彦四郎の中国生活

中国滞在記

「学校の先生たちの給料も、最近はここでも、未払いや減額(半額)が起きていますよ‥」—「ほんまかいな、ここでも‥、えらい時代になったなあ‥この国は‥」

2024-07-29 13:07:31 | 滞在記

 中国では不動産不況が深刻化し、中国の民間大手不動産会社「恒大集団」や民間最大手不動産会社「碧桂園」などの大手企業が相次いで経営危機に陥っている。中国には約10万社余りの民間住宅開発不動産会社があったが、そのほとんどが倒産や経営危機に陥っていて、現在、国営の不動産会社があるだけとも言われている。

 不動産関連産業は中国の国内総生産(GDP)の3分の1以上を生み出してきていて、その不況は中国経済全体を揺るがしている。不動産産業は、建築、鉄鋼、セメント、木材などだけでなく、家具、家電など実に多くの産業分野にも影響を及ぼすことともなっている基幹的な産業とも言える。

 日本でも1980年代に不動産バブル、そして1990年代初頭の不動産バブルの崩壊を経験しているが、中国の不動産バブル崩壊が与えている社会・経済、人々の暮らしへの影響の深刻さは日本のバブル崩壊の比ではない。それはなぜなのか‥‥。その理由の大きなものは、中国の土地は全て国家所有であることと、地方政府(省市町村など)の財政(財源)はこの土地を不動産開発会社に売る(※借用させる)ことによって得ている割合が平均40%に達していたことに関連する。

 不動産バブルの崩壊がいよいよ、2020年頃から顕在化したため、地方政府(自治体)の財源がこれまでのように確保できなくなり、公務員(学校の教員を含む)の給与もまた支払いが難しくなってきているという状況が多く生まれてきている。(※日本の不動産バブル崩壊では、このようなことまでは起きなかった。)

 中国の住宅はかっては、国や地方政府(自治体)から配給されるで暮らすものだった。それが1990年代に入り、住宅の自由売買を認めるという法改正があって、それから住宅(不動産)は売買の対象となった。だから、中国の不動産産業の歴史は30年ほどの歴史しかないとも言える。(※土地は全て国家所有なので、国民は国家から土地を借りて[借地使用権]、そこに建物を建てて暮らすというシステム。その「土地使用権」の使用年限は、次のようになっている。➀「住宅用地」70年、②「工業用地」50年、③「教育・技術・文化・衛生・スポーツ用地」50年、④「商業・観光・レクリェーション用地」40年、⑤「総合及びその他の用地」50年‥‥使用権の延長は可能。その際は、新たに土地使用権のお金を払う必要がある。) 中国では「不動産」は「房地産」と書く。「房」は建物、「地」は土地のことである。

   1991年から始まった中国の不動産市場は、2001年頃から不動産市場はより急成長、特に2008年からは不動産は投機の対象となり、不動産価格が高沸騰、「買えば、翌年にはより高く売れる。翌々年にはさらに高く売れる」という状況となり、いわゆる空前の不動産バブルが到来することとなった。(※これによりかなりのお金を儲け、貯めこんで金持ちになった人々もけっこう多かったとされている。)その不動産バブルは約20年間余り(特に2008年からの10年間)続いたのだが、2018年頃から陰(かげ)りが顕在化し、ついに2020年頃から一気に不動産バブル崩壊へと入ることとなった。(※中国政府の民間不動産会社への銀行融資厳格化政策の発表により、恒大集団をはじめとする不動産企業り倒産や経営危機が雪崩(なだれ)のように起き始めた。

 この不動産バブル崩壊、不動産超不況により、それまで、民間の不動産会社に膨大な金額での土地使用権を認め、高層住宅を建設させてきた地方政府(各市町村自治体)の財源も、大きく減少せざるをえなくなり、公務員たちの給与支払いもこれまでのようにはいかなくなってきたようだ‥。

 この7月17日(水)に報道された、BSフジテレビの報道番組「プライムニュース」。この報道番組のメインキャスターである反町理氏はかなり優れたキャスターだと思うが、この日のテーマは「中国"〇〇"のシナリオ—習近平政権に巣くう"病巣"とは」。そしてこの日の報道ポイントは「1、経済急ブレーキで"不満噴出"、2、習近平"〇〇体制"の自縛、3、"チャイナリスク"に日本は」とされていた。

