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彦四郎の中国生活

中国滞在記

福建省泉州に行く❹—泉州湾防衛のための「崇武城」、その海沿いの漁村の女性たち「恵安女」

2024-12-31 18:00:32 | 滞在記

 1100年~1400年代の中国の宋時代や元の時代、そして明時代の初期。泉州は海のシルクロードの中国の起点となる港湾都市だった。(世界三大港湾都市の一つ)  当時、台湾海峡に面した泉州湾内には、国内外からの大型船が多数停泊していた。

 その泉州湾に流れる大河が二つある。そのうちの一つの大河の河口に洛陽橋(らくようばし)という長大な石橋がある。花崗岩で作られたこの石橋の河口付近は、2017年2月に訪れた時には、広大なマングローブの森となっていた。宋時代の1053年に起工し7年の歳月をかけて1059年に完成した全長1kmに及ぶ巨大な石橋を歩く。

 橋のいたるところにある石像や彫られたレリーフ。石像などの人物の顔は、エキゾチックな顔立ちで、おそらく中東アラブから泉州を訪れていた国の人々かと思われる。仏像の顔が彫られたものもある。この当時、この石橋からはたくさんの大型船がひしめくように停泊してる光景が見えたのだろう。

 この洛陽橋からほど近い浅瀬から、1974年に宋時代の大型船の沈没船体が一隻発掘された。発掘されたのは船体の下部の部分や錨(いかり)など。この発掘された船体は、開元寺境内にある建物の一つである泉州湾古船陳列館に現在は展示されている。

 世界最大の港湾として栄えた泉州だが、1400年代に入り「海洋線の後退が進んだ」ため大型船の利用が難しくなり、明の時代も中期になると、台湾海峡に面した厦門(アモイ)や長楽(福州)の港にその地位が変わっていった。

 2015年12月、福州から新幹線に乗り1時間40分くらいが経過して、泉州市の恵安(けいあん)地区の新幹線駅である「恵安駅」に降り立つと、編み笠に独特の日射し除けの美しい布が付いた衣装を身に着けた女性たちの姿の、大きな写真やレリーフの掲示が目に入った。「恵安女(けいあんめ[中国語ではグイアンリーと発音])」と呼ばれるこの女性たちは、この恵安地区の海沿いの町や村の女性たちの伝統的な装束。

 恵安地区の泉州湾の入り口の半島にある「崇武(すうぶ)城」。この城は、泉州湾内を防衛するために築かれた城で、特に倭寇(わこう)と呼ばれた国内外の海賊集団から泉州湾内を守る拠点として築城された。この崇武城の城壁に囲まれた町(崇武鎮)は現在も3万人余りが暮らす。(何箇所かに小さな城門がある。)

 崇武鎮付近の公共バスに乗ったら、恵安女の衣装をつけたおばあさんが乗っていた。崇武城の城壁近くの海岸の建物で、この恵安女たちの演舞があると案内の学生から聞き見に行くこととなった。

 30分間ほどの美しい演舞だった。恵安女の編み笠がとても欲しくなり、案内してもらった恵安地区に実家のある学生に購入を頼むこととなった。2か月間ほどして、「先生、ようやく編み笠を購入できました」と大学で渡された。

 泉州にはまだ行ったことがない有名な場所がとても多い。例えば晋江(しんこう)地区の安平橋(アンピンチャオ)は、全長が2kmもある石橋だ。また、泉州少林寺(しょうりんじ)などなど。

 私が暮らす福州のアパートには、この泉州への旅で購入した恵安女の編み笠衣装やフィギィア人形、蟳埔女のフィギィア人形などが置いてあって心が安らぐ。

 泉州の町中を歩いていると、福州などとは違って、ゆったりと時間がながれるような安心感があり、この町で暮らしたいと強く惹かれもする。そんなところも、この町が今、福建省内で最も人気の観光地となっている理由かとも私には思われる。

■日本から泉州に行くには、日本からの直行便で福建省の厦門空港到着が最も便利な空港となる。厦門にホテルをとって、この町のホテルを拠点にして4泊5日くらいで、3つの世界遺産認定地区をそれぞれ日帰りで(➊厦門、➋福建土楼群、➌泉州)を巡ることができる。

 

 

 


