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彦四郎の中国生活

中国滞在記

男子学生たちばかり10人が、宿舎にやって来た

2014-03-15 05:06:10 | 滞在記

 「中国の福州の季節がわからない。今は、どんな季節なのだろう?」と、ここ2~3週間思っていた。日本の京都ならば、3月の春が本格的に始まる季節。そして、半月後には桜の花が開花している季節なのだが----。ここ福州では、ぼぼ常緑。葉を落とす いくつかの種類の樹木は、2月上旬頃に紅葉し落葉していった。そして、梅の花の開花が始まった。3月に入り、桃の花が開花し始めた。日本の3月3日(桃の節句「雛祭り」)に合わせるように。
 3月に入りほぼ毎日雨が降っている。降り始めると氷雨のような冷たい雨。そして、たまに晴天のポカポカした日が訪れる。「まるで、日本の梅雨のようだ---。」と思い始めた2日前に、同僚の張先生に「福州は毎日雨ばかりですが、今は春なのですか。どんな季節なのですか。」と聞いた。すると彼女は、「今は春ですが、梅雨の季節です。福州は、中国でも南方にあるので、梅雨の季節が日本より早く始まります。そして、4月中旬ころまで続きます。5月になると急に暑くなってきます。夏が始まります。」と。
 10日前の水曜日の午後、福州市内の北にある「福建省国家森林公園」に行ってみた。かなり広い公園内を散策していたら、樹齢何百年のカジュマル(榕)の木や「ミツマタ」の黄色い花が咲き、桃の花が満開になっている場所もあった。

 2月19日(水)に、初めて中国の病院で受診し、治療を始めた3か所の胃潰瘍。2月中旬頃、顔がかなり痩せこけていた。胸の肋骨も見えていた。あれからほぼ1か月。完治するまでの禁酒も続けている。今現在、かなり回復がすすんできていて、空腹時に感じる胃のようすでは完治率80%ぐらいかと思う。顔や胸の肉も回復してきている。あと、1週間ぐらいで酒を飲んでもいいかもしれない。先日の火曜日の午後、3回目の病院受診。受診順番が9番目のカードをもらった。電光掲示板に「9番寺坂義彦来診」が出たので、担当医の小さな部屋に入ると、そこにはもう10番目~13・4番目の人も来室していて、順番無視・我先にと「受信手帳やカード」を出している。まごまごしていると、受診できないので9番の番号を周りの人たちにかざしながら受診にこぎつけた。5~7人ぐらいの患者が、ぼくの治療状況などを目の前で聞いていることになる。ここは患者のプライバシーがほとんど無い。清潔で新しい大病院なのだが。
 3月上旬に突然、大学内の「福万楼」という建物の7階の一室を「研究室」としてあてがわれた。いままでは、学生の寮の一室を使っていた。これで、大学本部キャンパスから1時間以上かかる「宿舎」と、大学内の「学生寮の部屋」と「研究室」の3つを使うことができるようになった。「研究室」は、ウナギの寝床のように細長く狭い部屋だ。しかし、景色がいい部屋。最近では、授業のない日にも半日ほどここに来て、仕事・授業準備・読書などをしている。窓の眼下に見える第一運動場(スタジアム)とその周辺の体育施設では、「サッカー・バスケットボール・バレーボール・テニス」などの授業風景が見られる。さっそく、サッカーボールを購入し運動を始めてみた。今週の月曜日には、見知らぬ学生たちのバレーボールゲームにも参加させてもらった。

 先週の日曜日に、1年生の男子学生たち10人がアパート(宿舎)に来た。小さな2室だけのアパートなので10人以上も入ると、すごく狭くて窮屈になった。椅子も全部で5つしかない----。スリッパも足りない。午後2時半頃に来て5時半に帰っていった。日本式のカレーライスを作ったり、ソーメンを作ったりしてあげた。日本式カレーライスは、全員が食べるのは初めてなのだが、「すごく美味しい。美味しい。」と言いながら食べていた。また、日本酒を飲むのも みんな初めてだか、結構いけるようだった。パソコン画面の映画を見たり、雑談したり、酒や料理を食べたりの3時間あまりだった。学生たちが沢山の果物を土産に持参してきたが、食べきれず---。大量のリンゴやミカンなどが冷蔵庫に残った。









北京出張滞在3日間➂

2014-03-12 08:56:26 | 滞在記

 3月3日(月)
この日の北京の空気は、「重度汚染」。ホテルの部屋から見える道路や建物群が霞んでいる。北京空港から福州行の飛行機便は午後5時半。かなり時間があるので、北京大学や天安門などに行くことにした。早朝、中国各地に派遣されている日本人たちに別れを告げた。
 午前中は、北京大学に行った。朝8時頃に地下鉄に乗ろうとすると、通勤時刻のためが物凄い人の数。電車に乗れない人々の行列。次の電車が来ると、少しずつ列の前に進める。4回目に来た電車にようやく乗り込めた。乗り込めたが寿司詰め(押し寿司)状態。満足に手足が動かせない。これは、多くの人々にとって痛勤電車だと思った。
 北京の主な大学(北京大学・清華大学・北京師範大学など)の多くは、中心地である天安門・故宮の北西方面に位置している文教エリアにある。広大な北京大学のキャンパスには、歴史的な建築群や小さな湖、「博棑塔」という高い塔があった。


