1100年~1400年代の中国の宋時代や元の時代、そして明時代の初期。泉州は海のシルクロードの中国の起点となる港湾都市だった。(世界三大港湾都市の一つ) 当時、台湾海峡に面した泉州湾内には、国内外からの大型船が多数停泊していた。
その泉州湾に流れる大河が二つある。そのうちの一つの大河の河口に洛陽橋(らくようばし)という長大な石橋がある。花崗岩で作られたこの石橋の河口付近は、2017年2月に訪れた時には、広大なマングローブの森となっていた。宋時代の1053年に起工し7年の歳月をかけて1059年に完成した全長1kmに及ぶ巨大な石橋を歩く。
橋のいたるところにある石像や彫られたレリーフ。石像などの人物の顔は、エキゾチックな顔立ちで、おそらく中東アラブから泉州を訪れていた国の人々かと思われる。仏像の顔が彫られたものもある。この当時、この石橋からはたくさんの大型船がひしめくように停泊してる光景が見えたのだろう。
この洛陽橋からほど近い浅瀬から、1974年に宋時代の大型船の沈没船体が一隻発掘された。発掘されたのは船体の下部の部分や錨(いかり)など。この発掘された船体は、開元寺境内にある建物の一つである泉州湾古船陳列館に現在は展示されている。
世界最大の港湾として栄えた泉州だが、1400年代に入り「海洋線の後退が進んだ」ため大型船の利用が難しくなり、明の時代も中期になると、台湾海峡に面した厦門(アモイ)や長楽(福州)の港にその地位が変わっていった。
2015年12月、福州から新幹線に乗り1時間40分くらいが経過して、泉州市の恵安(けいあん)地区の新幹線駅である「恵安駅」に降り立つと、編み笠に独特の日射し除けの美しい布が付いた衣装を身に着けた女性たちの姿の、大きな写真やレリーフの掲示が目に入った。「恵安女(けいあんめ[中国語ではグイアンリーと発音])」と呼ばれるこの女性たちは、この恵安地区の海沿いの町や村の女性たちの伝統的な装束。
恵安地区の泉州湾の入り口の半島にある「崇武(すうぶ)城」。この城は、泉州湾内を防衛するために築かれた城で、特に倭寇(わこう)と呼ばれた国内外の海賊集団から泉州湾内を守る拠点として築城された。この崇武城の城壁に囲まれた町(崇武鎮)は現在も3万人余りが暮らす。(何箇所かに小さな城門がある。)
崇武鎮付近の公共バスに乗ったら、恵安女の衣装をつけたおばあさんが乗っていた。崇武城の城壁近くの海岸の建物で、この恵安女たちの演舞があると案内の学生から聞き見に行くこととなった。
30分間ほどの美しい演舞だった。恵安女の編み笠がとても欲しくなり、案内してもらった恵安地区に実家のある学生に購入を頼むこととなった。2か月間ほどして、「先生、ようやく編み笠を購入できました」と大学で渡された。
泉州にはまだ行ったことがない有名な場所がとても多い。例えば晋江(しんこう)地区の安平橋(アンピンチャオ)は、全長が2kmもある石橋だ。また、泉州少林寺(しょうりんじ)などなど。
私が暮らす福州のアパートには、この泉州への旅で購入した恵安女の編み笠衣装やフィギィア人形、蟳埔女のフィギィア人形などが置いてあって心が安らぐ。
泉州の町中を歩いていると、福州などとは違って、ゆったりと時間がながれるような安心感があり、この町で暮らしたいと強く惹かれもする。そんなところも、この町が今、福建省内で最も人気の観光地となっている理由かとも私には思われる。
■日本から泉州に行くには、日本からの直行便で福建省の厦門空港到着が最も便利な空港となる。厦門にホテルをとって、この町のホテルを拠点にして4泊5日くらいで、3つの世界遺産認定地区をそれぞれ日帰りで(➊厦門、➋福建土楼群、➌泉州)を巡ることができる。