彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本共産党の米朝首脳会談絶賛に疑問を呈する❹―党の歴史的外交政策とは②

2018-06-30 22:23:25 | 滞在記

⑥日本共産党の「中立・自衛」政策は、1994年になって大転換する。「中立・自衛」というのは、①〜⑤で述べてきたように、「憲法改正」を含意した概念だったわけだが、この年、憲法九条を将来にわたって堅持する方針を出したのだ。「憲法九条は、みずからのいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめたという点で、平和理念の具体化として、国際的にも先駆的な意義を持っている」(「第20回大会決議」1994年)

 この大転換方針については1994年の「赤旗評論特集版」(1994年7月20日)などでも述べられていく。「急迫不正の主権侵略に対しては、警察力や自主的自警組織など憲法九条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。」(同上) これはかって批判してきた社会党と同様の立場をとるわけである。「警察力」で対応するなど、「社会党」の政策と基本的に同じものである。これはこれでスッキリとはしている。

 この大転換にあたり、党内からどんな批判が寄せられるかと心配もしていたが、共産党員からの反発はあまりなかった。なぜ共産党員に戸惑いがなかったのだろうか。これまで説明してきたように、「中立・自衛」政策というのはあくまで将来のことと位置づけられていた。当面の焦点は「憲法改悪阻止」であったので、共産党員は「九条を守れ」という立場で活動していた。何十年にもわたって日常的には九条の意義を語っていたわけである。将来の「中立・自衛」政策のことなど論議する場もなかった。その結果、共産党が憲法改正を展望していることなどと党員の中でも自覚されず、そのことを知らない党員が多数を占めていったのであろうと思う。

 そうした変化は、1990年代という「戦争がなくなるとまでは断言できる変化ではないが、少しずつそういうふうに世界が動くだろう」ということは予感させる時代だった。1990年にソ連が崩壊して東西冷戦も終わりを告げた1990年代の方針転換だった。共産党の大転換は、そのような時代の産物だった。しかし、さすがに侵略に対して「警察力」で対応するという政策は、共産党員の間ではともかく、国民の間では通用しない政策でもあった。

⑦そこで変化が生まれたのが6年後の2000年のことであった。この年、自衛隊と九条の「矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」として、「自衛隊の解消が現実のものとなるまでの過度期には自衛隊を活用する」という方針を全国大会で打ち出す。「(自衛隊と九条との)この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的に進めることが必要である」「そうした過度的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要に迫られた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。」(第22回大会決議、2000年)

  事実上の現状における「自衛隊の存在を容認する」という立場を政党として表明したことになり、当面、自衛隊に関して残る課題は「自衛隊の活用の仕方」だけとなることとなる。そうなるはずだったのだが、その後(大会決定後)、党内からの批判・論議もあり、「自衛隊を活用するという大会決定は、日米安保条約を廃棄する政府ができて以降の話だ」ということふうに党中枢の解釈は変化してしまった。つまり、自衛隊の存在を活用しないという方針に逆戻りしたわけである。

 安全保障に責任を持つ外交部長の立場にあった私(松竹氏)は、その安全保障の中心問題で意見が異なることになったのだ。人生で最大の悩みを抱え、苦悶した末、退職を決意することになる。

⑧それから15年間が経った2015年、共産党の方針は「自衛隊」に関してまた大きく変化している。「安倍自民党政権が推し進めようとしている"戦争法"を廃止した場合、今回の改悪前の自衛隊法となります。日本に対する急迫・不正の主権侵害など、必要に迫られた場合には、この法律に基づいて自衛隊を活用することは当然のことです」(外国特派員協会、2015年・志位委員長会見)  つまり、日米安保条約が存続する政府のもとで、侵略されたら自衛隊を活用するということだ。2000年の大会決定の解釈が覆ったのである。(※松竹氏の解釈に立ち戻ったということ)  2015年以降から2018年現在に至る今、日本共産党は「自衛隊」の存在と活用を容認するという立場を方針として持っているということとなるわけだ。

⑨この問題では、2015年当時の山下書記局長が、「政党としては自衛隊違憲論は変えないが、政府としては合憲という立場で臨む」と発言している。それ以外の対応は日本共産党としては無理だと思う。