 この日のコメンテーターの、柯隆(か・りゅう)氏[中国南京出身、東京財団政策研究所主任研究員・静岡県立大学特任教授]は、現在の日本での中国経済研究者としては第一人者かと思われる人物。江藤名保子氏(学習院大学教授)は現代中国政治の研究者として優れている人物だ。

 現在の中国で起きていることを、テーマやポイントにそって報道されていた。この7月15日~18日に開催された「中国三中全会」についてもふれ、今後5年から10年後の中国の政治・経済がどうなっていくのかの予測コメントもされていた。(※中国の2024年6月大学卒業生の就職内定率は、約48%[※4月中旬時点/中国人材会社報告]との報道もされていた。また、中国習近平政権が抱える国内問題として、「地方財政の危機・不動産バブル崩壊・国外逃避と富の流出・若者の超就職氷河期」などが挙げられていた。

 私が日ごろよく視聴するYoutubeの一つに、「中国まる見え情報局」というものがある。このYoutube報道は、中国広東省広州市で働き暮らす呉さん(若い日本語が堪能な中国人女性)が発信しているYoutube。いろいろなテーマで、今の中国のことを報道している呉さん。(※呉さんにとって難しい経済の問題などは、中国人のコメンテーターを迎えて、呉さんがその人に聞くというスタイルをとっている。)

 5月上旬に視聴した「卒業すると即失業」というテーマの彼女のYoutube報道では、コメンテーターが「100人卒業したら35人~40人が就職できるかもしれない‥」「経済が悪いこともありますが、中国の就職の仕組みと現在の教育制度が一致しなくなっているから‥」「一番多かったのは公務員試験を受けたい人が50%を超えている‥40%の人が大学院生になりたがっていて、一番少ないのが就職したいです‥働くにしても50%の人はフリーター(デリバリー配達員・ライブYoutube配信、屋台‥など)を選ぶ‥」「2024年6月の卒業生はおよそ1100万人」と報告もしていた。

 私も昨年2023年に、中国河南省のある公立学校で長期の給与未払い問題が起きているようだというニュースは、なんとなく聞いた記憶はあった。今回7月上旬に日本に帰国して、改めてYahoo japanで検索して、「中国での公立学校での先生や公務員への給与未払い・減額問題」などについて調べてみたら次のような記事が掲載されていた。

 ①「中国の地方公務員"半年給料ない"不動産不況で財政悪化」と題された記事。遼寧省の瓦房店市の市営公園の動物飼育小屋に、市職員によって張られた「我々は6カ月給料がない。動物のエサは尽きた。まもなく飢え死にする」とのメッセージ。(2023年12月の記事)  ②「河南省の三門峡市のある小学校、長期にわたって給与が払われないため、教師34人がハンガーストライキ」の見出し記事。(2023年5月の記事)

 ③「江西省南昌市の小学校・中学校・高校の教師数百人が省(市)政庁舎前にて集会」の見出し記事。他に、河南省の洛陽市や開封市、山東省や江西省景徳鎮市などでの給与未払い問題の記事などが掲載されていた。

 私が日本に今回帰国する一週間ほど前に、中国人たちと話している時、「私たちが住んでいるここ福建省の省都・福州市でも、公立の小中高校の先生たちの給料未払いや遅延、または給料の半額支給措置などが現在、起こっていますよ」と聞いたときはとても驚いた。「ここ福州でも、起きているの!!以前に河南省でそんな問題が起きたと耳にしたことはあったけど、ここ福州でもか‥」という感じだった。中国の一部地方だけでなく、このような公務員や学校の先生たちへの給与支給問題が、全国的に起きているのかもしれないなあ‥とも思った。それほど、中国の経済問題の深刻さがあるんだとも実感として考えさせられた。

■このような給与未払いや大幅減額が起きているにも関わらず、現在の中国では、公務員や公立学校教員への就職希望者が激増している。民間企業では、どんなに有名で大きな会社であっても、いつリストラされるが不安が大きいからかと思われる。(※公務員や公立小中高教員は、リストラの危険性が最も小さいから‥)

