彦四郎の中国生活

中国滞在記

坐骨神経痛の痛みを和らげるために、中国推拿(すいな)に初めて連れて行ってもらう―道具や薬などを使わず、手だけで痛みなどを緩和する!中国三大療法「推拿」とは

2023-06-24 11:13:42 | 滞在記

 22日(木)に、閩江大学卒業生の王さんから、「先生、坐骨神経痛の痛みを和らげるために、福州にある中国推拿(すいな)の店に一緒にいきませんか。いい店を知っていますから‥」との連絡が入った。私はこれまでに、日本でも中国でもいわゆるマッサージ店や按摩店などには行ったことがない。

 だが、6月25日の早朝五時頃にアパートを出て、中国福建省の福州の空港に到着し、午前9時発の廈門空港便で日本の成田空港に午後1時30分頃に到着し、成田エキスプレス(列車)で東京駅に、さらに新幹線で京都駅に。そして、近鉄電車や京阪電車に乗って日本の自宅近くの京阪電車の駅まで、はたして、大きなキャリーバック2つを持ち、重いパソコンの入ったカバンを持ちながら、坐骨神経痛の痛みが強く出て歩きにくくなってもたどり着けるだろうか。症状によっては、成田空港近くのホテルで一泊して痛みを和らげる必要もあるかと考えていたところなので、この中国の推拿店に6月23日(金)の夕方に王さんと一緒に行ってみることにした。

 私のアパートからタクシーで20分ほどの、王さんが現在住んでいるアパートの近くにその店はあった。(※行く前に、王さんが予約しておいてくれた。)王さんも、時々、利用する店だという。「盲人推拿」と書かれた看板が掲げられている店だった。店の前でタバコを一服し、王さんと一緒に店に入った。店内には男性2人、女性2人の目の不自由な(かすかに見えるようだが、まあ、盲人の人たち)のスタッフがいた。すでに3人の人が治療を受けている最中だった。王さんが、私の坐骨神経痛の痛みの症状や、特に痛みのある箇所などを、私を担当した男性スタッフに簡単に説明してくれた。王さんもしばらくして、治療を受け始めた。治療時間はそれぞれ60分コースで70元(約1200円)。

 私が受けた治療の場合、約60分間ほぼ休むことなく、手と腕で、特に坐骨神経痛で歩けなくなるほどの痛みが生ずる左部位の腰周辺と左側の臀部(でんぶ/おしり)、そして左側の足全体を中心に治療が施された。かなりの力で部位を押されたり、もまれたりしながらの60分間。当初は箇所によっては、痛くて、中国語で"痛い"の「トオング」を発していたが、しばらくすると、同じ箇所を同じような力で押されたりもまれたりしても、痛みは少なくなってきた。まあ、それなりに按摩(あんま)の高い技術を感じた。とても力仕事をしながら、70元の料金とは、日本人の私からしたら「安い料金だなあ。日本なら5000円はするだろう‥」とも思った。

 私たちが店を出る少し前に、30代の若い女性と小学3年生くらいの男の子が来店し、男の子が治療を受け始めた。女性はつきそいのお母さんのようだ。なんでも、足を痛めたための治療のようだ。50歳代の女性も治療を受けに来た。

 治療が終わって、店内の料金表を見たら、例えば、出張して治療を60分間する場合は、140元(約2400円)と書かれていた。この9月に中国に戻ってからも、この盲人推拿の店には定期的に来るかもしれないなあと思った。

 アパートに戻り、この中国推拿のことをインターネットで調べたら、以下、次のように書かれていた。

 ❶「推拿(すいな)」は、漢方や鍼灸と並ぶ中国三大療法の一つです。手技医学・手技療法・整体法の源流であり、最高峰とされるもので安全かつ即効性の高い療法として認められています。「推」は押すという意味、「拿」には掴(つか)みあげるという意味があります。

