彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国に渡航して1か月間余りが経った 大学では❶―新しくできていた日本文化教室、1回生の軍事訓練、女子サッカー倶楽部

2023-04-30 16:23:21 | 滞在記

 私が勤める福建省の閩江大学には、文系・理工系・芸術系・海洋系など多くの学部があり、学生数は2万人超が在籍する。大学構内は広く(正門である南門から北門まで徒歩で25分ほどを要する。)、森や水辺も多く、水と森に囲まれた大学という感がある。3年ぶりに大学に戻ると、新しい建物もかなり増えていた。

 3月30日に久しぶりに大学に行ったが、それから1か月間余り、季節は春が過ぎて、明日5月からは夏の月の始まりとなる。大学構内のデェイゴの樹木もかなり真紅の花を開花させてきた。

 3年ぶりに大学に来てみると、外国語学部日本語学科の「日本文化教室」ができていた。畳敷の二間があり、他に台所の間、玄関の間などがあり、とてもいい部屋に仕上がっていた。私は毎週木曜日の午前中、2コマで、3回生の1組と2組の「日本文化名編選読」の講義をここで行っている。第9回目の講義となった4月20日(木)、この日の講義テーマは「日本の短歌と俳句の世界」。畳敷の部屋なので、簡単な「小倉百人一首」の札の取り合いを、全ての学生に体験してもらった。畳の部屋があるからこそでくることだ。

 この「日本文化教室をどのように作るのか」ということに関して、私が日本滞在(オンライン授業)していた2021年に、日本語学科の主任である何先生からアドバイスを求められもした。昨年に出来上がったらしい、この教室は、私が想像していたものよりも、とてもリラックスできる雰囲気だ。日本人にとって、やはり畳は気持ちが落ち着く。昼寝をここでするのも良さそうだ。

 福万楼の7階の(722室)、小さく細長い私の研究室。午前中の授業を終え、学食で昼食をとり、ここに戻って30分~2時間ほど昼寝をしたりもする。ここもまた、気持ちの落ち着く場所だ。激しい中国社会の中で、ストレスも蓄積される私にとって、気持ちの安らげる場所は、この研究室とアパート、そして新しくできていた日本文化教室の3箇所となった。

 4月8日(月)から19日(金)までの2週間、1回生5000人余りを対象とした軍事訓練が行われていた。私の研究室にまで、軍事訓練の「イーアル・サンスー1・2・3・4)の5000人余りの掛け声が聞こえてくる。

 毎週金曜日の朝、午前7時半頃に研究室のある建物近くまで来ると、大学運動場では大学の女子サッカー倶楽部の20人ほどが練習をしている。

 近年、中国ではサッカーの人気はかなり高くなってきているのだが、3年前まではこのような女子サッカー倶楽部の練習は見たことがなかった。中国のサッカー代表チームは、男子はまだまだ強くはないが、女子はかなり強くなり、アジアの強豪の一角となっている。

 

 

 

 

 

 


電動バイクが大氾濫、今の中国❸―電動バイク充電に伴う火災発生が多発、私のアパートでも—自転車の波から電動バイクの波への中国の歴史

2023-04-29 10:38:12 | 滞在記

 2021年の日本の朝日放送系の「ABEMA NES」でも、「中国 電動バイク29台が燃える」と題されたニュースが報道されていた。この火災は、建物の外に設置されていた電動バイクの充電場で、夜間の充電中に起きた火災だった。30台余りの電動バイクの同時充電のために、電気コードが過熱しすぎ、電動バイクのコンセントから猛烈な火花が出て、次々と電動バイクが燃えるという事態になったのだろう。

 この4月23日の早朝3時頃に突如として起きた、私が暮らすアパートマンションの半地下で発生した火災もまた、この電動バイクの集団充電による火災だった。この3年間での電動バイクの驚くべき増加によって、中国の全国各地で、このような火災が多発してもいるようだ。

 ―自転車の波から、電動自転車の波へと、中国の歴史は移り変わった—

 1980年代に入り、中国は「改革開放路線」へと大きな舵(かじ)をきり、経済発展が大きく進み始めた。1980年代から90年代、この中国の人々(庶民)を象徴する光景が、通勤時間帯のおびただしい「自転車の波」「自転車の川のような流れ」だった。このような自転車を多くの人が生活の足として使う時代は2015年ころまで続いた。(2000年頃からは、自家用オートバイ、2005年頃から自家用車が少し普及し始めた。また、2010年ごろから電動バイクも少し普及し始めた。しかし、人々の生活の足の中心は自転車だった。)