■2024年6月大学卒業生を対象にした国家公務員試験「国考(グオカオ)」は、昨年2023年10月~11月にかけて実施された。この試験を受験したのは過去最高の約303万人。実に卒業予定者の3人に1人超だ。平均倍率は77倍で、最も競争率が激しい職種では3572培となったと報道されていた。また、大学卒業後の就職の厳しさを回避するためもある大学院進学希望者も近年は激増している。昨年2023年では約400万人が受験、そのうち約130万人がどこかの大学の大学院に合格している。

■前出の柯隆氏は、「年金支給」も今後、大幅減額や支給休止措置が起きる可能性も指摘している。

■このような社会、経済状況のため、中国の有名大学を出ても‥という不安感もあり、日本などへの大学院進学希望者も増えてきているし、日本で就職してみたいという希望者も増加しているようだ。

■中国政府は、今回の「三中全会」で、このような中国の経済状況打開の具体策はあまり明確に示さなかったと、日本の報道番組では報道されている。習近平主席の提唱する「共同富裕」(※私はこの提唱・考え自体は賛成なのだが‥)に向けて、現在の不動産不況や大学生の就職問題、公務員の給与問題などは「生みの苦しみ」として、中国人民に宣伝を強化することなどもこの「三中全会」では盛り込まれたとも日本のテレビ報道ではされていた。向こう10年間余り先の2035年までに、習近平政権としては、より社会主義的な人民の経済的不公平をより是正する「現代的社会主義社会」の実現を目指すとの方向性のようだ。さて、どうなっていくだろうか‥。

 

 

 


舞妓さんたちも浴衣姿で、祇園祭の山鉾巡行を眺めていました—舞妓さんの髪型や給金、芸妓さんの年収のこと

2024-07-22 06:28:13 | 滞在記

 7月17日(水)午前中、京都祇園祭の前祭・山鉾巡行が執り行われた。

 都大路の一つ、四条通を進む山鉾の先頭鉾「長刀(なぎなた)鉾」が午前9時30分頃に、京都市内の一番の繁華街である四条河原町交差点に到着した。沿道は大勢の人々で歩行もままならぬくらいで、鉾を曳(ひ)く人たちの姿をみることもできない。欧米、アジア系問わず、外国からの観光客もとても多い。

 四条河原町交差点で長刀鉾は進路を変えるための引き廻しを行い始めたのを見届けて、ゆっくりと長刀鉾やその後を進む山鉾を見るために、高瀬川沿いに河原町通りに面した丸善書店前付近に行き山鉾巡行を見ることにした。

 丸善書店前まで行くと、7~8人ほどの浴衣姿の舞妓さんたちが、長刀鉾や函谷鉾などの通過を待っているところだった。舞妓さんたちが暮らす「置屋(おきや)」の女将(おかみ)さんらしい人もいる。舞妓さんたちは、その人を「おかぁはん」(※「おかあさん」の京ことば)と呼んでいた。

 しばらくすると先頭の長刀鉾がやってきた。私は舞妓さんたちの後ろ姿越しに山鉾の巡行を見続けることになったのだが、舞妓さんたちの髪型の可愛らしさに改めて見入ることともなった。「おぼこい」、舞妓独特の髪型。

 私は正装した舞妓の姿も美しいとは思うが、この浴衣姿の舞妓が一番可愛らしいなぁと思う。

 巡行の五番目に来る「函谷(かんこく)鉾」もやってきた。

 10時を過ぎて山鉾巡行を見るのはこれくらいにして、丸善書店近くにある行きつけの喫茶店の一つ「タナカ珈琲」(河原町店)にて涼(れい)をとった。この珈琲店は、全席喫煙可能店で、かなりの席数が1・2階にある。京都新聞を閲読すると、「輝く山鉾 訪日客も魅了—前祭・宵山 25万人都大路に熱気」の見出し記事。

 昼前になりタナカ珈琲店を出て、鴨川に架かる三条大橋へ。橋の西にあるスターバック珈琲店のそばの見事な百日紅(サルスベリ)の木の花が満開になっている。三条大橋の欄干や擬宝珠、鴨川の流れと比叡山も望める百日紅。「そうだ 京都、行こう。」の撮影候補地にしたくなる光景でもある。

 昨日、7月21日(日)、中央アジアの国の一つ、ウズベキスタンにあるサマルカンド国立外国語大学で教員をしている友人の亀田さん(※大学の夏休みで日本に帰国している)と、四条河原町で1年ぶりに会い、2時間ほどをいろいろな話をしながら時を過ごした。