⑩護憲派が望む自衛隊のない世界というのは、日本周辺の平和と安定が確保され、永続することが誰にも確信されるような現実がなければ実現しない。護憲派は、そういう外交は安倍政権にはできないと批判しているわけだから、それなら自分で政権を取りに行くしかないだろう。護憲政党を政権に送り込むということに躊躇(ちゅうちょ)していては、日本周辺を安定させる平和外交など夢物語である。

◆以上①~⑩が、日本共産党の元外交部長だった松竹氏が述べていることであった。日本共産党の外交政策や憲法九条問題を考える上で、私自身とても参考になる記事内容だった。

※このシリーズは次号(このシリーズの最終号)に続く。

 

 

 


日本共産党の米朝首脳会談絶賛に疑問を呈する❸―党の歴史的外交政策とは①

2018-06-30 18:35:59 | 滞在記

 日本共産党は、歴史的にどのような「外交政策」を掲げてきたのだろうか?また、「日米安全保障条約(日米安保条約)」や「憲法九条」、及び「自衛隊」に対してどのような政策を持っていたのだろうか?また、最近の「中国」「北朝鮮」などに対してどのような見解をとってきているのだろうか?

 日本共産党の元外交部長で、現在はジャーナリスト・編集者の松本伸幸氏の2018年6月27日付の記事に、上記のことが詳しく述べられている。(A4版10枚の内容)  まずは、1950年代から1980年代の「外交政策及び自衛権」について①②③④⑤‥‥など、以下その松本氏の文章の要旨を紹介したい。

① マスコミの中には不勉強な人がいて、護憲派というのは昔も今も「非武装・中立」政策をとっていると考える人がいる。しかし、少なくとも1990年代半ばまでの日本共産党は違った。日本共産党はみずからの安全保障政策を「中立・自衛」政策と呼んでいたのである。この二つはまったく異なる。というより、日本社会党が掲げていた「非武装・中立」への徹底的な批判の中で生まれたのが、「中立・自衛」政策だった。

 なお、この二つの政策は、「中立」という点では一致している。ここでいう「中立」とは日米安保条約の廃棄と同義語であった。安保条約があるから日本の安全が脅かされるのであって、それを廃棄して「中立」の日本を建設することが日本の平和にとって大事だという考え方は、いわゆる「革新派」にとって昔も今も変わらない。「安全保障政策」といった場合、この日米安保をめぐる問題が主張の基本に置かれているが、本稿で論じるのはそこではなくて、「それでもなお侵略されたときはどうするか」という意味での安全保障政策であることをあらかじめ断っておく。

②社会党の政策は、ある意味、何の矛盾もなかった。憲法九条が戦力を認めていないわけだから、その九条を守って自衛隊をなくすというものだ。政策的にも「非武装・中立」が日本の平和にとって大切だという考え方である。攻められたらどうするのだということへの回答は、「近隣の国々との間に友好的な関係を確立して、その中で国の安全を図る」ということであった。それでも日本に侵入されるような場合は、「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネスト」などで抵抗するという。その程度では侵入した軍隊に勝てないという批判に対する回答は、「降伏した方がよい場合だってある」ということであった。(社会党委員長・石橋正嗣『非武装中立論』社会新報新書・1980年)。憲法への態度と安全保障への態度は一貫していたわけである。すごく単純だったといえるわけだが。

 これに対して、日本共産党は、憲法を守ることも大事だが、国民の命を守ることも大事だと考えた。そして、その両者(憲法九条と国民の命を守ること)は簡単には合致することではないので、政策的にはいろいろな矛盾を抱え込むことになったのである。

③日本共産党は、日本が対処すべき危険は二つあるとした。一つは、社会党と同様、安保条約があるから生まれる危険であるが、それだけではなかった。「もう一つは、これはいま現実にある危険ではないが、世界にはなんらかの不心得者があらわれて日本の主権をおかす危険、この両方に対して明確な対処をしないと安全保障の責任ある政策はだせません」(不破哲三書記局長<当時>の日本記者クラブでの講演・1980年)という立場をとったのである。