 そして、2017年になると突如、数社による「レンタル自転車」産業起こり、中国全土でまたたく間に広がっていった。それは、ものすごいスビートでの広がりだった。街中にレンタル自転車が走っていた。レンタル料金はたったの1元(当時は18円)。これは、スマホによる買い物での支払い(スマホ決済)の全国的な普及にともなって実現できた商売だった。レンタル自転車もスマホ決済だった。このレンタル自転車は、何時間利用しても1元、どこに乗り捨ててもよいという、とても利用がしやすいものだった。だだっ広い大学構内でも、このレンタル自転車は、移動するのにとても助かった。

 どこでも乗り捨て自由であったがために、このレンタル自転車は利用者に乱暴に扱われることも多く、街中に壊れてしまった自転車も多く見られるようになっていった。2019年になると、街のいたるところに、「レンタル自転車の墓場」と言われる廃棄されるレンタル自転車が大量に積まれている光景が見られるようにもなっていった。そして、レンタル自転車の大手会社の数社が倒産するということにもなり、もうこれでレンタル自転車はなくなっていくのかなあという感もした。

 3年ぶりに中国に戻ると、規模は少し小さくなってはいるが、今もまだ、レンタル自転車は健在だった。(主に3社のレンタル自転車[緑・青・黄色])   そして、レンタル自転車のレンタルの仕方がかなり変わっていた。スマホ決済は同じだが、街中や大学構内などのいたるところに白ペンキで書かれたエリアに自転車を置くというシステムに変わっていた。レンタル料金は、30分以内なら1.5元(約25円)になっていた。また、使った後に自転車を決められた駐輪エリアに置くことが必要となった。

 これをしないと、スマホでの決済ができなくなる(スマホに、位置情報が示され、「ここは駐輪エリアではありません。このため決済ができません」と表示される。)ため、延々と、使用時間が延長され、料金が加算していく。このため、利用者は決められた駐輪エリアに行儀よく置くようになり、壊れる自転車は激減していた。以前に比べるとスマホでのレンタル操作は煩雑になったが、やはり、レンタル自転車は、広い大学構内や、アパートから徒歩20分ほどかかる大型スーパーに買い物に行く際には、とても便利で助かっている。

 そして、中国の2023年の今、電動自転車(電動バイク)が、自転車を大きく上回って、中国の人々(庶民)の足となり、電動バイクが川の流れのように、波が押し寄せるように中国国内の街に溢れかえっている。歩道もおちおち安心して歩けず、通勤時間帯の横断歩道は、命がけで渡るという光景となっている。

 「Yahoo Japan!」に、「日本とけた違い!中国の電動バイク保有台数3.4億台突破、‥‥なぜ爆売れするのか?」という記事(2023年4月22日配信)があった。この記事に対して、日本在住の人のみならず、中国在住の日本人からも、次のような多くのコメントが寄せられていた。

 ●「20年くらい前に仕事で中国に行った時に通勤時間に自転車の集団が通勤しているのを見て、これが自動車に代わったら大渋滞になるだろうと考えた。この記事を見ると自転車が電動バイクに置き換わっているのではないかと思う。免許もいらないしエコというのは完全に自転車の延長線上にある。」、●「現地にいますが、都市部と違って交通マナーが悪いので最悪ですよ。日本でも自転車のマナーが問題になっていると思いますが、それが自転車よりも重くてパワーのある電動自転車で起きるのです。こいつらが、車道、歩道関係なく走り廻っている光景を想像してみてください。私は怖くて仕方がないので、できるだけ街歩きは避けていますし、出歩くときは相当警戒しています。」、●「原付相当の動力性能、使い勝手で、免許もナンバーも保険もヘルメットもいらず、歩道走行もOK、駐車違反も速度違反も取り締まり対象外。そんな便利な乗り物があれば、そりゃ売れるにきまってる。」