■京都の鴨川に架かる四条大橋東詰めには、京都南座があり、都をどりや歌舞伎をはじめさまざまな興行が行われている。かってはこの南座だけでなく京都北座という建物もあったことを知る人は少ない。四条通りを挟んで向かい側の北座があった場所は今、「北座—日本髪博物館」となっている。伝統的な女性の髪型の歴史に興味のある人はこの小さな博物館に行ってみたらどうだろうか。

 さて、祇園祭の山鉾巡行で、30分間ほど浴衣姿の舞妓さんの髪型をも眺め続けることになった今年の祇園祭。少し舞妓さんの髪型について紹介します。京都五花街(かがい)である「➀祇園甲部②祇園乙部③宮川町④先斗町⑤上七軒」。この花街で修行し、お座敷で舞(まい)などを客に披露して働く15歳から20歳までの年齢の女の人を舞妓という。舞妓の髪型は「おぼこい」可愛らしさがあるのが特徴かと思う。舞妓の年齢を終えたあとは、芸妓(げいこ)さんとなる人も多いようだ。

 芸妓さんの髪型は「かつら」だが、舞妓さんは「かつら」ではなく地毛(じげ)で髪を結っている。舞妓さんは、修行の年数・段階によって髪型が決まっているようで、舞妓として出たての年少舞妓さんは「割れしのぶ」という髪型、年長舞妓さんは「おふく」という髪型になる。

 約1週間ほどは舞妓の髪型に結ったままなので、あの時代劇に出てくるような「高枕」で眠って、髪をくずさないようにしているようだ。まあ、それだけでもすごい。ちなみに、舞妓の時代のお給料はゼロ。住まいや食事や、そのほかに舞妓の稽古や衣装、化粧などはいっさい、置屋が面倒をみる。時には、置屋のおかぁはんからお小遣いをもらったり、客からのおひねり(※紙に包んだお金/祝儀・チップ)をもらうこともあるようだ。

 そして、芸妓となって置屋から独立し、ひとり立ちをすると、初めて給料をもらうことともなる。どれくらいの月収・年収があるのかというと‥。お座敷に呼ばれた時の時給は、1時間当たり5000円~6000円が相場。京都の芸妓さんたちの平均月収は20万~30万円、年収に換算すると平均240万円~360万円となる。日本の20代前半の女性の平均年収(約242万円)より少し上といったところのようだ。(※お座敷でお客さんから、おひねり・祝儀チップをもらうこともあるので、実際の収入はそれらがさらに加算されるようだ。いずれにしても、売れっ子芸妓にならないと高い収入とはならない世界でもあるようだ。)

 

 

 

 

 


「そうだ 京都、行こう。」―夏の京都は、やっぱり鴨川や桂川の流れだろう—祇園祭が始まったよ

2024-07-21 18:44:28 | 滞在記

 JR東海が「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンを1993年に始めてから、2024年の今年は31周年となる。春夏秋冬の京都の光景を、毎年CMやポスター、動画として制作してきた。

 そして今年の初夏キャンペーン(5月22日より)のCM・ポスターに起用された旅人は女優の安藤サクラさん。「京都がくれる癒し」をテーマとして、京都洛北の蓮華寺の青もみじの庭園など、京都市内各地での癒しのひと時を映像化している。また、阿部顕嵐さんも、貴船神社でのひと時を映像やポスターに登場している。

 安藤サクラさんと柄本佑さん(※NHK大河ドラマ「光る君へ」の藤原道長役)夫妻は、昨年2023年3月に京都の築40年余りの古民家に新居をもったとして話題になった。夫婦の間の一人娘は現在は小学1年生となっていて、京都市内の小学校に通っているようだ。その住まいはどこなのか明らかにされていないが、京都洛北の叡山電車の無人駅からほど近い可能性が高いとされている。家の後ろは山で川も近くにあるらしい。だとすると蓮華寺などはとても近いことになる。

 京都に暮らし始めてまだ1年足らずという安藤サクラさん。私が思うに、京都の町は50年暮らしても、まだまだ知らないところも多く、とても奥深い町だと思う。1年たらずなら、安藤サクラさんは、京都に暮らし始めていてもまだまだ旅人かと思うなあ‥。