 それでは、日本の主権が侵された場合どうするのか。まず、国家というのは「自衛権」を持っており、日本国憲法のもとでも侵略された際に自衛権を行使するのは当然という立場を、半世紀も前に明らかにした。「(自衛権は)自国および自国民に対する不当な侵略や権利の侵害を取り除くため行使する正当防衛の権利で、国際法上も広く認められ、すべての民族と国家が持っている当然の権利である」(「日本共産党の安全保障政策」1986年)

  よく知られているように、憲法制定会議において、新憲法では自衛権が否定されたとする吉田首相に対し、日本共産党は自衛権の重要性を主張した上で、憲法九条の内容である「自衛権の否定」に反対した唯一の政党である。国家が自衛権を保有しているという立場は、誰よりも明確だったと言えるだろう。

 では、侵略されたらどうするのか。まず、抽象的に言えば、「可能なあらゆる手段を動員して戦う」ということである。「憲法九条を含む現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存が危うくされたとき、可能なあらゆる手段を動員して戦うことは、主権国家として当然のことであります」(「民主連合政府綱領提案」1973年)

  このように、日本共産党の安全保障政策の基礎となる考えの一つは、何としても「国民の命を守る」ということであった。社会党のように、「デモ、ハンストから種々のボイコット、非協力、ゼネストで抵抗するとか、降伏した方がよい場合だってある」などというものではなかったのである。「非武装・中立」に対する「中立・自衛」には、そのような意味がこめられていたわけだ。

④「国民の命を守る」ということに加え、日本共産党が安全保障政策を立案する上で基礎となる上で基礎となるもう一つの考えがあった。それは「立憲主義を守る」ということだ。憲法に合致した手段で戦うということである。そして、この二つの考え方の両方を貫こうとするため、「可能なあらゆる手段」ということの内容に、いろいろな制約が課されてきたのだ。

 まず、侵略された場合、実力組織なしに対抗できないというのが日本共産党の考え方なわけだから、戦力の保持を否定した憲法九条のままではダメだということになる。今ではそんなことを覚えている共産党員は皆無だろうが、当時、日本共産党にとって、憲法九条というのは自衛権とセットであるべき「平和主義」に反するものだという認識であった。「将来 日本が名実ともに独立と中立の主権国家となった時に、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約を加えたものであり、憲法の恒久平和の原則を貫く上での制約にもなりうる」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」1975年)

  9条では恒久平和(自国と国民を侵略から守るという)を貫けないというわけだ。その結果、当然のこととして、憲法九条を改定することが展望されていた。「(日本が)軍事的に意味でも、一定の自衛措置をとることを余儀なくされるような状況も生まれうる」(したがって)「必要な自衛措置をとる問題についても、国民の総意に基づいて、新しい内外情勢に即した憲法上の扱いを決めることになるであろう」(「日本共産党の安全保障政策」1968年) こうして名称は決められていなかったが、戦力としての自衛戦力をつくるとされていた。徴兵制ではなく志願制とすることなども打ち出されたこともあった(「共産党政権下の安全保障」1979年)

  こうして9条を改正するというなら、それはそれで矛盾はないということになる。社会党の「非武装・中立」とは反対の意味で、すっきりした単純なことだった。しかし、日本共産党は、「九条の改正は将来のこと」と位置づけ、当面は変えないという態度(方針)を取る。その理由は主に二つある。一つは、自民党が九条を変えようとしていて、改憲問題が焦点となっていたわけだが、自民党の改憲目的は、現在では誰の目にも明らかなように、「集団的自衛権の行使(日本の領土・領海を守る自衛権の発動だけでなく、アメリカなどと協同して集団的に海外などでも行動できることを目指す)」にあったからである。このため、当面は「憲法改悪阻止」という立場が重要との判断をとった。二つ目は、日本共産党が連合政権(政府)の相手として想定していたのは、いうまでもなく「日本社会党」であった。その社会党は九条を変えるつもりはなかった。そういう事情もあったので、当面めざす連合政府は、憲法の全体を尊重する政府という判断をしたのである。社会党との連合政府のもとでは憲法改正に手をつけず、自衛隊は縮小し、やがては廃止することになるということだった。そして、さらに将来の政府においては、憲法を改正することによって、新しい自衛戦力を作るという展望だった。これらの過程を「国民の総意」で進めるとした。