■電動バイクは、バイクに二人乗りができる足置きが付いている。日本の原付50ccバイクは二人乗りは禁止されているが、中国では二人乗りは当たり前だ。三人乗り、四人乗りも時々見かけるが、取り締まりの対象外。四人乗りの場合、電動バイクの運転者の前にしゃがんでいる人が一人、後部シートに乗っている大人と運転者の間に挟まって乗っている子供などが一人、合計4人となる。私が中国滞在10年余りで見かけた最高乗車数は5人だった。これにはびっくりした。(これは、電動バイクではなく、250ccくらいの中型オートバイ。福建省福州市の田舎の山間地区で見かけた。)

 その中型バイクを使った「バイクタクシー」を商売にしている人もいる。私も大学に通勤する時に、時々利用するのだが、料金はタクシーよりも少し高い。また、雨の時は、バイクの上に、「前方後円墳」のような形をした傘を立てて走りもする。3年ぶりに中国に戻り、電動バイクの大普及もあり、この商売をしている人もほぼいなくなったかなあと思っていたら、かなり減少したが、この商売をしている人が現在もいた。アパート近くのバス停から43番バスに30〜35分ほど乗り、博仕後家園というバス停で下車し、95番バスに乗り換えて25分ほと乗ると、大学正門(南門)近くのバス停に至る。バスの料金は1元(約17円)ととても安い。

 だが今も「バイクタクシー」の商売をしている、5〜6年前からの顔見知りのおっちゃんが、私がこの博仕後家園のバス停に、木曜日と金曜日は午前7時頃に下車して、95番バスを待っているのを知り、毎週木・金のこの時間にどこからともなく現れるようになった。当然のように乗れという。「料金はいくら」と聞くと、「20元(約340円)」だと言う。「高すぎる」と言うと、「15元にする」と言う。それ以降、雨が激しくない日以外の木・金には、このバイクに乗せられるようになってしまった。ただ、このバイクタクシーに乗ると、7〜8分で大学に着くのでとても便利ではある。(※午前6時にアパートを出て、6時半発の43番始発バスに乗って、このバイクタクシーを使うと、なんと7時10分頃には大学に到着できてしまう。授業は、午前8時半からなので、大学構内をゆっくり散歩しながら研究室に向かい、研究室でしばし珈琲タイムもとり、大学の授業棟[徒歩15分]に行くことができる。ただ、このバイクタクシーも、けっこう信号無視をして走っているが、私はそれには慣れてしまっている。)

 

 

 


電動バイクが大氾濫、今の中国❷―保有台数3.4億台突破、なぜこれだけ爆売し、中国国民の足となっているのか

2023-04-28 18:47:18 | 滞在記

 特に午前6時半から8時半、午後5時〜7時の、出勤・退勤、通学・下校の時間帯は、「歩道もおちおち歩けない、横断歩道は命がけ」となっているほど、大氾濫している電動バイクが走り廻る今の中国。3年ほど前よりも、少なくみても2〜3倍、道路や歩道を走っている電動バイクの急増加。なぜ、これだけ急増したのだろうか…。街を歩くと、「电动车 专业修理 」(電動バイク 修理専門)や「电动车 维修 摩托车」(電動バイク オートバイ 維持修理)などと店先の看板に書かれた店もかなり増えている。大学に行くために、アパートから徒歩20分ほどのバス停に行く間、400m~500m余りに一軒はそのような店があるような感がある。

 インターネットで、朝日テレビ系列の「ABEMA NEWS」を最近、視聴すると、「中国で電動バイク3億台超 EVの本命は電動バイク?」と題して報道されていた。「中国 電動自動車1150万台 電動バイク3億4000万台」「家庭用のコンセントで充電 一度に50km~100kmの走行が可能」「加速感 300cc〜400ccのオートバイに相当の車種も」「中国で急拡大」などのテレップが流れていた。

 そして、中国の電動バイク製造・販売会社の会長が登場し、スポーツタイプの車種の新販売など、今後の経営戦略について語っていた。じつに、さまざまな車種が販売されていて、3年ほど前と比べると、とてもおしゃれな車種が急増していることもわかる。

 この電動バイクの正式な名称は「電動自転車」。自転車と名前が付けられているように、ペダルが付いて販売される。ペダルは付いているものの、ペダルを回さなくても、電気で50ccバイクのように ゆうに時速50kmは軽く出る。中国政府は、これを「自転車」として認可しているため、いわゆる免許を取る必要はない。また、最大の魅力はなんといっても価格の安さだ。電気自動車(電動バイク)の価格は、1250元(約2万4000円)〜3000元(約5万7000円)。多くの車種が1300元(約2万5000円)ほどだ。バッテリーの充電時間も6〜8時間程度のものが一般的。一回の走行距離も50km~100km。通勤、通学、買い物など、日常の足として、とても便利このうえない。