福建省泉州に行く➌—世界遺産「泉州」という町は人々を惹きつけるなあ‥華僑の故郷、媽祖信仰のこと

2024-12-31 04:48:24 | 滞在記

 泉州を訪れたのは今回が4回目となった。今回、泉州市の古街の何箇所かを巡ったのだが、この町には魅力的な場所が他にもたくさんある歴史的な古都だ。2015年12月中旬(学生の姉の結婚式に招かれて一泊二日)、2017年2月下旬(一泊二日の泉州旅行)、そして2018年9月上旬(日本の立命館大学大学院に留学する学生の、家族・親族一同50人余りによる壮行宴会に招かれて一泊二日)に泉州を訪れた際の場所も紹介しておきたい。(※今回巡った場所とは違うところ。)    

 泉州の町の別称は「刺桐(さしきり)城」。「刺桐」とは亜熱帯地方に咲くデェイゴの花のことで、遠くヨーロッパから中世時代にここを訪れた人たちは、この花のことをザイトンと呼んだ。

 関帝廟に近いところにある「中国で現存する最古のイスラム教寺」(「清浄寺」というという名前になっているが)。はるか古代の中国の唐時代に創建されている。

 「文廟」はイスラム教寺院からも近い。広大な境内には孔子が祀られている。この「文廟(孔子廟ともいう)」は、中国全土の都市などにある。泉州の町の魅力の一つは、華僑たち商人が造設したアーケードのあるレンガ造りの商店街。

 今回は2つの石塔は見たが、境内には入らなかった「開元寺」。菩提樹の大木が何本かあり、2月には日本の沖縄地方に咲く桜と同種の「緋寒桜(ヒカンザクラ)がたくさん見られる。また、金木犀(キンモクセイ)の香りが境内に満ちる。境内にある建物や柱などの各所に見られるレリーフはインド仏教的な雰囲気のものが多い。海のシルクロードの中国の起点港町となった泉州の寺院らしさを感じる。

 かっては泉州は城壁に囲まれた町「泉州城」だった。そして、現在では城門の楼が二箇所残る。そのうちの一つが「臨漳門」。

 「天後宮(てんごうぐう)」などがある天後路や聚宝街のあたりは、とても面白く、興味を惹かれる歴史的な建造物も多い。天後宮の前方には、「徳済門遺跡」がある。この「徳済門」は、泉州城の門のなかで最も正面に位置する大きな門だったようだ。付近の道沿いには、毎日、早朝から路上市場が開かれている。

 路上で商いをする農漁村の人たちの中に、髪に大きな花簪を飾っている女性たちもいた。この女性たちが「蟳埔簪花」の蟳埔女(ジンホーメ)だったのだ。2年ほど前から泉州に旅行に来る中国の女性たちに大人気となっている蟳埔簪花の、地元漁村の本物の人たちだった。蠣(かき)や渡り蟹(ワタリガニ)を売っていた。

 泉州天後宮を2017年に訪れた時、金門諸島(台湾が実効支配している。泉州や厦門[アモイ]から見えるくらい近い。)からパレードや演舞を披露する人たちが来ていた。とても可笑しみもあるユニークなパレード・演舞だった。毎年この泉州でこのイベントを行っているとのことだった。

 中国をルーツにもち、主に東南アジア諸国にて商人となっている華僑(かきょう)たちの故郷は、中国南部、東シナ海沿岸の広東省や福建省の町や農漁村。ここ泉州もまた華僑たちの故郷の一つ。国立華僑大学の泉州校区(キャンパス)がある。この大学には外国語学部日本語学科もあり、その日本語学科棟の建物の入り口には「日本学研究所」の看板も掲げられていた。

 華僑大学からほど近い大坪山というけっこう高い山の山頂に、巨大な鄭成功(ていせいこう)の馬上像が見える。その巨大さには圧倒される。鄭成功は日本の長崎の平戸で生まれた。(父は泉州出身の中国人、母は平戸藩の武士の娘。) そして、父の故郷である泉州に渡航。長じて、オランダに支配されていた台湾を開放したり、泉州や厦門を拠点として清朝政権に長く抗戦をしていた。まあ、中国人の歴史上の英雄の一人で、厦門にも巨大な彼の像がある。また、平戸にも像や鄭成功門なとがある。(※日本の人形浄瑠璃や歌舞伎などで「国性爺合戦(こくせいやがっせん)」の主人公として上演されている。中国の人たちは、鄭成功の母が日本人で、日本生まれであることをほぼ知らない。)