 中国医学に基づき、身体をもんだり押したり、転がしたりという100種類以上の主法で、各機能の改善をはかります。施術することで、気や血流を整え、骨や関節が正常に戻ると考えられているのです。また、ツボを効果的に刺激することで、内蔵器官にまで刺激が伝わり、自己治癒力を高める作用が期待できます。日本では、「中国整体」と呼ばれ、按摩(あんま)や整体と同じようにとらえる人も多いですが、本場中国では按摩や整体より、よりメディカル(医学的)捉(とら)え方です。それは、中国医学専門の医科大学には、「推拿学部」が設けられていることからもよくわかります。

 ❷いくつかの病院には「推拿科」があり、推拿医師と呼ばれる人が治療にあたります。推拿は対応できる症状の幅が広いため、小児科や整形外科、婦人科など多くの科で導入され、浸透しているのです。現在では推拿の手法に西洋医学の考えも取り入れ、その療法は確実に進歩しているといわれています。基本的に推拿は、薬や鍼灸など医療のための物などを用いません。さまざまな手技を組み合わせながら、患者の症状や体質に合わせながら症状改善を図るのです。

 ❸推拿の本場中国では、推拿の国家資格があります。しかし、日本には推拿の国家資格はなく、整体院やマッサージ店、按摩店などのスタッフの多くは、民間の資格やスクール(専門学校)などの修了書などを持つ人です。「中国政府公認」の「国家資格」を目指す日本人のためには、日本国内に唯一、「日本中医推拿療法研修試験機構(日推構)」があります。

※さあ、昨日にこの「中国推拿」の治療を受けた私だが、治療効果のほどは、はたしてどうだろうか…。今日の午後、日本の孫たち3人の中国土産を探しに、再び三坊七巷に行くことにしているが、アパートに戻るまでに、坐骨神経痛による痛みがどれくらいの程度出て来るかで、昨日の治療の効果のほどがわかるかと思っている。

 昨日、「中国推拿」に一緒に行ってくれた王さんから、「これ実家で作った端午節の粽(ちまき)です。」と、竹の葉に3重くらいに包まれ、藁(わら)でくくられた粽3つを渡された。昨夜の晩御飯に2つ食べたが美味しい。パン店などで市販されている粽とは全然違って、本物の粽の味だった。

 

 


茉莉花茶(ジャスミン茶)を買いに行く➋―福建省は七大茶の多くの世界的発祥の地(紅茶・ジャスミン茶・ウーロン茶・白茶)

2023-06-24 08:59:37 | 滞在記

 中国福建省福州市にある閩江大学の構内にも茉莉花[モーリーファ](ジャスミン)が5月下旬ころから咲き始める。このジャスミンは福建省の省花でもある。小さく白い花からは、可憐でひかえめ、かつ高貴な香りをあたりに漂わせる。私が中国で一番好きな花だ。

  黄海や東シナ海沿岸の中国の省の中で、福建省は空気が最もきれいな省だが、その理由は山地が多く森林占有率がとても高いことにある。そして、この山地を流れる多くの川から立ち上る霧という自然条件下、福建省は中国でも最高級のさまざまな茶の産地として、歴史的に有名だ。中国は古くから世界的な茶の産地だったが、中国七大茶類(緑茶・紅茶・黄茶・白茶・黒茶・青茶・花茶)の歴史をさかのぼると、その中のウーロン茶(青茶の種類)、紅茶、白茶、ジャスミン茶(花茶の種類)の世界的発祥地は全て福建である。(※プーアル茶は黒茶の種類。紅茶はインドが発祥の地のように思われているが、実は、この福建省が発祥の地である。)

 そして、福州港は世界最大級の茶葉の輸出港ともなっている。

 ジャスミンの原産地は、アラビアからインドにかけてのユーラシア熱帯地域で、初めてこのジャスミンが中国に入ってきたのは、漢の時代(紀元前202年~)とされている。ペルシャ・インドを経由して、仏教の花として知られるようになったようだ。茶に植物の花などを用いて香りをつけるのは、一部、宋の時代(979年から)の貢茶で行われたという記述があるが、現代のジャスミン茶につながる製法については、さらに時代が降り、明時代(1368年~)の『本草網目』に記載されている。