 中国人に、「酒を飲んで、この電動バイクに乗って走ってもいいんですか?」と聞いたら、「まあ自転車ですから‥いいんだと思いますよ。気をつけないといけないが‥特に禁止法令はないと思いますよ」とのこと。「ただ、中国では、自動車の飲酒運転には厳しいですよ。飲酒運転が発覚したら、3年間は免許停止です。もし、事故を起こした場合は、免許永久停止です」とも話していた。

 ただ、この電動自転車(電動バイク)は、家の中や室内での充電は禁止されている。漏電やオーバー過熱による火災が起きやすいからだ。中国の都市部では、高層タワー住宅が最近はとても多い。40階ほどの高さがある高層住宅が平均的。低くても20階ほどはある。私が暮らす2000年頃につくられた住宅マンション棟は8階なので、とても低い建物となる。

 家の中では充電できないので、これらの高層住宅に暮らす人たちは、なかなか電動自転車(電動バイク)を買うことは少なかった。(6〜10階くらいの建物ならば、部屋から電線コードをつなぎ合わせて、コードを地上まで垂らして使っている人たちもけっこう多かった。ただ、屋外のつなぎ合わさった電気コードは、雨に降られてコードが使えなくなることもよくあったようだ。)

 街中にもお金を入れて充電できる場所はあったのだが、少なく、いずれにしても、この充電というのが足かせになり、現在のような電動バイク爆売れとはなっていなかったのだろう。また、車種もそれほど多くなく、いわゆる、若者たちにも好まれる「かっこいい」「おしゃれな」電動バイクの車種はほとんど少なかった。だが、3年ぶりに中国に戻ってみると、それらの足かせになっていたいくつかの問題が、大きく変化していた。

 そして、3年振りに中国に戻ってみると、さまざまな所で充電が可能になっていたのだ。例えば、私の大学研究室がある福万楼には、電動バイクの充電ができる充電スタンドの充電コンセントがたくさんできていた。「ショート・漏電して火災を引き起こしやすいので注意せよ」の注意書きパネルが貼られ、消火器も設置されていた。もうひとつは、「バッテリー充電宅配会社」ができていて、充電して宅配をしてくれるのだ。これにより、高層住宅に住む人も充電を気にする必要がなくなった。(とても充電価格は安い。)

 電動自転車(電動バイク)には、申し訳程度に小さなペダルが付いている。(普通の自転車のペダルの3分の2ほどの大きさ) 電動バイクがバッテリー電気で走行していると、このペダルは快速でぐるぐる回りだす。街中に溢れる電動バイクをよく見てみると、ペダルをつけたままにしているのは、30台に1台くらい。じゃまなのだろう、ほとんどペダルを取り外しているが、警察などから取り締まられているようすもまったくない。

 ペダルの軸の部分から、取り外されているのだ。おしゃれなカッコいい電動バイクが増えてきて、充電も簡単に可能になっているので、電気が切れた場合のペダル使用もほとんど必要なくなり、第一こんなペダルはカッコ悪いということで外されるのだろう。

 かくして、中国は今、全国津々浦々まで、電動自転車(電動バイク)が爆発的に増えて、溢れかえっている。あと半年もすれば、4億台くらいが普及するのだろうが、家庭に1台以上は電動バイクがあることとなる。そして、安心して歩道を歩いたり、横断歩道を渡ることができない社会となっている。

■電動バイクに乗っている人は、老若男女ともに、信号を守る人はほとんどいない。交差点の横断歩道が緑になっているので歩行者が渡っていてもお構いなしだ。また、逆走も日常的に行われている。歩行者は歩行者で、かなり長い横断歩道でも、信号を無視して渡る人もたいへん多い。なにか、信号無視は当たり前の社会なのだ。(ただ、自動車だけは信号は守る。)  時々、朝夕の通勤・通学のラッシュ時間に警察官や地区の警備員(執勤)が交差点に立つことがある。この時だけは、電動バイクも歩行者も、およそ80%余りが信号に従う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