■媽祖信仰—中国の広東省や福建省と台湾の間の台湾海峡。この海峡の海の沿岸には媽祖信仰が伝統的に強く残されている。このため、この媽祖信仰は中国大陸の台湾海峡沿岸の人々と台湾の人々との精神的なつながりともなっている。「媽祖(まそ)」とは、海をいく船の海上安全を見守る女神(めがみ)のこと。海上をいく船の安全を空から見守る存在とされている。そして天後宮はその媽祖を祀る寺院で、福建省の台湾海峡沿岸の町にはこの天後宮がけっこうある。

 泉州天後宮には、海上をすすむ船の上の七福神を、その船上の空に飛天(ひてん)のように浮かび飛びながら、見守っている媽祖の姿が描かれている絵馬があった。また、この媽祖を敬う大きな祭典の写真には、蟳埔女たちが媽祖に祈る姿が映っていた。

※日本では、海上をいく船の安全を守るものとして「金毘羅山(こんぴらさん)信仰」がある。香川県(讃岐国)の金毘羅宮をはじめとして、日本の海の沿岸には全国各地にこの金毘羅宮がある。私の故郷である福井県南越前町の漁村では、近くに金毘羅山があり、山頂付近には金毘羅宮がある。私の祖父や父は漁業を仕事としていたため、毎年、村の漁業仲間たちとこの金毘羅宮に参拝に行っていた。

 

 

 

 


中国福建省「泉州」に行く❷—古都の古街を歩く、「蟳埔簪花(シュンブーザンファー)」という女性たちの大きな髪飾り

2024-12-28 13:05:39 | 滞在記

 泉州B級グルメで有名な食堂の一つで昼食を食べ、再び三人で小白に乗り、王さんたちが目指す古街の一角にある路地の喫茶店近くに着いた。時がとまったような長閑(のどか)な通りの家の前で、椅子に腰かけて過ごしている老婆。店の外の席でタバコをしながら、この店のアイスコーヒーを長い時間をかけて飲み、ゆったりと過ごす。

 喫茶店の名前は「洵山(シュンシャン)」。この「洵山」という名前の由来を店主に尋ねたら、中国の古典「妖怪・幽霊の書籍」として有名な『山海経(さんかいきょう)』に出てくる山の名前とのこと。この『山海経』は日本の妖怪・幽霊文化にも大きな影響を与えた書物で、「日本と中国の妖怪・幽霊文化の比較研究—『山海経』の日本への影響」と題して卒業論文を作成した学生を指導したこともあった。「ゲゲゲの鬼太郎」などの漫画で著名な水木しげるさんなども、この『山海経』の愛読者だった。

 中山路という通りには、ベトナムなどの東南アジアとのつながりが深い歴史を感じさせる街並みが続く。ここ泉州も中国華僑(かきょう)たちの故郷の町の一つ。通りの1階部分の商店街は雨が降っても大丈夫なようにアーケードづくりの街並みとなっている。東南アジア特有の建物の通りだ。

 細い古街の通りの町中を歩くと、2021年に世界遺産に認定されたのが、観光客が激増しただけの理由ではない光景がたくさん見られる。頭上の大きな花簪(はなかんざし)をした大人の女性や女の子の姿で町を歩く観光客の人がとても多い。「蟳埔簪花(シュンブーザンファー)」という大きな花簪は、泉州市の市内を流れる川が東シナ海の泉州湾に至る付近の漁村・蟳埔村の女性たちが伝統的に昔から頭を飾っていたのがこの蟳埔簪花だった。私はこの髪飾りを2017年に泉州の町角で、ワタリガニや蠣(カキ)を売っていた路上の女性たちをたくさん目にしたときが初めてだったが、驚いたものだった。(※「蟳」(日本語読みはジン)とは、渡り蟹(ワタリガニ)のこと。)