 (※以上1950年代から1980年代までの政策)

◆元日本共産党外交部長の松ほ氏の文章を読んで、初めて知ることも多かった。それは、❶「日本共産党は憲法制定会議において第九条の内容に反対していたという事実」。❷「自衛権とそれを保証する戦力保持の必要性を日本共産党の党方針として持っていたという事実。このため、1980年代までは、憲法九条の改正が必要と判断していたこと」だった。私も勉強不足のマスコミと同じように勉強不足で、「護憲派」というものは昔から「非武装・中立=憲法九条を守る」だと思っていて、日本共産党も昔からそのような政策をとっていたものだと勘違いをしていた。(ブログ筆者・寺坂)

 ※次号に続く

 

 


日本共産党の米朝首脳会談絶賛に疑問を呈する❷手放しの絶賛こそ、おかしくない?

2018-06-29 14:04:39 | 滞在記

◆前号のブログで、「一面トップから2・3面にかけて「日朝首脳会談」に関する記事だった。」とあるのは、「‥‥「米朝首脳会談」に関する記事だった。」の間違いです。訂正します。

 「日曜版・赤旗6月24日号」の2面では、志位委員長の6月14日の会見内容が紹介されていた。見出しは「平和のプロセス促進を―米朝首脳会談うけ志位委員長」。以下その内容は、「『非核化』と『安全保証』で合意した米朝首脳会談(12日)について"具体性に乏しい"などと懐疑的、悲観的な見方が一部にあります。日本共産党の志位委員長は記者会見(14日)で『非核化と安全保証を米朝が相互に約束し、朝鮮半島に永続的で安定した平和を構築ことを宣言した今回の会談の持つ歴史的意義を見誤ったものだと指摘しました。』と書かれていた。

 たしかに志位氏の言う通り、歴史的意義はそれなりにあり、「朝鮮半島および東アジアの真の平和(日北韓中台露米関係)」の一つの歴史的な一里塚には違いない。今回の会談は「始まりの始まり」という、それなりの意義はあるものだった。しかし、手放しの「絶賛」ではたして今回の「米朝首脳会談」を語っていいものだろうか?大いに疑問を呈する。

 志位氏の会見で「北朝鮮の体制保証」という文字を使わず「北朝鮮の安全保証」という言葉を使っているのは、今回の志位氏の会見でも、「残虐非道で人権問題がとても大きい北朝鮮の体制を保証する」という合意内容を、日本共産党は恣意的に表にでないような「安全保証」という言葉ですり替えているのは、とても残念なことだ。「人権問題意識」が疑われる恣意的表現だ。

 今回の「米朝首脳会談」は今後の「朝鮮半島および東アジア情勢」の平和にとってプラスの方向に行く可能性をはらんだ第一歩という一面はある。しかし、事の本質は何だろうか。マイナスの側面も同時に見ておく必要がある。それは、トランプ大統領にとっても金正恩委員長にとっても真の平和を求めるための「会談」ではなく、「イカサマの平和」という本質が透けて見えるということだ。

①―トランプ大統領にとって「北朝鮮問題」など、今後どう進行しようと、どうでもいいという本音―

 北朝鮮問題もトランプ大統領にとっては、彼の支持層の支持率を維持するための手段にすぎない。一般的な米国人にとって、対北朝鮮政策に期待するのは「米国に向けられた核兵器の撤去」だけだからだ。(それ以上のことを期待するのは、主に大都市に住むインテリ層や有識者、あるいはメディアだけで、トランプの支持者ではない。)大雑把にまとめると、トランプ大統領が描いたのは以下のようなシナリオだった。