 製法が確立・普及し、広く市井(しせい)でジャスミン茶が飲まれるようになったのは清時代(1645年から)以降のようだ。19世紀(1800年代)に入り、福建省福州でつくられたジャスミン茶はヨーロッパに輸出されるようになった。そして、福州のジャスミン茶の製法は20世紀(1900年代)の後半に洗練化され、品質がさらに向上した。

 ジャスミンの花の摘み取りは毎年5月下旬から10月までがシーズンで、夏の7〜8月の季節が最盛期となっている。集められた大量のジャスミンの花の蕾は、当日中には、茶葉と何度も何度も混ぜられて香りづけが行われる。中国では、ジャスミンの花の香りを讃えるのに、しばしば引用される古詩がある。

    灵种传聞出越裳,  何人提挈上蛮航。他年我若修花史,  列作人間第一香。—宋代 江 奎  茉莉花    其―

 大意としては、「茉莉花は南の国から来たらしいが、一体誰が持ち込んだろう。いつか私が花の史書を書き換えることがあるなら、茉莉花こそ、この世で一番の香りと記したい。」といったあたりだろうか。

 6月25日の日本帰国がせまった1週間前あたりから、何度か福州の三坊七巷に行き、このジャスミン茶を十缶余り購入し、日本の知り合いへの土産に。

 ジャスミン茶は福州市内の各所で売られているが、この三坊七巷には4軒余りのジャスミン茶販売店があり品質も良い。「福州 文化館」には、ジャスミン茶の歴史について説明している展示もあり、さまざまなジャスミン茶の商品も売られている。

 ジャスミンの花の蕾も一つの茶館で売られていた。小さなレース状の小袋に蕾が入れられ、3袋(包)で10元(約170円)。これも買ってアパートに持ち帰ると、アパートの部屋にジャスミンの花の香りが漂い始めた。

 日本帰国の際には、この本場のジャスミン茶の土産は日本人には喜ばれる。

 

 

 

 


日本に帰国する際の土産の「茉莉花茶(モーリーファチャ)」を買いに行く➊―三坊七巷の伝統的な街並みとさまざまな店や美術展

2023-06-23 13:42:19 | 滞在記

 この3月下旬に中国の福建省福州市に日本から3年ぶりに戻って、6月19日(月)に、これもおよそ3年ぶりに福州地下鉄に乗った。福州地下鉄は1・2・5・6号路線の4つの路線ができていた。(※3年前までは1・2号線だけだった。今後は3・4号線ができていくのだろう。)

 坐骨神経痛の悪化の心配もあるので、できるだけ歩く距離を短くしたいので、アパート近くのバス停からバスに乗り、地下鉄1号線の駅の一つ「上藤駅」付近にて下車。地下鉄で「東街口駅」に向かう。この地下鉄駅からほど近い所に、明・清の時代からの伝統的な建物群が多くある「三坊七巷(サンファンチーシャン)」がある。福州市に観光などで来た人もここを多くの人が訪れる。伝統的な建物だけでなく、さまざまな店もあって、とても楽しめるところでもあるからだ。

 この日は月曜日の平日にもかかわらず、けっこうたくさんの人が三坊七巷を訪れていた。スターバックスの喫茶店も伝統的な建物が使われている。

 水がはられた大きな石の鉢に亜熱帯の花が生けられ、周りを3匹の金魚が泳いでいる。なかなかの生け花の光景だ。2019年につくられた中国の映画「女人的故事」の舞台に、この三坊七巷が使われたとの紹介パネルが建物の中に。

 ここ福州は、「寿山石(じゅさんいし)」の石彫刻の地として有名で、美術展(無料)の建物内にも素晴らしい石彫刻の作品群が展示されていた。前号のブログでも書いたが、頭と顔を覆う白い帽子や布の女性がここでもよく見かけられた。