電動バイクが大氾濫、今の中国❶―歩道も、おちおち歩けない、横断歩道は冗談なしに命がけ

2023-04-27 05:52:52 | 滞在記

 3年ぶりに中国福建省の省都・福州市(人口700万人超)に戻り、いくつかの大きな変化が街や大学に起きていた。その一つが、電動バイクのすごい増加というか、まさに大氾濫だ。3年余り前の2019年にも、かなりの電動バイクが町中を走っていたのだが、その当時の2〜3倍には、その数が増えたという感じがする。

 特に通勤・通学時間帯の午前7時頃〜8時半頃、午後5時頃〜6時半頃までは、道路は電動バイクが川の流れのようにというか、洪水の水の流れのように、ビュンビュンと密集しながら走っている。電動バイクの氾濫だ。よくも、電動バイクどうし、電動バイクと車との接触事故が起きないものだと、その運転操作の中国人たちの巧みさには感心させられるくらい、みんな、接触したりしないように、テクニックがとても上手だ。

 歩道もおちおちと、安心して歩けない。歩道でも電動バイクが前から後ろから、走っている。しかもこの電動バイクは音がしないので、後ろから走って来ても気づかない。この電動バイクの正式な名前は「電動自転車」。自転車のように小さなペダルもついているのだ。日本にも電動自転車はあるが、それとは名前は同じでもまったく違う。小さなペダルはついているが、まさに原付バイク(50cc)そのものだから、時速も50kmはゆうに出る。法規上は「電動自転車」という扱いになっているので、歩道を走ることも許可されているし、飲酒していても乗れるという代物(しろもの)だ。

 この中国式電動バイクは、2013年に中国に赴任した時から町中で見られたが、まだその台数はそれほど多くなかった。一度、歩道を真っ直ぐに歩いている時に、ほんの少し左側に歩く方向を無意識に変えた時、後ろからまったくの無音で近づいていたらしい電動バイクに体を当てられた。体の全身ではなく、部分的な衝突だったので転倒などの大事に至らなかったが、電動バイクを運転していた人は、「すみません」「大丈夫ですか」などの言葉は一言もなく、「お前の方が気をつけろ!」という態度で走り去っていった。

 この時以来、中国では歩道を歩く時には、絶対に真っ直ぐに歩くこと、少しでも方向を変えて歩こうとする際は、必ず後ろを瞬間的に振り向いて、後方を確認することを意識するようになった。

 交差点の横断歩道を渡る時は、冗談掛け値なしに「命がけ」というか、毎回、命が縮む思いとなる。電動バイクが横断歩道を埋ずめながら走って行く。その中を前後左右、360度、気をつけながら横断歩道をわたらなければならない。電動バイクに乗っている人は、ほぼ信号を守らない。信号が赤でもあっても、少しでも走り抜けられそうだったら走って来る。逆方向からも走って来る。つまり360度から横断歩道を走って来るのだ。しかも、中国の道路法規では、赤信号でも、右折する場合は右折が可能だから、信号に右折車も走って来る。

 日本では、「人優先」の道路事情だが、中国では「車や電動バイク優先」の社会だなあと、つくづく思わされる。日本に旅行に来た中国の人たちは、日本の「人優先」の道路のようすに、面食らうかと思われる。安心して歩道や横断歩道を歩ける日本の社会に、ある面、癒されたりもするだろう。そんな社会のようすに魅力を感じて、再び日本に旅行する中国の人たちも多いのかなあとも思われる。この3月に日本の旅行調査機関が実施した、「海外旅行に行くとすれば、どの国に行きたいか?」という調査(中国人1500人余りにアンケート)では、1位日本、2位カンボジア、3位シンガポールという結果になっていた。

 3年前には、大学構内で、電動バイクが走っていることは、稀(まれ)だったのだが、3年ぶりに戻ってみると、ものすごく電動バイクが構内を走っているのだ。だが構内はだだっ広いので、街中の歩道を歩く時のような危機感は少なく、かなりゆったりした気持ちで歩くことはできる。

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の京都より1カ月余り早く、夏に向かって季節が移ろう、亜熱帯気候の中国・福建省