 梅雨明けとなった今日7月21日の京都の最高気温は38℃。こんなに暑い今年の夏の京都なので、私がJR東海の「そうだ 京都、行こう。」夏の京都キャンペーン編を企画するとすれば、やはり鴨川(賀茂川・高野川)や桂川を舞台した映像・写真となる。いくつかの撮影候補地としては、➀鴨川に架かる三条大橋のたもとや納涼床(川床)。

 そして②比叡山の麓で、叡山電鉄「八瀬駅」下車の鴨川の源流の一つ清流の高野川。(※上記写真6枚は八瀬)③京阪電車と叡山電車の「出町柳駅」近くの、前号のブログで紹介した賀茂川・高野川合流の三角▼デルタ。②③で泳いだり水遊びをするのもいいだろう。

 他に、④嵐山に流れる桂川の支流の一つ清滝川のある「清滝」や「保津峡」もいいだろう。⑤鴨川の源流域の一つ「貴船」の川床で食べる流しソーメン。京都の町の魅力としては、この鴨川とその源流域、桂川とその源流域がとても素晴らしいこと。そこは京都市内の中心地域から、電車やバスを利用しても30分以内に行けるところなのだ。「そうだ 京都、行こう。」そして、昼は鴨川や桂川の源流域で過ごし、夜は、祇園町や先斗町の居酒屋で‥。私のおすすめの夏の「そうだ 京都、行こう。」企画だとこうなる「癒やしの京都」。

 7月14日(日)より、今年の京都祇園祭が本格的に始まった。14日(日)は「宵々々山」、15日(月)が「宵々山」、16日(火)が「宵山」(いずれも祇園祭の「前(さき)祭り」)。そして、17日(水)が前祭りの「山鉾巡行」。23日は「後(あと)祭り」の「宵山」、24日は「後祭り」の山鉾巡行や祇園八坂神社を出発して市内を巡行する各種行列とパフォーマンス。そして、夕方から夜にかけての数基の神輿の集結。私が思うに、「後祭り」の方が面白く見ごたえがある感がしている。

「コンコンチキチキ、コンチキチン」と祇園ばやしの音曲の流れる京都市内。私は15日(月)の午後、宵ゝ山に行くことにした。京阪電鉄「三条駅」から鴨川に架かる三条大橋を渡り、三条通を西に行く。「イノダ珈琲本店」に立ち寄ると、20人ほどの人が席が空くのを待っていた。私はいつもここでは、室外の中庭にある喫煙可能席に行くので、待たずにすぐに案内される。京都新聞を見ると昨日の「宵々々山」の記事。

 イノダ珈琲を出て、通りを四条通にしばらく歩いて向かうと「錦市場」。たくさんの欧米や東南アジア・東アジアからの観光客で市場の通りはいっぱいだった。立ち飲みをしている欧米系の若いカップルの姿も。ここでいつも、京漬物や京佃煮を買う。そして、四条通に向かう。

 四条通の四条烏丸付近には、祇園祭の「長刀鉾」「函谷鉾」「菊水鉾」「放下鉾」「月鉾」などの「鉾」や、いろいろな「山」が立ち並んでいた。今年は、「郭巨山」の手ぬぐいを買った。

 四条烏丸付近の路地の界隈にもいろいろな山鉾が立ち並び、露店もたくさん出ている。錦小路通りの「霰(あられ天神山」の浴衣姿の若い女性たちが美しい。

 同じ錦小路通りの「占出山」の子供たちが、「ろうそく一本どうですか ろうそく1丁献じましょう‥」と口をそろえて「ろうそく売りのわらべ歌」を歌っている。

 中東系の男性のソフトクリーム🍦売りのパフォーマンスが素晴らしく、周囲の人も買う人も笑わせ、驚かせる。その男性の娘たちらしい3人の小学生くらいの娘さんたちは、浴衣を着ていて可愛らしい中東系の顔立ち。父親のパフォーマンスの面白さやすばらしさを誇らしげに笑いながら見守っていた。

 「そうだ 京都、行こう。」の映像や写真にしたいところは、春夏秋冬、いたるところ無尽蔵にあるようにも思う京都の町。

 

 


「生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)」のこの世、軽く散歩したいと思えるまで回復した、「歩ける」けるという喜び