 この「蟳埔簪花(シュンブーザンファー)」を2022年に中国の有名人気女優が自ら飾ってSNSで発信したことから、中国全土の女性たちの人気に火が付いた。2023年1月に中国の「ゼロコロナ政策」が終息し、旅行ブームが起きてきたのだが、この蟳埔簪花を(レンタル伝統服+化粧+蟳埔簪花の店で)頭上に飾って古都・泉州をゆっくりと散策を楽しみ写真や動画にもアップすることが、大流行りとなって現在も続いている。まあ、日本の古都・京都でレンタル着物と髪結いをしてもらい街歩きを楽しむ女性とよく似てはいる。

 ある店の中には等身大の「蟳埔簪花」姿の女性の人形が自然に動いていた。最初、あまりに自然な動きと表情に人形とは思わなかった。町中の日本のコンビニ「LAWSON(ローソン)」(※中国では「夢森(モンション)」と呼ばれている。)が、あたりの古街にすっかり溶け込んだ建物となっていた。

 西街という通りを進むと、「開元寺(かいげんじ)」の二つの塔が見えてきた。泉州の町のシンボル的な古刹の石塔だ。2017年にここを訪れた時は、二つの塔ともに修復工事のために全体が覆われていたのだが、今回はとてもよく見える。

 二つの石塔がよく見えるらしい、商店の屋上に上がることとなった。塔とともに泉州の古街の街並みもよく見える絶景だった。

 今もここでは、客を乗せる「人力自転車乗り合い」や「三輪バイクタクシー」が多く見られた。路上の物乞い(ルンペンさん)。そばには、スマホアプリの「ウイチャット・wechatやシーフーバオ・支付宝」のバーコードが置かれている。物乞いへの寄銭も現金ではなくスマホ送金の国が中国の今。

 午後4時頃になり、薄暗くなり始めた。この日は、中国も日本も冬至の日。再び小白に乗って車を駐車した場所に向かう。駐車場の料金は40元(800円)ほどだった。午後4時30分頃に泉州の町を出発。途中、町中のけっこう高い山の山頂に、超巨大な馬上の鄭成功(ていせいこう)の像が見えた。

 泉州の町中を通り過ぎ、福州に向かう高速道路に入る。途中でサービスエリアに立ち寄り、タバコ、トイレタイムをとる。サービスエリアで小便をしたら、その小便の血糖値など様々な項目の検査結果を知ることが可能な小便器が設置されていた。(すべての小便器に)   いわゆる私たち日本人が病院行って尿検査をして、数日後に医師からその検査結果を知らされるシステムが、すぐにでも知ることが可能な小便器だった。これには、多少なりとも驚かされた。

 おもむろに小便器の真ん中あたりの高さにある穴付近に小便を入れる。すると、尿検査をしますか?というメッセージとともに、バーコードが提示される。そのバーコードをスマホでスキャンして、料金を電子送金すると、スマホに検査結果が表示されるというシステムだった。王さんが、「どうします?検査しますか?」と聞いてきたが、やめておくことにした。

 


中国福建省「泉州(せんしゅう)」に行く➊—海のシルクロードの中国の起点となった古都は、最近世界遺産に選定された

2024-12-28 10:40:45 | 滞在記

 中国の宋時代、元時代、そして明時代にかけて、1200年代から1400年代の中国の中世時代、中国からヨーロッパの玄関口であるトルコのイスタンブールからイタリア、エジプトのアレキサンドリアまでをつなぐ「海のシルクロード」。その中国の起点となった港町・福建省の古都「泉州(せんしゅう)」は、当時の「世界三大港湾都市」と言われ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ世界最大の港町だった。

 この世界最大の港湾都市に東南アジア・インド、遠くはアラブやペルシャからイスラム商人たちが訪れ、住まっていた。また、ヨーロッパからも商人たちが来ていた。イタリア人のマルコポーロはユーラシア大陸の陸のシルクロードから中国に入り、長安や洛陽を経て北京に長く滞在し、母国イタリアに帰る時は、この泉州から船に乗り旅立った(1292年/元の時代)。このことは、彼が著した『東方見聞録』にも記されている。私はこの町(泉州)をこれまでに3回訪れている。(2015年12月、2017年2月、2018年9月)  

 中国福建省は、約8万㎢の面積と、中国の省の中では小さい。人口は約5000万人余り。面積的にも人口的にも韓国とほぼ同じくらいの規模の省となる。この福建省には、「➀土楼(どろう)群」➁厦門(アモイ)➂武夷山(ぶいさん)渓谷」の三箇所の世界遺産選定地があるが、2021年にはこの「④泉州」も世界遺産に選定された。