 「寿山石」作品が置かれた店にも、いろいろな石彫刻が陳列されている。たくさんの中国料理の置かれた大きなテーブルの上の料理も石でつくられた彫刻だ。美術展には、小さな石片を使って描かれた福建省泉州市の浜辺の女性たち「恵安女(グイアンメ)」の作品なども。

 中国の女性たちの現代性のある伝統衣服は美しく可愛い。そんな商品のある店内に入って何か、日本の孫娘(小学1年)に似合うものはないかと見てみたが、子供用は残念ながらないようだ。6月22日の「端午節」に関連したいろいろなイベントがここ三坊七巷ても行われるようで、それを紹介している大きな看板も立てられていた。

 

 

 

 

 


中国、端午節―福建省福州市の閩江で、今年の中国「中華龍舟(ドラゴンボート)全国大会」が開催された

2023-06-23 12:11:29 | 滞在記

 6月17日(土)の午後、中国工商銀行の新しいATMカードを作りに銀行に一緒に行くために、閩江大学卒業生の王君がアパートに来てくれた。王さんは、珍しい食べ物を持ってきてくれた。「これは、何という食べ物ですか」と聞くと、「氷飯(ビンハン)」という名前の夏の食べ物なのだという。なんでも、ここ福州市の閩清(ミンチン)地区の人が考えて売り出している食べ物だそうで、食べてみたらたいへん美味しい。名前の通り、「かき氷の飯(めし)」だった。容器の下に蒸して冷えているもち米が入っていて、いろいろなフルーティな具材なども入っている。それに別の容器にあるかき氷を全部かけて、混ぜて食べる。暑い季節には、毎日食べてみたくなるような、ご飯のような「氷飯」だった。

 この日の夜、王さん・甘さん・林さんの3人で、私が暮らす福州市の倉山地区で最も人気が高いと評判らしい(王さんによると)日本料理店に行くことになった。店に入ると、日本の京都の伏見界隈にある、若い人にも人気の日本料理店のような店の内装だった。「ああ、これはなかなかいい内装の店の雰囲気だなあ‥。若い人に人気があるはずだ‥」と思った。

 18日(日)、この日は一日、「坐骨神経痛」の痛みを和らげるため、アパートで静かに過ごした。

 19日(月)、「坐骨神経痛」の痛みがかなり和らいだようなので、バスと地下鉄を利用して「三坊七巷」に行き、日本に帰国する際のお土産に「茉莉花茶(モーリーファチャ)」(ジャスミン茶)を買いにいった。アパートへの帰り道、地下鉄駅の近くの小学校の下校時間(午後4時30分頃)となっていて、迎えの電動バイクに乗った祖父母たちでごったがえしていた。アパート近くの交差点、後方も側面も覆った布がある白い帽子に目の下を覆う白い布の電動バイクに乗った女性の姿。これは暑い季節、中国の女性によく見られる。なにか中東の世界の女性が顔を覆い隠すニカブのような雰囲気がある。

 20日(火)の午後、大学の学期末に提出する諸資料を持って大学に行った。青いビニール製の荷物入れ(簡易バック)に布団やらのさまざまな荷物を肩にかけ手にも持つ学生たちの姿。母親らしき人も大きな荷物をもっている。おそらく、6月いっぱいで大学の寮を退出しなければならない、4回生たち(卒業生たち)のようだ。

 この日の夕方、アパート近くの果物店の前で、切られたスイカを美味しそうに食べている家族の姿があった。この辺りもよく廻っている小さな三輪バイクトラックで廃品回収を仕事にしている家族だ。父親と母親と、20歳くらいの若い娘さん、10歳くらいの長男と、7歳くらいの次女の5人家族。普段は、父親・母親・長女の三人で廃品回収の仕事をしている。

 6月21日(水)、夏至。そして、22日(木)は中国の端午節の日となった。(国民の祝祭日)  