2024-07-21 08:04:21 | 滞在記

 7月12日(金)の午後、京阪電鉄「出町柳駅」付近の「正定院」という小さな寺の門前に書かれた「会者定離(えしゃじょうり)—会えば別れるこの世の定め」の毛筆。この言葉の意味するところの、人の世の定めを実感もするこの頃‥。

 この「会者定離」という言葉(四字熟語)は、仏教の教えの言葉で、仏教経典の一つ『(仏)遺教経』の中にある言葉「生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)—命あるものは必ず死に、この世で出会った者は、必ず別れることになる運命にあるということ。この世の無常を説いた言葉。」この8文字で本来は一つの意味を成している。同じく仏教の教えの言葉である「諸行無常(しょぎょうむじょう)」や「色即是空(しきそくぜくう)」とも相通じる言葉かと思う。日本の古典の名著の一つ『平家物語』の中の、「生者必滅、会者定離とは、うき世の習ひにて候也」の一節でも知られている。

 『(仏)遺教経』は、死期が近いことを悟った仏教の開祖・仏陀(ブッダ)が弟子たちに語り聞かせた別れの遺言集のようなもので全2500文字くらいから成る8つの遺言的教え。(※ブッダは紀元前486年の2月15日に、インドの沙羅双樹の森で、80歳で亡くなったとされている。[諸説ある])

■仏教の教えの要諦(ようてい)とは何だろうか‥。中国の大学での「日本文化論」の授業の一コマで「日本の宗教文化」「日本人の美意識(粋について)」なども講義している関係で、神道や仏教について考える機会ともなった。おそらく仏教の教えの要諦とは「諦め(あきらめ)」、そして「足(た)るを知る」かなとも思うこの頃‥。『(仏)遺教経』の中の「知足2」の章では、「もし、諸々の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし」の言葉もある。

中国人が長い歴史の中で、そして現在でもこの世を生きる人生訓・処世訓としてもつ「しかたがない‥」の「諦め」。中国語では「没法子(メイホースー)」と言う。おそらく日本民族以上に厳しい歴史の中で、「しかたがない‥」の人生の悲哀を味わいながら生きてきたのが中国民族の歴史かとも思う。

 出町柳駅前のバス停から銀閣寺・哲学の道・吉田山界隈の娘の家にバスで向かう途中、「京大農学部前」バス停で途中下車、京都大学の図書館とも呼ばれてきた喫茶「進々堂」に久しぶりに立ち寄った。長い歴史をもつこの喫茶店の使い込まれた木製テーブル。携帯電話アプリのYahoo Japanで「遺教経」を検索し、そんなに長くない2500文字余りの経典を改めて読んでみた。(※特に曹洞宗などの「禅宗」ではこの経典は重要視されているようだ。)

 「銀閣寺バス停」や「浄土寺バス停」からほど近いところにある娘の家に向かう道すがら、公園わきや人家にまだ今も梅雨時期のアジサイの花が咲き残っていた。そして、初夏のひまわりの花の開花。これらの花々のありがたさを思う。「生者必滅会者定離」のこの世だが、毎年、季節がくると、約束事のように花を咲かせてくれる季節の花々は、人が生きるうえで、この世の美しさと安らぎをもたらしてもくれる。

 娘の家を出て、近くの「浄土寺バス停」から市内バスに乗り出町柳駅周辺で下車。鴨川に架かる賀茂大橋近くの今出川河原町付近にある喫茶「タナカ珈琲」店。全席喫煙可能、一人テーブル席も4つあり、1時間も2時間もパソコンを持ち込んでなにやらしている人も多い。読書する人、話をしている人などさまざまな人がいる老舗喫茶店の一つ。しばらくここでかき氷を注文して休息し、鴨川に戻っていった。

 鴨川に架かる賀茂大橋から比叡山や丹波山地を望む。丹波山地から流れ来る賀茂川と比叡山山麓から流れ来る高野川が合流して鴨川となる「鴨川▼洲デルタ」。昨日来の雨で少しだけ増水しているが、川に置かれた渡石の上を行きかう人たち。

 中国や台湾からの中華圏の観光客の親子連れらもこの水辺を楽しんでいる光景。この三角州デルタもまた、鴨川の魅力のある場所の一つだ。5~6人の欧米系の人たちもビールを片手に夕方を過ごしていた。