 私が暮らす福建省の省都・福州市から東シナ海沿いの南方にある泉州へは、新幹線で1時間20分ほど、高速道路を使って車で向かえば2時間ほどで到着できる。福建省の都市や町はこの12年間余りで方々に行ったが、私は省内の町で「もし暮らすとしたら」、この泉州が最も暮らしたい町となるだろうか‥。泉州市の人口は福州市とほぼ同じで約900万人余り。面積は兵庫県くらいはあるかと思う。

  この11月下旬頃に、閩江大学の卒業生の王文重さんに「12月中旬頃に泉州に車で、日帰りで一緒に行きませんか」と誘われていて、12月21日(土)に行くこととなった。彼の婚約者の女性・甘(かん)さんとの3人の日帰り旅行。泉州へは、ほぼ7年ぶりとなる。世界遺産に選定されたこともあり、現在の泉州は、厦門よりも人気の観光地となっているようだった。

 12月21日(土)早朝の午前7時40分過ぎに、王さんと甘さんが私のアパート近くまで車で来てくれた。しばらく福州市内を通過し高速道路へ入り泉州に向かった。途中、「五虎山系」など、初めて見る花崗岩の岩山の連なりが美しい。2時間ほどで泉州の旧市街に到着。広くない2車線の旧市街の迷路のような様々な通りをぬけて車をようやく駐車場を見つけて車を置く。「泉州の旧市街の町の建物の彩り」は茶っぽいレンガの建物が多い。町中の交差点で荷台付三輪自転車を走らせるおばあさんの姿。まずは、駐車場から近い「承天禅寺」という古刹へ。

 私は座骨神経痛や閉塞性血管症の病気があり、100m~200mほど歩くと痛みやだるさの症状がでてくるので、王さんたちとは別行動でゆっくりと休み休み一人で境内を廻る。寺院内でひざまづぃて祈るたくさんの人々。寺院の図書館楼の小さな門前の狛犬の頭や顔は、たくさんの人に撫でられて擦り減ってもいた。その可愛い顔つきがなんともいえない。

 寺院に隣接する「晋光小学校」の校門は伝統的な建物の正門。泉州の旧市街を走る白く小さな車(小白[シャオバイ])。行きたいところを告げるとその方面に走ってくれる。料金は一人2元(40円)。小学校の学芸会の帰りらしい子供と母親が小白に乗り込んできた。学芸会での衣装に、ひげを顔に書いている。「可以 照相吗?(写真を撮ってもいいですか?)」と聞いたら振り向いてくれた。

 小白で甘さんが行ってみたい書店に向かった。書籍だけでなく、いろいろなものが売られ、勉強や読書もできる喫茶室などもある。京都では、平安神宮近くにある蔦屋(つたや)書店のような感じの書店。小学生から大人までが、ゆっくりと勉強や読書、パソコンでの仕事などもしながら過ごしていた。そこからまた小白で、今度は「関帝廟」に着いた。

 2017年に泉州を訪れた時にもここに来た。いわゆる中国の民俗宗教である「道教」の寺院。「道教」の寺院では三国志で有名な武将である「関羽(かんう)」を神として祀っているところも全国的に多い。この泉州の「関帝廟」は、中国三大「関帝廟」のようだ。関羽とともに、宋時代の武将の一人であり、讒言(ざんげん)により非業の死をとげた「岳飛(がくひ)」も祀られている。この二人は、中国人にとって敬愛する歴史上の人物。テレビドラマや映画などでも多く取り上げられてきた。

 「関帝廟」の屋根の装飾が色彩的にも美しい。廟内では真剣にお祈りをしている人たちでにぎわっていた。お供えものを持ってきていて、祭壇に置く人も多い。このお供え物は、しばらく祭壇に置いてから持ち帰るところが日本とは違うところろ。この「関帝廟」からほど近いところに、中国最古のイスラム寺院がある。