2023-04-25 06:13:07 | 滞在記

 3月29日(水)に日本から中国福建省福州に渡航し、深夜にアパートに着き、翌朝に窓から景色を眺めると、紫の桐の花が満開になっていた。日本の京都では、桐の花は5月に咲く。ここではもう、3月下旬に咲いている。この日、バスを乗り継いで大学に行ってみた。南門(正門)を入ってすぐ、「福建閩院酒店(大学構内のホテル・レストラン・宿泊所・学術交流センター)」内の数本の樹木の黄色い花が満開となっていた。

 北海道大学くらいの広さのある大学構内の針葉樹林の森は、少し新緑の葉をつけ始めていた。年に3度余り実をつけるバナナ。房が少し大きくなり始めていた。日本の京都では、4月下旬から5月上旬頃に満開となるツツジだが、ここではもうほとんど咲いた花が色あせていた。

 大学構内の木々の80%余りが常緑樹なのは、亜熱帯地方の特徴だ。その中で、日本の欅(けやき)のような幹回り枝ぶりの樹木があるのだが、この樹木は3月下旬から4月上旬ころに紅葉し、1週間ほどで落葉する。そして、落葉したらあっという間に新芽の新緑を出し始める。日本人にしたら不思議な光景というか、季節感がわからなくなってしまう…。日本の近畿地方では5月中旬頃から咲き始める白い卯(う)の花が満開になっている4月上旬の福州の光景。

 大学構内の水辺に架かる石橋の下あたりにアヤメや杜若(かきつばた)の花が咲いている。日本の京都では5月上旬から中旬にかけて花が咲く。藤の花の満開が過ぎて、散り始めている福州の4月上旬。3月中旬頃から構内の中央広場の野原一面に咲き誇る蓮華(れんげ)は、もうこの時期には色あせていた。

 4月中旬の大学構内。香港のシンボルとなっている花は、遠くからのちょっと見、桜並木のようにも見える。構内の新緑が美しくなってきた。

 4月中旬頃になると、校内の針葉樹林の森も、黄緑色の葉が多くなってきている。4月上旬頃に紅葉し落葉した樹木も、あっという間に新緑に包まれた。高木に赤い大きな花を咲かせてボタリと落ちる亜熱帯の花も満開に。そして、沖縄にも咲くデェイゴの花が咲き始めた。亜熱帯地方の夏の花だ。福建省福州と沖縄県の那覇は同じ緯度(いど)にあり、那覇や長崎は、福州と友好都市となっていて、いろいろな人的交流(琉球大学や長崎大学などとの交換留学生)も多い。

 4月9日(日)の午後、アパート近くのバス停からバスに乗って20分余りの所にある茶亭公園にふらっと行ってみた。この公園は私が好きな公園の一つだ。高層住宅が公園の周囲にそそり立つが、公園の風情はなかなかのもの。池に中国風の石橋が架かる。京都では5月上旬頃に満開となる小手毬(コデマリ)の白い可愛らしい花が満開になっていた。公園内で剣舞をしている数名の人の姿も‥。

 笛や胡弓(こきゅう)などを演奏している人たち、7〜8人が池畔に座って語らっていた。幼い孫たち二人を公園にきた祖父(おじいちゃん)。京都にいる3人の孫たちに会いたくもなる‥。

 福州市のシンボル樹木(市樹木)ともなっている常緑樹のカジュマル(榕樹)の深い緑の木陰。福州は榕城とも呼ばれ、このカジュマルの樹木が並木などにとても多い。夏の花であるハイビスカスやブーゲンビリアが咲き始める4月10日頃。この日の最高気温は28度の夏日。4月中旬から暑い日も徐々に多くなってきた。最高気温が32度〜33度の日も数日間続いた。5月からは本格的な真夏日(30度以上)へと季節は移ろう。閩江(びんこう)の大河の中洲に建つ洋館風の建物群。この辺りはかって福州の港(東シナ海に注ぐ、閩江の河口から30kmのところ)があり、茶葉が世界各国に輸出された中国最大の茶葉の港だった。付近には、かっての、米国・フランス・ドイツ・日本・ベルギー・ロシアなどの旧領事館の建物も多い。

 4月下旬となった2日前、アパートの窓から向こうを眺めていると、長い梯子(はしご)を屋根に架けて登り、枇杷(びわ)を採っているいる人の姿が‥。京都では、枇杷が食べ頃に黄色く熟れるのは、5月下旬頃。日本の京都より1か月余りは早く、夏に向かって季節が移ろう、亜熱帯気候の中国・福州(人口約700万人/福建省の省都)。