 午後は、パソコンの入った重いキャリーバックを引きながら、地下鉄を何度か乗り変えて天安門に来た。天安門は「故宮(紫禁城)」の南門。故宮は1421年(明の時代)に造営され、以後、清朝最後の皇帝「溥儀」が退位する1925年まで、24人の皇帝が約500年間にわたりこの地から中国を支配していた。
 2月下旬に雲南省「昆明」で集団殺戮事件が起きたことや、昨年度の「天安門前自動車テロ事件」、そして今日から開催される「中国人民代表者会議」のために、付近の警戒態勢は厳重を極めていた。天安門広場は入場禁止措置。天安門周辺に行くまでに荷物や身体検査をされた。天安門は空気汚染のため霞がかかって見えた。

 天安門からさらに南に行くと、大街の南の門である「前門(正楊門)1420年造営:42m」に到着した。その巨大さ、美しさ・すごさに感動すら覚え、しばらく見惚れた。さらに南に行くと、前門商店街が長く続いていた。この商店街は、明の時代から続く巨大市場の地だったのだろう。
 午後3時。地下鉄に再び乗り、北京空港へ向かった。北京空港は、第一と第二の空港があり、この二つの空港間は10キロ以上離れていた。どちらの空港に行けばいいのだろうか。時間の余裕もない。つたない中国語で尋ねたりして、ようやく目的の第二空港に到着。40分遅れの出発で、福州には午後9時前に到着。アパートに10時半に戻った。翌日は、早朝から授業がある。

 

北京出張滞在3日間②

2014-03-12 05:01:58 | 滞在記

 3月2日(日)午前中
 経験・実践交流会は午後から開催されるので、午前中は6人で市内の歴史観光に行った。この日から再び、北京の空気は「汚染濃度」が高まり始めた。案内は、以前「北京師範大学」に勤めていた岩川さん。
 北京の街は、天安門や故宮を中心とする南北約10kmの大街と呼ばれる大通り周辺に、歴史的に有名な建築物や胡同(フートン)が集まっている。

 朝食を早い時刻に済ませ、ホテルを7時半に出る。地下鉄やバスを利用して「鼓楼(ころう)」や「鐘楼(しょうろう)」に着いた。「鼓楼」は1272年(元 の時代)、「鐘楼」は1420年(明の時代)に、大街の北に建造された。その巨大さに圧倒される。胡同の密集している地区にも立ち寄った。この辺りの公共トイレは、ドアのない中国式トイレであった。
 バスに乗って景山公園の丘に登る。ここは故宮の北に位置し、故宮全体が見渡せた。あいにく空気が悪く、故宮が霞んで見えた。この40mほどの小高い山は、故宮の堀や中南海の湖を人工的に造る際に掘られた土を盛り上げて山にしたのだそうだ。故宮は、四方に堀を巡らせた完全な「平城(ひらじろ)」であった。


 3月2日(日)午後・夕方~夜
 1時半から「中国国家外国専家局」と日本の「公益法人:日中専門家技能交流センター」共催の「北京 経験・実践交流会」か始まった。約20名の中国各地の大学に勤めている日本人教員らが参加。中国での生活や日本語教育などを巡って報告・交流し合った。5人の報告者の一人として、私も30芬ほどの報告を行った。
 夕方からは、「教員激励宴」が開かれ、専家局の局員たちも多く参加していた。


北京出張滞在3日間①

2014-03-10 07:04:38 | 滞在記

 3月1日(土)から3月3日(月)までの3日間、中国各地の大学で「日本語教育」に携わる教員の「経験・実践交流会」に出席するため、北京に滞在した。1996年8月に、モンゴル国ゴビ砂漠での「恐竜発掘調査団」の一員として、北京を経由してモンゴルに行く際の往復で、北京に2日間滞在したことがある。当時、北京の中心地である天安門や王府井の大きな道路には、自動車とともに馬車がパカパカ通っていた。それから18年後の北京は、近代的な建物が増えていた。胡同(ふうとん)と呼ばれる共同的な住まいが少なくなり、空気も悪くなっていた。しかし、故宮(こきゅう)を中心とする歴史的建造物の街並みは、健在だった。

 
 3月1日(土)
福建省福州長楽空港午前10:00発の廈門(アモイ)航空:北京行便に載ると、昼の12:30に北京到着。ここ北京は、3月20日ごろから「空気の重度汚染」が続いていた。しかし、この日だけは、久しぶりに青空が見える日だった。空港から電車や地下鉄を乗り継いで、北京の商業・商店街の中心地「王府井(ワンフウジン)」の大型書店に入った。電車から見える北京の風景の中でも、樹木の葉がほとんど落葉してているさまに驚いた。中国南方にある福州は、亜熱帯気候のため樹木のほとんどが常緑。同じ中国でもその違いの大きさ----。
 再び地下鉄などを利用し、滞在先の「中国外国専家大楼」という大きなホテルに夕方5:00頃に到着。ここまで来るのに、北京の交通事情が分からないだけに、相当苦労した。滞在する部屋は、一人で使うには広かった。台所や洗濯機まであり、長期の滞在が可能な部屋の作りだった。(部屋の費用は、中国政府の支出) 知り合いの教員たちと夕食後、部屋に集まって情報交流などをしながら語り合った(胃潰瘍治療中のため、禁酒をしているのが残念)。