 再び小白に乗り、昼食を摂る店に向かった。店(食堂)に着き席に座ると、なにやら昔の記憶がよみがえってきた。なにか以前にも座ったたことがあるような席。店の名前「好成財 牛排館」という店の名前にも‥。2017年2月下旬に、福建省龍岩大学の教員だった鶴田さんに連れられて食べに来た店だった。この店は泉州のB級グルメで有名な店だった。安いB級グルメの昼食は、あっさりしいるが味に深みのある二品料理(焼きめし+面の入ったスープ)だった。

 

 

 


中国の学生たちの視野を拡(ひろ)げられる「時事日本語」へ、私なりの授業づくり➏—学生たちの授業感想より➁

2024-12-27 05:00:13 | 滞在記

■前号の学生たちの授業感想の続きです。

🔴私にとって寺坂先生の時事日本語の授業は本当に面白くてとても好きです。なぜなら、時事日本語は日本のニュースをたくさん知ることができるからです。日本のニュースには関心がなかったので、その授業の多くの記事は私にとって目新しいです。

 時事日本語の授業はたくさん学ぶことができます。例えば、日本の国民経済はどうですか。日本はなぜ自然災害が多いですか。日本の人口高齢化の深刻さと日中両国の交流などです。その中でも、鬼や幽霊をテーマにした授業に惹かれました。ちょっと怖かったけど面白かったです。雪女とお岩さんなど。いずれにしても、寺坂先生の授業はいつも楽しいですし、寺坂先生の魅力や授業の進め方がその授業に彩りを与えているのかもしれません。今学期はお世話になり、ありがとうございます。

🔴中国と日本は歴史が違いますし、人文の現状もたくさん違います。しかし、両国も同じ問題を抱えており、同じ世界情勢に直面しています。調和のとれた付き合い方を探し当てて、協力とウィンウィンの可能性をおって、世界の他の国家と正しい共通認識を達成して、それから努力して世界的な問題を解決する方法を探し当てて、これは国家が人類のためにすることです。

🔴「時事日本語」という授業は、現在的社会情勢やニュースを通じて、日本語学習に役立つ授業である。このような授業を受けて、日本語文章の読み取りスキルが向上するだけでなく、日本の文化や社会について深く理解できると思っています。そのほかには、この授業を通じて、私たちが多様な視点に触れて、異なる視点や意見から自分の考えを発表できる。このようにして、私たちの批判的思考能力を養うことができる。そして、特定のニュースやトピックに興味を持ち、さらに日本語学習に対する意欲を高める。

 とにかく、この授業は私たちにいろいろな経験やよい思い出をもたらす。最後は、この授業の寺坂先生にありがとうと言いたくて、来学期 先生の授業もお楽しみにしている。

🔴この授業はニュースを媒介にして、寺坂先生は授業ごとに素晴らしいPPTを用意して中日間のいくつかの文化、社会的な状況の対比を展示した。中国と日本の関係は非常に特別で、同じ歴史的な習慣があり、二つの民族独自のスタイルもあることがわかった。

 『Reading  Road』という教材を選ぶのはとても良くて、その中でいくつかの日本語の文法表現を学んだだけでなくて、もっと重要なのは、日本文化について以前より詳しく知っていることだ。

■中国の大学に赴任して以来、初めて取り組んだ『時事日本語』の教科。この教科で、「➀いかに中国の学生たちのこの世界・社会、いわゆる世の中を見る視野を拡(ひろ)げられるのか+➁時事記事の日本語語彙や文章表現の理解」を考えて、授業づくりを試行した。学生たちの全13回授業の感想文を読んで、授業内容の一定の成果を確かめることもできた。

■この授業を行った3回生たちには、今学期「日本概況」(全8回)の授業も行っている。「日本の国ってどんな国?」なのかを概論的に行う授業だ。日本の地理・国土・自然、日本の歴史、日本の政治・経済、日本の衣・食・住、日本の宗教、日本の教育、日本の結婚、日本の入浴・温泉文化などなど‥。これらの学習内容を常に日本と中国を比較・関連・対比しながら授業を進めていった。

 この「日本概況」と「時事日本語」の授業の両方を学生たちが受講することで、学生たちの「日本学」の基礎ができることとなった。この「日本概況」についての学生たちの授業感想も書いてもらったが、なかなか授業内容の手ごたえを感じる感想が多かった。その国のことを理解していくためには、その国の「国土・地理、自然環境」、その国の「歴史」を概論・体系的に学ぶことはとても重要で必要なこととなる。