一昨日の金曜日、午後も3年生の補講授業があるため、1時間目から8時間目までの連続授業となった。体が少々疲れ気味。午後の授業が終了後、「午前中の授業の時、先生のセーターの脇が破れているのに気が付いたので、糸と針を持ってきました。セーターを脱いで下さい。」と突然言われ、修復してもらうことに。
また、木曜日には、1年生の授業だったのだが、朝の授業が終わって午後の授業に出かけるまでに3時間ほどの空き時間があり、大学の部屋で仮眠をしていたら、寒さで目が覚め(部屋には暖房器具や布団や毛布がないので)、風邪をひき始めてしまった。授業のため教室に行っても「くしゃみ」が出てくる。学生達に、「私の大学の部屋には、布団がありません。我没有被子大学的房間。寒いです。一点我得感冒了。」と話してから授業を始めた。授業終了後に、一人の女子学生がやつてきて、「先生。私の布団は 2つです。一つ 先生 使うですか。」と言ってくれたのには面食らった。申し出を丁寧に辞退させてもらったが、このようなことを言ってくれる学生がいるとは、針の穴ほどにも考えていなかった。これらのことは、日本の大学の学生と先生の関係の中では、ほぼありえないことだと思うのだが。これらは、「一旦、人間的な関係ができてくると、身内に対するような情を中国人は持つようになる。」と言われていることの一つの出来事なのだろうか。
11月の中旬すぎから、3年生の「総合日語5」の授業では、「謝罪表現・感謝表現・非難表現・接客表現」などに関する一連の授業を実施している。授業準備のために、これらに関する日中双方の研究者の論文などを何編か読み、日中の言語表現や心情の比較などをしながら、授業を進めてきた。
日本人から見た中国人への一般的なイメージ(中国人観)の一つとして、「すぐにはあやまらない。なかなか謝罪しない。自分が悪くても、相手の非をまくしたてる。」「日本人は、相手にかかわらず、すぐ感謝の言葉を気軽に表現するが、中国人はそうではないらしい---。」「中国人の接客態度は、ぞんざいで荒っぽいらしい---。」などなどがあるように思われる。このため、日中の政治的問題における緊張関係の高まりを考えた場合でも、「やっぱり、中国人は自分の方が悪くても、非を認めず、面子にこだわり相手の非をまくしたてている。」と感じてしまうこともあるのだろう。実際、中国社会で3か月以上生活してみて、そのような中国人観にあてはまる場合をよく経験もし、見てもきてきた。しかし、これは、「表面的な中国人観・中国人に対する見方」にすぎなかったことも、私自身感じ始めてきている。
一連の授業の中で、言語表現と歴史的・文化的な社会背景をも説明しながら、諸表現や心情についての日中双方の共通性や違いについて、中国人学生達と話し合いながら授業を進めてきた。例えば、「謝罪表現」について比較すると、日本人の場合「すみません。」や「申し訳ありません。」などをすぐに表現する。謝罪の言葉をまず相手に言って、具体的補償内容はは相手に委ねる。相手が「そこまで謝るなら、もういいよ。気持ちはわかったから。」で済んでしまう場合もよくある。逆に、すみませんや申し訳ありませんの言葉が初めになくて、お金の補償から切り出した場合、「おまえ、気持ちがないやろ!金払えばいいって問題じやないやろう!!」と、軽いトラブルや問題でも事態が深刻になりかねないことにもなる。最初に「謝罪言葉ありき」の社会である。
一方、中国人は、「すみません。」「申し訳ありません。」に相当する「不好意思」(ブハイ・イス)や「対不起」(ドィ・ブチ)をなかなか表現しないのが一般的であるようだ。混雑した場所などで、体がぶっけられてヨロヨロした場合、瞬時に相手に期待する「すみません。」の一言が返ってこない場合の多い中国社会。中国の研究者の論文や学生達の話によると、ものすごく人が多い中国社会では、体がぶつかるのはあたりまえのことで、お互い様ということなので、一方が悪いというような謝罪の対象にはならないと考える人が多いという。また、いったん「対不起」と表現した場合は、日本でいうところの「もういいですよ。」と言われても、補償を含めた何らかの謝罪行動をとらないと気持ちが済まないという心情があるのだという。つまり、言葉で謝罪するというよりも、謝罪する場合は心情を伴う現実的な行動で表現する傾向が強いということがうかがえる。
日中どちらの謝罪のあり方が良いかは、判断はしかねる。しかし、はっきり言えることは、日本の謝罪行動の方がお互いにそれぞれの非を認め合うのに早くたどりつけることは確実に思える。一方、中国の方は、お互いの非を認め合うのにすごく時間がかかるが、その後の実質的な謝罪表現行動は「情と実」のともなったものとなるのことが多いように思われる。そして、中国人の「謝罪表現」に関しては、世代間の違いが大きく、若い人ほど「謝罪の言葉」を早く出す傾向が強く見られてきているという。
一昨日の早朝、大学に通勤するバスに乗っている途中、片側4車線ある大きな十字路の交差点で信号待ちをしている時、横断歩道の中央付近で、バイクと電動自転車の二人の男性が、お互い相手に人差し指を突き付けながら、「お前が悪いんだろうが!」と激しく言い合っている。その二人を避けてたくさんの車が通過していく。おそらくその場でえんえんと責任をめぐって口論が続くのだろうが、100%主張しあい、お互いがもう言うことがなくなり、疲れてきて冷静になってから、解決にけ向かい始める会話になっていくのだろうか---。