 米国民が「アジアに金正恩という変な独裁者がいて、米国に向けて核ミサイルを発射すると息巻いている」という不安を抱く➡北朝鮮の核攻撃を防ぐために、トランプは金正恩と会談する➡金正恩は敵対的でなくなり、トランプは問題を解決したことになる。これはオバマなんか絶対にできなかったことだと鼻を高くして誇れる。反トランプの人々にも鼻をあかせる。➡米中西部や南部における彼の支持率は上がり、中間選挙の見通しは明るくなり、大統領再選にもスイッチが入る。(※そして、現実もこのシナリオ通りに進行した。) アメリカにとってではなく、トランプにとっては今回の「米朝首脳会談」の演出は大成功であり、朝鮮半島の非核化や拉致問題がどれほど進むかなどは、乱暴に言ってしまえば、彼にとって あまりどうでもいいと考えているのが本音のようにも思える。

②―金サマ、習サマが「3度にわたる中朝首脳会談」で交わした盃(さかずき)―中国による朝鮮半島のより一層の従属化をもたらした今回の「米朝首脳会談」の舞台裏

 韓国での冬季オリンピック開催以前の昨年度、北朝鮮の核開発を巡る状況により、東アジアは大きな危機をはらんでいた。国際社会は全体的に「北朝鮮」に対する圧力をより強め、「北朝鮮の体制崩壊」も視野に入った状況もあった。これに対して、北朝鮮は中国との関係改善に大きく動いた。そして、中国の後ろ盾のもと、今回の「米朝首脳会談」に至る。その結果、できたものは東アジアでの中国支配勢力がより大きくなったことである。中国習近平政権の外交勝利でもあった。これは、新たに「覇権」をより拡大しようとしている中国の増強という局面に他ならない。これに対する日本共産党の見識・状況分析や認識が決定的に中途半端というか、お茶を濁しているというか、目をつぶっているというか、弱いことも、志位委員長の会見内容である。

 これはなぜなのか?次回の号で少し考えてみたいと思う。

 「米、国連人権理事会を脱退」(6/21)という報道が‥‥。「中ロに力与える」の声も。

 世界の環境問題に関する「パリ協定」からの脱退に次ぐ、アメリカ・トランプ大統領の判断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本共産党の米朝首脳会談絶賛に疑問を呈する❶絶賛だけ?なぜ懸念はしないのか?

2018-06-28 07:09:39 | 滞在記

 日本に一時帰国をする前日の6月16日、中国のアパートで日本のインターネット記事を見ていたら、時事通信社「JIJI.com」発信で次のような見出しの記事があった。➡共産、トランプ外交絶賛=「改憲阻止」追い風? 6/16

  ◆日本共産党が北朝鮮との対話に突き進むトランプ米大統領を絶賛している。従来、米国を「帝国主義」「覇権主義」と批判してきたが、米朝対話を求める党の主張と合致したためだ。米朝融和が進めば、安倍政権が目指す憲法9条改正を阻止できるとの思惑もある。「日本の論調をみると懐疑論、否定論、悲観論が強いが、歴史的会談の持つ意義を見誤ったものだ。粘り強く国際社会が支えていく姿勢が大事だ」。同党の志位委員長は14日の記者会見でこう訴えた。

 日本共産党は昨年の衆議院選挙公約で、北朝鮮問題の解決に向け、米朝に直接対話を呼びかけた。当時は北朝鮮の脅威を国難とする安倍首相の圧力路線が支持を広げ、共産党の北朝鮮問題政策に同調する声は少なかったが、先の米朝首脳会談を受け、党幹部は「われわれの主張通りになった」と胸を張る。米朝首脳合意への評価は割れるが、同党のトランプ氏賞賛は改憲論議をにらんでのものだ。志位氏は11日の党会合で、米朝対話の進展によって「『北朝鮮の脅威』を口実にした改憲策動は根拠を失う」と首相を牽制。今後もこうした訴えを続ける方針だ。(※以上が時事通信社記事) 

 私はこの記事を読んで、「この記事内容は本当なのだろうか?」とまず思った。トランプ氏の外交や今回の「米朝首脳会談」を単純に絶賛だけしているということが、信じられなかったからだ。今回の首脳会談における「北朝鮮の体制保証」の確約など、金王朝の「想像を絶するに余りある人権問題」を放置したままの「体制保証」への懸念などは、人権問題への意識もかなり高いと思われる日本共産党は当然あるものだと思っていた。だから今回の首脳会談の単純な絶賛などはないだろうと思っていた。