  パン屋さんの店先に並ぶ、「粽(ちまき)」は、この端午節に食べられる中国伝統の食べ物。

 中国の端午節に行われる「中国龍舟(ドラゴンボート)全国大会」が今年は、ここ福建省福州市の閩江(びんこう)が会場となった。6月20日より、各省・国家重点都市(北京・上海・重慶など)の代表龍舟チームが予選を行い、21日にも準々決勝や準決勝が行われ、22日に決勝リーグに残った10チーム余りが勝敗を競った。中国国内チームだけでなく、中華圏出身の人が多いマレーシアなどのチームも特別参加していたことが、新聞や中国中央テレビ(CCTV)などでも伝えられていた。

 私もこの全国大会の決勝戦を見てみたかったが、坐骨神経痛の悪化が気になって見に行くことはしなかった。この日の夕方の午後4時ころから、福州市内はものすごい落雷を伴う大雨が降り始めて、午後8時頃にようやく雨が止んだ。落雷と大雨になる前に、「中華龍舟全国大会」の決勝戦は終了していたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


坐骨神経痛の痛みで、ついに、歩けなくなってしまい、雨の中、とほうに暮れる―だが、「ほら、今日もまた

2023-06-21 13:19:21 | 滞在記

 今日6月21日(水)、「夏至(げし)」となった。そして、中国では明日、「端午節」(国民の祝祭日)となる。日本は梅雨の真っ最中だが、「梅雨前線は中国大陸でも活発」(19日、日本のテレビ報道)と報道されていたように、私が暮らす福建省では6月上旬頃から梅雨の季節のように、雨がよく降る。でも、雨が降っても気温は35度近くあり湿気もものすごい。

 3月下旬に3年ぶりに中国に赴任してのこの3カ月間余りは、半年間が経ったようにも感じている。初めてのコロナ感染、スマホなやインターネットなどの中国対応などの生活の苦労、アパートの火災などなど、いろいな苦労が続いたからだ。だが、健康面では、例えば腰痛などの問題もあまり深刻化せずに、4月・5月を過ごすことができていた。

 この8月で71歳になる私は、日本で健康診断を受ければ、年相応にたくさんの健康問題が記録されるが、この4月に中国で受けた健康診断の結果証明書(※上記写真の赤い健康検査証明書)では、健康問題はほとんどない健康体となる。血液検査や尿検査などもこの診断では行われているのだが、健康体と証明されるので不思議ではある。

 だが、6月に入り、歯の問題が出始めて、そして、腰の痛みが少し出始めてきた。アパート近くの薬局に行き、腰の痛みを説明し、湿布薬を求めたら「消痛貼膏」という名前の湿布薬を出してくれた。使ってみると強烈な漢方の薬草のにおいがする湿布薬だった。1週間ほどこの湿布薬を貼り続けたがいっこうに痛みがひかない。この湿布薬はあまり効かないようだった。そして、6月14日(水)、この日は2回生対象の特別講座を午前中に行い、午後2時頃に大学を出てアパートに向かった。だが、アパート近くのバス停からアパートまでの徒歩7〜8分の距離が腰から左臀部(でんぶ)にかけての所が痛くて歩きにくくなった。それでも、休み休み、途中で腰かけて20分ほどをかけてアパートに帰ることができた。

 翌日15日(木)、この日は午前中に3回生の「日本文化名編選読」の期末試験を行い、午後2時頃に大学を出てアパートに向かったが、前日と同じようにアパート近くのバス停からアパートまでが痛みでなかなか歩けない。この日は雨で、どこかに座って痛みを和らげることもできない。それでも、30分ほどをかけてアパートに着くことができた。

