)」による弊害である。組織の上部からの「急な指示、急な要請、急な連絡」というより、「唐突な指示、唐突な要請、唐突な連絡」と言った方が正確な出来事が仕事上多すぎるのである。

 ここ2週間あまりは、まさにこの弊害に翻弄され続けた2週間だった。大学正門(南門)の近くに大きな看板立てられている。「本科教学工作审核评估12月4日〜8日、到计时20天」と書かれている。「教育庁による本大学教育への審査評価日12月4日〜8日まで、あと20日」という意味である。このような大規模な教育庁審査は、私がこの大学に赴任して以来初めてだ。福建省内には100余りの大学があり、超名門の「厦門(アモイ)大学」(国立)、名門「福州大学」(省立)「福建師範大学」(省立)「華僑大学」(国立)などがその頂点に位置している。これらに続くのが、「福建省重点大学」に指定されている数校の大学である。おそらく、今回の大規模審査は、2018年9月からの「省重点化」に向けた動きなのだろうと推察している。

 この審査に向けた動きは、私の仕事や生活にも多大な影響をもたらすことになった。例の中国の人の仕事上の「上意下達」、「唐突な指示」「唐突な連絡」に翻弄されることとなった。顛末(てんまつ)の概要は次のような次第。

 私に様々な仕事上の連絡をくれる担当の日本語学科の中国人教員の人から、11月10日から様々な連絡指示が伝えられてきた。まず10日(金)の夕方、「教育審査に向けて各教科の課程分析表の提出指示がきましたので2日間の間に作成して提出してください」という唐突な指示連絡があった。「これは困ったぞ、4つの教科の作成はとてもたいへんだ」と瞬時に思った。これをなんとか睡眠を削って作成し期日ぎりぎりに提出した。週末のゆったりした気分とさまざまな予定が吹っ飛んだ。

 提出してほっとしたのもつかの間、その翌日に、「16日(木)には外国語学部だけの予備審査がありますので、その日の授業案を作成して持参してください」との これまた唐突な指示要請の連絡。「もっと事前にいっぺんに連絡してくれたら 計画的に作成できるのに」と、本当に困ってしまう。肝心の授業準備の時間がまったくとれなくなるからだ。しかし、これもなんとか作成して、16日の授業に臨んだ。しかし、誰も教室に視察にはこなかった。他の日本人の先生も同じ。

 そして、極め付けの唐突な連絡指示は、17日(金)の夕方に来た。「審査に向けて、各教科の全期全体の授業案を作成して2日間で提出してください」との連絡だった。この授業案の作成提出は通常は学期末に要求されることなので、学期内の授業がほぼ終ってからゆっくりと取り掛かり、1週間ほどかけて作成するものだ。膨大な日時を要する作業である。「もうムチュクチャやな、やるしかないわい!」と、寝食をかなり省きながら、2日間で作成して、なんとか提出を昨夜できた。もちろん、このため、肝心の授業準備は後手後手となってしまうというよりできなくなった。もちろん、週末の予定も全て吹っ飛んだ。

 これはなにも、連絡をくれる中国人の教員の人が悪いのでもなんでもない。その教員の人もさらに上からの急で唐突な連絡を受けて困りながら私に伝えてくれているだけなのだ。その教員も私に指示連絡をくれたのと同じような仕事をしなければならなくなり、同じように急な仕事が舞い込み、週末の予定を変更して 事にあたることとなる。

 日本では、小学校でも中学校でも高校でも、そして大学でも同じだと思うが、1カ月前には職員会議や教員会議などで、このような仕事上のことの提案連絡があり、ある程度計画的に仕事をこなすことができる。中国にはあまりそのような慣例がないように思える。常にトップダウン方式で、急で唐突な指示連絡で終わりという感じである。

 これは、おそらく、長年の一党支配体制のなかでの慣習なのかもしれない。「上に立つものは常に偉くて、その下のものは、従順に従うべきだ」という「民主的手続き」の欠如慣習かとも感じることは、2013年9月に中国に赴任して以来、私から見て「中国人の七不思議」の一つだ。(「中国人の七不思議」①なぜ、仕事での連絡がかなり唐突であり、いっぺんにいろいろなことを総合的に連絡すればいいのに 小刻み 小出しに 次々と連絡指示をする。中国人は全体総合的な視野が不足しているのかと思えたりもする。②なぜ中国人は男性も女性もハンカチというものを持たないのか、全てテッシュペーパーで済まそうとするが、紙の膨大な浪費ではないか。③なぜ中国のトイレはあそこまで汚いのか。特に料理店の大半は、トイレに行くとゲンナリして食欲が失せてしまうのだが。などなど------------------------------------------------------------------------------------)

 この「トップ・ダウン」の悪しき慣習は、いろいろなところで感じることだ。例えば、急な会議招集、講演会などへの半強制的な急な参加要請など。連絡はほぼ2日前くらいの急な時期にくるので、学生達にとっても、バイトなどの予定がすでにあるのにと困惑することも多い。また、講演会や集会等では、定刻通りに始まらず、15分〜20分遅れというのはざらである。「これはどうしてか?」と、ある中国人に聞いたら、「まず最初に挨拶をする偉い人の面子(めんつ)のためですよ」と話していた。つまり、「私はとても忙しい中にもかかわらず、さまざまな予定のなかでこの会に駆けつけてきましたんですよ」と権威を示すための慣習なのだそうだ。

 習近平政権の2期目発足となった10月。これまで反腐敗・汚職などの権力闘争では成果をかなりあげた政権ではある。「初心に帰れ」という新たな党スローガン横断幕も目立ち始めた中国社会の街角。これは、今までのままでは、国民の党への信頼が保たれなくとの危機感を表わしているスローガンだが、悪しき慣習なども良くなっていくことを期待したいところだ。