 6月17日(日)に日本に一時帰国した。そして17日(日)付の日本共産党機関紙「赤旗・日曜版」を見た。一面から二面にかけて「米朝首脳会談」に関する報道が大きくとりあげられていた。「米朝首脳会談、歴史動く―対立から対話へ」という見出し記事だった。―「非核化」「平和構築」へ転換成功すれば世界は変わる―という見出しの、ジャーナリスト・青木理氏のコメント記事もあった。そして、志位委員長の「歴史的会談・心から歓迎」という談話があった。そこには「北朝鮮の体制保証」「人権問題」等への懸念は一言も述べられていなかった。「米朝首脳会談」絶賛だけの内容だった。これが日本共産党なのかと愕然とした。

 続く6月24日(日)の「赤旗・日曜版」も一面トップから2・3面にかけて「日朝首脳会談」に関する記事だった。「戦争遠ざけた—対話の方向よかった」という見出しの、作家・室井佑月氏のコメント。「歴史に残る第一歩の一日」という見出しの、慶応大学准教授・磯崎敦仁氏の記事。2・3面には同じく磯崎氏の「日本は今こそ能動的交渉を」という見出しの記事があるだけだった。そこにも体制保証や人権問題について懸念する内容はまったくなかった。

 これが日本共産党なのか?はたしてこのような絶賛だけの内容でよいと思っているのだろうか?わたしにはこの党に対する今までのイメージが少し変わらざるを得なかった。私の親しい友人には日本共産党員も多くいるが、共産党員の人達や支持者は今回の「赤旗記事」をどう思っているのだろうか? 党内論議として「賛否両論」はあろうが、外交問題に関する今回の志位委員長の「米朝首脳会談絶賛」だけの会見内容に対する、「なぜ懸念も示さないのか」という党内論議は はたしておきるのだろうか?注目したいところだが‥‥。

 

 

 

 


日本が原産の花、「アジサイ(紫陽花)」―梅雨の季節、宇治「三室戸寺」の紫陽花

2018-06-23 11:33:13 | 滞在記

 梅雨時期のこの季節、6月21日の午後に京都府宇治市にある「三室戸寺(みむろどじ)」にアジサイを見に行った。朱塗りの山門に向かう。参道の道にはアジサイの花。

 この三室戸寺は4月~8月は「花の寺」としても有名な古刹。石楠花(シャクナゲ)は4月~5月の時期に境内の山に1000本ほどが咲き誇る。ツツジは5月、2万本が咲き、アジサイは1万株。夏至のこの時期が一番の見ごろだろうか。小さな日本庭園もある。7月〜8月には蓮が花を開く。野仏もさりげなく見える。春の桜や秋の紅葉なども美しい。この寺は今から1200年ほど前の600年頃に建立された かなり歴史の長い寺院だ。「西国観音霊場10番」の札所である。

 本堂の前の大きな鉢に並べられた「蓮」が開花を始めていた。小ぶりだがなかなか趣のある「三重の塔」。萩の花がもう花を咲かせていた。山門近くのアジサイは見事だ。

 ここ三室戸寺のアジサイは1万株と、すごく多いというわけではないが、(日本国内には5〜7万株というアジサイ園もある) この寺の山々や杉木立、そして寺の山門と相まったアジサイの美しさは、また絶妙な奥ゆかしさを感じる雰囲気がある。

 この頃、この梅雨時期に、いままで見たこともないようなアジサイの品種の花を見ることも珍しくない。イチジクの実はまだ青い。

 アジサイ(紫陽花)は日本が原産地とされている。原種は日本に古来から自生していた「ガクアジサイ」。いろいろな品種改良がされてさまざまなアジサイがつくられてきている。江戸時代末期に、日本からヨーロッパやアメリカに伝わったようで、その後 欧米でも栽培され 多くの品種が作り出されている。ヨーロッパなどで品種改良されたものは「セイヨウアジサイ」と呼ばれ、これが日本にも伝わり、栽培もされてきている。ここ三室戸寺のアジサイも30年ほど前に比べたら「セイヨウアジサイ」の品種も増えてきている。

 アジサイは、やはり梅雨時期の雨が多い 日本にとても似合った花だと思う。