 そして、16日(金)、この日は午前中に2回生の「日語視聴説2」の期末試験を行い、午後1時頃に大学を出てアパートに向かった。腰や臀部や足の痛みは昨日よりもかなり強く、アパート近くのバス停にまで到着したのだが、立って歩くと強い痛みに襲われる。この日の天候は土砂降りの雨。腰を下ろす場所もない。一歩でも進むと、痛みが走る。雨の中、途方に暮れながら立ち尽くしている。そして、痛みをこらえて1歩進み、しばらく立ちながら休み休みしてアパートに進む。立っていても痛いので、途中、大きな木の下のコンクリートに意を決して、パンツも雨水がしみるが腰を下ろして痛みを和らげた。痛みで叫びたくもあったが、そして、また立って一歩ずつ進む。50分余りをかけてアパートの部屋に到着した。そして、入り口のドアを閉め、「ウワー!」と叫んだ。

 アパートに戻り座ったり、横になると徐々に痛みが治まってもきた。こんな日がいつまで続くのか、より悪化してきている腰の問題。幸い、大学の授業や期末試験はこの日に全て終わったので、大学までの通勤は、次の週は1〜2回で済みそうだ。大雨の一日だったが、気温は35度余りあり、湿気もすごい。シャワーを浴びて、さっぱりとして、日本から2013年から持ってきて部屋に置いてある一つの石を眺める。この石には、「ほら 今日も また こんなにいいことありました」と書かれている。辛い一日だったが、「ほら 今日もまた こんなにいいことありました」でもあった。私の中国での生活での、「座右の銘」「守り石」のような小さな石でもある。

 この日、日本で腰痛治療で行く、かかりつけの「大慈堂」(なかなか予約がとれない漢方医院)という、針・鍼灸の漢方医院に国際電話をかけて、今日の症状について話をした。医師は「坐骨神経痛ですね‥」とのこと。6月25日(日)に日本に帰国できることを告げ、翌日の26日(月)に診察治療の予約をとることができた。そして、午後5時頃からベットに横たわり、疲れたのか、翌朝の3時ころまで眠り続けた。

 次の日の17日(土)の午後、閩江大学卒業生の王文重さんがアパートに来てくれた。王さんと一緒に、アパート近くからタクシーに乗り、「中国工商銀行」に行き、銀行カード(ATM)の有効期限がもうすぐ切れるため、新カード作成依頼を行った。アパートに再びタクシーで戻り、王君と一緒に近所の薬局で、症状を再び説明し、次の新たな薬を3種類出してもらった。「①日本の薬局でも買えるバファリンのような錠剤の痛み止め、➁スプレー式の痛い箇所に直接に噴射する液体、③漢方の痛み止め湿布薬」。この湿布薬も漢方特有の混合薬草の強烈なにおいがある。そして、その3種類の薬を使い始めて、かなり坐骨神経痛の痛みが治まってきている。帰国まであと、4日間余りとなった。早く日本の針鍼灸・漢方医院に行って治療を受けたい。

 坐骨神経痛の痛みの激しい発症は、ストレスの増大とも関係しているかもしれないとも思う。坐骨神経痛の痛みが大きくなった6月14日(水)、この日は特別講座が午前10時30分から予定されていたのだが、いつもの大学への通勤のために、市営43番バスに乗ったのだが、このバスの行路がこれまでとは大きく異なっていることが途中で気が付いた。

 5日ぶりにこのバスに乗る間に、突然、路線が変わってしまっていたようだった。これはまずい、大学に行けなくなると、途中で降りて、焦りながら苦労して大学に到着し、ようやく特別講座の時間に間に合った。

 どのようなバスをこれから利用したら大学に行くことができるのか、特に1時間目開始(午前8時30分開始)の時刻に間に合うためには、どのようなバスの利用が可能なのか、悩むことにもなった。このようなストレスも、この坐骨神経痛の悪化と関連性があるよえにも思えてくる。

 この4月18日(火)に起きた、私のアパート棟の火災。棟の半数近くの48世帯が焼け出されたが、その後、1・2階の世帯以外、修復が進み戻り始めた。夏至のこの日、まだ、1階の世帯の家は、家全体が炎に包まれたため、全面的な改装必要であり、改装が終って戻れるのはまだ3~4カ月間はかかりそうだ。