 翌日の7月13日(土)の昼頃、娘や3人の孫たちや妻と、ここに集まり、水辺での孫たち(水着に着替えた)とのひと時を過ごした。

 一週間後の7月19日(金)の午後、娘の家に行き、一番年下の孫の寛太(3歳8か月)とほぼ1年ぶりに近所の真如堂門前にある駄菓子屋まで散歩に行く。昨年6月からの坐骨神経痛の悪化や同年8月下旬からの閉塞性血管症の発症のため、足腰の痛みで軽い散歩に行くのも苦痛(※50mくらい歩くと痛みが発症するので、3分くらい腰かけて休むと痛みがなくなる。)になったこの1年余りだったが、今年の2月頃から徐々に痛みの発症が軽減され始め、現在は毎日、軽い散歩に行きたくなるほどまでにかなり回復してきている(※休まずにゆっくりとだが1kmほどは歩ける)。ありがたきかなである。

 「歩ける」という喜び、「食べることができる」という喜び、「酒が飲める」という喜び、などなど、人は病気やケガから回復して、その何気ない生きる上での喜びを改めて気づき実感もする。「諦め」「足るを知る」‥。以前のようにはまだまだ歩けない。でも、ここまで歩けるようになったら‥‥とも思う。

 明日7月22日は、「二十四節気」の「大暑(たいしょ)」の日となる。一年で最も暑さの厳しい日とのなる季節の目安。今日21日の京都地方の最高気温予想が、朝日新聞の朝刊では38℃となっていた。一方、中国のインターネットニュース(携帯電話アプリで閲覧)では、「中国—現在の最高気温地方、新疆ウイグル自治区のトルファン市42.3℃、次いで福建省福州市40.2℃」と書かれていた。私の福州市にあるアパートの室温は今、おそらく40℃ちかくあるのかと思われる。(※アパートにある旧式のエアコンは、外気温が35℃を越えるとエアコン機能がほぼなくなる代物なので、熱中症状になりやすい。)

   まあ、トルファンはタクラマカン砂漠やゴビ砂漠に周囲を囲まれたオアシス盆地都市なので、昔から灼熱の都市として有名ではある。2002年にこのトルファンに近い、モンゴルのゴビ砂漠にあるヘルメンツァフの渓谷に行ったことがある。モンゴル科学アカデミーのメンバーたちとの恐竜化石共同発掘調査のための、「地獄のヘルメンツァフ」とも呼ばれるオアシスの渓谷行きだった。

 この渓谷の入り口に入った途端、その高温の異常さに驚きもした。なんと52℃の気温。私がいままでの人生の中で経験した最高気温だった。(砂漠地帯なので、夜になると気温が10℃くらいになりストーブを焚く。一日の寒暖差40℃の世界だった。まあ、52℃の気温とは、例えれば実感として、熱したフライパンのすぐ上の空気のような感覚。)映画インディジョーンズの「魔境」のような渓谷で、50cmを超えるオオトカゲが木々の枝にいたり、雪豹(ユキヒョウ)の足跡や死体にも遭遇。翼竜(よくりゅう)の集団営巣地らしいところで大量の卵化石も発見した場所だった。

 52℃の灼熱の中、歩き廻って学術的に価値のある恐竜化石を捜し歩いた50歳だった日から、22年の年月が経過した今、再び「歩ける」という喜びを実感している。

 

 

 

 

 


『徒然草』(吉田兼好)にも著されている、石清水八幡宮の摂社「高良神社」の町衆の祭礼、「やわた太鼓祭り」が今年も執り行われた

2024-07-19 09:54:19 | 滞在記

 桂川(丹波山地を源流域とする)・宇治川(琵琶湖から流れる)・木津川(三重県伊賀山地を源流域とする)の三川が合流し淀川となり、古代から近世までは畿内の水運の地でもあった京都の八幡(やわた)。三川合流地点のそばには男山があり、日本三大八幡宮の一つ「石清水八幡宮(いわしみずはまんぐう)」(※平安時代初期の860年に創建。平安京の都を守護する神社であり、伊勢神宮とともに日本で最も格式の高い神社とされている。)の本殿(国宝)が標高160mほどの山上に鎮座する。

 八幡の初夏の風物誌「やわた太鼓祭り」は、男山にある石清水八幡宮の摂社の一つであり、下宮(男山山麓)に位置する「高良(こうら)神社」の例祭として、江戸時代後期に八幡の町衆により始められた。太鼓をのせた大きな「屋形太鼓神輿」が、八幡の町内ごと(1区から6区)に作られ、「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声も勇ましく、太鼓を打ち鳴らしながら神輿が町内に繰り出す。最大の見どころは、夕方に下宮や高良神社に各御輿(6基+子供神輿+女神輿)が一堂に集まる「宮入(みやいり)」で、各御輿が神社下宮参道を「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声で行く姿は粋(いき)で勇壮、そして迫力がある。

 八幡の町は昔から、「男も女もヤンチャ者」の多い町として知られていた。町の男山中学校は京都府下の中学校では最もたいへんな中学校とも言われ、私の息子も娘もこの中学校を卒業したが、授業参観に行くたびに、この中学校のたいへんさ(府下NO1)の光景を目にし続けた。そんな町の町衆による伝統の「やわた太鼓祭り」。露店屋台もけっこう出ていて活気にあふれ、特に若い人たちの姿かたちが、それはもう「ヤンチャ丸出し」のようすが出現する。

 若い女性は言うに及ばず、結婚して2~3人の小さな子供連れの女性たちの髪型もまた独特のヤンチャヘアスタイルでバッチリ決めている。もちろんその子供たちの髪型も現代風ヤンチャスタイル。

 近年は八幡の町にも外国人が約2000人余り住んでいる。親子づれの東南アジア系の人たち、欧米系の神輿かつぎの男性の姿も‥。また、南米系の顔立ちの人も多い。

 この伝統的な祭りは、近年は特に、若い人たちが祭りの主役となり神輿の担ぎ手となっているという、とても若いエネルギーを感じる祭りへと変化もしていると思う。

 祭りのクライマックス「宮入」が行われる石清水八幡宮一の鳥居や二の鳥居や下宮、そして高良神社は、京阪電鉄「石清水八幡宮駅」からは徒歩1~2分。

 今年の「やわた太鼓祭り」の宮入は7月14日(日)に行われた。(※昨年は7月17日)

    夕暮れが迫り始めた午後6時45分から各御輿の参道繰り入りが次々と始まり、何度も何度も繰り返される。

 暗闇の中、午後9時近くまでも神輿が担がれ「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声が続いた。京都市内での祇園祭とともに、梅雨明けと京都の夏の本格的な始まりを告げる祭りともなった。

 「やわた太鼓祭り」の高良神社は、日本三大随筆の一つである『徒然草(つれづれぐさ)』(吉田兼好著)にも登場する。(※日本三大随筆は他に、『枕草子』[清少納言著]と『方丈記』[鴨長明著])

 『徒然草』は晩年に京都の仁和寺近くの双ヶ丘で暮らした吉田兼好が、鎌倉時代末期の1330年頃(1333年に鎌倉幕府滅亡)から南北朝時代、そして室町幕府成立期となった時代に書き溜めていた随筆を、1349年頃にまとめたものとされている。冒頭の序段は、「つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなきことを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」と書かれている。全243段(章)からなる。

 近世の江戸時代となり、この『徒然草』は各段に挿絵(さしえ)も描かれ、多くの人々に読まれることともなった。

 この高良神社のことが描かれているのは、第52段「仁和寺にある法師」の話。仁和寺のある坊さんが、長年にわたって一度は行ってみたいと念願していた石清水八幡宮に、遠路、仁和寺から歩いてお参りに行ったにも関わらず、山の下にある神社(高良神社や下宮)を石清水八幡宮の本殿と勘違いして参拝し帰路についた。しかし、満足して帰って、仲間の僧たちに話した。そして、その話の中で「山の上に大勢の人たちが向かって行ったけど、あれは何だったのかなあと漏らしたら」、僧たちから、「本殿は山の上にあるんですよ」と告げられたという話の段である。

 この『徒然草』の第52段にちなんで、京都府八幡市では「徒然草エッセイ大賞—徒然人よ筆をとれ」の取り組みが行われている。2024年の今年は第9回目となり、「➀一般の部2000字程度(大賞の副賞は20万円)、②中学生の部1200字程度、③小学生の部800字程度」。応募原稿の締め切りは9月20日となっている。(※応募者は国籍問わず)